第二十四話 青い服の姉御は反抗する

 既に日付は超えているだろう時刻。降りしきる雨音が窓を通り越して聞こえてくる。いまだ降りは強いようだ。

 ――仮に外に逃げても暗闇とぬかるみじゃあ動く事もままならないだろうねぇ。

 ライラはため息をついた。

 服があった部屋の隅にはご丁寧に下着も揃っていた。下着はサラサラな素材で、ライラが見た中では一番上等な布だ。再びため息をつきながら、濡れている下着も全て替え、胸元で紐を結び、ワンピースを着終えた。股がスースーする感覚に、気持ちも落ち着かない。

 ――結婚してからは、スカートなんてはいてなかったしねぇ

 仄かな明かりの中、ライラは執務室の姿見の鏡で今の自分の状態を確認する。

 ――ひどいもんだ。

 濡れてしまった頭はぼさぼさ。疲労と緊張からか、目の周りが窪んで見えた。胸元の布は余り気味。似合わない、とライラはげんなりした。

 ――こんなのバーンズ君が見たら幻滅するだろうな。

 肩を落とし、更にげんなりした。

 盛大な溜息を聞き取ったのか、扉がノックされた。

 着替え終わったと返事をすれば、スッと扉が開く。

「なかなか似合っていますね。今晩はその格好で休んでください」

 ライラの姿を確認して、第一声がこれだった。ライラには嫌味にしか聞こえない。

「……こんなバサバサした格好じゃ落ち着かないよ」

 ライラはスカートの裾をつまみ上げた。わかりやすい不服の表現だ。

「力ずくという手もありますが」

「……分かったよ」

 にべもなくイエレンに言われてはライラも逆らえない。三度目のため息をつくのだった。

「ここでは休めないので、二階へ行きます」

「はいはい、どこにでも連れてってくれ」

「もう少し女性らしい言葉づかいはできませんか?」

「あいにく〝女性〟は家に置いてきた。取りに帰らせてもらえれば、らしく振る舞えるけど?」

 イエレンはそんなライラを一瞥すると、踵を返し扉へと向かってしまう。ライラは四度目のため息をついた。


 ライラはイエレンの数歩あと歩いている。彼の手に持つランプだけが明かりだ。彼の体が影になってしまい、ライラの周囲は暗いが、偶然足元だけは照らされている。

 強制的に連れまわされ、その行く先が死刑台のようにも思えて、寒気を感じずにはいられない。ライラは自らの身体を抱くように、腕を交差させた。

 先程の酔った兵士がたむろする部屋を通る。アルコールでいい気になっている兵士の視線がライラに集まった。

「ははは、先生がになってるぜ」

「おー、これなら

「ガハハ!」

 ――こいつら……

 囃したてる兵士に、奥歯を噛みしめるライラ。これから行く部屋で何をされるのかを想像してしまい、悪寒がさらに強くなる。背中も腕も、粟立てしまっていた。

 塔とは違う出口を経て階段を上っていく。一歩一歩が死刑台へと向かうようで、足も体も重い。頭も重く、鈍い痛みが襲っている。

 ――落ち着け。

 ライラは大きく頭を振り、ネガティブな至高を追い払おうとした。

 階段を上り、廊下を少し歩いた先の扉へ、イエレンは消えた。ライラは躊躇しながらもついていく。入った部屋は来客と会談する部屋なのか、ソファと低いテーブルがひと揃え置かれており、壁には似つかわしくも絵画がある。それなりの立場の人物が利用するんだと直感できた。

 イエレンはライラにソファを指し示すと、自らは窓際へ手をついた。

「さて、バーンズからどこまで話を聞いてしまったのかを確認させてもらいましょうか」

「どこまでと言われても――」

「あぁ、ではこちらからの質問に答えてくれれば結構」

 いい淀むライラを遮り、イエレンは冷たく言い切った。恐ろしく事務的で、彼の性格をよく反映している物言いだった。

「悪魔の薬について、聞きましたか?」

「……そんな薬があるってのは聞いた」

「コトリネが原材料だと?」

「……それも聞いた」

「なるほど。一通りは説明したようですね。では彼自身のことは?」

 言葉を選んで答えるライラに、イエレンの目が細まり、その奥の瞳が恐れの色を帯びた気がした。彼もバーンズの出自が分からないことに、何か引っかかりを思えているのだろう。

