【IF】あったかもしれない戦う死神参謀閣下 その3。


 肉を立つ生々しい音が響いた。

 ぐらり、と傾いだのは小柄な人影だった。首の後ろで結わえた黒髪が、その動きに釣られるようにして揺れた。仰け反った喉は細く、黒い侍従風の衣装を身に纏った肢体はいっそ場違いなほどに華奢だった。細い細い、力を込めれば折れてしまいそうなほどに細い腕が、指が、握りしめているのは、不似合いなほどに無骨な両刃の大剣ツーハンデッドソードであった。

 そのまま倒れるかと思われた人影は、だがしかし、全ての者達の予想を裏切って、持ちこたえた。無造作に、ぶんっという風切り音さえさせて、両刃の大剣ツーハンデッドソードが振るわれる。その、何も考えていないだろう一撃に吹き飛ばされて、幾重もの影が崩れ落ちた。

 ぽたり、と地面にこぼれ落ちたのは、細い人影の、だらりと無造作に降ろされたままの左腕を伝って落ちた鮮血だった。ぽた、ぽた、と小さな水たまりを作っていく血液を見下ろしながら、人影は面倒そうに、はぁと小さく息を吐いた。手傷を負ったとは思えぬほどに、その姿はあまりにもふてぶてしかった。


「勘弁しろよなぁ……。こちとら、ここで魔法は使えないっつーのに」


 ぼやく姿はあまりにも脳天気であった。負傷した人間のソレとは思えない。手負いの人間が、眼前に殺気を向ける魔物を迎え撃ちながら告げるには、あまりにも不釣り合いであった。……そして、混沌とした戦場でありながら、そうやってぼやく人物の声音は、変声期を迎えていない少年のような、紛れもない女性のそれであった。


「ミュー様!お怪我をされたのですか……!?」

「あー、ワタシは平気。この程度かすり傷。……だから、その人たちの安全確保よろしく」

「……承知しました」

「ごめんね、ライナーさん。どうにもワタシ、誰かを護りながら戦うってのは、性に合わないみたいでさ」


 駆け寄ってきた犬の獣人ベスティである近衛兵のライナーに向けて、彼女は笑った。その笑顔はいつも通りの、何の気負いも無いごくありふれた笑みだった。絶体絶命とも思える戦場にありながら、彼女の浮かべる笑顔は日溜まりのように朗らかだった。……ライナーの背後に庇われる、逃げ遅れた民達が、感謝を抱くよりも先に恐れてしまうほどに、それはあまりにも、場違いであったのだ。

 大の男でも両手で持たねば振り回せないだろう両刃の大剣ツーハンデッドソードを片手で巧みに操りながら、彼女は駆けた。駆け抜けた。走り抜けるその最中、無造作に武器を振り回し、寄ってくる魔物を殲滅する。迎撃など生温い。もはやソレは虐殺であり、殲滅でしかないのだ。己の前に立ちふさがる全ての敵を排除する。平時のように脳天気に笑いながら、彼女は当たり前のようにそれを実行する。

 あぁ、やはりアレは死神だ。誰かがぽつりと呟いたのだが、その声が彼女に届くことは無かった。この世界には珍しい、あまりにも稀少すぎる、純粋なる黒を宿した娘。黒髪黒目の、幼き見目に不似合いなほどの戦闘力を有した、歪な少女。彼女の名は、ミュー。ガエリア皇帝アーダルベルト・ガエリオスの参謀にして、無二の親友とも




 ……そして、この世界の行く末を容易く《予言》せしめる、世界にとっての異物イレギュラー




 だが、彼女が望むことも、願うことも、求めることも、どこまでも素朴なものだった。己が半身と認めた覇王の安寧。彼が愛する国、ガエリア帝国の平穏。たったそれだけのことの為に、彼女は世界に反旗を翻す道を選んだ。自ら武器を取り、その身に刻んだ英智とも呼べる知識を用い、降りかかる全ての厄災を叩き潰し、振り払い、願った未来の為にのみ邁進する。

