第3話 五里霧中なれども六道七転び八起き。

 美術商会から面接の日取りが連絡されてから数日後。

 緋色の個展から帰ってきてから毎日、暇さえあれば美術品等の様々な資料を読み漁っていた。

 元々暗記物や情報の整理自体は得意だった為、画家の名前や経歴、主な作品などの知識はかなり身についていた。

「フェイクと本物・・・・・・わからん」

 しかし審美眼やセンスで判断する答えのない事柄には、かなり苦戦している。

 仮にバイヤーとしてやっていくとしたら、贋作を見抜く眼は絶対に必要だろうと、素人なりに考えて一応色々と試してはみた。

「やっぱり映像だけじゃ比較も何もないな」

 だが練習しようにも、実際に試してみる事ができる場所が無く、写真や映像なんかでは見た目でしか判断できないのでどうしようもなかった。

 何より一番困った事は、

「それ以前に価値が分からん」

 そもそも絵画や美術品の価値が全く分からない事だ。

 とりあえず数が限られている作品や歴史的に古い物は値が付けやすい事も理解できる。

 しかし明確な価格を付けようとすると話は違ってくる。

「こっちの絵の方が古いはずなのに、緋色の絵の方が高いとか・・・・・・意味が分からん。ブームとか需要とかって事なのか?」

 一応、市場価格はあるのだが、それだって他人が付けた値打ちでしかない。

 それだけでいいのならば、今日日バイヤーという仕事もAIに取って代わられてしまうだろう。

 しかしそうではない。

 結局は物の価格というのは、買い手と売り手のせめぎ合いによって生まれるものなのだ。

 問題は総士自信が売り手として、どれだけの手腕を見せられるか。

「本格的には就職してから実地で教わるんだろうけど、それでも見込みがないと言われたらそこまでだよな・・・・・・」

 正直言って自信はなかった。

 元より興味が無かった分野だったし音楽や他の事でもこだわりは殆どなかった。

 強いて言うならインディーズバンドを好みで良く聴くのだが、曲を買ったバンドに限って数ヵ月後に解散するという謎のジンクスがあった。また聴き専で本人の歌唱力も非常に残念だと周囲に評されるほど音痴だったりする。

「俺にできる事。アピールポイント・・・・・・対人能力は高い方、幹事やまとめ役には自信がある。ボランティア活動の経歴アピールは今までもやってきた。だがそれだけじゃ、今までと同じだ。一点だけじゃ駄目だ。二つ三つアピールできる事が無くちゃならない」

 大学で学んだ事は既に全く生かせない事は承知している。

 その上で別の武器を探し出さなければ、今回の結果も目に見えている。

 資格等は何も持っていない。

 グローバル化が進み、資格といえば国際資格が一般的になっていた。

 国家資格も一応存在するが、求められる人材の水準が上がり続ける現代で、第一線で活躍し続けるためには、より高い水準、それこそ国際レベルでの知識と技術が要求されるようになっていたのだ。

 なので国家資格も、せいぜい国内で営業する為の許可証という意味合いくらいにしか価値が無くなっている。 

 それと同時に、全自動化の波によって数多くの資格や免許も制度自体が廃止されてしまった。

 運転免許等は最たるもので、完全に自動運転に移行するのを切っかけに全て廃止された。

 少なくとも数日や数ヶ月で取れる程度の資格には価値が無く、一つの資格を取るのに年単位での時間が必要不可欠となる。

 その資格を取る為に大学等に通うのだが学費の免除は初回入学時のみしか適応されず、入り直しをする為には、自腹で学費を工面しなければならない。

 なので今から資格を習得するというのは、余り現実的な手段とは言い難かった。

 ならば総士はどうして過去に資格を取らなかったのか?

 否、取らなかったのではなく、取れなかったのだ。

「成果が出せれば確実に就職できるはずだったんだよなー・・・・・・あの時の失敗さえなければ」

 彼が悉く物理学に愛されていなかった事がここでも痛烈に響いていた。

 筆記試験は、どのような試験でも特に問題なかったのだが、問題は実地試験や研究成果のレポート、具体的に言うと実験すると必ず大失敗していた。

 教員免許に至っては、教育実習中、中学校で爆発事故を引き起こしてしまい、失格。

 気が付けば、初歩的な危険物取り扱い免許すら合格できていなかった。

「マニュアル通りにやってた筈なんだけどなぁ・・・・・・どうすればリトマス試験紙の実験で爆発事故が起こせたんだろう?」

 その原因が解明できたら、きっと人類はタイムマシンでも何でも作る事ができるだろう。

 それくらい謎の因果めいたモノが彼にはあった。

 少なくとも総士は大学選びの時点で失敗していた事は疑いようが無い。

「いや、逆に考えるんだ。別に薬品に触れたからってどうこうなる訳じゃないんだ。実験ってワード自体がNGなんだ、多分。とにかく書き出してみるか」

 パソコンの立体映像スクリーンを展開してメモ機能を起動させる。

 一先ず自分のできる事をどんどん書き出していく。

 しかし書き出している途中である事に気が付いてしまう。

「・・・・・・コミュ力とボランティア経験以外、殆ど自分でできる必要の無い技能しかない」

 殆どの事がアピールポイント足り得ない事柄しかなかったのだ。

 例えば外国語。喋れるに越した事はないが、翻訳機があれば何の問題も無い。

 国際サミットから観光まで、それ一つあれば地球上で使われているあらゆる言語に対応できるイヤリングサイズの翻訳機が誕生してから、殆どの人がこちらを使うようになった。

 今更二、三カ国を喋れた所で何処に価値があるというのだろうか?

 それどころか職人技と評されていた技術ですら機械に完全にコピー、凌駕されている世の中で、素人の力がどれほど必要となるだろうか?

