第二章 汝、魔性の物となりて

 声が聞こえる。 


「−−−−かみ、起きてよ〜。もう九時だよ〜」


 その声は、俺を深い思慮の海の水底から、軽々と引き上げていき−−−−


「っっっっっっは!?」


 俺は文字通り跳ね起きた。


「びっくりした! 急に起きないでよ!」


 自分の居場所も状況も、何も分からなかった。

 割と本気で、ここはどこ?私は誰?状態。


 ……落ち着け。一旦状況を整理しろ。ここはふかふかとした布団の上、俺は形無あらなし貴己たかみ。よし、覚えてる。それで昨日は……あれ?


「今何時!? 俺何してた!?」


 さらには昨夜からの記憶が無く、軽くパニック状態におちいわめき立てていたが、


貴己たかみ!」

「は、はいっ!」


 果琳かりんに名前を呼ばれ、俺はようやく我に返った。


「今は、朝の九時。昨日、貴己はお風呂に行って、そこでのぞむくんとお話をしていたらのぼせちゃって、望くんに呼ばれた私が部屋まで運びました。それで、今まで寝てたというわけです。……わかった?」

「……うん。思い出した」


 果琳の懇切こんせつ丁寧ていねいな、ともすれば幼子おさなごにする様な説明を受け、俺はようやく昨日からの顛末てんまつを理解した。


 ……あの状態で気絶したの、余裕で死ねるな。


 同時に、果琳と望に見られてしまったであろう己の痴態ちたいも容易に想像できた。

 現に、今こうして旅館の寝間着を着ているのがその証拠だ。

 ちゃんとパンツも履いている。

 申し訳ないことをしたと思いつつ、俺は恥を忍んで果琳に問いかける。


「付かぬ事をうかがいますが、俺の着替えは一体誰が?」

「うん? 私だけど」

「なんだ果琳か。ならいいや」

「んなぁっ!? ならいいやって何!? ならいいやって!」

「いや、だって果琳だし」

「〜〜〜〜っ! だったら今、着替えさせてやる! さっさと着替えて行くよ!」


 言いながら果琳は俺の寝間着のすそつかみ、引きずり下ろしにかかった。

 俺はそれを必死に阻止そししながらたずねる。


「ちょっと待て! 行くってどこに?」

「巡回に決まってるでしょ! 異変を突き止めるの!」

「わかった! わかったからその手を離せ! 一人で着替えられる!」

「こなくそーーっっ!」

「待てぇぇぇぇぇぇぇっっ!?」


 朝の旅館に、一人の男の悲痛な叫びがひびいた。


 □ □ □


 無理やり着替えさせられ、半ば引きずり出されるようにして俺は外に出て、果琳の後を追う。

 朝に聞こえるはずの鳥の囀りは、既に人々の営みの喧騒に掻き消されていた。


「なぁ、俺そういえば朝飯食ってないんだが」

寝坊助ねぼすけにあげるご飯はありませんよーだ」

「なんだそりゃ……」


 暖簾のれん腕押うでおし、ぬかくぎ

 これ以上言っても意味が無い、と俺は旅館へ戻ることを諦めた。

 歩きながら周囲を見回す。

 のきつらねる家々は、表向きは木造建築で古風なものが多く、正に昔ながらの情緒じょうちょあふれる古都だ。

 東京などは都市近未来化構想により、更にその有り様を変えようとしているというのに、京都は昔の街並みを今も守り続けている。

 それもそのはず、京都は千年以上も前の寺院や神社、それ以外にも数多くの歴史的建造物が現存する、世界遺産都市と形容しても過言では無い。

 観光都市としての面も持つ、異色極まる地。

 2007年には京都市新景観条例なるものが設けられ、街並みへの保守的姿勢は更に強まった。

 神秘の残る都、なんて呼ばれたりもする。


