第10話 速攻でバレました

 翌朝の空は曇り模様だった。秋の風に少し肌寒さを感じつつ、僕が自転車を駐輪場に停めていると、ちょうど美桜が同じタイミングでやって来た。

 僕を見つけると、パッと花が咲いたかのように微笑んで、おはよう、と言ってくれたので、おはようと返事をして、美桜が自転車に鍵を掛けるのを待つ。

「あっ、待っててくれたんだ」

 美桜はそう言うと、当たり前のように僕の横に並んだ。

「クラスまで一緒に行こうよ」

 僕のお誘いにニッコリと笑った美桜が、もちろん! と言って歩き出す。サラサラとした髪が風に靡いて、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。左右の三つ編みをゴムで結んだハーフアップの先端が、歩く度にぴょこぴょこと動いていてそれもまた可愛らしい。

「ちょっと気になったんだけどさ、朝起きてすぐ三つ編みを編むのって大変じゃない?」

「そう? こういうのって慣れだと思うけど、なんで?」

「いや、今朝は初めて自分でヘアワックス付けててさ。今まで自分の髪とかあんまり気にしてなかったから、ふと思ったんだよね。美桜の三つ編みってどうやって作るんだろう? ってさ」

「そう言えばちゃんとワックス買いに行ってたんだね。今の感じ、わたしは良いと思うよ!」

「ありがと。昨日送った帰りにドラッグストアに寄ってさ」

 僕は下駄箱から上履きを取り出す。美桜もそれに続いた。

「ハル、夢咲さん、おはよう」

 その声に振り向くと朝練を済ませた隆哉がやって来た。

「なに、いきなりふたりで登校?」

「いや、たまたまそこで会っただけ」

 ふーん、などと意味ありげな視線を寄越しつつ、隆哉も上履きに履き替える。

「で、何の話してたの?」

「あぁ、美桜の三つ編み編むのって結構大変そうだなぁーって」

「あ、そうだ、春樹くんも編んでみなよ!」

「えっ、この髪で?」

 自分の髪を触った僕に、隆哉がブッっと吹き出した。美桜もびっくりしたような表情をしてから、たまらないと言った感じで笑いだす。

「ちょっと、やめろよハル、変なの想像しちゃったじゃん」

「え、違った?」

 まだゲラゲラと笑っている隆哉に言うと、美桜は苦笑いをしながら提案した。

「そこはわたしの髪でやればいいじゃん!」

「あ、そっか。でも良いの?」

「だって好きなんでしょ  髪触るの」

「うぐっ否めない……」

「ハルは昔から黒髪ロング好きだし、おまけに脚フェチだからなー」

「ちょっと、タカ!」

「へぇ~、いいこと聞いちゃった。じゃあ一緒に遊びに行く時はショーパンかミニスカかな?」

「美桜まで!」

「えー、嫌なの?」

「他の男子の目を惹くだろ……」

「ハル、独占欲の強い男は嫌われるぞ?」

「うぐっ、今日のタカ、なんか風当り強くない?」

 そんな事を話していたら、あっという間に四階まで階段を昇り切っていた。Aからアルファベット順に並ぶ二年の教室前を歩いていると、B組に差し掛かった所で、僕らに気付いたクラスメイトの内田が、ズバババっとか、マンガなら擬音語が付きそうな勢いで駆け寄ってきた。

