第四章 其れは憤りという名の―2

 どこの街へ行こうと、精霊保護協会の建物はひときわ目立つ。

 外観を精霊の彫刻と彫像が飾り、白を中心に金銀をあしらった重厚な建物――。

 ゼーレの街の協会支部。

 ――ゼーレにおいてもっとも大きな建物。

 “四”という数字を重要視する協会は、建物が必ず四角形をしている。ゼーレの場合は四隅に建物があり、それぞれをつなぐ回廊が中庭を囲んでいる。

 両側が吹き抜けている形の回廊の多さも、協会の特徴だった。

 ――ひとところに留まらない風精アネモスの道を、遮らないために。

 その回廊を、ゼーレ支部長エルレクは歩いていた。

 両手を後ろで組み、胸を張って堂々と進む。清潔な白いローブが柔らかく揺れる。

 表情はいつものように――いや、いつも以上に厳しい。

 そのままでも気安く声をかけられそうにない威厳をただよわせた壮年の支部長は、今、さらに近寄りがたい雰囲気を振りまいていた。

 石の回廊に響く足音のリズムが、たしかな苛立ちを表す。

向かう方向から歩いてきた協会員が、エルレクの姿を認めると足を止め、胸に利き手を当てて敬礼した。その姿勢のまま支部長が通り過ぎるまで動かないのが慣例だ。

 まっすぐ歩いたエルレクは、彼の前でぴたりと立ち止まった。

 まっすぐ向かう先を見つめたまま――その協会員に目をやらないまま、おもむろに口を開く。

「エルディオスを見なかったか」

「は?」

面喰らったように若いその青年は声を上げた。そして慌てたように「いえ、お見かけしておりません」と言い直した。

「そうか」

 それだけを答えて、エルレクはすぐに歩き出した。

 この廊下は足音が響きにくい。ただし当然ながら、履いている靴次第でもある。この支部でもっとも大きな足音を響かせるのはエルレクであり、それは彼の特権でもあった。

 今、ゼーレの精霊保護協会は忙しい。ほとんどの人員は出払っていて、支部内はいつになく静かだ。

 エルレクの歩みを妨げるものはなく、彼は歩き続ける。

 ――ヨギ・エルディオスの姿が見えない。

ゼーレ支部きっての有能な部下が、絶対の忠誠を誓ったエルレクに何も言わず消えた。

 否、外出自体はエルレクの命だったのだが。昼前に出ていったきり、日が落ちかけているこの時間まで帰ってこない。

(なにひとつ連絡もないままか)

 伝令を専門とするヨギは、頻繁に連絡をよこすことが仕事と言える。その技術は一級品だ。鳥を使うのは初歩だが、彼は風の精霊を操る。

 否。操る、という言い方はごまかしだ。

(……精霊を支配することは禁忌)

 そう胸の奥でつぶやき、エルレクは皮肉気に唇をゆがませた。

今回は相手が相手だ――

 視界に、目的の大きな扉が見えてくる。

 エルレクはふと立ち止まった。

 横を向くと、中庭の噴水が目にとまった。

 昼前に振り出した雨もいまやすっかりあがり、橙色の陽光が大理石の精霊像を照らし出している。水の精霊像の右手から流れ落ちる透明な水。

 その水の筋が――ふと、揺れた。

 エルレクは反射的に身構えた。

 風の気配がした。しかし、風精の気配がなかった。この、自然の風とは微妙に違う、この感覚――

(――精霊術マギス!)

 思った刹那、突風が中庭を吹きぬけた。

 エルレクはとっさに腕で顔をかばった。冷たい感触が、かばった腕にぴしぴしとぶつかった――噴水の水が飛ばされてきた。顔をかばっていてさえ目が開けられない。音だけがやけに鮮明だ。がしゃんと何かがどこかにぶつかった音は、中庭にあった石だろうか、花壇の煉瓦だろうか。

 誰かに思い切り押されているような、また反対側からは思い切り引っ張られているような――そんな奇妙な感覚に包まれながらエルレクは必死でその場に踏みとどまった。最初の瞬間に身構えていたのは幸運だった。でなければ吹き飛ぶのにほんの一瞬だ。

 だが、これでは限界が――

『……さすが支部長殿』

 あと数秒。あと数秒で限界が来る。そう考えたエルレクの思考を遮るようなタイミングで、声。

(声? 違う、音か――?)

