第07話 ~戦うことで感じるもの~

 ザザザザザ、とでも言うべきかのような攻防戦。


 死と死を賭けた命がけの戦いがそこには繰り広げられて……る訳ではなく。


 わたしは変な踊りをしているみたいに逃げ惑っていました。


「わっ、ちょ。え、ええぇぇ。ま、待って。ひゃっ!? わわわわっ」


 背中から転ばない様に必死に横へジャンプ。


 それと同時にわたしがさっきまで立っていた場所を何かが駆け抜けていって。


『背後から来るぞ! とにかく落ち着くんだ!!』


「そ、そんなこと言われても無理だってばぁ」


 情けない声だなんて自分でもわかってるけれど。


 こんな大変なものだってなんて聞いてなかったんだよぉ!!


 木々が密集し、地面もデコボコでとても歩きにくい場所の中。


 わたしはとても死にそうな気持ちで体を動かし続けます。


 必死に相手と対峙して。


 グルルルルルル……。と低い唸り声を上げるソレは。


 獰猛な赤い眼つきと全身を真っ黒な体表に覆われていて。


 明らかにわたしを殺そうとする殺意が放っていて……。


 そんな様子を見てどうしようもなく思うんだ。


「って、これ絶対に倒しても食べられないよね!? この子動物じゃないよね!?」


『こんな時でも食べ物のことなのか!? 魔獣を食べられるわけなかろうが!!』


 ううううぅぅぅ。


 だってお父さんイグニス言ってたもん!


 わたしがお肉食べるの手伝ってくれるって言ってたよ!!


『その練習の一つがこれなのだからまずは落ち着けと言っておるだろう! っ。来るぞ!!』


「ひゃっ!! あ……」


 そう思った時にはもう何もかも遅くて。


 黒い獣――犬のカタチをした魔獣は前足を振りかぶった姿勢でわたしの眼前まで迫ってきてて。


 恐怖に駆られたわたしはどうすることも出来なくて。


 とっさに目を瞑ってしまいました。


 だけど。


『……最初はこんなものだな。こうなることはある意味必然でもあるか』


 何時まで経ってもわたしに衝撃は来なくて。


 頭の中に響いてくるお父さんイグニスの落ち着いた声だけが聞こえてくる。


 だからわたしはそっと目を開けてみました。


 するとそこには何もいなくて。


 ううん。違う。


 


 だってほら。


 わたしの足元には黒い結晶みたいな石が転がっていて。


 そこから同じく黒い煙みたいな靄が立ち上っているから。


 でも何が起きたのかはさっぱり分からなくて。


 わたし、助かったのかな?


「えっと。何が起こったの?」


『いかに魔獣とはいえ、クーを傷つけさせる訳があるまいよ。我が守っているのだから気負う必要はなく落ち着いて行動しろと言ったであろう?』


 こうしてわたしの初めての戦いは。


 というか戦いとは呼べない代物だったんだけど。


 幕を閉じたのでした。



「ううっ。頑張るって言ったのに何もできなかったよ」


 全力で逃げ惑ってしまったことと。


 長時間歩いていたせいもあって。


 休憩がてら川辺にあった大きな岩の上に膝を抱えて座り込みます。


 そもそもはわたしからお願いしたことだったのに。


 逃げてばかりで何もできなかったなぁ。


 こんなことじゃお父さんイグニスにも落胆されちゃうのに……。


『む? 何をそんなに落ち込んでいるんだ』


「だってお肉が食べたいわたしの為にお父さんイグニスが色々アドバイスくれたのに何もできなかったから」


 湖へと歩き出して既に二日経っていて。


 その合間に食べる食事は相変わらずおさかなさんか果物、野草のどれかだったから。


 ついつい何度もお肉が食べたいと愚痴を零したわたしにお父さんイグニスが取った行動。


 それはほとんど常時放っていた威圧を切ってわたしに行動させるということでした。


 威圧がなくなったわたしはこの森の中では当然葱を背負った鴨みたいなもので。背負ってるのは葱じゃなくて卵なんだけどね。


 焼けたおさかなの匂いだったり、甘い果物の匂いも相まってか。


 そう間もない内に一匹の黒い獣が現れた訳で。


 生まれて初めて動物がわたしに近寄ってくれたんだけど。


 その子は明らかにわたしを敵視していて。


 っていうか、どうみても動物じゃなくて。


 え、これ食べられるの!? と思っていたら結局何も出来なくて恐怖のあまり逃げることしか出来なかったのです。


 あうぅ。本当わたしって駄目だなぁ。


『ふむ。何か勘違いしている様だな。我はそもそもクーがいきなり獣を倒せるとは思っていないのだが? だから我が倒しても何の影響もない魔獣を引き寄せたのだからな』


「ふえっ? えぇ。どういうことなの?」


 お肉を食べられるんじゃなかったの?


