第19話 修学旅行

 僕が停学になってから、三週間が経った十月最初の月曜日。

 この日の放課後は、珍しく隆哉と浩介が誘い合わせたらしく、二人して僕の部屋を訪れていた。しかも、おそらく隆哉は部活をサボって来たのではないだろうか?

「まだ外せなかったかぁ……」

「いや、だけど来週月曜にワンチャン……」

 部屋に入るなり二人が話し始めたのは僕のギプスのことだった。

 これを外すまで、早ければ三週間との診断だったので、僕は午前中に整形外科の診察を受けて来たのだ。

「確かに整形の先生からは、来週また癒合の確認するから来なさいって言われたよ。まぁ、僕はあまり気にしてないんだけど」

「俺らのが気になってるんだよ!」

 隆哉が言うと、浩介もため息を吐く。

「春樹が居ない修学旅行はつまらねぇじゃん」

 肩を落としながらの言う浩介を見て、彼らが二人揃って家に来た真意が分かった。きっと来週の火曜日から三泊四日で行く、沖縄への修学旅行に僕を参加させたいのだろう。

 それは何日か前、隆哉のノートを写している時だった。

『ギプスあると不便だし、外れても海で泳げないようなら、修学旅行に行くのやめようかな……』

 そんなネガティブな発言してしまった時、隆哉がびっくりする程怒っていたのだ。

 恐らく、今日は僕を説得するために、二人して家に乗り込んできたのだろう。

「なんでそんなに二人とも僕も行かせたいの?」

「ハルが居ない間に、飛行機の座席割りや部屋割りとかやったんだよ。お前が来なきゃ意味ねーじゃん」

「あ、ちなみに一日目の那覇のホテルは三人部屋だから、この三人な。あとの二泊、名護のカヌチャベイホテルは四人部屋だから、この三人に内田が加わるよー」

 確かにそんなメンバーで泊まるのなら、観光地以外の時間も楽しいのは請け合いだ。

「なぁ、どうでもいいけど、タカとコウって前からそんなに仲良かったっけ?」

「「お前のお陰だよ!!!」」

 言ってる事が字面だけなら感謝を伝えるものなのに、二人ともニュアンスがおかしい。

 はてと、首を傾げる僕に隆哉は言った。

「とにかくだ、金曜日の朝は、ハルの荷物もまとめて家のおふくろの車に積んでってやるから、お前は早めに荷造り始めとけよ……」

 この修学旅行に参加するならば、今週末の金曜日に着替え等の入ったスーツケースを高校に持って行かなければならない。

 飛行機に持ち込む荷物は最低限にとどめ、あとは学校が全てまとめてトラックに積み込み、航空便で一日目の宿泊先に発送してくれるからだ。

 隆哉が言うのもごもっともで、金曜の朝までとなれば、事実上準備に費やせる時間はあと三日しかない。確かにそろそろ準備を始めなければ間に合わないだろう。

「いいか、春樹。僕らの修学旅行の思い出は今しか作れないんだぞ!」

「神田の言う通りだ。俺だって大学に入ったら今みたいにハルと気軽に会えなくなるかもしれないしな!」

 隆哉は今後の試合の結果によっては、剣道で大学の推薦が付く可能性がある選手なので、実際どこかからオファーが来てもおかしくはない。条件が良ければ隆哉だってそれを呑むだろうし、なれば地方に行ってしまう可能性だって無きにしも非ずだ。

