ヒトを勝手に~番外編

港瀬つかさ

【IF】覇王は参謀に恋をする

 その姿を初めて見たとき。今思えば、きっと、その時から焦がれていたのだろう。己の抱いた感情が何であるのかすら気づかぬままに、視線を奪われた存在。そんなものは、それまでの人生に存在しなかった。彼女だけだ。彼女だけが、俺の世界に入り込み、俺の世界に色を乗せ、俺の世界を振り回し、俺の世界を共に作り上げた。


「……ミュー」


 与えられた呼び名を口にすれば、長い黒髪を首の後ろで結わえた少女が振り返る。何?と不思議そうに問いかけるような表情は、幼さが残る。あどけないとさえ呼べる面差しに、それらを裏切る英智を宿した瞳が俺を見ている。黒髪黒目の、幼い風貌の娘。彼女のことを知らぬ者は、ただそうとだけ表するのだろう。幼い風貌を裏切る彼女の知性を、揺るがすことの出来ない凜とした魂を、誰も知らない。…そのことを、喜びと思う己の矮小さに苦笑が零れた。

 畏怖される皇帝である我が身を、獅子の獣人ベスティというただ在るだけで恐ろしさを呼び起こす我が身を、彼女は何の気負いも無く見つめ、近づき、触れてくる。幼さを残した、戦うことを知らない掌が、ぺたりと触れることさえ、ただただ歓喜だった。


「何かあったか、アディ?」

「いや。あまり一人で先へ行くな。転ぶぞ」

「そこまで鈍くないから」


 案じる言葉を継げれば、ふてくされたような表情が返る。あぁ、違う。そうではない。お前が鈍いと言っているのでは無い。運動が苦手だと、戦闘などもってのほかだと告げたお前を、侮っているわけでは無いのだ。俺はただ、お前が無為に傷つくのを見たくないだけだ。お前を慈しみたいだけだ。…どうか解ってくれ、我が参謀殿。

 幼い見た目をしているが、歴とした二十歳の娘だという。彼女は異世界からの召喚者。そちらの世界の人間は、随分と幼い見た目をしているのだな、とそう思った。それを口にすれば、自分は特に幼く見られる顔立ちなのだと告げられて、納得もした。納得して、けれど、どうでも良いと思ったのも事実だった。

 見た目など関係無い。彼女の魂の在り方全てが、俺に取っては必要だった。未来を告げる予言の参謀。呆然としている彼女を逃がさぬために、そんなご大層な煽り文句を付けて囲ってしまった。その俺の行動を咎めもせずに、困ったように笑いながら、快適な生活だけを要求してきた彼女に、何を言えば良いのか解らなかった。


 あぁ、そして気づくべきだった。そうまでして引き留めた、その真意に。


 今更、言えるわけも無い。友よ、と呼び合う間柄だ。彼女は唯一無二の友として、俺を受け入れてくれている。この心が、感情が、まったく別の意味を孕んでいると知ったならば、ミューはあの朗らかな笑みを見せてくれなくなるだろう。

 この、互いに遠慮のいらない関係が心地良いのは事実だ。彼女だけが、ただの男として俺を見ている。ただ一人、彼女だけが、《皇帝》でも《ガエリアの皇族》でも《覇王》でも《獅子の獣人》でもなく、《ただのアーダルベルト》を見てくれた。そのことがどれほど俺にとって喜びであったかなど、ミューは知らぬのだろう。知らぬからこそ、当たり前の顔をして傍にいてくれるのだ。その存在全てが尊いと告げれば、彼女はどんな顔をするだろうか。

 伸ばした腕で、細く華奢な、まるで子供のように小さな身体を抱き寄せる。腕の中に抱き込んでも、彼女は不思議そうな顔をして俺を見上げるだけで、何一つ危機感など覚えてはいない。…あぁ、そうだな。お前の中で俺は、《一個人》としては認識されていても、《男》としては、《恋愛対象》としては認識されていないのだろう。だからこんな風に、無防備に、当たり前みたいに、俺に触れさせるのだ。


「アディ、どうかした?」

「……お前、相変わらず小さいな。ちゃんと食っているか」

「食べてるし!アンタに比べたら小さいのも細いのも普通!あと、年頃の乙女にそういうこと言うなし!」


 べしべしと己の腹に回されている俺の腕を叩きながら、怒ったように言葉を綴る姿すら、愛しい。遠慮無く、当たり前のように、彼女は俺にそうやって言葉をぶつける。不機嫌そうに俺を見上げる瞳の、夜の闇を封じたような、全ての色を混ぜ合わせて溶かし込んだような、その漆黒が俺を捕らえて放さない。俺の未来すら見通すその瞳に、俺はどう映っているのだろうか。

 いつまでも自分を解放しない俺を、ミューはただ、不思議そうに見ている。俺の行動の意図を図りかねているのだろうか。他のことでは以心伝心と呼ぶほどに通じるのに、こと俺のこの感情に関しては、全く通じない。いったい、どういう人生を送ってきたんだ、お前は?自分に向けられる秋波に微塵も気づかないなんて、鈍いにもほどがあるだろう。

 幼い風貌でも、服装と快活な言動から少年と間違えられることが多くても。それでも、誰もがお前に好意を抱いていることに、どうして気づかない?屈託の無いその笑みに、裏表の無い言動に、誰もがお前に惹かれているのだ。俺だけじゃ無い。ライナーも、エーレンフリートも、ユリウスも、ツェツィーリアも、お前に接する全ての者達が、どれだけお前を愛おしく思っているか、どうして気づかない?