「何にもできねぇ・・・・・・やっぱりアイツみたいに特別な人間じゃなきゃ働けないのか?」

 ベッドに身を投げ出し、恨めしそうにため息をつく。

 そのままうつ伏せになり、うな垂れる。

「・・・・・・そうだよな。親父たちだって、そうやって職を奪われたんだよな」

 幼い頃から聞かされてきていた両親の仕事の話。

 総士は正直言って二人のその話を聞くのが嫌いだった。

 物心がつき始めた頃、珍しく父親と散歩に行ったことがある。

「なぁ総士。俺はな、昔あそこの工場で働いてたんだ。あそこで歯車や小さな部品を作ってたんだよ」

 幼かった総士が父親に尋ねる。

「お父さんの作った歯車って何に使われてたの?」

 その質問を聞いた瞬間父親の表情が強張る。

 ビクッと総士の脳裏に恐怖心が過ぎる。

 父親のこんな反応をした時どうなるのか分かっていたからだ。

「俺の歯車・・・・・・歯車・・・・・・ロボットアームの一部だよ。肘関節のサーボに使われていた。ああ、そうだ。俺の作った歯車が、俺の作った歯車で、あいつ等は・・・・・・俺の歯車を・・・・・・作って見せたんだ。完全に俺の動きを再現したロボットアームで、俺よりも正確に早く、永遠と作り続けて見せたんだよぉー!」

 父親の絶叫が廃工場となった土地に響く。

 こうなるとこの後、自分がどうなるのか当時四歳だった総士でも理解できた。

 ドメスティックバイオレンス。

 小学校に上がる頃まで総士は両親から身体的虐待を受け続けていた。

 本来であれば少々厳しい所もあるが比較的良心的な両親になっていたのかもしれない。

 しかしある出来事が家族の形を歪にしてしまう。

「うう・・・・・・ごめんね、つかさ。ごめんなさい・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」

 母親が仏壇の前で土下座するように謝罪と涙を垂れ流し続けている光景。

 それ以外で母親の姿を覚えている事は、一つしかない。

 小学校の入学式があったその日、母親は部屋で首を吊っていたのだ。

 帰宅して、その光景を目の当たりにした総士は、涙の一つも流さなかった。

「静かになった。ようやくお母さんが泣き止んでくれた。やったぁー」

 むしろ、その心は安堵に満ち溢れてさえいた。

 当時の事を思い出すと我ながら狂気染みていたと思うが、あの時はこれ以上虐待されたり痛い思いをしなくて済むと思ったら、本当に心から嬉しかったのだ。

 自殺の理由は単純だった。

「やっぱり下の娘さんの事が原因かしらね?」

「気の毒よね。大規模リストラの直前に生まれたお子さんだったんですってね」

「あの頃は何処も大変だったものね。私も夫との結婚諦めるところだったもの」

 夕暮れの井戸端会議の声がアパートの踊り場で木霊する。

 その話を総士は、階段の下で聞いていた。

 その事に気が付いたご近所さん達が慌てて取り繕うがどうでも良かった。

 むしろ、もっとそこで道をふさいでいて欲しかったくらいだ。

 家に帰れば常に父親がいる。

 特に何をするでもなく日がな一日テレビを見ているか、たまに思い出したように勉強を強要してくる。

 遊び道具なんて日用品である携帯くらいしか持たせてもらえてなかった。それも家では使えなかったのだが。

 同級生達とのコミュニケーションもお世辞にも取れてはいなかった。

 それでもイジメなどを受けていなかったのは似たような境遇の奴等が多かったからだろう。片親だって珍しくはない。お互いに余計に傷つくだけだとわかっていたから必要以上には何もしなかったのだろう。

 ボランティアを始めたきっかけは高校の時。時間潰しのつもりで入部していた文芸部の活動で、保育園に絵本の読み聞かせ会に参加した時の事だった。

 部員一人に付き一冊という事で総士も適当な一冊を読んで済ませるつもりだった。

「おにいちゃん、かっこいー」「かっけーよ、にいちゃん」「つぎはこのほんよんでー」

「お、おい、そんないっぺんに押しかけるなって。ちょっと待って、次はあっちのお姉ちゃんの番だか、ってしがみつ、ウォア!」

 しかしこれが大盛況で、総士はたちまち子供達の人気者になっていた。それからも頻繁に読み聞かせ会が開催され、何時しか絵本のお兄ちゃんと呼ばれるようになっていた。

「お兄ちゃん・・・・・・か。お前も生きていたら、俺の事をお兄ちゃんって呼んでくれたのかな?」

 仏壇に供えられた二枚の遺影の片方に手をかけながら総士は呟く。

 そこに写っていたのは痩せ細った赤ん坊の姿だった。

「司・・・・・・お前は俺の事なんて呼んでくれてたのかな?」

 青柳司あおやぎつかさ。総士の一つ下の妹で一歳の誕生日を迎える前にこの世を去った。

 生まれた時から体が弱かった事に加えて、当時の両親は職を失い収入が激減、少しずつ貯金を切り崩したり、生活していくのがやっとだった。

 だが悲劇は静かに起きた。

 それは至って普通の風邪だった。しかし栄養失調気味の赤ん坊の体には致命的だった。風邪を引いてから数日後、司はそのまま息を引き取った。まだ幼かった総士がその事を理解するのはもう少し大きくなってからだが、この時から青柳家の歯車は狂い始めた。

「何であの子達は生きていて、お前は死んじまったんだろうな?・・・・・・いや、それを言ったらなんで俺だけ生きてるんだろうな?」

 答えが返ってくる事はない。その事が分かっていても問いかけ続ける。

「誰のせいなんだろうな?W&S社?でも下請けで部品を作ったのは親父の会社だったし。実際、世の中便利になった事には間違いないんだし。時代が・・・・・・悪かったのかもな」

 改革に犠牲は付き物だと誰かが言ったが、その通りかもしれない。

 誰かの幸せの為に自分達が人柱に選ばれてしまった。ただの不幸でしかなかった。

『いくら努力しようと才能があろうと、生まれてくる時代や不慮の事故、世の中どうしようもない事の方が殆どです』

 不意に後ろから誰かにそう言われたような気がする。

「確かに、俺や司じゃあどうしようもなかったな。赤ん坊に努力もクソもあったもんじゃないな」

 一度は否定した少女の言葉が何時までも聞こえてくる。

 いや認めたくないが故に、いつまでも心にその言葉が纏わりついていた。

「司には努力する時間すら与えられなかった。なら俺は?」

 時間も体力も金もあった。

 しかし、いざ自分の手を開いてみたら、どうだ?