 しかし、停学中の僕が修学旅行にだけ顔を出すというのは、仮に学校側が許可しても、他の生徒が許すとは限らないと思う。

 それに、本音を言えば、クラスにまだ顔を合わせ辛い女の子がいるのも事実だ。

 美桜だけではなく、あの話を蔑ろにしたままの僕は、藤堂や高梨達から、またお怒りを受けてもおかしくは無い。

 だが、きっと隆哉や浩介はそれが分かっていてなお説得しに来ているのだろう。

 僕としても皆から来るなと言われている場所に行くよりは、二人だけでも来てくれと、味方して言ってくれるのはありがたい。

 前向きに考えておくと、曖昧な返事を返した僕はとりあえず隆哉に借りたノートから先に写し始めた。

 真剣に勉強を進める僕をよそに、二人はPS4をテレビに繋ぐと、定番とも言うべき格闘ゲームを始めた。

 自分がプレイしていると全く感じないが、勉強している横で格ゲーをされると『アチョー』やら『オラァ』やら、キャラクターの叫び声がやたらと騒がしい。

 というか、ハッキリ言って勉強に集中する事が出来ず、めちゃくちゃ邪魔だ。

 しまいには、ぐはぁ、とばかりに隆哉が奇声をあげた。どうやら浩介に速攻で負けたらしい。

「神田、もっかいだ!」

「掛かってきな!」

 その言葉はこの後、幾度となく繰り返される事になった。なにしろ、浩介があまりに強いため、隆哉がムキになっている感じ。

 確かにやかましいことこの上ないが、初めて浩介とゲームで遊んだ時に、僕も同じ状態になっていたので、以前の自分を見ているようで面白い。

 普段、僕と隆哉の対戦だと、実力が拮抗しているからこうはならないのだ。


 隆哉のノートを写し終え、次は浩介のノートを借りる頃には、いつの間にかゲーム機のハードごと変わっていて、かのオールスターによる大乱闘がプレイされていた。

 それでも浩介の圧倒的アドバンテージは変わらないようだ。

 僕が全てのノートを写し終える頃合になって、母さんから夕飯が出来たとの声が掛かった。

 二人もこのまま家で食べて行く事になり、姉ちゃんがバイトで居なかった事も幸いして、食卓は賑やかな物になった。

 夕飯の後、浩介はすぐに帰って行ったが、隆哉は僕の部屋にやってきて、一人でまたスマブラを始めた。

 浩介に連戦連敗だったのが、余程悔しかったらしい。

 CPU三人をチームにして、ストック戦で一人で奮戦している。

 ギプスでコントローラーをまともに持てない僕は、ベッドに横たわってその模様を眺めていると、隆哉が、なぁ……と言って話し掛けてきた。

「ん、なに?」

「ハルは修学旅行の間もこのままでいいのか?」

「何がさ?」

 隆哉の使っていたピンクの丸っこいキャラクターがキツネの操縦士の上スマッシュを食らって吹っ飛んだ。

「あっ、クソっ!」

 文字通り星になったカービィが残機を減らしてステージに復活する。

「夢咲さんの事以外に無いだろ……」

「あぁ、正直、まだ顔は合わせづらいよな」

 隆哉からその話が出たのは停学になった日以来だ。

「よっしゃぁ!」

 やられた分やり返す、とばかりに速攻でフォックスをたたき落とすと、隆哉は狙いをゴリラの親分に変える。

「実際、今更会っても何を喋ったらいいか分からないし」

 ふーん、と言った隆哉は、今はゲームに集中したいのか、しばらく返事をしなかった。

「……ハルは女の子の気持ちが分かってない、ってみゆちゃんが言っててさ。まぁ、俺は愚痴られたって方が正しいか、っと!」

 上方向に戻る手段の乏しいドンキーを見事に下方向に飛ばして残機を削る。

「まさか、コウ、姉ちゃんに迫田の事を話したの?」

「出来るわけねーじゃん、あんな話。みゆちゃんは夢咲さんの味方だもん、みゆちゃんまで暴走したら誰が止めるんだよ!」

「そっか、ならいいんだ。で、美桜は学校でどうしてる?」

「真面目に登校してきてるよ。仲直りした藤堂さん達と、四人でつるんで上手くやってるし。あ、けど那覇のホテルが三人だから、部屋割りの時は夢咲さんの争奪戦してたみたいよ? って、あーちきしょう、後からやりやがったな!」