 現在地は旅館より十分ほど歩いた京都の街中。

 東山、と呼ばれる場所だが山の中では無い。

 もちろん東山という山も近くにあるのだが、ここは東山地区だ。

 西に行けばデートスポットで有名な鴨川かもがわがあり、南に下れば如何いかにも京都といった街並みが見られる祇園白川ぎおんしらかわがある。

 ここ東山も京都の観光名所、なのだが今の俺たちは幻想種がいつ現れてもいいように巡回するのが目的であるため、観光はできない。

 空腹で鳴りそうになる腹を押さえつつ俺が後を歩いていると、果琳が空を見上げ目をすがめた。


「そういえば〈世界〉結構近づいてきたね」

「ああ、明日か明後日には直上通過するんじゃなかったか?」


 俺もそちらを見やりつつ、昨日の天気予報を思い出していた。

〈世界〉進路予想、直上通過。


「こりゃもしかしたら本当に百鬼夜行起こるかもな……嫌だなぁ」

「だねぇ」


 俺がぼやくと果琳も同じ様にうなずいた。

 

世界ワールド〉。

 それの全容を、見たままを言葉で説明するのは簡単だ。

 文字通り世界そのまま。

 地球のミニチュアが空に浮かんでいると思ってくれればいい。

 けれど、ミニチュアといっても真上にきた時は空をおおってしまうくらいには大きい。

 見た目はそれだけだ。

 特別なことは何も無い、といってもそんなものが空に浮かんでいる時点で特別といえば特別なのだが。

 それよりも特筆すべきは、〈世界〉の見えない部分についてだ。

〈世界〉からは、『何か』が世界中に向けて、常に放出されている。

『何か』についてわかっていることは一つ。

 、という事だけだ。

 解析不能で認識不能という理解不能なその『何か』は〈世界〉より絶え間なくこの世界にもたらされている。

 事実としてあるのはそれだけ。

 そんなノーノー尽くしの『何か』についてだが、ある考察が成されている。

 この世界に魔導が存在するのは、〈世界〉から発せられる『何か』のせいではないか、という事だ。

 『何か』によって魔法や魔術、幻想種や超常現象が存在するのではないか?

 そう言われているのだ。

 それは人々が自然と生み出した結論なのだろう。

 そうでなければ説明が、というより納得がいかないからだ。

 人間は古来より、災害や自然現象など、自身の及びのつかないものは神や悪魔などの仕業として、『そういうもの』として捉えてきた。

 それと似た様なものである。

 むしろ、目に見えるものに原因をゆだねているあたり、まだ進歩しているのかも知れない。

 

「なぁ、そういえば果琳が一年前に俺を見つけた日に〈世界〉が光ったって言ってたけど、どんな風に光ったんだ?」

「ん〜、日蝕にっしょくってあるじゃん? あんな感じ。輪郭りんかくがぼや〜って。みんな大騒ぎだった」

「日蝕みたいに……? 全然想像つかないな」

「そんなの想像するより、今は百鬼夜行の異変を突き止めるのが先だよ」

「百鬼夜行まだ起こってないんだが……ってあれ?」

「どったの? 妖怪でも見つけた?」


 半年ほど前に読んだ妖怪絵巻の本の内容を思い出していた俺はある事に思い当たる。


「いや、確か百鬼夜行絵巻の一番最後に出てくる妖怪ってさ−−−−」


 そして、それを話そうとした時、果琳がバッ!と後ろを向いた。

 もはや俺の話など聞いていない。

 魔法を使用する時、魔力が身体の内を駆け巡る事によって赤と緑に染まる異色瞳オッドアイが、すでにその色になっていた。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」