 その手の中には、何もなかった。

「努力・・・・・・してきたつもりなんだがな。何してきたんだろ?」

『お兄さんのやりたい事ってなんですか?』

「それは、答えたはずだ。貧困や飢餓に苦しむ子供達を一人でも少なくしたいって」

 しかし、その目的の為に俺はどれだけの事をしてきただろうか?

 学校の勉強?ボランティア?就職活動?

 それは本当に必要な努力だったのだろうか?

 貧困や飢餓で苦しんでいる子供達を救うにはどうしたら良い?

 そもそも何処の誰を助けたかったのか?

 何の為に?

 何が必要だった?

「何の為に頑張ってきたんだ俺?」

 ピピピピピピピピピピピ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 突然耳元でアラームが鳴り出す。

「ん?なんだ?」

 音の出所を探そうと手を伸ばすが中々見つけられない。

 もう少し遠くにあるのかと無意識に体ごと伸ばす・・・・・・と急に落下感に襲われ床に叩きつけられる。

「ンがッ!?イッテー・・・・・・寝てたのか?」

 時計に目をやると最後に時間を確認した時から一時間ほど経過していた。

「・・・・・・そういえば暫く帰ってないな」

 一人暮らしを始めてから実家には一度も戻っていない。

 本当は墓参りとかもしたかったのだが、父親がいると思うとついつい二の足を踏んでしまいがちになっていた。連絡もどれくらい取っていないだろうか?

「・・・・・・仕事が見つかれば大手を振って帰れるんだがな」

 現実は世知辛く既に二月も半ばに差し迫っている。この時期で就職できていない級友達は既に諦めムード全開に開き直って遊び呆けている。

 仕事が無くても国が生かしてくれるという安心感は、壮大な目標へのチャレンジ精神を生み出す一方で、挫折したり夢破れた者達を確実に堕落させてしまうのもまた事実である。

「そういえば何のアラームだ?」

 意図せず寝落ちしていたので目覚ましなんかはセットしていない。

 考えるよりも実際に確認した方が早いと、とりあえず携帯の画面を開いてみた。

 そこに表示されていたのは電話の着信履歴だった。

 ちなみに総士は着信音の類は全てデフォルトのまま使っているので目覚ましも着信音も全部同じ音になっている。

「誰だっと。綾那からか。げ、何回ならしてんだアイツ?」

 恐らく寝落ちしてから三十分位たった頃からだろうか?十回くらい着信が入っていた。

 特に急ぎの用事が無くともこっちが出るまで鳴らし続ける奴だという事は承知の上なので、この程度で気持ち悪がる事も無いが、面倒くさいとは思う。

「・・・・・・全く。また発作的に甘えたくなったのか?」

 基本的にプラトニックな関係だが、時折爆発するようにベタベタとイチャコラする。

 その辺は若さ故にといった所か。

 今回の電話も恐らくそういうお誘い、もとい襲撃するぞ。というサインなのだろう。

「という事は?」とこの後の展開が脳裏を過ぎるよりも先に

 ピンポーン

 と呼び鈴がなった。

「・・・・・・ふぁーあ。はいはい」

 大きな欠伸を一つ出してから、そそくさと玄関を開ける。

「なんで出てくれないのよー!」

 総士が玄関が開ききる前に、勢いよく二つのたわわに実ったものが総士の顔面に突っ込んでくる。

「ちょ、おま!?」

 咄嗟にバランスを取ろうとするが、全体重を乗せた不意打ちのタックルを受け止めるにはパワーも何も足りず、ドサン!と大きな音を立てながら縺れ倒れてしまった。

 幸いなのは昨今の安アパートでも、それなりに騒音や耐震対策がなされていた事だろうか。

「そーちゃん、そーちゃん、そーちゃん、そーちゃん!どうして電話出てくれなかったの?もしかしたら、何時までも就職できないからって自暴自棄になっちゃったんじゃないかって心配したんだからね!」

「フゴ、フゴオー、フゴフゴー!」

「でも生きててよかったー!そーちゃん生きてて良かった!」

「フゴー!ンゴー!」

 綾那の巨乳に顔が挟まれて、ろくに返事のできない総士が必死に引き離そうとするが首の骨を折るかのような勢いで抱きつかれる。

(じ、死ぬ!マジで死ぬ!首!首が変な音立ててる!)

 必死に彼女の腕をタップしながら早く退く様にせがむが、開放されたのは総士が本日二度目の『寝落ち』を体験してからだった。

「全く、一日に二回も落ちるなんて初めての経験だぞ」

「えへへ、ごめんごめん。でも珍しいよね?そーちゃんが寝落ちなんて」

「二度目は寝落ちじゃないぞ」

「極楽だったでしょ?」

「天国と地獄ではあったな」

 綾那を正座させたまま、総士は首を抑えたまま青筋を浮かべていた。

「まったくお前という奴は頭の中にお花畑と闘牛でも共存しているのか?」

「えー、お花畑はよく言われるけど、牛さんは闘牛よりもホルスタインだって、りーちょんとかが」

「それは頭の事じゃなくて胸の事だぞ?」

 貧乳で絡み酒に定評のある彼女の友人の事を思い出すと、それだけで頭が痛くなってくる。

「さすが、マブダチの事はよく分かってるね」

「やめてくれ。アイツとダチじゃないし、アレとつるむと命がいくつあっても足りない」

「あはは。でも本当に珍しいよね。どうしたの?昨日寝てないの?あ、もしかして本当にりーちょんと飲みに行った?」

「お前は見えている地雷原を踏み抜く勇気があるか?」

「地雷は酷いよー?それにりーちょんは一応そこまでぺったんこじゃないよ」

「・・・・・・もういい。この話はやめよう。頭が馬鹿になる」

 これ以上突っ込んでいると飲んでもないのに二日酔いになりそうだった。

「それで?」

「ん?何が?」

「なんか用があったんだろ?」

「ああ、そうそう。そーちゃん、面接って後、一社だけでしょ?」

「・・・・・・次で最後になって欲しいものだな」

「もう殆どの所が募集締め切っちゃってるもんね。三月入ったらもうアウトでしょ」

「わかってるよ」

 綾那が言うように、殆どの企業は三月に入ると社員募集を打ち切る所が殆どだった。

 殆どの仕事が機械主体で既に確立されていて人手も十二分なら、企業もより質の高い人材だけを求める。

 売れ残りの既卒者よりも、可能性が未知数の新卒生が魅力的なのは至極全うな話しだろう。

 もっとも切り捨てられた既卒者は、廃棄物の烙印を押されてしまうのだが。

「・・・・・・働けていない者達は社会にとっての廃棄物でしかない・・・・・・嫌な烙印だよ、本当」

 真桜まおう・フェヴラル・ウェイン氏の、その言葉は多くの反感を買ったが、総士はある種の共感を抱いていた。

(会社からあっさりと捨てられた親父達・・・・・・まさに企業にとっての廃棄物だ)