 隆哉の操るカービィは、ヤブ医者っぽいおじさんを襲いに行ったが、途中で戻って来たドンキーに捕まり、CPUチームの集中攻撃を受けてしまった。

「なら良かったよ。美桜が元気そうで安心した」

「そこはそうでもねーよ」

「えっ?」

 隆哉の言葉に僕は思わず聞き返す。

「俺でも分かるんだから、ハルも自分で見りゃ分かるって」

「なんだよ、それ?」

 カービィが再び星になる。

「じゃあ俺から一つだけ教えてやるよ」

「何?」

「うちらのクラスで夢咲さんに憧れていた男子は今も不戦を続けてる。むしろクラス内ではもう誰も夢咲さんにはアタック出来ないと思うわ」

 いまいち隆哉の言いたい事が理解できない僕は思わず怪訝な表情を浮かべたが、ゲームに集中している隆哉がその顔を見る事はない。

「あとはお前の予想通り、迫田もこれといって動かねぇ。今は学外に彼女が居るんじゃないかって噂は聞いたけど、それも確かじゃないな」

「へぇ、それなら美桜にとってはいいじゃないか」

「どうだかな……男子はうちのクラスの連中や迫田だけじゃねぇからさ」

「なに、マンガとかじゃないけど、修学旅行を告白のきっかけにしたいとかって話?」

「定番だろ?」

「まぁな……」

 隆哉が未だに二、二、三機を残した敵のチームに無謀にも最後の一機で立ち向かう。

「特にカヌチャベイの部屋はあのレベルの高い女子四人が一つの部屋だぜ? しかも夢咲さんは語らずとも分かるレベルで失恋中。これは誰かさんのせいでな。藤堂さんも、夢咲さんとケンカした事件以来は浮いた話は無し。むしろケンカのせいで今はフリーだって誰でも知っている状態だな。そこにスポーツ万能でスタイル抜群な高梨さんと、家庭的で守ってあげたくなるようなタイプの大塚さん。まとまって同じ部屋に居るのをこれ幸いと、ワンチャン狙ってる男子諸君が、どうやってあの女子部屋に行くかって、もっぱら廊下で話してるくらいだぜ?」

 隆哉の言葉に、思わず頭の中で藤堂達に混じって他の男子と遊ばされる美桜を想像してしまった。きっと余所行きの笑顔で、鼻の下を伸ばした男子をあしらう所まで思い浮かぶ。それを思うと、ふっと鼻から笑いが出た。

「は、なんでお前今の話で笑ってんの?」

 隆哉がこちらを見てる間にカービィが吹っ飛ばされて落ちていく。プレイ画面では、そのままゲームセットが告げられた。

「いや、なんかその状況でも、美桜なら簡単に男子をあしらえそうだなって……」

 僕を見る隆哉の表情が険しくなった。

「何だよ、その自信……」

「え?」

「なんで夢咲さんが端からあしらうって言い切れんの?」

「だって……」

「なぁ、お前にフラれて、今の夢咲さんはフリーなんだぞ?」

 隆哉の言うことは最もだが、何かきっと美桜なら違うという思いが僕にはあった。そうやすやすと誰かに靡くとは思えないが、万が一……

「もし、仮に美桜にとって本当にいい人がいたなら、それでいいよ……」

「お前……マジで言ってる?」

 僕は頷くしかなかった。

「じゃあ、夢咲さんが他の男と一緒にいてもいいわけ?」

 僕よりも隆哉のほうが辛そうに尋ねてきた。

「まぁ……そりゃ別れてしばらくの間はそれも考えたし、想像するのすら辛かったけど……もう三週間も会ってないから。いい加減、諦めもついたんだ。いまさらそれを蒸し返しても……」

「諦め? そんなもん三週間程度でつかねーよ。自分に置き換えて考えたら、絶対無理だ!」

 隆哉は声を張り上げたが、僕は逆に冷静なままだった。

「タカは姉ちゃんのこと本当に好きなんだな……」

「はぁ? 何言ってんだよ  お前だって夢咲さんの事が好き過ぎたから離れること選んだんだろうが!?」

「えっ?」

 隆哉の言っている事が不思議なくらいストンと胸に落ちた。

『好き過ぎて離れる』

 あぁそうか、今の僕の状態を表すにはものすごくふさわしい言葉じゃないか。

 だってそれが相手の為になる事もあるはずだから……自分の好意を相手に押し付けるだけが真心の愛ではないはずだ。

 今まで、僕が離れる事を選んだからには、美桜をもう好きでいてはいけないと思っていたし、好きでいる資格すらないと思っていた。

 けれど僕が想うだけなら誰も咎めまい。例え歪んでいると人が言おうとも、例えそばにはいれずとも。それが僕の美桜に対する愛だって良いのではないか?