 隆哉といつもつるんでいる彼なので隆哉に用があるのかと思いきや、いきなり肩を組まれたのは僕の方だった。

「ねーねー東雲君さぁ、これはどういう事なのかなぁー」

「えっ、なんの話?」

 尋ねた僕に内田はすぐさまヘッドロックを仕掛けてきた。

「しらばっくれてもだめだぜ、ネタは上がってんだ。ほらほら白状せい!」

 ニヤニヤと笑い、ふざけながら締めている内田だが、やられている方は結構なレベルで苦しい。

「ちょっ、ギブギブ! 決まってる、マジ入ってるって!」

 苦しむ僕を傍観していた美男美女は、

「内田君って春樹くんと仲良かったっけ?」

「まぁ、俺と一緒にいるから……それなりに?」

「そっか!」

 なんて呑気なやり取りをしている。

「そっかじゃなくて、助けてよ……オエッ……」

 やっと解放され、ぜえぜえと肩で息をする僕を尻目に、隆哉は、どうしたんだよ朝から、と尋ねた。

「おはよう隆哉、ビッグスクープだ。とりあえず教室に来てみろよ」

 内田の言葉に三人して首を傾げた僕達は彼にに連れられてC組の教室に入った。

「ほら、黒板!」

 内田に言われて見た黒板には、それはたいそう大きな相合傘が書かれていた。

 名前の所は春樹と美桜。

 おまけに、僕がマクドナルドで美桜と談笑する写真まで貼ってある。

 こんなのは、中学生じゃあるまいに、とは思うが、『詰んだ』という言葉も同時に脳裏に浮かんだ。

 なんせ美桜には手を出してはならないと、このクラスの男子なら全員が理解している。

「で、噂の張本人さまのコメントは?」

 内田が騒いだ為に、僕が教室に入るや否や、ワラワラと男子が集まってきた。

「東雲、お前抜け駆けとはずるいぞ!」

「そうだそうだ、俺たちの見守り隊協定に反したな!」

「夢咲さんに手を出すとはけしからん、逮捕だ!」

「裁判は要らん!」

「有罪確定だ! 」

「ギルティだ!」

 どこまでが本気か分からないクラスメイト男子にいきなり囲まれ、隆哉にヘルプの視線を送るが、彼は肩をすくめるジェスチャーだけ返してきた。

「おい聞いてんのかよ、東雲!」

「説明しろよ!」

「話の如何によっては!」

 なおも言い寄る男子に一石を投じたのは、鈴を転がす様な女の子の声だった。

「待って!」

 大きな声量では無かったが、むさ苦しい野郎共の声に混じった彼女の声は、やたらとよく通って聞こえた。

 周りの男子を除けて、アッシュブラウンのロングヘアを靡かせた彼女が僕の右手を抱く。そしてたった一言だけ言い放った。

「わたしからだから!」

 一瞬にして周囲が静まり返った。

「春樹くん」

「はい?」


「…………」


 頬に暖かい感触があった。

「え?」

 僕が見つめた先で彼女はイタズラっ子のように笑った。

「「「うぇーえ!」」」

 その場に居た男子全員が声を上げた。事の成り行きを見守っていた女子のキャー! という悲鳴に似た声すら聞こえた。

 頬にキスをされた事を理解するまで、わずかながら時間を要した。驚きのあまり僕本人が何も言えない。

「え、もしかして夢咲さん?」

「か、髪型変えたんだ」

「一瞬、誰かと思った……」

 今になって美桜の存在に気付いた男子の視線が、一度は彼女に集中したが、すぐに僕の元へと戻って来た。そこには最大限に憤怒と嫉妬の念が含まれてである。

「あれ、春樹どん、朝からなにしたん?」

 そこにちょうど登校してきた浩介が、男子に囲われた僕を見て首を傾げた。

「たすけて」

 しかし、浩介は黒板の相合傘に気付くと、まっ、頑張れ、とだけ言って、そそくさと自分の席へ行ってしまった。

 裏切りものっ! と言った僕に、周囲から、裏切り者はお前だ! とばかりに総ツッコミが入り、美桜が離れた途端、僕は揉みくちゃにされるハメになった。

 クラスの男子の過半数を巻き込んだ騒ぎは、本鈴と共に後藤先生がやって来るまで続いたのだった。


