第一章 依頼内容

「もしかして、貴己たかみくんかい?」


 長閑ちょうかんとした声が背中越しに響く。

 それはあくまで穏やかで、確かな親しみを持っていた。

 俺はこんな声の人を知らない。

 だというのに、俺を下の名前で呼んでいる。

 その事実は、声の主が誰なのかを予想させるには十分すぎる情報量で。


「ど、どうも……」


 高速で振り向いた先には、すらりと背の高い、爽やかな青年がにこやかにたたずんでいた。


「ああ、やっぱり。果琳かりんちゃんも久しぶり。って、のぞみどうした?」


 ……最悪のタイミングだ! 何もこんなに早く来なくたって良かったのに。本来の到着時間よりもずっと早いじゃないか。


 背筋を冷たい汗が伝っていく。

 俺は内心の焦燥しょうそうを顔に出さない様にするので精一杯だった。

 目の前にいる、彼が中御門なかみかどしんなのであろう。

 くせのあるふわふわとした髪の毛、シンプルな銀縁の細眼鏡、清涼感あふれるグレーのストレッチシャツに黒のジーパン。

 左袖からのぞく銀の腕時計がお洒落しゃれに光っていた。

 どこを取ってみても老舗旅館しにせりょかんせがれにはとてもじゃないが見えない。

 何処どこにでもいる今ドキの若者、といった雰囲気だった。


「なん、でも、ない……」


 と、希が袖で涙をぬぐいながら、俺の腕の中から立ち上がった。

 その足取りは覚束おぼつかない。


「肩、持とうか?」


 俺は介抱しようと声をかけるが、


「大丈夫、です……」


 と拒絶されてしまい、希がフラフラと修練場を後にするのを眺める事しか出来なかった。

 のぞむが後を追い、いつの間にか亭主や女将おかみ、お手伝いの人もいなくなっており、修練場には俺と果琳、そして静さんを残すのみとなった。

 閑散とした風が通り過ぎ、静寂しじまが訪れた。

 見れば静さんが困った様に、所在なさげにしている。

 ハッと、何か言わなければという焦燥感に駆られ、必死に言葉を探す。


「あ、あのですね。希さんが泣いていたのは、その……別に何もやましい事をしていた訳ではなくて、えっと……」


 ……ああ、なぜ俺はこんな言い訳にもならない言葉を口走っているのだろう。


 自分で自分のしていることが分からない。

 呆れを通り越してもはや滑稽こっけいだった。

 が、静さんは表情をやわらげ、こちらに笑いかけてくれた。


「とりあえず、ここで話すのもなんだし、場所を移そうか」


□ □ □


 俺たちの宿泊する部屋に戻り、一頻ひとしきりの経緯いきさつを話す。


「記憶喪失……!? それは大変だったね。そうか、それで希は……」


 静さんはこちらを案じながらも何か思案顔でぶつぶつと呟いていたが、不意に顔を上げた。


「希のことはどうか、あまり気に病まないでほしい。あの子達はキミ達のことが大好きなんだ」

「は、はい」


 爽やかフェイスでそんなことを言われれば、こちらは二つ返事で首を縦に振るしかない。


「それにしても、貴己くんが記憶喪失だとは……積もる話もあったのだけど、それが話せないのが少しだけ寂しいね」

「す、すみません」

「ああいやいや! 全くもって貴己くんが謝ることは無いよ! 好きで記憶喪失になったわけじゃないんだろう?」

「それは……そうですね」

「だろう? これからまた少しづつ知っていけばいいだけさ! と、世話話はこの辺にしてそろそろ本題に入ろうか」


 言って、静さんが姿勢を正す。

 と、それまで黙って話を聞いていた果琳が口を開いた。


「静さんが依頼したのは鬼退治、でしたよね? 実は私達、ここに来るまでにも、京都駅で鬼に遭遇そうぐうしてるんです」


 静さんはああ、と首肯する。


「聞いているよ。結構大きな騒ぎになったんだってね」

「はい。被害者が出る前に倒したので、それは問題ないんですが、鬼が昼間に人の大勢いる場所に出現することは、はっきり言って異常です。私達が来る前に京都で何かあったんですか?」

「実はここ一週間で幻想種が京都府を中心に頻繁ひんぱんに出現しているんだ。段々と現れる幻想種の種類が増えている上に、原因は未だ不明。一部じゃ百鬼夜行ひゃっきやこうが訪れるんじゃないかって声もある」