 勿論ポジティブな共感ではなく、ネガティブな意味合いでの共感なのだが。

 世の中を楽にする為に機械の高性能化を測ったはずなのに、人間の方が更なる能力を要求されるようになったのは皮肉な話だ。

「優秀な人間」であれば及第点。

 凡庸では、文句一つ言わず働き続ける機械には勝てない。

 何より最低賃金よりも維持費の方が安くなった時点で、多くの経営者達は導入を決断しない理由は無かった。

 必要の無くなったものは切り捨てる。

 それがたとえ物資であっても、人材であっても。

「うちも余所からヘッドハンティングはしても、中途採用の応募は基本的にしないからねー」

「だから最後通知をしに来たって訳か」

「その通り。一応かなり優遇してるんだよ?」

「お前ん家に永久就職って事が絶対条件・・・・・・だろ?」

「こんな可愛いお嫁さんがいて、何が不満なの?」

「だからまだ結婚なんて考えてないって言ってるだろ」

「えー今時、学生結婚だって珍しくないじゃん。子供だって生まれたら生活保護だって追加で受けられるんだから」

「金の問題じゃない。・・・・・・・・・・・・覚悟の問題なんだよ」

「・・・・・・妹さんの事?」

「家族そのものだ」

 先程まで見ていた夢の内容が頭を過ぎると、軽はずみに結婚しようとは口が裂けても言えない。そしてそれは綾那も理解して、それ以上は何も言わなかった。

「そっか。なら尚の事、頑張ってもらわないと」

「すまない。・・・・・・まぁ、その、なんだ。決まろうと決まらなかろうと・・・・・・挨拶くらいはちゃんと行くさ」

 恋愛や結婚といった事に余り積極性を出さない総士であったが、妙に律儀な性分で、必要性を感じれば、彼女の両親に挨拶しに行く事にも抵抗は持っていなかった。

「・・・・・・おー」

「なんだよ?」

「律儀なそーちゃんもいいななーって」

 ちなみにホワイトデーなどのお返しも、例え義理でもしっかりお返しをする方だったりする。

「ほっとけ。とりあえず次の対策だ」

「えー殆ど付け焼刃でしょ?」

「無駄だとしても努力しておきたいんだ。じゃないと」

「じゃないと?」

「認める事になるからな」

「何を?」

「運命・・・・・・ってやつをかな」

「うみゅ?よく分からないけど、努力しないと掴めるものも掴めないよ」

「当然だ。ほら、そこ邪魔だからベッドにでも座ってろ」

 全てが運で決まるとは言いたくはないが、目の前に湧いたチャンスに手を伸ばさない理由はない。とにかく必死に足掻いてみてからだ。

「もー、仕方ないなー。台所借りるよー」

 既に集中状態に入ってしまった彼氏に呆れながらも、それ以上は何も言わなかった。


 そして面接当日。

「思いつく限りの事はした。今回こそは」

 しっかりとスーツを着こなした総士は紹介された美術商会の前に立っていた。

 一般的な就職対策のほかに、美術関係の知識の予習もこなしてきた。

 不安点が無い訳ではないが、それを理由に弱気な態度を見せるわけにはいかない。

「そういえばあの子が言ってたな。勝負の時は不敵な笑みを浮かべろ・・・・・・だったか。確かにそれ位強気の方がプラスに見えるか」

 面接中に直接表情に出すのは流石にどうかと思うが、実際オドオドと萎縮しているよりは、ある程度堂々と挑んだ方が何事においても好印象を与えやすいだろう。

 決して今までの面接などでもネガティブな気持ちで挑んできたわけではないが、今日はいつもより気持ちを引き締めて挑む気概だった。

「よし、行くぞ」

「行きましょうか」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ウェい!?」

 横からの突然の声に思わず声が裏返る。

「おや、どうしました?」

 そこには、いつの間にか緋色が何食わぬ顔をして立っていた。

「どうしましたって、何時の間に!」

「たった今ですけど」

「・・・・・・なんでいるんだよ」

「仕事の打ち合わせですよ。それよりもいいんですか?遅刻しますよ」

「っと、そうだった。急がないと」

 時間には余裕を持ってきていたが、ここでまたお喋りをしていたら早く来た意味が無くなってしまう。総士は慌てて駆け出そうとするが、その袖を緋色が掴んで静止する。

「案内しますよ」

「え?」

「一緒の方が早く対応してくれますから」

「いや、でもそれって」

「大丈夫ですよ。素直にここで偶然会ったからって言えば済む話です。ほら、行きましょう」

「お、おいおい」

 そのまま彼女に腕を引かれたまま総士は中に連れて行かれた。

 緋色は受付のインターフォンにIDカードを翳すと直ぐに如月が応答してきた。

「お、ヒイちゃん来たね。あ、この間の子も一緒だね。そんじゃあ一緒に連れて来てくれる?」

「事務室でいいの?」

「いいわよー。待ってるからー」

(対応、軽!)

