エピローグ

 精霊には、四季――季節の変わり目ごとに生まれ変わるという性質がある。

 そのため、季節の変わり目ごとに、生誕を祝うのだ。

「お前が十七歳だと思っていたのはそのせいだ……」

 アークはベッドで目を閉じたまま、アリムにそう説明していた。

「精霊たちは、お前の母親が亡くなってからは季節の変わり目ごとにひそかに――おそらくお前が眠っている間にでも、お前の誕生日と思って祝っていたんだろうな。計算してみろ?」

「ええと……」

 アリムは考える。

 十二歳の秋に母を亡くした。

 同じ年の冬に十三、次の春に十四、夏に十五、秋に十六、そして冬になったときに十七……

「本当だ……」

 両手の指を使って数えて、アリムはぽけっとした声を出した。

「半分は精霊なんだから、別に十七と言っていてもいいんだぞ」

 くすくすと、目を開けられないアークは笑った。

「に、人間だと十四なんですね」

「そうなるな。お前が冬生まれなら……」

「冬だって言ってました、伯母さんが」

 ――精霊の森に迷い込んだ人間である父が、母と出会い、森で暮らすようになり。

 子ができたと分かったとき、父は姉である伯母の元へ――泣きながら報告しにきたという。

 奇跡が起きた、とそう泣きながら。

 ――今、アークはエウティスの家の一室に寝かされていた。

 妖精との戦いで目をやられ、光が戻るのに数週間かかるという。アリムはつきっきりで看病していた。

 あれ以来、結局アークとトリバーはエウティスの家に居候している。

 エウティスが――アリムの口から、精霊保護協会のしていたことを聞き激怒して、アークたちを引き取ると自ら宣言したのだ。

 精霊保護協会のしていたこと。

 それはすなわち、“ハーフであるアリムの研究”。

 保護、と言えば保護なのだが、ろくな保護とは言えまい。現にあのゼーレ支部長は、精霊保護協会の人間でありながら、光の精霊がどのようにして生まれるのかを知りながら、『森を永続させるために光を生まれさせ続けろ』と平気で言ったのだ。