「ハル、お前はいつまでフリをしているんだ……」

「なんのだよ?」

「期待してるんだろ? 夢咲さんならそう簡単に他の男子に振り向かないって……」

「いや、それは期待とかじゃなくて事実だよ。あの子はそんなにコロコロ彼氏を変えられる女の子じゃない」

「いや、違うな。ハルは自信があるんだ。だから今も落ち着いて居られる」

「そもそも自信がないから別れたんじゃないか!」

「それはハルの言い訳に過ぎないな。そもそも本当に夢咲さんと距離を置きたいのであれば、事故でスマホが壊れたなんて伝える必要はないし、それであきらめて離れていってくれる方が都合がいいじゃないか!」

「そ、それは……せっかく電話くれたのに悪かったなって……」

 あぁ、焦れったいなぁ、と隆哉は頭を搔く。

「本当に会いたくない人間ならそんな事は思わねぇっての! とにかく、修学旅行に行って、実際会ってもう一度考えろ。そうじゃないと俺らまで辛い!」

 言い切る隆哉に僕は素朴な疑問をぶつけた。

「なぁ、タカ。藤堂さん達もだけど、なんでそこまでして僕と美桜のよりを戻させたいんだ?」

 真っ当な質問をしたつもりだったが、隆哉は呆れた表情をみせて、ため息を吐いた。

「本人は自覚なしかよ……いいか、お前達がふたりでいると、幸せオーラが出過ぎてんだよ。他の奴らに向ける顔とハッキリと違ってんじゃねぇか。特に夢咲さんのあんな緩みきった笑顔見せられたら……まぁ内田は可愛そうだけど、狙ってた連中からしたら轟沈する他ねぇべ?」

「え、そうなの?」

「ちなみにソースは高梨さんな」

 情報の出処に僕は肩を竦めた。

「はぁ……とにかく、みんなして僕らを仲直りさせたいって事は分かったよ。修学旅行はちゃんと行くし、美桜とももう一度話をする。よりを戻す戻さないは別としてだけど。これでいいんだろ?」

 隆哉は、うむ、と言って、満足げに頷いてから立ち上がった。

「それじゃ、荷造りしとけよな!」

「待って、タカ!」

 ゲームを片付け、隆哉が部屋を出て行こうとするのを、僕は思わず引き留めていた。なんだ? と言った彼がドアノブに手を掛けたまま振り向く。

「……僕はどうする事が正解だったんだろう?」

 真剣な一言だったのに、隆哉がぷっ、とばかりに吹き出した。

「そんなもん、人間関係に正解なんてないだろ」

「まぁ……そうだよな」

 隆哉がドアを開け、背中越しに一言だけ言った。

「そんなもんはな。ふたりで探せよ」

 僕だけの判断ではなく、誰かと一緒にこの先の未来の在り方を探す……

 今の僕と美桜にそれが出来るかはもうわからない。不安要素の方が何倍も大きい位だ。

 それでも僕は前の見えない霧の中から、何らかの光を見つけ出せた気がしていた。

 僕の部屋から立ち去ったばかりの親友に、僕は、ありがとう……とだけ心の中で呟いた。


「ちゃんと用意してんじゃん! まっ、ハルがいない修学旅行なんて嫌な思い出、俺に作るんじゃねぇってこったな!」

 次の日、僕の部屋に置かれたスーツケースを見て隆哉が笑いながらその日のノートを渡してきた。

 僕が行かないと、修学旅行が嫌な思い出になると言った隆哉の一言は、僕の背中を押す最後の決定打となった。

 木曜の夜までに荷造りを済ませて、隆哉とそのお母さんにスーツケースを託くす。

 なんだか落ち着かない土日を過ごし、月曜日に病院に行くと、まぁ大丈夫でしょう、と整形外科の医師に言われて、激しい運動はしない様にとのお達しの上でギプスも外された。そしていよいよ修学旅行の当日が訪れていた。



