第九話 化けの皮のまた、化けの皮
早く帰りたい時に限って誰かに捕まる。人生ままならないと、ライラは思った。
一日の終わりの鐘を聞いたライラを待ち受けていたのは、にっこり笑顔のバーンズだった。ケイシーたちがいるにもかかわらず、堂々と診療室に入ってきた。事もあろうに診察のための椅子にちゃっかり座ったのだ。
横目でにやけるケイシーらをシッシと追い払ったライラは目の前のバーンズに向かい合った。
「……悪いのは頭かい?」
「いえ、今日はゆっくり休ませていただいたので、そこは絶好調です」
眠さもあって半目のライラが睨むもバーンズは気にしていないようだ。ライラの苛つきもますます強くなるばかりだ。
――なんでこう君はあたしをイラつかせるのかねぇ。
徹夜で看病をしたというのにヒドイじゃないか、と顔に書いて見せてやりたいとライラは思った。
さっきの指先の口づけといい、煙管を横取りした件といい、恨みでもあるのかと疑ってしまうのも無理はない。
そんなライラの気持ちなど全く考慮していないバーンズの笑みである。
「ライラさん、明日はお休みですよね? お詫びに夕食をご馳走しますよ。あ、もちろんお酒なんかも」
お酒と聞いてライラの耳がピコンと動いた。尻尾があればぶんぶんと大きく振れていただろう。ちょっとだけ、バーンズに対する嫌悪感が削がれた。
「……あたしは安酒は呑まない主義でね」
だがライラは平静を見せるために眼鏡のブリッジをくいっと上げた。
ライラは年上だ。自分を安くは売らない。
眠気と上等な酒を天秤にかけ、あくまで自分に合わせるように仕向けた。
「ご心配なく。経費として計上しますので」
「……ずいぶんと
「こう見えても一切を任されてるんですよ?」
片眉をあげ疑問を呈するライラにも、バーンズの笑みは崩れない。その自信はどこから来るのか、と呆れてしまうライラだった。
だがいい酒を呑めるというのは魅力的だった。扱いと行動に問題はあるが、目の前のイイ男をつまみに酒を呑むのもオツなものだ。
「そうかい。じゃあご馳走になるとするよ」
煙管のこともあり、ライラはあっさりと誘いを受けた。
ランプを片手に建物に寄りかかり、ライラは夜風に吹かれていた。酒であったまった身体を撫でるように抜ける風が心地よかった。
おまけに口には煙管だ。吐き出す煙が風に流され、白い帯を作っていた。
――あぁ、一週間ぶりの煙草は、旨いねぇ……酒も美味しかった。後はぐっすり寝られればあたしは幸せさ。
とろんとした目のライラは、しみじみと、煙草のおいしさを味わっていた。食後の一服も合間って極上の味だった。
「ライラさん、家まで送りますよ」
そんな幸せな時間をぶち壊すバーンズの言葉にライラの額には深いしわがよった。
「あたしならひとりで帰れるから大丈夫さ」
「こう見えても僕は騎士ですよ? 夜に女性ひとりで歩かせるをことはできません」
ランプを持ったバーンズがひょっこりとライラの前に現れた。ランプで照らされた彼の顔は、やっぱり童話の中の王子様のように整っていた。
「騎士って言ったって、バーンズ君は剣も持ってないじゃないか」
ライラはバーンズの腰のあたりに目をやった。彼はレゲンダで見たときから帯剣していなかった。騎士が来る、という前情報で騎士と判断できたが、それらしい格好は詰襟の騎士服だけだ。
ミューズあたりが治安を理由に剣を取り上げた可能性も考えられるが、騎士であるバーンズがそうやすやすと手放すとは考えにくい。
ライラに関係のあることではないのだが、危ないから送っていくと言われても、自身を守れないような護衛ではいなくても同じだ、と思ってしまう。
そんな疑問の視線を感じ取ったのか、バーンズが苦笑いに浮かべた。
「ちゃんと持ってますよ。だた、ちょっと短いですけどね」
そういったバーンズは、胸あたりのボタンを外し、短剣を取り出した。凝った意匠ではないが、使いやすそうで、しかも持ち手にはかなり使い込んだ跡もみられる短剣だった。
くるくると掌で回転させ、ポンっと弾ませ宙に浮かせた短剣をぱしっと掴む。