 お父さんイグニスが倒しちゃうとさっきみたいに消し炭も残らないと思うんだけどなぁ。


『いや、ちょっと待て。そもそも魔獣は食べられないってことは知っているよな?』


「…………。え。食べられないの?」


 お肉が食べられないの?


 うぅぅ、お肉が食べたいのに……。


『待て待て待て。少し色々と待ってくれ。魔物はいいとして、さすがに魔獣と獣の違いぐらい知っていると思っていたんだが』


「魔獣ってただ怖い存在なんじゃないの? 動物……獣との違いは魔石を持っているかいないかだと思ってたんだけど」


 身体の中に魔石を宿した存在が魔獣で。


 それ以外は普通の動物を変わらない存在だと私は思っていたんだけどな。


『なるほどな。君が大いに間違っていることが分かったよ。君が思っているソレは魔獣ではなく魔物の一種だな』


「うー???」



 お父さんイグニスがわたしに分かりやすく教えてくれたんだけど。


 まず、普通の獣。犬とか猫とか鼠や兎。猪や鳥、牛、馬、羊もそうかな。


 そういった通常の動物とは全く違う存在となるものが魔石を宿した生物。


 といっても宿したっていう表現も少し違うらしくて。


 さっきわたしと相対した黒い犬のカタチをした魔獣もそうなんだけど。


 魔獣という存在は厳密に言うと生物でもないらしいんだよね。


 この世界には魔素といった魔力に似た力が存在していて。


 本来魔素は人間種には決して宿らない力で。逆に毒みたいなものだね。


 へたに身体の中に取り入れてしまうと体内で魔素が暴走しちゃうから。


 そんな魔素が凝縮された塊が魔石と呼ばれる結晶みたいな石のことで。


 魔石は微弱ながらも意志を持っているそうなんだ。


 その意志を持った魔石が更に周囲の魔素を纏わりつかせた存在――それが魔獣。


 実体はあるんだけどその全てが魔素だけで出来ている存在が魔獣と呼ばれるものなんだそうです。


「あ。だからさっきわたしに襲い掛かってきた魔獣はお父さんイグニスの炎で魔素が消し飛んだってことなの?」


『その通りだな。理解が早くて我も嬉しいぞ』


 そっか。そっか。


 魔素の塊だったんだねぇ。


 え。ちょっと待って。


 ということは。


「お肉食べれないじゃん!! わたしが倒せてても纏ってた魔素が消失して魔石だけになるってことなんだよね!?」


『いや、その通りなのだが。……クーよ。気持ちは分かるが肉から一旦離れてくれないか? 話が進まないのだ』


「ううぅぅぅ。だってお肉が。お肉が食べたいんだよぉ」


 自分でも何でこんなにお肉が食べたいのか分からない程に渇望してるんだよ。


 孤児院にいるときだって年に何回かしかお肉を食べる機会なんてなかったのに。


『まぁ、それはもしかすると我のせいでもあるかもしれなくてだな……』


 衝撃の事実でした。


 これはお父さんイグニスの想像になるんだけど。


 存在がはっきりしたお父さんイグニスを宿したわたしは体の中に溢れるお父さんイグニスの力が全身を循環する様になったおかげで血流含めた栄養素の消費が前よりも格段に増えているみたいなんです。


 その結果、血肉の源となるお肉を身体が欲しているかもしれないとのことで……。


 えーと。


 つまり?


「わたしってこれから一気に成長するかもしれないの?」


『ああ。確実とは言えないが、我の力の影響でクー自身の成長も促進させているかもしれないのだ』


 なんていうことでしょう。


 ものすごく嬉しいかも。


 わたし10歳なのに。見た目が6歳の子供と間違われることだってあったのに。


 背が大きくなれる。胸も大きくなれる。


 こんなに嬉しい事ないよ?


 む。だからお肉を食べないと。


 お肉がわたしの成長を待っているんだよ!!


