第一章 約束の約束

「お背中流しに……って、なんだのぞむか」


 思わぬ来訪者に面食らったが、一先ひとま果琳かりんでなくて良かったと思おう。


「……まぁ、とりあえず入れば? 俺もう頭と体洗っちゃったからさ。にしても、女みたいな格好して入るんだな」

 女性のような格好をしているのには面食らったが、色々あるのだろうと思い、あまり重い雰囲気にしないよう、軽く茶化したつもりだった。

 けれど、望の返答は、


「だって僕、女ですから」

「――――――は?」


 思わず望の方を振り返ってしまった。

 そこに有ったのは、一糸まとわぬ姿。


「な――――」


 起伏の少ないからだには、一片ひとひら贅肉ぜいにくも存在しない。

 くびれのある、ほっそりとしたやわい腰。

 すらりと伸びる四肢ししは、触れたら折れてしまいそうなほど細い。

 襟足えりあしで隠れていた首筋とかたは、とおるように白く、目に痛いほど。

 けがれを知らぬ、無垢むくなる肢体したい

 それは嫣然えんぜん淫靡いんびなどといった言葉が阿呆あほらしく思えてくるくらい、純粋だった。

 息を呑むとはこの事を指すのだろう。

 自然、停止した思考の中、悟る様にそんなことを思った。


「…………」


 言葉が出ず、目が離せなかった。

 右手でタオルのすそを握りしめ、うつむきき目を伏せる望の顔は、赤く、震えていたが、やがて、きっ、と顔を上げる。


「僕、貴己たかみさんと約束したんですよ。また一緒にお風呂入ろうね。って」


 桶を使って湯をすくい、体にかけながら望は静かに言う。

 そして俺の隣に腰を下ろし、


「やっと、約束が果たせました」


 えへへ、とひかえめに笑った。

 その顔は、今日見てきた望のどんな表情より、正直だった。

 まるで、今の今まで仮面を着けて演技していたのでは、と思ってしまうほどに。

 いや、ある意味では演技なのだろう。

 望は寡黙かもくな雰囲気にすることで、極力高い声を出さぬように努めていた。

 それに俺はすっかり騙されていた。


 ……こんな風に笑うなんて、どんだけ楽しみにしてたんだ。


 なんて、口にできるはずもない。

 そういえば希も約束のことを話しているときは本当に嬉しそうだったな、などと物思いにふけっている場合でもない。

 何か、何か言わなければ。

 ゴクリと唾を飲み込み、何とか平静を装って声を絞り出す。


「……マジで女なのか」

「てっきり、貴己さんならもう気づいているかと思ってました」

「いや……まったく」

「それはそれで、なんだか嬉しいですね」


 笑いながら望が伸ばした腕が視界に入り、反射的に目を逸らす。


「言われてみたら……って感じだ」


 思い出せば確かに手がかりはあった。

 中性的な髪型。

 少し大きめの着物。

 そして望から借り受けた木刀は、男物にしては小ぶりで軽かった。

 恐らく普通に女物を買ったのだろう。

 更に、しんさんと、のぞみたちなら鬼退治は出来るのではないかと話した時、静さんは、を危険にさらす様な真似はしない、と言っていた。

 別段おかしな物言いでは無いが、娘息子と言わなかったのは半ば無意識の内なのだろう。


 ……まずい、このままだと煩悩ぼんのうにやられて死ぬ。


 一度、大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。

 確かに、望が途轍とてつもない造形美を持つ女子だった、というのは驚愕きょうがくに値する。

 しかし、その真実は同時に一つの疑問を生み出した。


「……なんで、男の振りをしてるんだ?」


 