 今まで面接を受けてきた会社の中で一番軽い対応をされた事に拍子抜けしつつ総士は一応表情を崩さないように必死に耐えた。こういう時ツッコミ体質は気をつけないと素が出てしまうから困り者だ。

「・・・・・・お兄さん、ツッコミたかったんですか?」

「ッ!?い、いや、そんなことありませんよ。・・・・・・ないぞ」

 完全に見透かされながらも二人はエレベーターに乗り、事務室のあるフロアに向かう。

「それで、どうですか?」

「何がだ?」

「面接、上手くいきそうですか?」

「できる事はしてきたつもりだ」

「どんな努力が必要か分かったんですか?」

「それは・・・・・・」

「まぁ素人ですから完璧にとはいきませんよね」

「歴史とか基礎知識は入れてきた」

 両手で×を作りながら緋色はブブーと言う。

「ハズレです。ここの面接ではそんな事聞かれませんよ」

「・・・・・・何故?」

「履歴書を見ればお兄さんに専門知識が薄い事は分かりますから。ですが心配しないでください。その辺は多分ここの面接は評価対象ではありませんから」

「それってどういう」

 ピンポーン、九階です。とアナウンスが流れてエレベータのドアが開く。

「助言はここまでです」

 チョロっと舌を出しながら緋色はエレベータから降りる。総士も慌ててその後を追い事務室とプレートがかかった部屋の前に行く。

「着きましたよ」

 緋色がいきなりノックするのを見て、総士は慌ててネクタイを引き締め直す。

 ドアが開けられるとそこに立っていたのは、如月とは別の女性だった。

「いらっしゃい緋色ちゃん。それとあなたが今日面接に来られた方ですね?」

「は、はい。青柳総士です。本日はよろしくお願いいたします」

 唯一知っている社員の如月と比べると御淑やかそうな感じに少し安堵する。

 いや、決して如月が苦手だとかいう訳ではなかったが、割とグイグイきそうな感じが今のタイミングでは少しプレッシャーになりそうだと内心では思っていた。

三城みきさん、私は如月さんの所に行きますので」

 勝手知ったる家のように緋色は、そそくさと事務室の中に入っていった。

「ええ、後は私が案内しますよ。それでは、青柳さんはこちらへ」

「はい、失礼します」

 緋色と分かれた後、事務員の三城に連れられて小さめの応接室に通される。

「それでは社長を呼んできますので、そちらにおかけになってお待ちくださいね」

「はい、分かりました」

 程なくして社長も現れ、面接は始まった。

 最初は形式的な質問で大学での専攻や志望動機、自己PRなど余所でもやった事のあるような感じの内容だった。そこまでは傍から見ても無難にこなせている様に見える。

「なるほどなるほど。後はそうだねー。あ、そうだそうだ、青柳君は星宮君の紹介でうちの事を知ったんだよね?」

 思い出したように社長は緋色の事を話題に出してきた。

「はい。先日行われていた星宮先生の個展で、たまたまお話しさせていただく機会がありまして」

「その前にも会われたことがあると彼女は言っていましたが」

「あ、その事も先生からお聞きになられていたのですね。はい、近所の喫茶店で合席させて頂いた事がありまして。ただ、初めて会った時は、ただの女子高生だと思ってたんで」

 ここは苦笑交じりに、ある程度リラックスしている雰囲気で答えた。

「あははは。それは無理もありませんな。実際女子高生ですし、彼女は特にオンとオフの差が激しい子ですからな」

「そうですね。私もパンフレットの紹介写真を見た後でも、指摘されるまで」

「気づかなかった?」

「すみません、不勉強で」

「いいよいいよ、気にしないで。如月もプロデュースの時は星宮君に振り回されて苦労しているみたいだから」

「そ、そうなんですか」

「それじゃあ星宮君の作品は見たんだよね?どの作品が良かった?」

 来た。恐らく来るだろうと思っていた質問。当然答えは用意してある。

「先日の展覧会の絵の中でしたら、『偶然とコーヒー』という作品です」

「ほう?ちょっと待っておくれ。えーっと、偶然とコーヒーは、ああ、これだね」

 立体映像のスクリーンにその絵が表示される。

 無数の茶色い四角の中に一つだけ描かれたコーヒーカップが目を引く作品だ。

「はい、この絵です」

「どうしてこの絵が気に入ったのかね?」

「はい、一目見たときから目を奪われました。絵を見る前に星宮先生とお話した事も理由だと思うのですが、何となく彼女と初めて会った時のお店の雰囲気に似ているような気がして」

 これがあの絵を見た後に至った結論であり本心だった。

 問題はここから先の感想だ。

 一応技法や表現方法等について調べて、この絵の評論を頭の中で纏めてきていたが、果たしてその評論家気取りの感想を言うべきなのか、それとも曖昧で感情的ではあるが正直な感想を述べるのとどちらが正解なのだろうか?

「その感想はある意味、的を得ているよ」

「え?」

「この絵は彼女が最後に描き上げてきた絵でね。締め切り直前のギリギリ感で閃いたんだと」

「それって私と会った事がインスピレーションに繋がったと?」

「そうだね。彼女は衝動の赴くままに直感的に描くタイプだからね。ここだけの話、星宮君はね、あんまり細かい絵を描くのが好きじゃないんだよ」

「そうなんですか?」

「芸術家という人達も色々なタイプが居てね。コツコツ毎日少しずつ作る人。ガァー!っと一気に作る人。とりあえず作りながら模索する人。常にアンテナを張ってヒントを探してから取りかかる人。十人居たら十人皆違うやり方と気質を持っている。青柳君」

「は、はい」

「君は星宮君と話してみてどういう風に見えた?」

「え、どういう風に、ですか?」

「そうだ。一般的なイメージの芸術家そのままに見えたか?それとも違って見えたのか?」

 この質問は想定外・・・・・・というよりも社長のアドリブだろう。こういう場面では一般的な模範解答を言うよりも、自分のセンスと素直な感想を述べた方がいいかもしれない。

「そうですね・・・・・・最初初めて会った時は・・・・・・いい子だなと思いました」

「ほう」

「普通、合席を承諾してくれる人って中々いないから、優しい女子高生だなって」

「他には?」

「物静かに見えましたが、話している内に結構おしゃべりするのも好きなんだなとは感じました。私がメニューで悩んでいた時もお勧めを紹介していただきましたし、その後も長々と世間話をしていましたから」

