ストライクアップ エピソード1~2

乃木ちひろ

エピソード1 雪白ラプソディ

第1話 12月31日

 モナリス国は冬を迎えていた。とはいえ国の南部に位置するここ、バースの街は一年を通して温暖な気候で、さほどの寒さではない。


 のはずなんだけど、今朝は布団から出るのがつらかったぁ。ランニングをすれば顔がピリピリするような冷たさだった。吐き出す息は白く、かじかんだ手を擦り合わせる。


 10km走って充分過ぎるほど暖まった後、すぐに戦闘訓練だ。

 呼吸を整える。鼓動が速いのは走ったからではなく、緊張。わきの下は既に冷たくなっている。


「どっからでも来な」

「はいっ!」

 構えたわたしに正対するのは先輩のヒースだ。軽く腰を落としているが上半身は楽にしている。


 よし…!


 じりじり間合いを詰め、ひざ内側を狙った蹴りから入る。

 1対1の戦闘訓練はもちろんそれだけで緊張するのだけど、これは試験だから尚のことだ。


 蹴りから間髪いれずに鳩尾みぞおち狙いの突き。だがあっさり払われる。

「今の蹴りは何だぁ⁉︎本気でやれっつったろ!」

「はい!」


 今度は外側からひざを狙う。ヒースは脚を引き上げ太腿ふとももでガードした。

「全然当たりがなってねぇ!ヒットの瞬間力込めるんだよ!」

 頭ではわかってる。けど、どう攻めどう守り考えながら並行して足の先まで神経使って体を動かすなんて、もう追いつかない!


「ホレ行くぞ!」

 親切に前置きしてヒースの足が飛んでくる。ガードしても痛い!でもきっと3割くらいの力だろう。


「いつまでボーっとしてんだ!すぐ攻めんだよ!」

 そうだった、相手が攻撃に出た瞬間のすきを逃しちゃいけないんだ!でもさすがに彼の体にはきがない。


「もういっちょ!」

 今度は肩とひじで向かってくる。どうする?一瞬迷った間にわたしは重たい痛みと共に吹っ飛ばされた。


 マズイ!すぐ起きろ!

 地面に転がりながらもヒースの姿を見失わないようにする。体制を整えて起き上がった目の前にくつ!けど、これは予測していたからしっかりガード。


 実際打たれた事はないけど、むちで打たれたような痛みとはこんな感じなのかな。骨の芯まで響いて腕が動かなくなる。

 でも次!


 奥歯を噛み締めて地面を蹴り、低い姿勢から渾身こんしんの体当たり!わたし結構重たいと思うんだけど、きたえ方が違うよね、半歩下がったくらいで彼はびくともしなかった。


「マズイぞー」

 なんとも気の抜けた応援をしてくれたのはベテラン医療班のラッセルだ。


 わかってます!ぶつかりながら右手で腰のナイフを抜き、横にぐ。しかしその手首をつかまれ、あっと思ったときには上と下が逆になり、地面に転がっていた。


 っつー!!背中からいったものだから息が出来ないくらい痛い。腰から頭にかけてジーンとしてしばらくもだえることしかできなかった。


「まあ、悪くはなかったな」

 そう言って、グレイヴ隊長が綺麗なブルーの目でわたしをのぞきこんだ。

「じゃあ…」

「合格だ」

 胸がいっぱいになる。安心したらまた痛みがうち返してきて、両目の端から涙が伝った。


「泣くな!」

「ずびばぜん!」


 だって、一人だけ不合格だったらってずっと不安だったんだもん。新兵同士の戦闘訓練でも一度も勝ったことがないし、わたしなんかが戦闘で役に立てる日は一生来ないんじゃないかと思う。


「ったく、いつまで転がってんだ。今の振り返りすんぞ」

 差し出されたヒースの手を握ると引き起こされる。

「メグ!やったな!」

 同じ新兵のレクサスは心底嬉しそうな顔をしてくれている。


 わたし、メグ・リアスが医療班の新兵としてこの第7支部基地に配属になって、半年が過ぎようとしていた。


 我がモナリス国では、国土を首都と8つの支部にエリア分けして軍が守備体制を敷いている。おおざっぱに例えると、ひし形のような形をした国土のほぼ中央に首都イルムがあって、そこから放射状に8つに分割したのが支部という感じ。数字が大きくなるほど辺境へんきょうと言われている。


 わたしが配属になった第7支部は、首都から見て南西のエリアにあり、二つの国に国境を接している。バースという街を拠点としている緑豊かなところだ。


 100年以上前に大陸の覇者となった隣国バロンヌが太平の世を築いて以来、モナリス国は戦争をせず平和が続いているため、昨今では軍事費は削減され志願者も減り、慢性的な人手不足に陥っている。


 とはいえ、いつの時代も現場の過酷かこくさに変わりはなく、医療班であっても兵士と同じように訓練する必要がある。戦時中のように、野戦病院で医療処置だけやっていればいいわけじゃないのが現状なんだ。


