第十七話 落ち込む騎士はすぐ笑う

 寝室には真新しい木の衝立が用意され、元あったライラのベッドと勝手に運び込まれたバーンズのベッドを完全に仕切っていた。

 ライラとバーンズがエルダーの店に行っている間に運び込まれ、しれっと鎮座しているのだ。

 さすがにこれはないだろうと抗議したライラだが、時間も時間だったが、こともあろうにバーンズが宿を引き払ってしまったと聞き、項垂れながらも承諾したのだった。

 ――今日はずっと一緒に行動してたのに、いつ宿を引き払ったんだ?

 ライラのそんな疑問は闇に葬り去られた。

 広いとは言えない部屋に、寄り添うようにベッドがふたつ。遮るものは衝立のみ。その隔てられたベッドには、それぞれライラとバーンズが寝っころがっている。


 夜も更け、明かりは頼りなく天井からぶら下がる小さなランプのみ。ちょうど衝立の真上にあるランプの中の油が切れれば闇に包まれる。

 肌を重ねたことがあるとはいえ、バーンズが傍にいるという異常事態に、すやすやと寝られることができるほどライラも豪胆ではない。むしろ襲われるのではという不安を抱えている。

 ライラは女性だ。バーンズに力で迫られれば押し倒されてしまうだろう。そんなことはないとライラは信じたいが、壁ドンをしてくるバーンズが襲ってこない確証はない。

 ――若さ丸出しで盛った猫みたいだったからなぁ。

 不安を打ち消したい思考に浸っている内に、あの夜の記憶までも掘り起こしてしまったライラは悶々と衝立を睨んでいた。

「はぁ」

 だが衝立の向こうから聞こえてくるのはため息ばかりだった。

 エルダーの店に行ってからバーンズが落ち込んでいたのは見ているので、ライラも気にはしている。その落ち込みようが、ライラの感じている以上であるのが気がかりだった。

「ふぅ」

 はぁ、から、ふぅ、に変わったところでため息には違いない。ライラは薄暗い中、衝立の向こうに意識を向けた。

「どうしたんだい。バーンズ君らしくないねぇ。確かに今日はミューズに先を越されちゃったけど、職人の居場所は手に入れたわけだし、収穫がなかったわけじゃないんだよ」

 ライラはたまらず声をかけたが応答はない。若いバーンズは挫折に慣れてないのかも、とライラは感じた。

  ――若くして騎士になるくらい有能なのか、良いところの出なのか知らないけど。そういや年齢を聞いてないね。

  ミューズに出し抜かれたことを気にしているのか落ち込んでいるバーンズが気になって仕方がない。抜けているようなへらっとしたあの顔が伏せ目がちしているなど、あまり見たくはないライラだ。

 あーもーどーしよーと、乙女の心などとうに置き去りにしてきた年齢なのに、もだもだとライラは悩んだ。悩んだ末に言い訳を見つけた。

 ――仕方がない、おねえさんが一肌脱いであげよう。

 といっても物理的に脱ぐつもりはさらさらないライラだ。よっこいせとベッドから立ち上がり衝立の脇をすり抜ける。すると仰向けに寝て薄暗い部屋の天井をぼんやりと眺めているバーンズが目に入った。暗くて表情は見えないが、冴えない顔になっているんだろうとライラが感じるほど、空気が重い。

「起きてる?」

 バーンズがわずかに顔を動かす気配がした。

「……あれ、ライラさん、どうしました?」

 一瞬、戸惑ったように声を詰まらせながらも、バーンズが普通に答えてくる。ライラの声が耳に入っていなかったようで、そのことがバーンズの抱えている問題が深いことを示していた。

 ライラは「重症だなぁ」と小さく息を吐いた。

「バーンズ君が落ち込んでるからお姉さんが話でも聞いてあげようかと思ってさ。悩みがあったら外に吐き出してごらんよ。少しは楽になるよ」

 ニッと口に弧を描いたライラはバーンズの頭の横に腰をおろした。ライラのベッドよりは柔らかいのか、ふにっとお尻が沈み込み、バーンズの頭も揺れる。

「いえ、大丈夫ですよ。僕が落ち込んでるように見えます?」

「何かが気になっちゃってあたしの声も耳に入ってなかったみたいだけど?」

 強がりの笑みを浮かべるバーンズの頭にそっと手をやったライラが、ポンポンと優しくたたく。薄暗い中、バーンズの碧い瞳がくりっと向きを変えライラを捕らえた後、その視線を逸らした。