 アリムは二度と、協会に世話になるつもりはなかった。

 代わりに精霊学については、トリバーに習うつもりだ。

 家庭教師賃を払うとエウティスが言ったので、トリバーもかなりすすんで引き受けてくれた。

 ……よほど生活が困窮しているようである。

 精霊術に関しては――

「それも俺が教えてやる」

 とトリバーは言った。「これから学べばいい。これからゆっくりな。――協会にいたお前には、なかなか分かりづらいだろうから」

「………」

 どういう意味かは分からなかったが、今のアリムはどんな真実を話されても受け入れられるような気がしていた。

 森を失ってしまった。

 代わりに、すべての精霊を感知できるようになった。

 街も精霊たちでにぎわっていることが分かった。エウティスの家の暖炉の精も、エウティスのところにやってくるまき割の精も、すべて見えるようになって。

 母を失って以来ぽっかりあいていた穴が、今、埋まったような気がしている。

 そしてもうひとつ――

 トリバーは教えてくれた。アークは、それはそれは精霊に好かれる体質なのだと。

 愛される体質なのだと。

 それゆえ……半分が精霊であるアリムは、アークにひどく惹かれるのだ。

 分かってみれば単純なことで、以来却って気楽にアークの傍に近づけるようになった。

 彼が精霊に愛される理由……何となく、分かる気がしたから。

 とんとん

 部屋のドアが軽くノックされる。

 アリムはアークのベッドの傍の椅子から立ち上がり、ドアを開けに行った。

 そこに、賃仕事先――“ゼルトザム・フェー”から帰ってきたトリバーの姿があった。

「どうだ。バカの目は一生治らずに済みそうか」

 帰ってくるなり悪態をついたトリバーに、ベッドから軽い返答がある。

「おかげさまで! もうお前のことだけしか見えなくなりそうな視力になるとたった今医術士の言葉で分かったところだ」

「よほど頭がおかしい医術士だったんだろうな」

「おう、最高の名医だったぞ。彼の言葉にきっと間違いはない! なんせ俺自身だし」

 軽口の応酬。なぜか、聞いていてほっとする二人の会話。

 トリバーは椅子をひとつ引っ張りだして、どかっと座った。

「まったく……あの人使いの荒い店長め、また俺をこき使いやがって……おまけに無理難題ばかり」

「あの……今度は何が」

「あん? 精霊保護協会ぶっつぶしてそこに保管されてる晶光珠全部とってこいとかぬかしやがった。できるかんなこと」

「それはいい!」

 アークが大声を出した。「相棒! 俺の目が治ったら二人でゼーレ支部を壊滅作戦だ!」

「やめんか!」

「にしてもなー。ほんと、アラギのやつにはちゃんとたしかめるべきだった……」

 アークは悔しそうに意味もなく空中で腕をぶらつかせた。

「あのときお前をいけにえにして本当の情報を引き出すべきだった……まさか、あの情報屋が嘘をつくたぁ」

 きっとお前のせいだぞ、とアークは言った。

「お前があのへらへら情報屋を怪我させるから、報復で嘘つかれたんだ。お前が悪い」

「怪我ぁ? 何の話だ?」

「お前あいつに怪我させたろ? 包帯巻いてたぞ――」

 そう言えば、とアリムは思い出す。

 アラギ。その名の人がまさか情報屋だなんて知らなかったが、“ゼルトザム・フェー”に向かう途中に会うときに、たしかにアラギは片腕を怪我していた。

「僕も見ました……左腕に包帯を巻いてて」

「俺はヤツには何もしてねえぞ」

 トリバーは本を取り出しながら、面倒くさそうに手を払った。

「あんなヤツに手ぇ出したら、のちのち厄介になるだろうが。適当に無視し通して追い払った」

「は?」

 アークがベッドの上できょとんとした声を出す。


「お前じゃ……ない? じゃ、誰が」

「知るか。誰か他のやつにちょっかいかけたんだろ」

 あいつはあちこちの精霊術士に声をかけるからな――とトリバーは早速本に視線を落としながら答えた。

 アリムはぐっと拳を握る。

 ――精霊術士にならないかい?