「ほぅー、それそれは」

「ただ少々辛辣というか、歯に衣着せぬというか」

「ほー」

 社長が少し低いトーンで頷いている事に、総士は慌ててフォローする。

「あ、いえ、いい意味で物怖じしないといいますか、そのハッキリした子だなって」

「なるほど。では彼女の描く絵もその気質が表れていると?」

 少し答えに詰まる。

 彼女の絵はちゃんと事前に予習してきたし、色々と思う所はあったが、その感想が果たして正しいのかどうか、内心引っかかる所はあるのだ。

「そうですね・・・・・・一概にはそうとは言えないかと」

「それは何故?」

 偶然とコーヒーの絵を見ながら答える。

「彼女の絵は半抽象画に分類されるものだと知りました。これは私の偏見かもしれませんが物事をハッキリするタイプの人間が描く様な絵ではないと思うんです」

「それはまた随分な極論だね」

「すみません。ただ星宮先生の場合、何か悩んでいるというか、疑問を抱いている。いや疑問をキャンバスにぶつけているのかなって」

 これは綾那の受け売りだが、総士も調べていく内に同意見だという結論に至っていた。

「疑問をキャンバスにぶつけている・・・・・・ね」

「それが思春期特有のものなのか、生まれ持った気質なのかは分かりません。けど彼女の絵はどれも見ている人に疑問を投げかけているように見えます」

「ならば君は、この絵からも疑問が投げられていると?」

「多分ですけど。でもその何の疑問がよく分からないんですよね」

「分からない?」

「これが果たして自分に向けられたものなのか?それとも不特定多数に向けられたものなのか?その辺が全く分からなくて。そこが違うと解釈も全然違ってしまうんですよね」

「そもそもの前提が間違っている可能性もあるよ」

「そうなんですよね。すみません、今の自分では、これくらいの答え方しかできなくて」

 ここで始めてうな垂れる総士に社長は笑いながら答える。

「なーに、気にすることはないよ。感性なんて人それぞれだよ。むしろ君はいい感性を持っていると思うよ」

「え、そうですか?」

「世の中には額面や古さでしか物の価値を計れない人間は五万といる。しかし君のように真剣に考えを巡らせる事ができるだけでも、とても貴重な才能だと私は思うよ」

「そうなんですか?自分ではなんとも」

「最初はみんな無自覚なもんさ。むしろ自分はセンスがあると自称する輩ほど信用なら無いもんだろ?」

「それは、そうですが」

「さて、後は何か聞かないといけないことはあったかな?」

 資料を見ながら社長は他に何か質問が無いかを探す。

「そうだなぁ。では最後に一つ質問しよう」

「はい、なんでしょうか?」

「君はどうしてこのご時勢でも働きたいと思ったのかね?」

「ッ!」

 総士の顔が一瞬強張る。

 今までこの手の質問にはいつも回答に困る。自分の中では働きたい理由というものは一応しっかりとある。

 妹や母親のように大切な人を失いたくない。守れるようになりたい。

 これが自分にとっての全てだった。

 だが、これを正直に言うべきかどうかは別問題だ。

 実際、他社の面接の時に正直に話した事もあるが、面接官の顔は非常に渋いものだった。

 直接は言われていないが気持ちが重いとか面倒クサそうな奴だと思われたのだろう。

 では模範的な回答をすればいいかと聴かれたらそれもNOだ。

 これもまた別の会社で集団面接を受けていた時の事だが、「マニュアル通りにしかできないという奴は阿呆だ!」と怒鳴られていた就活生がいた。

 総士もその時はマニュアル通りの事を言うつもりだったので、慌てて文面を頭で作り直す羽目になった経験がある。

 正直すぎても模範的でも駄目。

 それが今まで総士が面接で学んできた法則だった。

 そして今この場でなんと答えるべきか?

 総士が導き出した結論は、出たとこ勝負だった。

 結局、面接官や企業によって人柄重視なのか、能力重視なのかは実際に面接をしてみないとわからない。

 事前に知る方法も無い訳ではないが、全ての企業が説明会や見学を許しているわけではないので確実とはいえない。

(ではどうするか?この社長さんや星宮を見た感じだと人柄重視な気はする。だがここで家族の事を話すべきか?いいや、駄目だ。余所と似たようなリアクションされて終わりだ)

「どうしたのかね?」

「いえ、私が働きたい理由。それは・・・・・・」

「それは?」

「やりたい事がある人を全力で手助けしたいからです」

(ギャー!焦って適当な事言っちまった!)

「ほほう」

 本人は冷静なつもりだが傍から見れば総士は明らかにテンパっていた。今の答えも殆ど口からの出任せだった。

(もう・・・・・・引き返せない!ええい、名無三!)

「私はついこの間まで、ただ働きたいという願望はあっても何の為に、何をして働きたいかという具体的な目標がありませんでした。強いて言うならば、少しでも多くお金を稼いで自分が子供の時のような辛い体験を二度と繰り返したくなかった」

 冷や汗交じりに自分の過去などを交えて、とりあえず答えていく。

「確かに君達の世代は生活保護受給までに、約四年間の空白期間が開いた家庭も珍しくは無かったね。なるほど、確かにそれは至極全うな願望だ」

「はい。ですが星宮先生と話している内に、よく分からなくなってきたんです」

「何がかね?」

「どうして死にもの狂いに働きたかったのかが。もう守るべき家族も何もないのに無いし、何もしなくても生きていける世の中なんだから一人で適当に生きていけばいい。他の人達と同じように諦めてしまえばいいじゃないかって」