 頼りなさげな明るさが取り柄のバーンズ君らしくないなぁ、とライラは心でぼやいた。

「いまなら特別にお姉さんが悩みを聞いてしんぜよう。こんなことはなかなかないぞ?」

 促すように、ライラはまたポンポンと頭を叩く。バーンズの青い瞳の視線と絡まるが、その綺麗な目を閉じれらてしまった。頑固に拒否するバーンズに内心呆れながらもライラは諦めずに言葉を促す。

「そう考え込まれてもね、あたしも困るんだ。バーンズ君とミューズ閣下。どっちに勝って欲しいかと言えばね、君が勝つ方が、あたし的にもまだましなのさ」

 ライラの言葉に、ふっとバーンズの目が開いた。

「いまとなっちゃあたしの意志なんて関係なく物事が動いちゃって、どうしたっていい結果にはなりそうもないんだ。ミューズが逃げ切ったらあたしには監視がついて飼い殺しだろうし。そうなったら酒も飲みに行けやしない。まだバーンズ君が勝ってくれた方が、あたしには救いなんだけどねえ」

 ライラは大げさにため息をこぼしつつ、バーンズから視線をずらした。


 バーンズがここレゲンダで頼っているのはライラだけなのだ。ミューズはその邪魔をするためにライラを引き入れようとしている。

 ふたりの男に取り合いされているライラだが、実際はありがたくない取り合いだった。もはや自身の意志など考慮もされず、ただ事態の推移を見守っていることしかできないのだ。

 であれば、なるべくましな方に転がしたいと思うのが人間である。ライラとしては、後妻にすると言ったミューズに引き取られて自由をなくすよりは、住民の非難を受けることになるかもしれないが、バーンズについた方がましだった。

 仮に真実を知ったがゆえにレゲンダから連れ去られても、医師として生きては行けるだろうし、酒も飲めるだろう、と。

 それに、あてにしているわけではないが、バーンズは〝守る〟と言った。騎士が言ったのだから、と駄々をこねてみる価値もあるだろう、という打算もある。王都の事は良く知らないが、騎士なんだからそれなりの地位があるだろ、というライラの勝手な思い込みでもあるのだが。

「それについては申し訳なく……」

 むくりと上半身を起こしたバーンズが、濁しながら呟いた。即座に振り返ったライラは彼の鼻をつまむ。

「やっと起きたかい」

 驚いて青い瞳を大きくしたバーンズに、ライラはつまんだ鼻をむにむにと左右に動かす。

「君が何に思い悩んでるのか知らないけどさ、このままじゃあたしも枕を高くして寝られないんだよ」

 言いながら、鼻をむにむにする。

「もうバーンズ君とは運命共同体なんだよ、あたしは。ミューズに逃げ切られたらあたしは今後お酒が飲めないじゃないか。お酒のない人生なんか真っ暗で、あたしはごめんだよ」

 内容はともかくとして、ライラは真面目にそう思っている。色々と失い諦めた結果、残ったのが煙管と酒なのだ。それを取り上げられたら、ライラは楽しみがなくなってしまう。

 それだけは勘弁と、バーンズを気遣う気持ちとは別に、切に思っている。

 ライラが語る内容が予想の斜め上なのか、バーンズの目は、あからさまにきょとんとしていた。

 そして鼻声で笑い出した。

「あはは、そうですよね。ライラさんが困っちゃうんじゃ、僕が頑張らないといけないですよね」

 鼻声のバーンズがへらっと笑った。

「頑張ったらご褒美もらえるんなら、僕、頑張っちゃうんですけど」

 ライラは眉を歪めながらバーンズを見つめた。彼の青い瞳は期待にきらきらと光っているように見える。

「……何がご希望なのかな、バーンズ君」

「ご褒美はライラさんで!」

 満面の笑顔のバーンズを見て、ライラは肺の中を空にするため息を吐いた。

「……十年早い!」

「あいててて、引っ張らないでください! 鼻がもげちゃいます!」

「もげたら施術で縫い付けるから問題ない」

「施術はちょっと……」

「まぁ、きちんと片づけられたら考え――」

「――言質は取りましたからね!」

 本気で喜んでいるとしか思えないバーンズを見て、ライラは肩の力が抜けるのを感じた。

 ――心配したあたしが間違ってたのか?

 心の内を見せないバーンズに、抜けの良いお仕置きのデコピンの音が響いた。

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