 一限が終わると美桜がこちらにやって来た。

「春樹くんすごい事になってるよ?」

 差し出された美桜の手鏡で自分を見ると、せっかく朝からセットしてきた髪がボサボサになっていた。

「うわ、寝癖よりひでぇ……」

「そりゃ、春樹が夢咲さんに手を出した以上、仕方ないんじゃないか?」

 背後から浩介が言ってくる。

「まさかこんな早くバレるとは思わなかったけどな……」

「そうなの? わたしは予想してたけどね……」

 美桜の言葉に、え、マジ? と返すと彼女はコクコクと頷いた。

「だって、呼び出してそれでハイ終わりって、それじゃつまらないじゃない」

 小声で言った美桜が向けた視線の方を見ると、藤堂さん達がコソコソと何か話している。

 僕らの視線に気付いたのか、高梨さんが舌打ちをした。

 改めてまた話し始めたが、コソコソとしている風な割に声が大きいのは、あからさまな嫌味に違いない。

「見なよ、女子にハブかれてボッチになったら、今度は男子に媚び売ってさー」

「女の武器でも使った?」

「うわーないわぁ……」

「見た目が可愛きゃなんでもいいんじゃない?」

「いかにも私、清楚なんですーって感じにしちゃってさ」

 こちらまで、聞こえてきている容赦の無い言葉に美桜はため息をついた。きっとそのため息には色々なものが含まれているだろう。

 特にさっきチラリと目が合った大塚さんの事もだ。

 先日の話を聞いていたから気付けたのだが、彼女だけ申し訳なさそうな目をしていた。

「おりゃっ!」

 僕はきっと葛藤が綯い交ぜになっているだろう美桜の頭を、ガシガシと思いっきり撫でてやる。

「ちょ、やめて、髪ボサボサになってるじゃない、もぉ!」

「気にすんなって。それにいいじゃん、お揃いで」

 まだ手は止めない。

「もぅ、そっちは良くない!」

 そう言いつつ美桜は笑った。今の僕に出来るのはこれくらいだ。

「なぁ、お前ら後ろにいる俺に、砂糖でも吐かせたいの?」

「気にす、ん、な!」

「するわ!」

 僕と浩介をのやりとりの合間に、美桜は手ぐしで髪を整えていた。

 それ以降の休み時間、移動教室などでクラスを離れる時以外は美桜と浩介を入れた三人で話すようになった。

 朝の一件もあり、茶々を入れてくる男子もいたが、美桜が軽くあしらうものだから、夢咲の話はどうやら本気(本気と書いてマジと読む)らしい、とだんだんその数を減らしていった。


 昼休みになり、浩介とジュースの自販機の買い出しを掛けた、運命のジャンケンをしていると、移動教室から美桜が戻って来た。手をこねくり回して出す手を決める僕らに、何してるの? と訝しげに尋ねる。

「絶対に負けられ無い戦いがここにあるんだ」

 と言った僕を、あっそ、と軽く流した美桜は、一旦自分の席に戻り、お弁当を持って来る。

「「最初はグー、ジャンケンポン」」

 結果は僕はチョキ、浩介がパーで僕の勝ち。

「うぐ、さっきのスルーでメンタルやられてグーとみたのに」

「言い訳はいらんから、ハイこれ」

 浩介に二百円を渡すと、首を傾げられた。

「美桜のぶんもついでによろしく。僕はカルピスソーダのでかい缶で。美桜は何がいい?」

「えっ、いいの? じゃあミルクティーで」

「はいはい、じゃあ俺はちょっくら行ってくる」

 ポケットに小銭を入れた浩介は後ろ手に手を振りながら教室を出て行った。

 僕は自らの机を百八十度回して浩介の机とくっつけると、美桜も近くにあった椅子を借りてきてそこに座った。

「コウが来る前にひとつ聞いていい?」

 なに? と言った美桜に僕は後を続けた。

「朝、みんなに囲まれた時の事なんだけど……」

「あぁ……実は昨日から考えてたんだよね。もし、みんなにわたしたちが付き合い始めたのがバレたら、わたしからだよってアピールしようって。だって春樹くんものすごく物騒な事言うんだもん!」