 女性の悲鳴が聞こえてくる。

 幻想種が出たのだ。

 かなり近い。

 恐らくは一、二本路地を行った所だろう。


「貴己、出た! 行くよ!」

「マジかよ! って待ていきなりすぎる!」


 言いながら、果琳は俺の制止も聞かず、左腕を振るった。

 すると、俺と果琳の身体は重力に反し、浮き上がっていく。

 が、それは一瞬の話。

 次の瞬間には猛烈な翔風に打ち上げられ、中空に躍り出ている。


「うおああああああああ!?」


 今度は俺が叫ぶ番だった。


「いた! あそこ!」

「いやこの状態じゃ見えねぇよ!」


 俺は空中ででんぐり返しを繰り返しながら叫ぶ。

 もちろん好きでやっているわけではない。

 バランスを失い引っくり返った状態で下から風に打ち上げられているから、回転力がかかってこの様になってしまっているのだ。

 正直これだけで酔いそう。


「いいから行くよ!」


 流石は俺が修羅と表現しただけある果琳、でんぐり返しをしたままの俺を引き連れ文字通り一陣の風となり、幻想種の前に立ちはだかる。


「でっかいたぬき! 可愛くない!」

「でっかい狸!? って、風狸ふうりか!」


 地面に下され数転した後に起き上がった俺の目に写ったのは、人の身ほどもある馬鹿でかい狸だった。

 背中から尻尾にかけての毛が茶色に赤みがかかったようになっており、歯をしにして威嚇いかくする姿は果琳の言うように全く可愛くない。

 狸の獣臭い部分を思いっきり強くしたような、凶暴さが全面に出た幻想種だった。


「ここで赤の魔法ぶっ放すなよ! 俺たちも巻き込むからな!」

「分かってる!」


 言いながら果琳は緑の魔法で風を起こしつつ、風狸を牽制けんせいしてくれている。

 果琳が時間を稼いでいる間、俺が女の人を避難させる。

 それはいつもの俺と果琳の連携だ。

 俺が果琳の障害となるものを取り除くよう動き、果琳は自分の舞台が整うまでの間、時間を稼ぐ。

 そうして舞台が整ったのなら、後は果琳の独擅場どくせんじょう

 

空力エアロ! 翔風隔界ヴェイトスフィア!」


 果琳が叫び左手をかざすと、緑の燐光りんこうが左手に帯び始めた、と思えば風狸の周囲に突然扇風せんぷうが巻き起こり始める。

 うなり、風狸は風に抵抗するもむなしく空に巻き上げられていく。

 風狸はその名の通り風に強い妖怪であるはずなのだが、それがすべなく、空中のただ一点でくるくるとでんぐり返しをさせられている。

 それは風の結界、もとい牢獄ろうごくだった。

 風狸のさえずるような鳴き声と、先ほどの俺と同じ状態に少し同情してしまうが、いかんせん相手が悪かった。


小塊纏炎ミサ・フラマ


 果琳が小さく呟き、息を吹くと、火の粉が散った。

 火の粉は上昇していくと共に、段々とその量を増していく。

 そうしておこったおさな下火したびは、ぜる花弁をらす獄炎ごくえん徒花あだばなと化して哀れな獲物を飲み込んでいく。

 けれど果琳はその様子には一瞥いちべつもくれず、すでに何処どこかへ向かって歩き出していた。


「まー見事な火葬だこと」


 言いながら俺は先ほどまで風狸がいた空間を見つめる。

 そこにはもはや灰すら残っていなかった。


「それにしても、風狸がこの時間に出るって結構やばいんじゃないか?」


 俺は果琳の後を追いながらひとちる。

 風狸は元々夜行性であり、昼間はその姿を現さないはずなのだ。

 そのはずなのに、それが朝から現れた。

 異常も異常、昼夜逆転していたんじゃないかなんて冗談も言っていられない。

 と、一人思考しながら果琳に続いて角を曲がった時だった。


「危ないっ!」


 前にいたはずの果琳が覆い被さるようにして、俺を押し倒してくる。

 頭上を風が通り過ぎていった。


「な、なんだよいきなり」

「貴己、逃げて! あれは私でも守りきれるか分からない!」

「あれって−−−−−−なっ」


 言われた言葉の意味が分からず、顔を上げた俺は、戦慄せんりつした。

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