「確かにそれも選択の一つだね」

「ですが星宮先生は私の、俺の夢を立派だって言ってくれたんです。笑い飛ばさないでくれたんです」

「星宮君が?・・・・・・なるほどなるほど。ちなみに君の夢ってのは?」

 社長が興味深そうに少し身を乗り出し気味に聞いてくる。

「貧困や飢餓に苦しむ子供達を一人でも少なくしたい。その為の支援活動やボランティアをしたいのですが、ご存知かとは思いますが我が国では」

「確かに難しい話だね。ふーむ、しかし君の夢と我が社がどの様に繋がるかね?ああ、先に誤解がないように言っておくと私も君の夢は立派なものだとは思っているよ」

 ここで一度一呼吸してから総士は再び回答を続けた。

「・・・・・・星宮先生は十四の時にデビューされたんですよね?」

「そうだ」

「例えばの話ですが、本来才能がある子が貧困のせいで、その才能を開花させる事ができないというのは非常に悲しい話だとは思いませんか?」

「・・・・・・続けたまえ」

「そういった才能のある子供達を見出して、その子を我々でプロデュースすれば」

 総士が最後まで言い切る前に社長は結論を言う。

「作品を売る事はできるし、その子も救えるという訳か」

「はい。もちろん現実的には問題点がいくつもありますが」

「では君が我が社でしたいことはそういった子供達のプロデュースしたいと」

「はい。もちろん最終的には全ての子供を助ける事ができればと」

「・・・・・・わかりました。それじゃあ面接の方はこれで終わりだけど最後に何か聞いておきたい事とか何かあるかね」

 本音を言えば、特にここで聞いておきたい事はなかった。

 しかしここでありませんと答えると、確認などをしない人物だと思われてしまう恐れがあるので、とりあえず模範的な質問をいくつか交わした。

「さて、面接はここで終わりなのだが、実は試験はまだ終わらないよ」

「え、そうなんですか?」

 サラリと言われたが総士は戸惑っていた。

 何故なら事前には書類審査と面接しか伝えられていなかったからだ。

 他にも追加で課題があるとは予想していなかったし、このように抜き打ち試験をいきなり出された事はただの一度も無かった。というよりも初めてのパターンだ。

「確か書類審査と面接だけだったと思ったのですが?」

「告知はそれしかしてないよ。事前に準備されたらあまり意味が無いからね。ちょっと待っていてくれ」

 社長は三城を呼びだし「あれ、受けてもらうよ」と言うと三城は頷き、再び総士を別の部屋へと案内した。

(事前の準備をさせたくない課題?それだったら知識とかを試されるようなものではないのか。いやもしかしたらセンスとかそういうのを計る試験か?)

 道すがら、どの様な試験がでるのか色々考えたが、その答えは直ぐに教えられた。

「さぁ、お入りください」

「はい。っと、随分と広い部屋ですね?」

 その部屋は先程の応接室と違って、かなり大きい部屋だった。大体三十畳位だろうか。南側は一面窓ガラスになっていて非常に開放的な作りになっている。恐らく元は大会議室か何かだろうと総士は思った。部屋の中では施設管理用ロボット達がこれから行われるであろう試験の準備をしていた。

「えっと、ここで一体何の試験を?」

「それについては私から説明します」

 背後から三城とは違う、しかし聞き覚えのある声で話しかけられる。

 驚きながら振り返るとそこに立っていたのは如月と緋色だった。

「え、緋色と、えっと確か」

「如月涼歌です。先日はうちの星宮がお世話になりました」

「い、いえ、こちらこそ先日はありがとうございました」

 以前会った時とは違い、事務的な対応に一応まだ試験中の身だという事を思い出し慌てて取り繕いながら挨拶をする。

「積もる話も色々ありますが、まずは本題を済ませてからにしましょう。さぁ、中へ」

「は、はい」

 案内を終えた三城以外の三人が部屋に入ると、如月は端末を操作する。

 すると作業を終えた作業ロボット達から徐々に壁側に整列していく。全ての作業用ロボットが一列に並ぶともう片方のドアから静かに退室していった。

 設置されていたのは白紙のキャンバスが三枚と様々な画材道具だった。ただキャンバスは何故か大中小と大きさが違うものが置かれている。一般的なイメージの大きさのやつが中くらいだとすると、小さい方はA4かB4くらいの大きさで、一番大きいキャンバスは身の丈ほどある大きなものだった。

「・・・・・・えっと、このキャンバスと画材道具は一体?」

「もちろん絵を描いてもらいます」

「えっ!?どうして?わ、私は別に画家として御社を受けに来たわけでは」

「存じ上げています。ちゃんと弊社の採用基準に則ったものです。ご不満でしたら辞退して頂いても構いませんが?」

 言葉が詰まった。ここで辞退したら自ら合格を捨てるようなものだ。

 先程の面接でも感じた事だが、ここの会社は少々変わった価値観というか理念を持っていると推測できる。この試験も絵の上手い下手で計るよう内容では無いだろう。

「いいえ、続けさせてもらいます。それで具体的にはどういった試験内容なんでしょうか?」

「それについては私から説明するよ」

 沈黙を破って緋色が前に出て、筆でキャンバスを指しながら説明する。

「お兄、じゃなかった、青柳さんにはこれから絵を描いてもらいます。キャンバスはどれを使っても構いません。一枚だけでもいいし、なんだったら三枚全部描いても構いません。制限時間は一時間。道具や絵の具が足りなかったら自由に申し出てください」

「はぁ・・・・・・これ作品のテーマは何かあるんですか?」

 とはいっても正直どんなテーマを提示されても、総士に上手く描ける自信が全く無かった。

「あります。今回の作品のテーマは、世界、です」

「世界・・・・・・世界?世界って」

「自分でタイトルとして「世界」と名づけられる絵でしたら何でも構いません。強いて言うなら、あなたにとっての世界、あなたに見えている世界、あなたの感じている世界。そういうのを表現してください」

「はぁ・・・・・・なんだか感覚的というか抽象的ですね」

「まぁ、あんまり気張らずにガーと描いてバーと塗ってババンと飾ればOKですよ」

 そう言って緋色は総士に筆を差し出す。

「・・・・・・自慢じゃないが美術の成績なんて五段階で2が精々だったんですが」

「それなら大丈夫ですよ。如月さんなんか1ばかりだったって社長が」

 いきなりの暴露話に先程まで社会人らしい対応をとっていた如月は素に戻って赤面しながら緋色に詰め寄る。

「な、ちょ、ちょっと、それ何時聞いたのよ!?」

「さて、何時でしたっけ?まぁ、そんなことはどうでもいいので、早速始めてもらいましょうか」

「あんのクソ伯父さんめ・・・・・・後であのバーコード頭毟ってやる」と物騒な小声が後ろから聞こえてくるが、そんな微笑ましいやり取りが、強張っていた肩の力を抜いてくれる。

