第十三話 訳知り顔の怖いヤツ

「あー、昼前に行きたいところがあるんだ。薬の問屋はその後でもいいかい?」

 コトコトと木皿を鳴らし朝食の片づけをしているライラは、同じく部屋の掃除をしているバーンズに声をかけた。

 バーンズがコトリネの入手ルートを調べたいというので、ライラが一緒に訪ねることにしたのだ。

 そのバーンズはライラができない力仕事をやらされていた。四年でため込んだゴミが入った大きな布の袋を重そうに引きずっていた。

「えぇ、良いですよ。ライラさんの行くところなら、どこへでもお供いたしますよ」

 バーンズは額の汗をぬぐい、白い歯をキラリと光らせる。

「騎士様をお連れできるようなところじゃないからあたしひとりで行くよ」

「そんな訳にはいきません。貴女をお守りすると、騎士として誓いましたから」

 ニカリと笑うバーンズに一切の陰は見られない。本心から言っているのだとは感じるものの、ライラは「そうかい」と軽く受け流す。

 心の奥底ではバーンズに裏切られたことがショックだった。

「騎士の誓いは、そんなに軽いものじゃないんですよ?」

 どさっと袋を床に置いたバーンズがライラに向かって歩いてくる。皿を洗って濡れている手を取られ、ライラは狼狽した。

 バーンズはそのまま身体ごとライラに迫ってくる。避けようと後ずさると壁に背が当たり、挟まれてしまう。バーンズの両腕がトンと壁にあてられ、ライラは完全に包囲されてしまった。

 ぐっと顔を近づけられ、息がかかりそうな位置にバーンズの端正な顔がくる。

「バーンズ君、ちょっと、近いんじゃない?」

「本当はこれくらいの距離で守りたいんですけど?」

「いや、これじゃなにもできないってば」

 少し上から見詰めてくる目の前の碧い瞳は逃がしてくれそうにない。

 ――数日前から、ちょっとおかしくない?

 そんなことを考えていたライラのおとがいにバーンズの指がかけられ、くいっと上を向かされる。心臓がドクリと大きく跳ねた。

「こういうことなら、できますけど」

「ちょ、ちょっと待ちなさいって!」

 バーンズの顔がさらに迫り、唇が触れそうになった時、ドンドンと戸を叩く音が邪魔をした。

「あ、ちょっと待って! 今いく!」

 しめたとばかりにライラは身をかがめバーンズの包囲網から脱出し、玄関の戸に向かった。

 ふぅ、と肩を落とすバーンズを置き去りにして。


 ライラは私服でもパンツルックだ。麻色のゆったり目のズボンにシャツとチョッキという、まさに男装だ。

「似合いますね」

 バーンズに笑顔を向けられ、ライラは微妙な心境だった。

 男前と言われるは嫌いだが、だからといってスカートは履かない。邪魔にならないようにと短く切った髪型にスカートが似合わないのだ。

 似合うという褒め言葉は女には見えない、と遠回しに言っているようなものだからだ。

「まぁ、ありがとうと言っておくよ」

「……ライラさんは可愛いですよ」

 男装を褒められたと思い不機嫌に舵を切り始めていたライラは、笑顔でしれっと言い切るバーンズを睨んだ。

 バカにされていると思ったからだ。

「阿婆擦れなあたしは本気にしないけど、ここレゲンダらは純朴なんだから、誰彼かまわず言わないでほしいね」

 ライラはふいっと顔をそむけ、スタスタと歩き始めた。

「あ、ちょっと待ってくださいよ!」

 慌てて追いかけてくるバーンズの足音を聞きながら、やっぱりこいつは分からない、と頭の中を埋めつくすモジャモジャな感情に困っていた。


 ライラとバーンズは家屋の密集地帯から離れ、さらにレゲンダの外周部へと足を進めた。

 過密だった建物も徐々に少なくなり、空き地が目立つようになったさびしげな場所に、その大きめの木造の建物はあった。

 壊れそうな木の柵で囲ってある敷地は広いと感じるが、そこは耕されて畑のようになっているばかりで庭ではない。

 採光用の窓は多いが、たてつけが悪いのか戸が斜めになってしまっている。建物も古いのか一部が剥がれていたり腐って崩れている。二階建てだがその二階には行きたくないと思うほどだ。