 その愚直なまでの一途さは、彼女が半身と、親友ともと呼んだ男の生き様に、良く似ていた。


「とっとと、死にさらせぇえええ!」


 飛び上がり、叩きつけるように両刃の大剣ツーハンデッドソードを振り回しながら、彼女は魔物を殲滅していく。その姿は、畏怖を抱くに値した。細身で小柄な人間の少女。少年めいた幼い容貌に不似合いなその戦闘能力は、彼女がこの世界に転移した時に与えられた恩恵だった。それが何かなど彼女は知らない。ただ彼女は、その身に宿した力でもって、国を守ると決意した。

 いや、彼女が何より守りたかったのは、親友ともと呼んだ男の心なのだろう。その願いを守るため、男の命を守るため。ただその為に、彼女は戦う。それだけが、彼女の理由だった。何故なにゆえにこの地に召喚されたのかも定かでは無い彼女の、たった一つのよすが。それは彼女を受け入れ、求め、傍らに佇むことを許した覇王の存在だった。


 他に寄る辺を持たぬ彼女にとって、それだけが、真実だった。


 いつの日か、己は理不尽な運命によって元の世界に戻されてしまうのかもしれない。抗うように戦っても、歴史を覆しても、覇王の死を防ぐことは出来ないのかも知れない。夜ごと、押し寄せる恐怖に似た感情を力尽くでねじ伏せながら、それでも彼女は笑うのだ。ワタシはここにいる、と。

 戦うことを望んだわけではない。

 ただ、戦う手段を手にしてそこにいるから、戦うだけだ。平時の彼女は、お腹が減ったと故郷の食べ物を料理番にねだるような、子供のような性質を有している。それでも、一度ひとたび武器を手にして戦場に立てば、その戦いぶりはまさに死神に相応しかった。覇王の背中を任せられる参謀。そんな異質なイキモノは、それでもそれが己だと笑ってこの世界に、ガエリア帝国に立っている。

 転移の恩恵で並外れた戦闘能力を有した彼女は、戦う道を選んだときから普通の娘でいることを切り捨てた。己の身を守る程度の戦いであったなら、大人しく後方で参謀として佇んでいるのであれば、彼女には護衛が付き、優しい世界が約束されただろう。けれど彼女はそれを拒絶した。そんなものはいらないと。並び立つだけの力があるのならば、彼の覇王の傍らで戦場を駆け抜けるのが己なのだと言いたげに。

 だからこそ今、ここにいる。

 突如発生した魔物の群れに襲われる人々を救うために。ガエリア帝国の住民は獣人ベスティで、ただの人間よりは身体能力が高い。それでも、一般人が倒せる魔物と倒せない魔物が存在する。今、彼女が相手にしているのは、そういう類の魔物だった。訓練を受けた騎士達が協力して倒すような魔物が、群れで襲ってくる。それを彼女は、ただ一人で迎撃していた。


――アンタは来るな。

――ミュー?

――これは大がかりな陽動だ。ワタシが対処する。アンタは奇襲に備えてろ。

――それもまた、お前の《予言》か?

――そうだよ。……部隊を二つに分けるより、ワタシが対処した方が早い。


 交わされた会話は実に軽く、事態の重さを把握していないのではと思えるほどだった。だが、違う。アーダルベルトもミューも、互いに全てを察していた。赤毛の獅子は目立つ。覇王アーダルベルトが動いたとなれば、これ幸いと手薄になった場所を襲撃されると彼女は告げた。そして、覇王もそれを理解した。それだけだった。

 特殊な鉱石に囲まれた場所で、何故か解らないが、魔物以外が魔法を使っても発動しないという魔の領域だった。そのからくりは彼女も知らない。彼女が知っているのは、この場所で魔法が使えないことと、溢れ出てくる魔物を倒さなければ村が呑み込まれると言うことだけだ。それを防ぐために、彼女は立っている。ただ一人、護衛役の近衛兵ライナーだけを伴って、立っている。


「魔法が使えなかろうが、戦力が足りなかろうが、お前らの好き勝手を許す理由は、ワタシにはないんだよ!」


 決意を示すような叫びは、知性を持たない魔物達には届かない。だが、そんなことは彼女にとってどうでも良かった。己に成せることを成すだけだった。放っておけば、全てを一人で背負ってしまう親友を知っているからこそ、彼女は声高に自らの立ち位置を宣言する。自分はここにいるのだと。