「「!!」」


 告げられた言葉に俺と果琳は思わず身を強張こわばらせた。

 何かあるだろう、とは思っていたが、そんな事になっていたとは。

 百鬼夜行。

 過去の資料によると、様々な鬼や妖怪が群れ歩いている状態のことであり、出逢であえば死んでしまうため、昔の貴族は夜の外出をひかえていたという。

 現代にいて百鬼夜行の意味はそれだけでは無い。

 科学技術の浸透により、神秘の多くは人々の前からその姿を消した。

 が、数十年に一度、思い出したかの様に戻って来るのだ。

 超常現象であったり、神話級の幻想種が突然空から舞い降りて来たり、それは様々な形で現れる。

 百鬼夜行もその一つである。

 様々な鬼、青行燈あおあんどん傘小僧かさこぞう足長手長あしながてなが、ぬりかべ河童かっぱ大入道おおにゅうどう、その他諸々。

 過去の絵巻に描かれている様な、如何いかにも日本の妖怪といった物が大挙して現れる。

 夜闇からで、形を為したもの達は何処どこくとも知れず、ただ歌い、踊り、騒ぎ、練り歩く。

 それがどの様な意味を持つのか人間には分かるはずもない。

 ただ、出会ったが最後、酒のさかなとなって跡形も無くなるのは確かだ。

 家に閉じこもって、彼らを刺激することなく通り過ぎるのを待てば被害はない。

 が、その規模はもはや災害と変わりはなく、むしろ絶対に外へ出られないのはある意味では台風よりもタチが悪い。

 百鬼夜行のもっとも古い記述は江戸時代にまでさかのぼり、およそ二百年の間に四度、観測されている。

 最後に観測されたのは大正二年、西暦1914年。

 第一次世界大戦の前年であった。

 それが今、約百余年ぶりに起こるかもしれない、と静さんは言うのである。

 静さんはなおも淡々と喋り続ける。

「僕もつい三日前まではそんな噂が出始めているな、と冗談半分に思っていたんだ。けど、うちの旅館にも遂に出たらしくてね。なんでも、刀を持って妖しく笑っていたらしい」

「刀を持った鬼、ですか」


 そんな鬼、聞いたことがなかった。


「目撃したのはお客さんしかいないんだけど、証言が似通っているから多分複数じゃなくて一匹だけだと思う。沢山いないのはまだ幸いだったけど、逆に言えば一匹はほぼ確実にいる」


 どこか悲しげに語るその姿に果琳が声をかけた。


「それじゃあ私達は、その鬼を退治すればいいわけですね!」

「そうだ。僕はそれを君たちに依頼したくて、今日ここへ呼んだ」


 静さんはあくまで静かに、調子を変えず喋り、そこで口をつぐんだ。

 俺は嫌な予感がしていた。

 目が、何か思惑おもわくはらんでいるのだ。

 俺はその思惑がどの様なものか予想がついている。

 この言い方では恐らく、続きがある。

 その続きの内容を、俺は恐れている。


「それと、実はもう一つ頼みたいことがあるんだ」


 予想通り、静さんは重々しく口を開く。


「それは、なんですか?」


 果琳が先をうながす。

 やめときゃいいのに、と思いつつも、俺は何も言わない。

 果琳だって、静さんが何を言いたいかなんてわかりきっている。

 それでも、先を促すのは、


「異変の原因を突き止めてほしい」

「わかりました!」


 即答だった。


「……いいのかい? 正直言って、かなり危険がともなうことだと思うよ」

「魔導絡みでも、そうでなくても困ってる人がいたら助けるのは当然です! それに−−−−」


 その顔は、苦い顔の俺とはまるで対照的に、笑みを浮かべている。

 こういうやつなのだ。

 他人よりも遥かに能力があって、普通の人間には見えないものも見えている。

 見たくないものだって沢山ある筈なのに、彼女はいつだって底抜けに明るくて、笑って、こう言うのだ。


「貴己がいますから!」


 はぁ、と俺は小さくため息を吐く。


「貴己も協力してくれるよね?」


 果琳が問いかけてくるが、その問いは意味を成さない。


「やりたくないって言ったって首根っこ掴んで連れていかれるんだ。やるよ」

「ありがとう!」


 静さんは半ば呆気にとられていたが、すぐに口元に笑みを浮かべると、


「恩にきるよ」


 と、言った。

 えへへ、と果琳がふやけて笑う。

 それを見た俺は首をすくめ、おどけた。

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