 ちょっとした廃屋。

 そんな建物に、ライラは用事があった。

「ここ、ですか?」

 バーンズが建物を凝視している。ただ訝しんでいる様子はなく、なんだろうか?と不思議に思っているような表情だ。

 ライラは彼の顔から、気を悪くしてはいないであろうことに、ちょっと安心した。

「ここはね、レゲンダで唯一の孤児院なんだよ」

 ライラはそう言って頬を緩ませた。そして歩きはじめる。

「孤児院ですか」

「身寄りのない子供が何人かいてね。年寄りが何人かで世話してるんだよ」

 ライラとバーンズは入り口と思われる朽ちた扉の前に来た。今にも取っ手がもげそうで握るのも躊躇してしまうほどだ。

 その奥からは「なんだよー」「返して!」という姦しい子供の声が聞こえてくる。

「元気ですね」

 バーンズの呟きに、ライラは「元気なのはいいことさ」と返した。斜めに取付らてた扉を黙ってあけ、中に入る。

 扉の向こうは五人ほどの人が入れば満員な小さな玄関ホールで、奥にこれまた古ぼけた扉がある。元気な声はそこから漏れてきていた。

 ライラはずかずかとその扉を開けた。

「よーーし、おねーちゃんが来たぞ。怪我とかしてないか~」

 ライラは姦しい声に負けないよう張り上げ、中に入る。バーンズもすかさず後に続いた。

 大きめの部屋にボロのソファーとテーブルセット。椅子は小さめで三つある。あばら家の見かけから比べると格段に整った部屋に、五歳くらいの子供が三人と大人がふたりいた。

「あ、ライラせんせー」

「おねーちゃん!」

「あ、その人だれ?」

 男の子ふたりに女の子ひとりがライラに気がついたが、その内ひとりはバーンズを見て目を丸くしている。

「おやライラちゃん。もう診察の日だっけ?」

 子供たちの背後にいた大人の内、麻色の服を着て頭に白い布を巻いた老婆が驚いているが、ライラはその隣にいるミューズを見て驚いた。

「あれ、参謀閣下がなんでここに?」

「……お前がここに給金の大半をつぎ込んでいるのを知らないとでも思っていたのか?」

 ライラに問われたミューズが片眉をあげ面倒くさそうに返した。ミューズはいつもの深緑の折り襟に軍服姿だった。鋭い翠の目と同じように尖った気配を纏っている。

「あら、ばれてた」

「……軍医の給金は軍属の中でも上の方なのにお前の家がアレでは、どこかに消えていると考えるのが普通だろう?」

「貯めてるとか考えないのかい?」

「……そうする前に酒代に消えているんじゃないか?」

 ライラと会話をしているはずのミューズの視線はバーンズに向いていた。そのバーンズは焦っているように見える。それが演技なのか本性なのか、ライラには測り兼ねた。

「ライラちゃんは毎月子供たちへの寄付と診察をしてくれてるんですよ」

 子供たちの面倒を見ている老婆はミューズに補足をした。ミューズは視線をライラに戻し「お前らしいな」と表情を和らげた。

 ライラ的には周囲を射殺さんとするミューズの顔しか記憶にない。緩んだ顔を初めて見たといっていい。

 怖いイメージだったが、笑えば男前で魅力あふれる渋い中年に見えた。

 ちょっとだけ、ありだな、と思ったライラだが、それをぶち壊す一撃が襲う。

「寄付と診察は大いに結構だが、自分の生活も考えた方が良いぞ?」

「参謀閣下。そうは言うけどねぇ、寄付をしないとこの三人を生活させていくのは大変なんだ」

「お前が倒れたらそれも危ういのだぞ?」

「うぐ……」

 正当性を主張したがあっさりと撃退され、ライラは唸った。

「そうよライラちゃん。参謀さんとお話をしていたんだけど、今度から軍部が補助してくださることになったのよ。だからライラちゃんは稼いだお金は自分で使っても大丈夫だからね」

「え……?」

 老婆が諭すようににっこりと向けてくる笑顔を、ライラはその通りに受け取ることができなかった。

「あぁ、お前が金銭的補助をしていることを耳に挟んでな。ただでさえ医師として頑張っているお前に、これ以上負担をかけさせるわけにはいかんよ」

 ミューズの目が優しさに、ライラの耳が熱を持つ。動揺を隠せないライラにバーンズも気になるが、ちょうど子供たちの突進を受け、手が離せない状況だった。

「ライラちゃんも幸せを掴みに行っても良いんだからね?」

「うむ、そのことについてだが、どうだ、わしの後妻にでも入らんか? 男鰥おとこやもめはなかなか寂しくてな」

「あら、参謀さんはライラちゃんを狙ってらしたんですか?」

「ライラは子供に受けもよく、しかも器量よしだが、放っておくと何をするかわからんからな。近くにいれば安心できる」

 ははっと笑うミューズが、妙に魅力的に見えてしまい、ライラの胸が大きく跳ねてしまう。

 落ち着いた男の風格だろうか。

 ギリアムとは違う、ライラの知らない男の魅力に、ほんの少しだけ、ぐらついた。

「ちょっと、勝手に決めないでくれるかな!」

「はは、そうだな。だが、私は本気だぞ?」

 ミューズが口許を緩ませているが、その目は元の猛禽類に戻った。それは、ライラを獲物として見定めた、目だった。

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