 その理由が俺には気がかりだった。


「それは……」


 望が俯き、水面みなもが揺らめく。

 そうして揺れる水面に映った望の顔を見た俺は、数秒前の己の発言を心の底から悔やんだ。


 ……まずい、真正面から地雷踏み抜いたぞコレ。


 出来るとは思っていないが、なんとかつくろおうと試みる。


「い、いや、嫌なら話さなくていいんだ! 家の事情なんだろうし! 俺が軽率だった−−」

「−−話します。貴己さんには話さなきゃいけないんです。兄の、兄さんの為でもありますから」

「静さんのため……? それってどういう−−−−」


 尋ねながら、思わず望の方を向いてしまいそうになり、思い留まる。


「兄は多分、いいえ、きっと僕たちのことが嫌いなんです」


 そう言って、望は訥々とつとつと喋り始めた。


 中御門家は、陰陽師をやめてなどおらず、ずっと続けてきたのだという。

 通常なら、日本の世襲制せしゅうせいよろしく、長男が次の代を担うのだが、当の静さんは魔導が使えなかった。

 両親は後継あとつぎの為、魔導を使える子を作ろうとしたが、元来、母は子が出来にくい性質たちだった、と望は言った。

 けれど、何とか子を身籠みごもった女将おかみは、それが双子だとわかると亭主と共に大喜びした。

 どちらか片方は男の子だろう、そう思っていた。

 しかし、産まれたのは、両方とも女の子であった。

 両親は大いに悩んだ。

 女将の体調、年齢、旅館の事をかんがみても、これ以上の子は産めない。

 そして決めた。

 片方の子を、男子として育てる、と。

 全ては千年近く続いてきた家業の為、とそんな大義名分で、望は育てられた。

 結果的に、それはこの上ない判断だった。

 希、望ともに“色つき”ということが分かり、魔導の才に益々ますますの期待がかかった。

 その期待に応えるように、二人は大きく成長していった。

 そんな中、静さんはどうしていたのか。

 ほっぽらかしにされていた、というわけではない。

 魔導の才がないというだけで捨て置くほど、両親は腐っておらず、優しかった。

 子供達にはへだてなく愛情を注ぎ、静さんにはせめてものつぐないとして、やりたいことをやらせたいようにやらせた。

 幸い、静さんは幼い頃から神童と呼ばれるほど優秀な子で、道を踏み外すようなことも無く、本当に無いのは魔導の才だけだったという。

 静さんは自分が後継ぎになれないことは初めからわかっていたようで、それを補うように、勉学に励んでいた。

 両親はその姿を見て、すっかり安心した。

 けれど、それが変わったのは、静さんが二十一歳の時。

 去年のこと。

 ある日突然、陰陽師を継ぎたい、と言いだしたのだという。

 無論、両親は反対した。

 というよりも、不可能だ、とずっと前からわかっていたはずの事実を再三告げるしかなかった。

 しかし、言えば言うほど静さんの気持ちは固まっていくようだったと言う。

 魔導が使えなくとも、家宝の祓魔剣のような魔導具を用いれば良い、大学でも家を継ぐためだけに、魔導を研究する学部に入ったのだ、と。

 そんなことを言うばかりで、まるで人が変わってしまった、と望は言った。

 半年ほど、そんな押し問答が続けられていたらしいが、つい二週間ほど前、亭主がついに言った。

“陰陽師は、もうやめよう”

 このような不毛な言い争いで、息子と仲違なかたがいしたくはない、それならばいっそ自分の代で陰陽師を終わらせる、と言ったのだ。

 それは、望自身にも大きなショックだった。

 自分の存在価値が音を立てて崩れていった。

 自分を捨てて振る舞ってきた全てが無為むいしたのだ。

 僕が今までやってきたことって何だったんだろう、そんなことをぼんやりと、つぶやいた。

 静さんはそれ以降、跡継ぎについて何も言わなくなったらしいが、代わりに夜中、自分の部屋を後にして忽然こつぜんと消えてしまうことが増えたという。

 そして、それとほぼ同時期、先週ごろから京都全体に異変が起き始め、旅館でも鬼の目撃証言が出始め、俺たちが呼ばれた、という流れらしい。



「その話、静さんがすごく胡散臭く感じるんだけど、あの人は何もしてないんだよな?」


 俺は、ぼーっとしてきた頭で、何とか先ほどの話を整理しながら、望に尋ねる。

 望はゆっくりとうなずいた。


「してない、というよりできません。兄さんにそんなことができる力は無いんです」

「……そうか」


 俺は、静さんが部屋を後にするときに漏らした呟きを思い出していた。

“何の為に望を−−−−”


 ……後継ぎにするためだったのか。


 静さんの言葉の意味、そして望が男の振りをしていた理由が同時に明らかとなり、俺は大いに納得した。

 しかし、


「何だって、それを俺に話したんだ?」


 いくら昔は懇意こんい間柄あいだがらだったと言えど、何故わざわざ話すのか。

 その時の記憶だって無いというのに。

 

 

「僕たちは、貴己さんと別れる前に、それぞれ約束をしたんです」


 俺の問いに、答える望の声は、先ほどとは違っていた。

 冷静でいて、切情的な、


「希は、もう一度手合わせをしよう、と。僕も一緒に、と言っていました。僕は、今こうして、貴己さんとお風呂に入っていることです。二人きりでゆっくりお話もしたい、という願いも叶っています」


 静謐でいて、感動的な、


「兄さんは、約束の約束をしていました。もう一度会った時、貴己さんに約束したことをして欲しい、と」

「それ、は……?」


 何故だか、声が遠のいていく。

 何故だろう。

 ああ、思い出した。


「それは−−−−−−−」


 ……この前後不覚な感じ、間違いない。完全に湯あたりした。


「えっ。貴己さん!? 大丈夫ですか!? 貴己さん!?」

「……」


 体がかたむいていく。

 望に肩が当たる。

 倒れ込み、頭まで湯に浸かっていく。

 せめて風呂の縁に腰掛けて話せばよかったな、などと冷静に考えながら、俺の体は意識と共に湯船の底に沈んでいった。

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