第14話 web小説が書籍化されるジレンマ


 カクヨムに来て驚いたのは、いわゆる「未完」の作品でも書籍化されたりweb小説コンテストで賞がもらえること。


 起承転結の「結」の部分がない作品が評価されるというのは、普通に考えれば、あり得ないこと。

 考え方として、web小説というのは、一つのエピソードが一話で完結する、三十分もののアニメみたいなものなのかもしれない。

 その特徴として、「起承転結」の「起」と「承」の部分に重きが置かれ「転」と「結」の部分が軽んじられている。


 突飛な世界観に対して等身大のキャラを登場させ、それらを魅力的に描くことで、読み手がキャラに感情移入したくなるような舞台装置を作り上げる。

 言い換えれば、読み手をRPGの主人公になったような気分にさせ、あとは、キャラが送る日常生活に自分を重ね合わせればOK。


 それがweb小説の楽しみ方であって、胸が締め付けられるような「転」があったり、日々の平穏な生活が終わりを迎える「結」は、ある意味。「結」に当たる、壮大な使命や目的が存在することを匂わせておけば、それだけで読み手は満足する。

 もう少し言えば、キャラがピンチを迎えるシーンやドラスティックな変化をもたらすシーンがあっても、最初から落としどころが見え見えで「安心して見ていられること」が前提。その部分が崩れると、読者は不安な気持ちを抱いて離れて行ってしまう。


 こんな解説をすると、作品としては面白くも何ともない気がするけれど、ストレス耐性ができていないの読者には、そんなが暗黙の了承。

 朝食に喩えるなら、普段の朝食はいつも通りの無難なものがベターであって、いきなり焼き肉とか寿司が出てきたら良い気はしない。朝食は「日常の世界」のひとコマであって、そこに変化を求める人はほとんどいない。

 それに対し、旅行先などで登場する、豪華な朝食は「非日常の世界」のひとコマ。もともと変化やサプライズを楽しむことが想定されている。


 コンテストで賞を取った作品はいずれ書籍化される。出版社は本を売ってナンボなので、当たり前と言えば当たり前。

 未完の作品は、「起」と「承」の部分に形だけの「転」を織り交ぜた展開を繰り返しながら、シリーズ化を目論む。そして、読者離れが顕著になった頃――ペイできないと思われた頃、某人気少年漫画誌でよく目にする「俺たちの戦いはこれからだ!」のような場当たり的な「結」が用意される。


 個人的には「結」は物語の最も重要な部分であって、体操競技のフィニッシュ……いや、サッカーでいうシュートの部分に近い気がする。エンディングが決まるかどうかで作品の優劣が決まると言っても過言ではない。

 プロットの段階で、読み手がサプライズを抱くエンディングや余韻が広がるエンディングのイメージ作りに時間を割くのはそのためで、常にエンディングを念頭に置いて、いかにスムーズに着地させるかを考えながら執筆をする。


 web小説として評価を得た作品は、「紙媒体」という土俵に上がった瞬間、評価を落とす気がする。

 一定のファンがついていることでそこそこ売り上げはあるけれど、書籍を手に取ったファンは「物足りない」と思うのではないか?

 なぜなら、紙媒体となった小説は、もはや日常のひとコマではなくなっているから。


 第三者的に見ればジレンマが存在するように見えるけれど、特段問題視はされていない。

 それは、書き手も編集者も何ら困ることはないから。

 書き手は知名度があがって喜び、編集者は書籍が売れて喜ぶから。


 蚊帳かやの外におかれた作品が泣いているように見えるのは、ボクだけかもしれない。



 RAY

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