 突風が止まった。

 エルレクは慎重に顔をかばっていた腕をおろし、辺りをゆっくり見渡した。

 案の定、花壇の一部が破損して回廊の柱にぶつかり砕かれている。冬の花は無残に散り、いっそ華やかなまでに地面を花びらで埋めていた。

 噴水は何事もなかったかのように静かに水を流し――

『よくぞもちこたえられた。……それとも、この程度に対処できぬようでは幹部などできぬのか。上に立つ者など、頭だけで渡り歩くものかと思っていたが……』

「誰だ」

 エルレクはうなるように声をしぼりだす。

 人間の気配がない。中庭の惨状を照らす夕陽と、淡々と水を流す噴水の静けさが、いやに不気味だった。

 声を届けるという技は、ふつう風精の力を借りるものだが――

(いや……精霊術にも同じ技があったはずだ。相当な高等技術と聞いているが……)

「誰だ」

 再び訊いた。

 姿のない「声」は、エルレクの問いには答えなかった。ただ、抑揚なく低い言葉を紡ぐ。

『子供は、背く者の手に』

「―――!」

『背く者は森へ行くだろう。かの森は、もはや限界』

「誰だ、貴様は!」

 エルレクは声を荒らげた。

 焦燥で心臓が早鐘を打つ。額から流れ落ちたのは汗だ。

 告げられる事柄の内容があまりにも重く、何よりも「声」の無感動さが、妙な圧迫感をエルレクに与える。

『かの森は、精霊の夢』

 遠くに投げかけるような声。脈略のない言葉の羅列の意味を、しかしエルレクは正確に読み取った。

 子供。背く者。精霊の夢。森の限界――

「――なぜだ! あの森は永遠! あの子が存在する限り、終わりがあるはずがないのだ……!」

 エルレクは激情のまま拳を握りしめ、虚空に怒声を叩きつけた。

 空気が揺れる。

 エルレクはぎりと奥歯を噛みしめる。――笑っている。姿の見えない相手は、たしかに自分を嘲笑している――

『取り戻すことだ』

 「声」はそう言った。

『取り戻すことだ……背く者の手から』

 ――何を。

(尋ねるまでもない)

 かつて、この協会支部に頻繁に顔を出した幼い少年の顔が思い浮かぶ。

 重ねて浮かぶ顔は――亜麻色の髪の、青年。

 エルレクは唇の端をゆがめる。

「わざわざそれを報せに来たというのか……ずいぶんと親切なことだな」

 ――目的は、何だ?

 姿をさがす慎重な視線は動きを止めることはない。おそらく、目の届くような場所にはいないのだろうと分かっているが、油断は命取りになる。相手は――精霊術士マギサだ。

 「声」が途切れた。

 このまま打ち切ろうとしている。それを察しながら、エルレクは吐き捨てるように訊いた。

「貴様は、誰だ」

 返答を期待していたつもりはない。

 が、意外なことに反応があった。

『――我が名は“メラン”――』

「―――!?」

『協会の者よ。かの子供を取り戻すことを望むか』

 エルレクは歯軋りした。下手な返答はできない。無論、取り戻したいに決まっている。だがこんな得体の知れない者にそんな本心を言うわけにはいかない。

 それでも、表情の動きは見逃されなかったらしい。

 嘲笑の気配があった。

『いいだろう。お前たちの手に』

 それが、最後。

 エルレクの視線の先にあった中庭の噴水が唐突に水を止めた。それだけで景色の一切が止まってしまったように思えて、エルレクは全身に緊張をみなぎらせる。

 そして一呼吸の後――

 ぶばっ! と水が全方向に向かって噴出した。

 いたずらに操られた水が、中庭の草花を濡らしていく。午前中に降った強い雨にパワーを幾分か吸い取られていた植物たちに、さらに追い討ちをかける。この分では今日一日で枯れてしまうものが多いかもしれない。  飛び跳ねすぎた水滴がエルレクのローブを濡らす。

 遠い空の向こう、誰かが笑っているような気がした。

 エルレクはぎりと奥歯を噛みしめた。

 傍らで、ふわりと空気の渦が生まれた。その中心に唐突に人間の姿が現れる。

 風精の術で転移してきたらしい、ヨギ・エルディオスは即座にその場にひざまずいた。

「支部長。例の少年が」

「いい。たった今知った」

 エルレクの即答が不可解だったのか、ヨギはすぐに顔をあげる。相変わらずの無表情な灰色の瞳がさっと辺りを一瞥し、中庭の惨状をたしかめたようだった。

「……何者でございましょうか」

「分からん。が……」

 敵か、味方か。

(我々に重要な情報をわざわざ報せにやってきた者……)

 ――しかし、やつはなぜそれを知っていた?

「敵でもなく、味方でもない――というところか」

 皮肉に笑おうと思って、片頬が引きつった。

 急に、濡れたローブの冷たさが襲ってきた。

「今後の対策を練る。ついてこい」

 エルレクは屋内に戻るために、通路の先へと足を向ける。

 ヨギは静かに立ち上がる。

 忠実なる配下を従え歩き出そうとする直前に、エルレクの視線はもう一度中庭へ、そして空へと移った。

 見上げた空は、どこまでも鮮やかな夕陽に染められていた。

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