 そう言ってきたあの男……

「ぼ、ぼくに精霊術士の素養って、ありますか?」

 思い切って訊いてみた。

 トリバーは面倒くさそうに答えてきた。

「あるよ。人間なら誰にでもな」

「え……」

「精霊術ってのはそういうモンなんでな。どうでもいいが今日は質疑応答禁止。疲れた」

「あ、は、はい」

「お前冷てえ……」

「誰のために働いてやってると思ってんだ……っ」

「俺だけのせいじゃねえじゃんかー!」

「黙れ八十%は貴様の食費で食いつぶれるわーーー!」

 トリバーが立ち上がってアークの元へゆき、アークの頬をびよよんとつまんで伸ばす。

 もち肌だ。ヘンな顔になって、思わずアリムはふきだした。

「くっそー目が見えなくてお返しできねー!」

「はははは今こそ今までの報復をするとき……! 覚悟していろ貴様……!」

 わけの分からないやりとりをする二人の傍で、アリムはお腹を抱えて笑った。

 こんなに大声で笑うのはどれだけぶりだろう。ひょっとしたら初めてかもしれない――

 ドアが再びノックされる。

 笑いすぎで涙が出てきたのをぬぐいながらアリムがドアを開けると、エウティスが顔を出した。

「おやアリム。今すごい笑い声が聞こえたけれど――」

「き、気にしないで伯母さん。それより、なに?」

「ん? 今役所から帰ってきたところでね」

 伯母は部屋に入り、ぽんとアリムの背中を叩いた。

「――正式に、あんたを私の養子にしたよっ! これであんたはレン姓だ。アリム・レン。もっとも」

 私の弟の子なんだから、最初からそうなんだけどねえと言ってエウティスはからから笑った。

「―――」

 養子。新しく、母を持つということ。

 それはアリムにとって、新しい生活の――否、新しい生命の始まりを意味していた。

「アリム・レン……」

 アリムはその名をつぶやいた。

「似合うじゃないか」

 ベッドでアークの声がする。

 当然ですよ、とアリムは笑った。

「だって――ぼくはこの家の子だから!」

 いとおしそうにエウティスがアリムを抱きしめる。

「そこのおにいちゃんの目が治ったら、早速パーティだよ。おにいちゃんの快復祝い。あんたが正式にうちの子になった祝い。それから――あんたの誕生日祝いだね!」

 つんつんと頬をつつかれ、

「誕生日?」

 きょとんとした顔を返したら、エウティスは笑った。

「あんたは知らないだろうけどねえ。私はちゃんと覚えているのさ。――あんたの誕生日は、今日なんだよ」

「―――!」

「そりゃいかん!」

 アークがベッドで跳ね起きた。

「おばさん、今日こそパーティだ! 豪勢に豪勢に料理作ろう!」

「あんたは自分が食いたいだけだろう」

 ぺしっとアークの頭を叩くエウティス。

「けど、あんたが目が見えないままでも構わないってんなら、今日やろうか!?」

「構わないって! 全部こっちの親友に食べさせてもらうから!」

「俺は断じてこいつの食事の世話はしない」

「あ、じゃあぼくがやります――」

「パーティの主役にやらせてどうすんだい。ったく、あたしが食べさせてやるよ」

 困ったにいちゃんだねえ、とエウティスは笑った。


 くしくも、今日が誕生日――

「アリム・レンとしても誕生日――!」

 アリムは――

 力いっぱい、拳を上へと突き上げた。

「ぼくは、今日生まれたんだ!」

 優しい家族の視線がする。

 優しい、優しい家族の――

 けれど今のアリムは知っている。

 ――自分の傍らに、“家族”がいなかったことなんて、今まで生きてきて一度もなかったことを――

「俺らもしばらく世話になるな、おばさん」

 アークが改めてエウティスに言う。

「保護協会にケンカ売っちまったから……苦労させると思うけど、いいか? 追い出してもいいぞ?」

 唐突に真面目な口調で話し出す彼に、エウティスは笑った。

「馬鹿だね。そんなことはそっちの緑の髪のにーちゃんととっくに約束を済ませてるさ。……先日協会が私の様子を見に来たとき、協会に嘘をついたときから、覚悟は決めた」

 何と言ったって、とエウティスは微笑んだ。

「私の〝一番〟はアリムだ。アリムが絶対だ――私ゃこの子を信じてこれから行く。そして今この子が一番信じているのは……あんたたちだ。それがすべてさ」

「伯母さん……」

「こら。義母かあさんと呼びな」

「お、お義母……さん」

 おそるおそる呼んでみる。

 エウティスは嬉しそうに満面の笑顔になった。

「嬉しいねえ。とうとう母さんと呼んでくれる子ができた」

「えへへ……」

「お母さん! 俺もお母さんと呼ぶ!」

 アークはまたふざけた口調になった。「だからお母さん、僕にもたくさんご飯をください!」

「あんたはそのお腹を一回医術士に看てもらいな!」

「そりゃいい。どうせなら頭も手術だ」

「それはもっと天才になれという意味か!?」

 次から次へと会話が飛び交う。アリムは再び笑った。

 アークの目の様子を確かめに行く。

 まだ開く様子はなかった。包帯を巻くまでもなく、痛くて瞼もあがらないのだそうだ。

「アークさん……目、大丈夫ですか?」

「平気平気。いつ協会が襲ってきても大丈夫な程度には体も元気だしな」

 アークは軽く言って、「それに……気になることも多い」

 まだ、問題は終わっていないんだ――と。

「それはいったい……」

「俺にも分からない」

 亜麻色の髪の青年は寝転んだまま首を振り、

「――でもまあ! 今はパーティのほうが俺には楽しみだなっ! おばさんよろしくぅ!」

「あんたのためのパーティじゃないんだよ今日は……っ!」

「……やっぱり医術士呼ぶか。腹の手術でもいいな」

「おおおそれはますます俺のお腹にうまいもんがたくさ入るようにするという意味か……!?」

 言葉が飛び交い、部屋が騒がしくなる。

 アリムはアークの言葉に、一抹の不安を覚えた。

 それは、彼自身も感じていたもの――


 ――あの日、伯母を操って自分をさらいに来たのは誰だった?


 協会は黒装束の仲間だと言ったが、あの覆面たちは協会の人間だった。では伯母を操った人間も……協会の?

(精霊保護協会……)

 アークが二度と近づくな、関わるなと言った、その意味が分かりかけている。

 けれど――ここまで関わってしまった。

 もうここまできたら、最後まであばかなくては気がすまない。

(ぼくの森を……もてあそぼうとした者たち)

 許さない。

 それだけは、彼の心に決めたことだったから――


     ++++++++++


 グレナダ・エルレクはベッドで介抱されている協会員たちの間を歩いて通り過ぎながら、ぎりぎりと歯ぎしりをしていた。

 こんなはずではなかった――

 あの森を枯らすつもりはなかった。あの森があれば、もっと光の精霊の研究を続けられたのに。

 何より、“奇跡の子”アリムを奪われてしまった。

 こんなはずではなかったのに――

 日は落ちきり、夜は暗く。

 回廊はいつもよりも闇に包まれているような気がした。

 足音高く回廊を渡り、私室にバタンと高らかな音を立てながらドアを閉めて入ったエルレクは――

 唐突に湧き起こった突風に、壁に叩きつけられた。

「……ぐ……っだ、誰、だ……」

 苦しい。首を誰かにつかまれている。

 部屋が暗黒の闇に包まれ、その闇の中から腕だけが生えて見えていた。

 自分の首をつかむ腕だけが。

『失敗して悔しいか、グレナダ・エルレクよ――』

「その声――貴様は……!」

 “メラン”。そう名乗ったあの――

『失敗して悔しいか』

 嘲笑するような気配。

『ならば何度でも挑戦すればよいだけのこと』

「………っ」

『手を貸そうか? いくらでも手を貸してやろうではないか』

「……っ何故……!」

『なにゆえと問うか。答えてやろう。私も『背く者』と因縁がある、ただそれだけのこと』

「〝背く者〟……アークか!!」

『かの者と因縁あるだけのこと。それだけのこと。そのために、お前に手を貸そう――』

 くく、と笑う唇が見えるような気がした。

 闇の中、なぜ自分の首を押さえつける腕だけがはっきりと見えるのか、そのときエルレクはようやく気づいた。

 白い――

 白い包帯が、その腕に、巻かれている。

 嘲笑する気配は消えず、

 闇はただ男の意のままに揺れていた。



《其れは幼き心の傍らに/終わり》

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