「やってみるさ。っと、その前に、すいません」

「ん?なんですか?」

「エプロンか何かありますか?流石にこのままだとスーツが」

 上着を脱ぎ、手早く準備されたエプロンと腕カバーを身に付けると、今度こそ総士はキャンバスに手を伸ばした。

(さて、とりあえずタイムリミットは一時間だからあんまり細かくヤリすぎると時間が足りなくなるよな。あと、折角だから三枚全部に描いてみたいな。どんなペースで描けるかは分からんが、一から下書きしてたら間に合わなそうだし。世界ねぇー。俺にとってこの世界は)

 大きさや時間を考慮するとできるだけシンプルなものの方がよいかもしれない。

 ならばシンボルのようなものが良いのではないかと思い、自分の中の世界をイメージさせるシンボルが何か考え始めた。

 とりあえず最初に手を伸ばしたのは小さいキャンバスだった。

 筆に灰色の絵の具で付けて中心に円を描く。フリーハンドで描かれたその円は少々歪だった。更に円の外周には縦長な板状のものを描き足していく。それは歯車の絵だった。今度は色合いの違う灰色でその歯車に噛み合う様に別の歯車を二つ程描き加えた。まるで子供が描き殴るかのように描かれたその絵は、確かに歯車の集まりに見えるが、本来歯車に求められそうな精密さや正確さとはかけ離れた絵だった。

「なんか子供の落書きみたいだが・・・・・・まぁいいか」

 次に手をつけたのは普通のサイズのキャンバス。

 キャンバスの下半分に何かを掴もうとしている手を描くとそこに一本の赤い線を縦に引いた。

 それはまるで釈迦の下ろした蜘蛛の糸を思い出させるような構図だった。

 問題は、手を描くのと慣れないのに妙に凝ろうと四苦八苦した為、結構な時間を使ってしまった事だ。

「やばい。後何分ですか?」

「後五分です。言い忘れていましたが時間の延長は一切しませんので」

「・・・・・・はい」

 時間的な余裕は無かったが、頭の中に思い描いていた構図ならば十二分に間に合いそうだと確信する。

 目的の色が入った塗料の缶を手に取ると再び如月に質問をする。

「これって全部自由に使っていいんですよね」

「ん?ええ、構いませんが?」

「よし。あ、あと周りってあんまり汚さない方が?」

「その辺はご心配無く。どんなに汚れても一晩で自動的に片付きますので」

「凄ッ、何気に凄い設備なんすね。それじゃあ遠慮なく」

 一頻り確認して安心した総士は、思いっきり自分の思いの丈をキャンバスに叩きつけた。右へ、左へ、上へ、下へ。意味など無い。ただただ自分の思う「世界」を描いていく。筆を替え、刷毛を替え、色を替え、絵の具を替え、ひたすら出鱈目に描いていく。

 自分にとって世界とは。

 歪だが、それでも回り続けている歯車の様なもの。

 ふざけるな!

 俺は認めない!

 こんな世界は認めない!

 俺から何もかもを奪っていくこんな世界なんて認めない!

 俺は・・・・・・

 俺は・・・・・・・・・・・・

 自分の手で生きたい。

 機械や他人に頼るのではなく、自分の手で生きていきたい。

 だから俺にとって世界とは


「敵だ」

 

 赤い絵の具を一番大きい刷毛に直接塗りつけて、そのままキャンバス一杯に×印を描き殴りつけた。

 肩で息をしながら額の汗を拭うと、手の甲が赤い絵の具が付く。気が付けば自分も周りも絵の具だらけになっていた。その惨状を見ていたら自然と笑みがこぼれる。

「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

 大声で総士は高らかに笑い声を揚げる。

 自分でもこんなに声を出して笑ったのは初めてかもしれないと思いながらも、笑いが止まらなかった。笑っていたかった。

「・・・・・・おー、こんなに笑う人だったんだ」

「ぅあー。緋色は知らなかったの?」

「鬱屈しているとは思ったけど、ここまであっさり爆発するとは」

 その様子を二人は若干引きながらも総士の事を静止する事はしなかった。

 受験者の、ありのままの姿を観るのも、この試験の目的の一つだからだ。

 総士のように感情を爆発させるも良し。逆に一切の感情を見せずに淡々と描くのもまた良し。些細なこだわりで極め細やかに描くのも、大胆な適当さで大雑把に絵の具をぶちまけるも良し。

 どの様な描き方をしてもこの試験は正解だった。

 否、額面上の正解というものは一切無いのだ。

 ならば何を持って合否を判断するのか?

「緋色はどう思う?相性の良さそうな人思いつく?」

 如月が総士の方を向きながら緋色にそう尋ねる。緋色も同じ方を向きながら答える。

「うーん・・・・・・強いて言うなら私?」

「他には?」

 これ以上の答えを出すのが難しいのか、緋色は困った表情を浮かべて消去法で答えていく。

「神経質な男連中は無理ね。多分互いに神経逆なでしちゃうから。同性なら御爺様達くらい落ち着いた人達じゃないと」

「あー、確かに若い子達は無理そうね。いや基本童貞しかいないから、彼がリア充だと分かったら露骨に嫌がるわね」

「それがモテない理由なんだけどね。逆に女の子だとそこそこ良好な関係が築けるかもしれないです」

「その心は?」

「お兄さんは基本いい人ですが、いい人止まりなタイプかなって」

「えー、でも彼女いるんでしょ?」

「告白された側なんですって。でも基本的に草食系ですから据え膳は食べても、自分からというのは多分無いかと」

 もちろん本当にそうか本人に確認したわけではないが、緋色のこの推測はあながち間違っていなかったりする。

「へぇー、そんな事まで話したんだ」

「でも、趣向性というか方向性が合うかどうかは・・・・・・良いプロデュースができるかと聞かれるとなんとも」

「OK、分かった。後でまた詳細、提出しておいて」

 この試験の真意、それは現在契約している芸術家達と上手くやっていけそうかどうかを確かめるのが目的であった。

 そして総士の適正は・・・・・・

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