「まぁ、いや……すごく嬉しかったです。恥ずかしかったけど」

「ちょっと、直接言われるとこっちまで恥ずいじゃん!」

 美桜がパタパタと手で顔を扇ぐ。

「あとね、わたしなりに宣戦布告かな」

 美桜はまた藤堂さん達を見た。

「それこそ物騒な物言いじゃないか?」

「だって、わたしと春樹くんがそのまま付き合ってしまうとかは予想外だったハズよ? 本来なら恥をかかせてそれでおしまいだったのよ。けど今のわたしは、春樹くんとの間をあの子達なんかに壊されたくないもの!」

「なぁ、美桜……」

 それだけの言葉で僕の心配は美桜に伝わったらしい。昨日の姉ちゃんでは無いが、美桜もふたりの関係をしっかり考えてくれていたのだろう。

「わたしは大丈夫、もうひとりじゃないから。その代わり、あの子達がなにかしてきても、靡いちゃダメだからね!」

 うん、と僕は頷いた。

 まだ付き合い始めて短い美桜だが、彼女はきっと凄く思慮深い女の子なんだと思う。僕は彼女が笑うと嬉しい、一緒にいると楽しい、離れたくないといった、感覚を頼りに美桜の隣にいた。けれど美桜はその先、きっとふたりのあり方まで考えてくれている。以前話していた美桜の言葉が蘇る。

『ちゃんと付き合うなら、もっとお互いの事を分かって、理解してから真剣に向き合いたいって思うんだけど。そんな恋愛感覚って、少女マンガの読み過ぎとか言われちゃうのかな?』

 そんな事はないと思う。きっと僕も美桜のことをもっと考えてあげなきゃいけない。それが出来なければ、僕に美桜の隣に居る権利は無い。

 僕は心の中でギュッとこぶしを握った。


 浩介が飲み物の缶を抱えて戻って来た所で、各々のお弁当箱を開き、おかずに箸をつけた。

「そう言えば、浩介ならもっとオーバーリアクションすると思ってたんだけど?」

「春樹は俺に何を求めてるんだい?」

 やれやれと肩を竦める浩介に美桜と顔を見合わせて笑う。

「俺たちロンリー同盟とか言ってたじゃないか」

「夏休みの間にとっくに破棄してるお?」

「「え?」」

 美桜とふたりして箸が止まった。

「ふたりしてそんなに驚くなんて失礼じゃない? 俺にだって彼女くらい出来るっての。いや、自分でもキモい萌え豚やってる自覚はあるけど」

「それはあるんだ」

「そこは身の程を弁えるのも大事だよ?」

 美桜と目を合わせると、彼女の言いたい事が察せられたので代弁する。

「僕は美桜に『僕なんか』って卑下するような事は言わないように、って怒られたんだ」

「あまりそういう事を言うのって、付き合ってる相手には失礼だからね」

「なるほどねぇ。まっ、向こうも女腐らせてるって自分で言ってるから、要は同類なんだ」

「あぁ……なんとなく察したわ。けど、わたし見てみたいな! 彼女さんの写メとか無いの?」

「そうだよ、僕だけ公開してるのはフェアじゃない」

「公開って、目の前でイチャついてる奴が言うか、それを……っと。あった、これかな」

 話しながら弄っていたスマホを浩介が差し出した。ふたりで覗き込むと、映し出されていたのは、見覚えのあるような無いようなキャラクターのコスプレをした、コスプレイヤーさんだった。

「腐女子でレイヤーさんかよ!」

 やたら浩介が素直に見せると思ったら、モロに男装コスである。それはもう完全にメイクが施されているし、加工もされているのであろう。これでは元の姿の想像すらままならない。

「あ、このキャラ友達が好きなやつじゃん!」

「夢咲さんの友達に腐女子がいる事の方が俺には驚きだよ」

「そう? 中学の頃の友達だけどねー」

 昼休みはそんな和やかな会話と共に過ぎていった。

 今まで浩介と二人で話して過ごしていた時間に、美桜というスパイスが加わる事で会話に広がりが出来た。美桜が中学時代の友人の影響で、そっちの話題にも抵抗がなかったのも大きな要因だ。なんかこういうのも悪くないな……僕はこの時そう思っていた。

 

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