★Interlude3(幕間)★

 ある日の放課後、ブラックボードの前に立ったボクは、鼻歌を歌いながら頭に浮かんだものを形にしていた。


 描いていたのは、人間の女の子の顔をした、チャーミングな熱帯魚。胸鰭むなびれにポケベルを携えてブルブルと身体を震わせる。表示されているメッセージは「3614(寒いよ)」。彼女は熱帯魚だけに極度の寒がり。ポケベルのバイブ機能も作動しているけれど、それが震えの原因ではない。

 当時話題になった、人面魚とポケベルを用いたそれは、何かの拍子に飛び出す駄洒落のようなもので、作品と言うより落書きと言った方がしっくりくる。ただ、いつものことながら、そんな落書きの存在がとても心地良く思えた。


 珍しいことに、その日、教室にいたのはボク一人。いつものメンバーは、それぞれ何かしら用事があって、別の教室へ行ったり帰宅したりしていた。

 短いチョークを右手でポンポンと放り上げながら、目の前の落書きをどう料理するか考えていると、背中に誰かの視線を感じた。

 振り返ったボクの目に、赤いランドセルを背負った、一人の女の子の姿が映る。教室の入口の柱の陰からジッとこちらを眺めている。


 彼女の名前は、磯本いそもと 亜由美あゆみ。三週間前、ボクのクラスにやって来た、いわゆる転校生。おかっぱ頭で色が白く、黒目の大きな切れ長の瞳をした、日本人形のような。人見知りする性格なのか、これまでクラスメートが話し掛けても首を縦か横に振るだけで、言葉を交わすことはなかった。転校初日に自己紹介をしたときも、視線を足元に落として蚊の鳴くような声で名前を言っただけ。

 親切心から努めて話し掛けるようにしていたクラスメートたちも、コミュニケーションを取ろうとしない磯本さんの態度にうんざりしたのか、自然と距離を置くようになった。かく言うボクも彼女のことを奇異な目で見ていたのは否めない。


 目が合った瞬間、磯本さんは、気まずそうな表情を浮かべて、逃げるようにその場から立ち去ろうとする。


「磯本さん、待って!」


 静まり返った教室にボクの声が響く。思わず大きな声が出た。

 足を止めた磯本さんが一呼吸おいてゆっくりとこちらを振り返る。視線を合わせないようにしてオドオドしている。


「よかったら、いっしょにやらない? 好きなものを描いてお話するの」


 ボクの一言に、磯本さんは、目を丸くして躊躇ためらいがちに口を開く。


「オラと話すで……ぐれるのか?」


 磯本さんの口を突いたのは、東北なまりが強い、聞き慣れない言葉。

 その瞬間、ボクは、磯本さんがクラスメートと会話をしなかった理由を理解した。

 うんうんと頷きながら、ボクは礒本さんに笑顔で言った。


「もちろんだよ。ここは、授業中は先生のものだけれど、休み時間や放課後はボクたちに開放されているの。好きなものを描いたり好きなことを話したりできる場所。誰にも遠慮することなんかないよ」


本当ほんてんか? もしそうならもすそうだらすごくうれしいすこだまうれすい


 無邪気な笑顔を浮かべる磯本さんに、ボクは、ほとんど使われていない、白いチョークを差し出す。

 磯本さんは、まるで大切な何かを受け取るようにチョークを手にすると、ボクの描いた熱帯魚をジッと見つめた。


「もすかすて、これは人面魚だか?」


「そうだよ。ポケベルを持った人面魚の女の子。おかしいかな?」


んでずううん、そうでね。もどもど人面魚は山形で見づがったがら、懐かしくてねなづがすくてな


「そうなんだ。じゃあ、何かアドバイスしてくれない? ここをこうした方がいいとか」


 ボクの問い掛けに、磯本さんは、眉間に皺を寄せて唇を尖らせると、腕を組んで考える仕草を見せる。重大な決断をするときのような真剣さが身体中から滲み出ている。たぶん彼女は純粋で根が真面目なのだろう。

 しばらくのシンキングタイムの後、磯本さんは大きく頷く。そして、その日一番のはっきりした口調で言った。


「山形の人面魚は竜の遣いだど言われでっがら、もう少すカッコよぐすた方がいいがもな」


「へぇ~目から鱗。竜だけに……。じゃあ、こんな感じでどうかな?」


 首を二度三度縦に振りながら、ボクは、赤色のチョークをアイライナーに見立てて熱帯魚の目の周りを縁取る。そして、ピンク色のチョークで口元に鮮やかなルージュを引いた。


「どう? お洒落でカッコよくない? 人面魚ちゃん」


そうだねんだな。カッコよぐなった。山形の人面魚より全然なにむぎカッコええ。ひょっとすて、おめは天才か?」


「あははは! そんなこと言われたの初めてだよ。磯本さん、ありがとう……。ボクの名前は〇〇〇〇。RAYでいいよ。みんなもそう呼んでるから。じゃあ、今度は磯本さんが何か描いてみて。もう少ししたらみんなも戻って来るから」


「よろすくな、RAYちゃん。でも……オラの言葉聞いでクラスのみんなは笑ったりすねがな?」


 磯本さんは、憂いを帯びた視線を足元に落として小さくため息をつく。

 そんな磯本さんの両手を、ボクの両の手がしっかりと握り締める。


「大丈夫。そんなこと気にしないよ。だって、その言葉は、磯本さんの磯本さんらしさなんだから」


 磯本さんがゆっくりと顔をあげる。笑顔の中で大きな黒目が微かに揺れている。

 ボクは、彼女の笑顔に飛び切りの笑顔で応えた。


「ここはね、みんなが仲良くなれる場所なの。本当の自分を出すことでね」



 RAY

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