 僕は隆哉に連れられる様な格好で羽田空港へと向かう事になっていた。

 その日の関東圏内は秋雨前線の影響で肌寒い一日を迎えていたが、僕らの向かう先は南国沖縄だ。現地の天気予報は快晴で気温もかなり暑くなるらしい。

 今はまだ寒いので、一枚余分にマウンテンパーカーを羽織って家を出た。

 茅ヶ崎に着いて一目散に東海道線に乗り換えようとした僕は隆哉に一旦ストップを掛けられた。

「ちょっと待ち合わせしてるから、ここで待機だぜ」

 隆哉曰く、クラスメイトと改札のキヨスク横で待ち合わせているらしく、二人で並んで待つことになった。誰が来るかはお楽しみとか言っているが、だいたいの予想は付く。

 ちらほらと改札から入ってくる私服姿の同級生達を見掛けたが、東海道線のホームへと向かって歩いている彼らは、相模線側に立っていた僕達には気付かない様子だ。

 相模線も時間に余裕がある電車を選んでいたし、これも隆哉なりの配慮かもしれなかった。

「お待たせ~」

 赤と黒のチェック柄のシャツを着た親友が改札から手を振りながらこちらに向かって来る。どうやら隆哉の言う待ち人は浩介だったようだ。

「おはよう、コウ。てか、ずいぶん結構派手な出で立ちだけど、いつも私服ってそんなんだったっけ?」

「修学旅行って言ったらこれでしょ!」

 浩介曰く、好きなアーティストが修学旅行を模したファンクラブイベントをやっているらしく、その時は赤と黒のチェック柄のワイシャツを着るのがファンの間では定番らしい。

 言われてみれば僕が目覚ましにしているパンク・ロックのアーティストはそんなイベントをやってると浩介から聞いていた。

 だからと言って、本当の修学旅行にまでそれをやる彼の拘りに感心しながら、じゃあ行こうか、と言った僕を今度は二人が引き留めた。どうやら、まだ来る人がいるらしい。

 内田辺りを想像していたところ、おはよ~という女子の声と共に二人の少女が姿を現した。

 一人はいかにもギャル然とした格好をした藤堂だ。元の見た目が良い上に、派手目の化粧に、男子の目を惹くような肌色多めな格好でやってくる。他人のファッションに寒くないの? と聞くのはお節介だろうから流石に控える。

「ちょっと、百合香、待ち合わせしてるとか聞いてない!」

 藤堂に手を引かれながら連れられてきたのは、短めの白いトップスの上から同じ色の薄手のカーディガンを羽織って、デニムのショートパンツを履いた美少女だ。こちらは藤堂とは対称的な清純派を地で行くタイプ。だが、僕は彼女のこのコーディネートを知っている。

 ただでさえ久しぶりの再会だというのに、それを見た瞬間、急に鼻の辺りに熱いものが込み上げ、胸は痛い位に締め付けられた。

 予想外のタイミングで会ってしまった彼女。向こうもそれは同じらしく、表情にはまだ驚きと気まずさが見て取れた。

「お、おはよ……」

 消え入りそうな美桜の挨拶に僕は、うん、とだけ答えた。

「それじゃ行くか!」

 隆哉が先頭を切って歩き出す。

 浩介は藤堂に、派手なシャツ着てるから誰かと思った! とか親しげに言われていて、着るなら今日はアロハでしょ! なんて、隆哉にも軽いノリで突っ込まれていた。

 普通に楽しそうに会話している三人に、本当にいつの間にこのメンバーが仲良くなったんだ? とは思ってしまうが、僕のいない間のクラスでの出来事などわかりようもない。

「久しぶり……だね」

「うん……そうだね」

 会話に取り残される形になった美桜と僕は、それだけを交わして互いに俯き気味に並んで歩いた。喉元まで出かかった美桜の今日の服装の話は、結局言い出す事が出来ないままだった。

 通勤ラッシュ時の東海道線ホームに並び、駆け込んで来た電車に乗る。

 到着時はまだ幾分余裕があった車内に周りの人々が次々と乗り込み、やや混雑した状態になる。それでも、まだぎっしり詰め込まれている感じではない。

 僕のそばにいた美桜も、ドア横のスペースにうまく入り込むことが出来ていた。

 電車が駅を出ると、乗車率の増加を考えてか、車内の空調が回り始め、外にいた時よりも幾分肌寒くなって来た。薄手の格好の女子二人はやはり少し寒そうだ。

 会話を交わしているわけでは無いが、目の前の美桜もさっきブルっと身震いしていたので、沖縄に着いた時の事を考えた夏向けの薄手のカーディガンだけではやはり寒いのだろう。