 わたしの隊長であるグレイヴ隊長は特に訓練が厳しい鬼隊長として有名で、その実力は基地内でも5本の指に入る。わたしたちだけでなく、全体の武術指導を任されている一人だ。


 最初の頃はついて行けなくて毎日吐いた。疲れ過ぎてご飯を食べる気になれなかったもんね。敵を倒し生還するためには必要な訓練だと分かっていても、鬼隊長をうらんだものだ。実際辞めてしまった人も少なくない。


 今日は12月31日。半年間の締めくくりとして、新兵には効果測定が課せられていた。


 1週間前には医療班としての試験もあり、こちらもすんなりとはいかなかった。医長に叱られ、隊長や指導官のラッセルにも迷惑をかけてしまったんだ…。追試とレポートを再提出して何とか合格点はもらえたけれど、今でもヘコんでいる。


 そんな中で苦手の武術試験だったんだ。これでダメだったら、今まで教えてくれたヒースや隊長に合わせる顔がないし、情けなさすぎる。だから1回で合格できて心底ホッとした。


「メグッ、お疲れ!」

 宿舎でシャワーを浴び、髪を拭いていると、ノックしてきたのはリサだった。ドアを開けると赤毛を束ねた小柄な姿が現れる。


「どうだった?」

「うん、合格できたよ」

「おめでとー!ねっ、大丈夫だったでしょ」


 彼女はわたしと同じ医療班の新兵だ。国立医療学校からの同期でもあり、わたしより少しお姉さんで、同じ第7支部配属になってからいつもこうして気にかけてくれる。


「最初から上手くいかなくたって、そんなの当たり前だよ。気にすることないって。ここまで頑張ってこれたんだよ?」


 リサは医療学校では学年で一位、二位を争う優秀な学生だったんだ。わたしのような後ろから数えた方が早い人とは比べ物にならない。だから学生時代はちょっと敬遠していたけれど、今では何でも話せる仲になった。


 …やっぱり、向いてないのかな。


 最近、時間が余るとそんなことを考えてしまう。

「武術が苦手でもリサは外科処置が得意でしょ?わたしはそれも苦手だし、かといってなにか取り柄があるわけでもないし…」


 自分が血や臓物を見るのが苦手だというのに気付いたのは、医療学校に入学して半年後、実習で手術に立ち会った時だった。手術室を飛び出したわたしは滝のように吐いてそのまま卒倒したらしい。これって医療班として致命的でしょ?


「あー、また暗いこと言う!どんな仕事だって目に見える範囲が全てじゃないし、いつ開花するか分からないから諦めないことだって、この間グレイヴ隊長に言われたでしょ?ほら、行こうよ」


 両手を腰に当てふくれたような表情で言われたので、わたしは笑顔を作って髪をとかした。金に近い明るい色のショートヘアなので、すぐに終わる。


 リサは体は細身で小さいけれど、いつも勝気で努力家で、男の新兵にも引けを取らないし、先輩とも堂々と渡り合っている。

 

 わたしには無い面をたくさん持っている彼女がうらやましいし、いつもこうして励ましてくれて本当に感謝している。自慢の親友であり、リサがいなかったら間違いなく辞めていたと思うんだ。


 今夜は年越しまで飲もうということになっている。場所はいつもの『エクスカリバー』。基地の近くにある居酒屋で、安くて美味くてボリュームあり!の三拍子そろったありがたいお店。わたしたちを含め行きつけにしている軍人は多い。


 5分ほどで着くと、狭い店は既にごった返していた。当たり前だがほとんどが男である。女性軍人は全体の二割にも満たない。


「よく来たわね。みんな奥にいるわよ」

 そんなわけでわたしたちは顔と名前をすぐに覚えてもらえたんだ。ちょうど入り口近くのテーブルにビールジョッキをドンドン!と運んできた女将さんが教えてくれる。


 店の一番奥、その角に置かれた大テーブルを十名ほどの見知った男が囲んで既に宴会は始まっていた。

「おっ、メグリサが来たぞ。おい席空けろ。二人ともここ座れよ」


 呼んでくれたのはヒースだ。黒い髪を短く刈り上げ、くっきりとした太い眉に力強い黒の瞳が輝いている。上背は高くないものの、ガッチリとした筋肉質な体型だ。わたしにとっては一番近い先輩で、入隊してから直接的なことをいろいろ教えてくれたのは彼だ。


 わたしたちはカウンターでビールを受け取ると空けてくれた場所に座った。

「じゃっ、お前らは半年だけど、1年間お疲れ!」

「お疲れ様でーす!」


 この人たちにとっては既に何回目かわからない乾杯なんだろうが、見事に杯が乾かされていく。確かに冷たくておいしいのでグイグイいきたくなる。


「二人とも、武術試験は一発で合格してよかったな」

 医療班としてわたしたちの指導官であるラッセルの言葉に、顔を見合わせてうなずいた。くりくりの茶色のくせ毛にいかにも人のよさそうなたれ目、穏やかな顔と小柄な体型という見た目に反して、武術面でも高いスキルを持つ稀有けうな人材だ。