 お肉お肉お肉お肉お肉お肉お肉お肉お肉お肉お肉………………。


『だから少し待てと言っているだろう? 前にも言ったが今のクーでは動く標的を炎で狙っても当たらないだろうに』


「あぅ。でも、お父さんイグニスは威圧を切って獣が近寄ってくれるようにしてくれたんじゃないの?」


『最終的にはその答えになるが、最初の目的としては違うな』


 えっと……?


『まあ、分からなくて仕方のないことだが。君は初めての戦闘でよもや臆することなく勝利出来ると思っていたのか? それはさすがに自意識過剰だと思うぞ』


「そ、それは。わたしも勝てるとは思ってなかったけど。でも、どうにかして倒したいと思ったんだよ?」


『その意気込みは我も嬉しく思うが。だが、結果としては君の中には何が残った? 襲い掛かってくる存在に対する恐怖。だから君は何もできなかった。逃げるしか出来なかった。違うか?』


「あう……」


 お父さんイグニスの言う通りだ。


 わたしは怖かった。


 明らかに私を殺そうとする視線。


 濃厚に漂ってくる死の気配。あれが殺気というものなのかな。


 確かにわたしはお肉が食べたかったよ。


 その為にはお肉になる存在――その動物を殺す必要があることも分かってる。


 だけど覚悟がなかったのかな。


 結果として、相手は魔獣だったから最初からお肉は食べることが出来なかったけど。


 わたしは何もできなかった。ただ、必死に逃げるしか出来なかった。


 だけど、そんなわたしにお父さんイグニスは。


『それは当たり前のことだと思うが? 最初に言ったではないか。何か勘違いをしていると。さっきのやり取りでクーは何も間違ったことはしていないぞ。大体本来ならクーの様な子供を魔獣の前に出して誰が倒せと言ったりするものか』


「ええぇぇぇぇ。もう訳が分からないよ」


『そう落ち込むな。君は恐怖を知ったのだろう? 我にとってはそれは喜ばしいことだと思うがな』


「恐怖が喜んでいいものなの?」


『その通りだ』



 恐怖無くして人は長生きできない。


 お父さんイグニス自身が昔誰かから聞いた言葉だそうで。


 人は恐怖することで慎重さを得る生物なのだと。


 恐怖することで。恐怖した相手を知り。そして克服することで成長していく。


 恐怖せずにただ慢心した存在は何時か討たれて死んでしまう。


 だから大いに恐怖せよ。だが、その恐怖に決して飲まれてはいけない。


 恐怖に飲み込まれてしまえば。それはもう人ではない別の存在なのだから。



『もしも君が。あの時怖がりもせずに我の炎で魔獣を倒していたら。我はもう君の父親を名乗ることが出来なかったであろうな』


「え……」


『君がそうでなくとも。そんな存在は必ず何時か力に溺れて道を外してしまうものだ。我は今までそのような存在を幾つも見てきたからな』


 お父さんイグニスの言葉には何も言い返せない重みがあって。


 暫くは風と川の流れる音だけ聴きながら時間が流れていくのを感じました。



 長いようで短い時間が過ぎて。


 お父さんイグニスがわたしを諭すように言いました。


『我が言えることはまずはそれだけだな。恐怖を使いこなすんだ。決して飲まれることなく。そして決して慢心することなく。落ち着いて物事を見極める。それが出来たのならすぐにでも肉など食べきれぬほど手に入るだろうよ』


 さっきの戦闘で私がパニックになってしまったのも恐怖があったから。


 落ち着いて行動する。


 言葉では簡単に言えるけど。


 行動に移すのはやっぱり勇気がいるのも確かなことで。


『だからこそ。これからも少しづつ魔獣と戦ていくことで慣れていくしかないのだよ。だから頑張れ。我の娘なのだろう? それぐらいのこと簡単に出来て笑顔で肉を食べればいいのさ』


 えへへ。お父さんイグニスの娘、か。


 そんなこと言われたら頑張るしかないよね。


「うん。わたし頑張るよ!!」


『よし。だったらまだ日が落ちない内にあと少なくとも3回は魔獣と戦うことにしようか。いや5回がいいか?』


「ふえっ!? もうちょっとゆっくりでもわたしは大丈夫かなって思うんだけど!!」


『我の娘が何を腑抜けたことを言うのやら。はっはっは。頑張れ頑張れ』


 笑い事じゃないよぉ。


 そんなお父さんイグニスはやっぱりスパルタで。


 しっかりとわたしを見てくれる。


 わたしに出来ること。出来ないことを理解してくれるお父さんイグニスのことをわたしはどんどん好きになっていくのでした。

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