「これ、羽織る?」

 僕は自分の着ていたマウンテンパーカーを脱いで美桜に差し出した。もちろん断られる覚悟でいたそれを、美桜はありがとう、と言って受け取ってくれた。

 ファッションセンスの良い彼女からしたら、異論が出そうなものだが、寒いのよりはましだろう。

 襟元をキュッと握って、半ば顔まで隠しているくらいだから、余程寒かったのかもしれない。

 車内の奥まで詰めていた隆哉がそれに気付いて、ニヤけた視線を向けて来たが、とりあえず流して無視を決め込む。

 次の駅まで行くと、同じドアから高梨や大塚といった美桜と仲の良い女子も乗り込んできた。きっとここも待ち合わせをしていたのだろう。

 しかしこの駅から通勤電車が本領を発揮し始め、後ろから来る人の波に揉まれた彼女らは、僕らとは離れて行く形になった。隆哉との間にも何人か人が入り込んで来て、せっかく待ち合わせたメンバーだが。離れ離れになってしまった。

 始めはそれをどうこう考えるつもりはなかったのだが、僕は横浜で京急線に乗り換えるまで、満員電車の中でも美桜に出来るだけスペースが保てるように努めていたのだった。


 羽田空港の国内線ターミナルの駅に着いて、美桜からは上着を返され、みんなで指定された集合場所に向かう。自分の上着から美桜の匂いと体温を感じ取れて、変な気分になりそうなのを僕は必死に堪えた。

 集合場所では、他のクラスの同級生たちから、停学中のやつがなんで来てるんだという目で見られたし、実際ヒソヒソと話す会話も聴こえてきた。

 それでも隆哉と浩介が肩に手を回しながら、気にすんな、と言ってくれたし、自分のクラスメイト達も旅行前にギプスが取れた事を一緒に喜んで、明るく迎え入れてくれた。

 飛行機の座席は右側の列の三人掛けの通路側だった。窓際に浩介、真ん中に隆哉、通路側に僕が座る。横の真ん中の四人掛けの列には今朝一緒に待ち合わせた四人の女子が並んでいる。僕がいない間にどれだけ気を回したのやら、通路を挟んで隣は美桜だった。

 僕を含めて飛行機初体験の生徒も多く、離陸時はどこからともなく、おぉ~、と歓声があがる。

 機長からの挨拶に修学旅行生の皆様という言葉が入ってくるあたり、ドラマみたいだなぁーなんて感想を抱きながらの空路が始まった。

 シートベルトの解除が許され、二時間四十分のフライトの間、僕らは浩介が大量に持ち込んだお菓子や、隆哉が持ってきたUNOなんかをしながらのんびりと過ごした。 隣では美桜たちも四人でトランプに興じているようだ。

 考えてみれば、カードゲームなんかはギプスがあったらかなり不便だっただろう。使っていなかった筋肉が衰えてしまったために、まだ幾分指先に動かしにくい所もあるが、ギリギリで外れてくれたのは本当に助かった。

 着陸時もどこからともなく拍手が沸き、僕らは正午過ぎに那覇空港に降り立った。

 バスに乗るために空港のバスターミナルへ出ると、南国の日差しと熱気か一気に押し寄せてくる。

「「暑っ!」」

 クラスメイトたちが口々にそう言って、女子の一部は日焼け止めを肌に塗り足していた。

 初日の予定はバスで首里城まで行き、城内観光と琉球王朝の歴史を勉強するだけだ。

 クラス単位で回るので、朝の待ち合わせていたメンバーにハイテンションな内田が加わった八人で固まって城内を周った。

 運動部の隆哉や内田は機内に持ち込んだお弁当やお菓子だけでは足りず、すぐに腹が減ったと言い出したので、自由時間は早速お土産屋さんで、ちんすこうやサーターアンダギー、紅芋ソフトなんかを食べたりして過ごした。

 女子もスイーツに喜んでいて、ワイワイと賑やかに南国の時間は流れていく。

 そうこうしているうちに、あっという間にホテルに向かう時間になり、またしばしバスに揺られた。

 チェックインしてから夕飯までに時間があったので、すぐ交代で三人とも風呂に入り、長旅の汗を流してから、宴会場で学年揃って沖縄料理を食べた。こうして修学旅行の一日目は何事もなく日程を消化した。

 行く前こそいろんな心配もしたが、優しいクラスメイト達にも支えられ、僕は感謝の気持ちでいっぱいのまま早めの床についたのだった。

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