 ……その中でも、最たる愛を抱いているのがこの俺だと、どうしてお前は気づいてくれないんだろうな、ミュー?


「アディ、具合でも悪い?調子悪い?」

「いや、いたって平常だ」

「だったらこの状態の意味を説明しろし」

「んー、まぁ、暇と退屈を持てあましたと思っておけ」

「ワタシは玩具か」


 拗ねたような発言すら、可愛いと思うのだから、俺もそろそろ末期ということか。だが、仕方ない。惚れた弱みだ。そして、そんな俺に惚れられたのだ。お前も諦めてくれ、ミュー。

 別に、俺の気持ちに答えてくれとは、もう、思わん。……異世界からの召喚者。お前はきっと、いつか、現れたときと同じように、唐突に消えてしまうのだろう?それならばせめて、お前がいなくなるまでの時間を、俺と一緒に過ごして欲しい。他の誰より近い場所に、俺を置いてくれれば良い。他には何も望まない。だから、どうか、……傍にいてくれ。

 お前が傍にいてくれるならば、お前のことは俺が護ろう。他の誰にも渡さない。誰にも傷つけさせたりはしない。お前を護るために、俺は死力を尽くそう。お前が《未来》を《予言》し、俺やこの国を護ろうとしてくれているように、俺はただ、お前を護ろう。愛しているからでは無く、お前の信頼に応えるために。


「なー、アディ」

「何だ」

「ワタシはここにいるから、大丈夫だぞ」


 ぺち、と小さな掌が、俺の頬に触れた。驚いて目を見張れば、にぃっと笑うミューがいる。…あぁ、そうか。お前には解ってしまうのだな。俺がお前に抱く感情には気づかないくせに、それ以外のことにはどうしてこうも聡いのか。狡いではないか、ミュー。これでは、俺ばかりが思いを引き出されて、俺ばかりがお前に負けているようで。……少し、悔しい。

 ほんの少しだけ力を込めて抱きしめれば、痛いとか苦しいとか、文句が返ってくる。それでも、逃げようともがかない辺り、赦されているのだろう。こうして触れることが赦されているだけでも、良しとしよう。大丈夫だ。お前に誰より近いのは、この俺で間違いないのだろう。そこに、微塵も恋情が無かったとしても、お前の瞳が映す誰より親しい存在は、俺であるはずだ。…そうで、あってくれ。


「お前時々、妙に甘えん坊の子供みたいだよなー」

「……俺にそんなことを言うのは、お前ぐらいだ」

「そりゃ、アディがこんな姿見せるの、ワタシの前だけだからじゃね?」

「………それもそうだな」


 くつくつと楽しげに笑うミューに、苦笑した。

 あぁ、まったくもって、その通りだ。俺が素の自分をさらけ出せる相手なんて、こうやって甘えることが赦される相手なんて、お前しかいないんだ。父を喪い、皇帝の位を継いだその時から、俺は誰かに頼ることが出来なくなった。いや、頼ることは出来ても、甘えることは出来なくなった。母もまた、政争を恐れて、俺の足手まといになることを恐れて離宮へ引きこもった。弟はもう何年も俺を拒絶したままだ。妹たちに、甘えることは出来ない。あの子達は護るべき対象だ。…ほら、俺にはお前しか、いないんだよ。

 お前は俺を甘えさえてくれるんだな。こんな俺が、皇帝という重責を脱ぎ捨てて、ただの個人として甘えることを、赦してくれるんだな。…なぁ、ミュー。俺はお前に多くを与えられてばかりだ。救われてばかりだ。俺は一体、どうすればお前に恩を返せる?どうすればお前の与えてくれた全てに報いることが出来るんだ?


「恩義とか報いるとかいらなくね?ワタシとアンタは親友なんだから」

「ミュー」

「それでイイじゃん。ワタシも自慢できるよ。最強の覇王様がワタシの親友だって、皆に自慢してやる」


 にんまりと笑うその顔は、楽しげで、嬉しげで。けれど、お前の告げたその言葉に、俺は冷水を浴びせられたように現実を突きつけられる。お前の思考はまだ、故郷にある。俺の友であることを誇ると言ってくれたその口から、お前は故郷の存在を匂わす。……いつかいなくなると、念を押すように。

 行くなと、縋ることすら赦してくれないだろう。そして俺も、そんな自分は無様で嫌だ。運命がお前を奪い去るのならば、それに諾々と従うわけではない。けれど、お前が望み、お前が受け入れた全てを、俺が否定することは赦されないだろう。数奇な運命の導きで、奇跡のように出会った俺達だ。



……だからどうか、訪れる別れに怯えるぐらいは、赦して欲しい。



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