バーンズの流れる動作に、ライラは「ほぇー」と感嘆の声をあげてしまった。
「意外に騎士っぽいじゃないか」
「まぁ、騎士ですから、一応」
嫌味でなく本気でそう思ったライラに、バーンズも苦笑しっぱなしだ。騎士の面目丸つぶれだろう。
初めて会った時に酔っぱらっていては、そんな面目など、はなっからありはしないのだが。
「寝不足に酔いまで加わって倒れられてしまったら僕は悲しいですよ」
「……そんな言葉は若い娘にかけてあげるんだね」
「ライラさんも十分若いと思いますよ?」
「バーンズ君。それはイヤミかい? それともあてこすりかい?」
ジャキンとライラの目が座った。眼鏡の奥の目が新月直前まで細められる。
見た目も年齢もバーンズの方が若く見られるのは間違いないだろうし、事実若いだろう。彼が何歳かなど知る必要もないし知りたくもない。とライラは腹を立てた。
せっかくいい気分で煙草をふかしていたのに全て台無しにされてしまった。
「ふん、あたしは帰るよ」
煙管を口に咥え、不機嫌に鼻を鳴らし踵を返した。すたすたと早歩きでその場を離れそうとした。
――帰って寝よう。こんな時は寝るに限るんだ。
ちょっとお嬢様な扱いを受けたがためにバーンズを気にしてしまった自分に、どうにも腹が立っていた。
――自分はただの軍医。しかも歳もいった
レゲンダでは十六歳になると成人扱いで結婚できる。大抵の女性は二十歳までには相手を見つけて結婚しており、ライラも例外ではなかった。
現在二十八歳のライラは、初婚ではないにしろ、産める子も少ない。同じような年齢の男性は、ほぼ相手がいることある。目に留まるとしても妻に先立だれた男性が後妻を求めている場合が多いのだ。
軍医でそれなりに忙しいライラは独りで良いと考えている。
「あ、待ってくださいって!」
背後から追いかけてくる声にもライラは振り向かない。煙管をふかして闇夜に染まったレゲンダの街を足早に歩いていく。
家から漏れてくるランプの光が羨ましくも見えるときもあるが、まだギリアムという夫が心に根を張っているのだ、と言い聞かせた。
ギリアムと死に別れて四年。狭いレゲンダの街では、新しい出会いもない。
ライラは独りという道を歩いていた。
「そんなに急がなくってもいいじゃないすか」
沈んだ感情に溺れたいたライラをむんずと現実に引き戻したのは、罪悪感を微塵も感じていないような、バーンズの声だった。
無遠慮に土足で乗り込んできて、首根っこを掴んで猫を扱うように運んでいく。
ライラは立ち止まり彼の方に顔を向けた。
「……君は幸せな性格をしているねぇ」
「えぇ、よく言われます」
バーンズは嫌味にもにっこりと笑顔を返してくる。ライラは彼がわからなくなってしまった。
気が付けばレゲンダの中心にある診療所を通り過ぎ、木造の家々が身を寄せあう区画に入っていた。建てつけの怪しい長屋の壁からわずかな明かりが漏れている。
道幅も狭く、闇になる部分が多くここは、パッと見で治安がいいところ、とは言えない区画だ。
裕福な家はないだろうと予想されるこの一角にライラの家はある。
平屋で、それほど古くはないが質素で飾り気のない建物。それがライラの住んでいる家だ。
その家の、ちょっと傾きかけている扉の前に立ったライラが振り返る。
「バーンズ君、送ってくれたお礼は言うよ。ありがとう」
ライラは表面上、笑みを繕った。一応は護衛の騎士として送ってくれたことになる。
ランプに照らされたバーンズの顔も、やはり笑みが浮かんでいた。
「ちょっと相談があるんです」
あらかじめ外してあったのだろう胸元から、先ほど見た短剣がまた、姿を表した。その短剣はバーンズの右手にすとんと収まり、刃がライラの首筋にあてられる。
ヒンヤリとした気配がその剣から伝わり、ライラの首筋につーっと汗が流れ落ちた。
軍医として刃物は見慣れているが、突きつけられたことはないし、首にあてられたこともない。
足元から闇に浸食されるような恐怖を、ライラは感じた。
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