 騎士ではないと確認できたが、当初は騎士としてレゲンダに来ることを知らされたわけだ。一緒にいる時が多かったが、バーンズは自分の事は語らなかった。ライラが尋ねなかったせいもあるが、率先して話すこともなかったのは事実だ。

 そのこともあり、ライラは力なく頭に左右に振った。

「その様子では、何も知らないようですね。良いでしょう。我々が調べた範囲のことを教えてあげましょう」

 ライラを憐れむかのように、イエレンがわずかに口角を揚げた。

「彼は騎士伯の次男で、騎士団に属していたことは確かです」

 やっぱり貴族かと、ライラの胸は締め付けられるように痛んだ。

 騎士伯とは一代限りではあるが、貴族の末席に加わる事の許された平民である。

 立場は平民に近いが、あの端麗な容姿からは、ライラが横にいれば当然身分違いだと判断されるだろう。

「如何な理由で騎士団を退団したのかは不明ですが、今の彼はただの騎士泊の次男でしかありません。レゲンダに騒動を起こそうとするならば、統治している我々はその動きを見過ごすわけにはいきません」

 イエレンはそう言い切る。だがライラはイエレの言う内容に、もろ手を挙げるつもりはなかった。

 バーンズが真面目なことは疑いようもない。へラッと笑うとしても。チャラい男のようにライラに迫ってきても、だ。

 だがイエレンは違う。彼は確信的に犠牲を認めている。

 何かをすれば犠牲になる人が出るのは、仕方がないことかもしれない。もちろん、そんな犠牲などない方が良い。でも出てしまうのが現実だ。

 だから、その犠牲となってしまった人たちに、手を差し伸べてほしいと思った。バーンズは、そんな犠牲になりつつある自分を、真偽は別として、守ると言ってくれた。

 騎士ではないと言われてしまったバーンズだが、彼を助ける方が、ライラにとっては正しいことのように思えた。

 薬を用いて人を陥れることは、到底理解できないし、そんな手段を用いるような思想にも賛同はできない。さらに犠牲となっている子女のことなど、イエレンの頭の片隅にも感じられないことが決定的だった。

「だからバーンズ君を追い返すって言いたのかい?」

「彼には手ぶらで王都に帰ってもらいます」

 窓際で壁に背を預けるイエレンが冷たく言う。

「……あたしを人質にしてかい?」

「えぇ、彼は貴女に入れ込んでいるようなので」

 ククっとイエレンが含んだ。バーンズを馬鹿にされたようでカッとなりそうだったが、ライラは堪えた。ここで噴火してしまうことも、バーンズを貶めてしまうように思えたのだ。

 なんだかんだで、ライラは彼に惹かれている。良い男に言い寄られれば悪い気はしないだろうが、ライラはそんなことでは靡かない。惹かれたのはバーンズに魅力があったからだ。

 行動に品があるが、どこか子供っぽい仕草。真っ直ぐに何かを見つめる青い瞳。負の感情を一掃するようなへらっとした笑顔。

 届かない想いだろうがそんなことは関係ない。バーンズのお荷物になるのは、御免だった。

「ふん、アイツは王都に帰る人間だ。あたしに入れ込んでるのはあんたたちをおびき出すための演技さ。まんまと引っかかったのはイエレン、あんたさ!」

 自分は人質足りえない。刃物が刺さるような胸の痛みを乗り越え、ライラはそう叫んだ。

「……それにね、アイツは手ぶらじゃ王都には帰れないんだよ」

 多分ね、とライラが呟くと同時に、部屋の外から野太い悲鳴が無遠慮に入り込んできた。

「騒がしい。酒の呑み過ぎだ」

 イエレンが忌々しそうに呟いた。

「なんだこいつら!」

「ぎゃぁっ!」

 階下から兵士の叫び声と何がを殴るような低い音が聞こえてくる。ガシャンバキンと物が壊れる音も響き渡る。ライラもイエレンもその音の探るべく扉を見た。

 ――まさかバーンズ君? でもこいつって?

 来てほしいとは思っていたバーンズは単身だったはずだ。だが不在時に自宅に新しいベッドが置かれていたことを考えると、彼にも仲間がいた可能性もある。

「……不測の事態です」

 舌打ちしたイエレンがライラの腕を掴み扉の外へぐいと引っ張っていく。スカートに苦戦しながら、ライラは部屋を出て廊下を階段へ連れていかれる。だがその階段から姿を現したのは、騎士服ではないバーンズだった。

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