 魔物の群れを、彼女は薙ぎ払う。返り血を、肉片を浴びようと、構うことなく走り続ける。幾つも幾つも傷を作っても、足を止めることはない。その姿はまるで狂戦士のようでもあり、護られる側の人々を恐れさせる。……だが、それが何だというのかと、彼女は唇の端を持ち上げて笑う。そのような些事など、彼女にとってはどうでも良かった。

 ざしゅ、と鈍い音と共に、群れの長と思しき巨大な個体を彼女は脳天から叩き潰した。知性は無くとも群れで動く魔物は、長を潰されたことを理解して、慌てて後退を始める。それでもまだ向かってくる個体を、彼女は容赦なく斬り捨てていく。ただただ敵を倒すという意思を込めて。


「人為的にスタンピードを発生させて村を襲わせる、か。……本当、ゲスがいたもんだよ」


 忌々しそうに舌打ち一つ。手にした両刃の大剣ツーハンデッドソードを無造作に振って汚れを落とすと、彼女はくるりと後ろを振り返った。その歩んだ後には魔物の死骸が転がっている。朽ちた魔物達の中心で、返り血や肉片で身体を汚し、自らも多少なりとも傷を負っていながら、それでも彼女はごく普通の顔で言葉を発した。


「ライナーさん、お疲れ様。片付いたし、戻ろうか」

「……お怪我は」

「この程度平気平気。ここから離れたら自分で回復魔法かけるよ」

「お召し物が汚れてしまいましたね」

「まぁ、戦闘してるしねー。あー、これもしかして、アディに防具つけろって言われるフラグ?」


 顔の汚れを落とすようにとハンカチを差し出してきたライナーに向けて、彼女は困ったように笑う。その姿はごく普通の女性のそれに見えるのに、口に乗せる言葉の内容があまりにも異質だった。それでも、ライナーはそんな彼女に恭しい態度を崩さない。彼は彼女がどんな人間であるのかを知っている。だからこそ怯えもしないし、恐れもしない。ただただ、主に力を貸してくれる召喚者を、尊んでいる。


 けれどそれは、彼らに近しいからこそ抱ける感情でもあったのだろう。


 すたすたと、戻ろうと言った言葉通りに歩き始める彼女に、ライナーは付き従う。途中で、彼らは避難をしていた人々とすれ違った。向けられる視線の大半は、恐れと怯えで彩られていた。けれど彼女はそんなものはどうでも良いと言いたげに、何一つ気にした風もなく、歩き続けるのだった。


「こっちはこれで片付いたとして、不発に終わった状況に相手がどう動くかなー」

「ミュー様」

「ん?」

「陛下より、言伝が」

「アディから?何かあったの?」


 きょとんとした顔をする参謀を見て、ライナーはこくりと頷いた。そういった表情をしていると、年齢よりも幼く見える普通の女性と思える。……ただ、殺伐とした戦場の名残を背負っているがゆえに、より一層異質さを際立たせてしまっているが。

 ライナーは、己に与えられた言葉を、一言一句違えずに口にした。


「余力があるならさっさと戻ってこい、とのことです」

「何じゃそりゃ。まだこき使うつもりか、あのバカー」

「……いえ、続きが」

「ん?」

「……お前のいない戦は退屈だから、早く戻れ、と」

「……」


 ライナーが続けた言葉に、彼女はぱちぱちと瞬きを繰り返す。そして、次の瞬間に幼い子供のように破顔した。ははは、と声を上げて楽しそうに笑う姿は、常日頃皇帝とじゃれあっているときと同じものだった。彼女は実に楽しそうに、心の底から笑っていた。


「そっかー。それじゃあ急いで戻らないといけないなー。ライナーさん、馬の準備は?」

「馬よりも、ラウラ殿が転移魔法の使い手を派遣してくださっております」

「おや、至れり尽くせり。では、戻りましょうか。……我らが愛する、覇王様の元へ」

「御意に」


 にんまりと笑う姿は悪童と呼ぶに相応しく。けれどその身に宿した戦闘能力を示すように覇気は恐ろしく。そんな異質な娘を前にして、ライナーはいつものように恭しく一礼するだけだった。




 歴史書は、こう記す。人を逸脱した異端の娘が一人。人を超えて佇む覇王のただ一人の拠所となる、と。




 

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