「合格してくんなきゃ困るのはこっちなんすけどね」

 ヒースとラッセルは、グレイヴ隊長が赴任ふにんする以前から同じ隊でチームを組んでいる。


「新兵の頃のことなんて、辛かったって記憶しか残ってないからな。よく頑張ってると思うよ」

 なんて優しい指導官なんだ…。乾いた心に染み入るようで、思わずウルっときてしまった。


「オレも頑張ってるんすけど!」

 横から入ってきたのはレクサス。彼は一般兵で、この中で最年少だ。黒い髪に茶色の瞳で、ひょろっとした体形に日焼けした肌をしている。

 今日も酒はあまり飲まず、ガツガツ食べる方に注力しているようだ。


「お前みたいなバカは戦うしかねえだろ。自分は医療班だからって戦闘訓練には積極的じゃない奴の方が多いんだ。その点メグリサはえらいなって言ってんだよ」

 ヒースにボカッとはたかれると、「頭の違いかぁ…」と再び肉にがっついた。


 そんなことないよ。頭なんてちっとも良くないし。あんたのちょっと空気が読めない明るさには何度も救われてきたんだから。


「けど成長ぶりは認めてやるよ」

 ニヤッとヒースに言われると、彼もニヤッと応じた。


 今日の効果測定、レクサスの相手もヒースだったんだけど、いい勝負だったんだよね!最後は経験の差で負けてしまったけど、ヒースだって8割方の力は出していたと思う。


毎日ヒースに転がされ隊長の強さに感化され、勤務外でもトレーニングしているんだった。その成果に違いない。

 すごいなあ、みんな努力しているんだよね。わたしはどうだろうか。


 向いてないとか取り柄がないとか、そういう事を言う前に努力しているのかと問われたら、自信が無い。努力しない自分から逃げる言い訳にしかすぎないという気持ちもある。


 平和な時代、仕事は他にも選べる。軍人はそうはいかないけれど、同じ仕事で別の職場を選ぶことだってできる。それでもみんなここにいる理由は何なのだろう。


「メグ、また何か考えてるでしょ。ほらほら今日は飲んで飲んで!」

 リサにはお見通しみたい。ビールのおかわりを握らされた。すると、入り口から運動着姿のグレイヴ隊長が現れた。


「隊長遅いっすよ!いつまで走ってるんすか」

「悪いな。ジャックの子供が産まれたんで、途中寄り道してた」

「もう産まれたんですか!?早いですね」


 ジャックとは、リサの隊長。奥さんが産気づいたと昼過ぎに連絡があり、急いで帰っていったばかりだ。

「二人目は男の子だ。母子ともに元気そうだったよ」

 隣のテーブルから椅子を一つ引き寄せて隊長は腰かけた。


 軍人としてこの人以上の人をわたしは知らない。茶色の短髪に頰を削ぎ落としかのような精悍せいかんな顔立ちで、冷たい感じのする綺麗なブルーの大きな目が印象的だ。

 国立士官学校卒の将校で、前任は特殊部隊の副隊長。今は第7支部が誇る鬼隊長である。


 隊長のストイックさは神のごとし。毎日仕事の前後にはトレーニングを欠かさないし、食生活や体調管理にも気を遣っていて、プロ意識がとても高い。身体能力の高さとあらゆる武術における強さは折り紙つきで、その体力は底なしだ。


 だからどんなに厳しくてもみんなついていくんだよ、と最初の頃にヒースが教えてくれた。オレも未だに怒鳴られてばかりだけど、と付け加えてね。


 弱音など一切感じさせない背中で、軍人の鑑のような生活をしている人で、仕事に向かう姿勢は尊敬に値する。けれど、人付き合いはあまり好きじゃないみたいだ。わたしが言うのもなんだけど女っ気がなく、今日だってヒースに散々「必ず来てくださいよ!!」って念押しされていた。


 隊長にはビールではなく、牛乳とヨーグルトと大豆加工品などを混ぜた特製プロテインドリンクが運ばれてきた。店側もいつも用意してくれるんだから面白いよね。


「隊長、お願いします!」

 わたしたちもジョッキを片手に隊長を見つめた。


「今年1年間、訓練と任務についてきてくれたことに感謝する。来年も怪我けがの無いよう、またこうして全員が生きてそろうよう願って、良い年にしよう。乾杯!」

「乾杯ー!」

「ジャック隊長おめでとー!」


 それからのことはよく覚えていない。朝気づくと宿舎の自分のベッドで寝ていて、リサが起こしにきた。


 どうやらわたしは飲みつぶれたらしく、隊長が部屋まで運んでくれ、リサが鍵を閉めたのだと。

 毛穴が逆立つのをわたしは感じた。

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