やぎゅうひめ!

甘味亭太丸

第1話 お転婆二人

 さて、今からざっと四百年ぐらいは昔の事です。

 日本がまだ江戸時代と呼ばれていた頃、大きな戦も終わり、この日の本(日本)にもやっと平和な時代、いわゆる天下泰平が訪れようとしていた時のお話。

 柳生やぎゅうと呼ばれるとても強い剣術家のもとに、それは大層お転婆な二人の姉妹がいたとの事。

 女の子だけど、木刀片手に剣の修行、それはもうとっても強くて近所の男の子だって敵わないぐらいに強かったのです。

 なんでそんなに強いかだって?

 それはね……?


 ***


 慶安けいあん四年(一六五一年)、二月半ば、まだまだ寒い冬の空気が残っている時の事です。


「待ってよぅ、お松姉ちゃん」

「遅いよ、お竹。そんなんじゃ、稽古にならないじゃない!」


 突然だけど、私、お松と、妹のお竹はとある神社の境内、その奥へと走っていた。

 神社は奈良にある天石立あまのたていし神社といって、とってもふるーい所。

 私たち本当は江戸に住んでいたのだけど、色々あって今はお父様の実家である奈良に帰ってきていたのです。


 そして、この天石立神社は私たちのひいお爺様が小さい頃から剣の修行をしていた所だって聞いている。

 ごつごつとした岩や石がたくさん転がっていて、その周りを大きな木が覆いかぶさったように生えていて、そのおかげか夏でもとっても涼しい所。

 でも、ちょっと薄暗くて少しだけ怖い……神社の境内のはずなのに手入れとか全然してないみたいで不思議。

 そんな神社の中を私たち二人は木刀を片手に、手をつなぎあいながら、どんどこと奥へと向かっていった。

 すると、大きな岩が見えてきて、その真上にはこれまた大きな男の人が寝転がっていた。


「げ、きやがった」


 パキっと私が踏んだ小枝が折れる音に気が付いたのか、大きな岩の上でごろんと横になっていた大男が振り向きもせずに、溜息一つ付きながら嫌そうな声をだした。


「当然です。剣術を教えてくれるっていう約束じゃないですか! 私たち、柳生なんですから!」


 私はドンと胸を張って答える。


「そーです、そーです! 柳生なんですよ!」


 お竹は私の後ろに隠れながらも、大きく頷いていた。

 柳生っていうのは、私たちの苗字。

 ひいお爺様の代からずっと剣術で将軍様にお仕えしてきた私たちの家の名前。

 ひいお爺様だけじゃなくて、お爺様も私たちのお父様も、とっても強い剣術家だったのです。


「はぁぁぁぁ……」


 あ、溜息しちゃって。

 お母様が言っていましたよ、溜息は幸せが逃げるからやめなさいって。


「寒い。面倒だ、帰れ」


 んま、なんて態度かしら。

 振り返りもせずに、ひらひらと虫を払うように手を振ってくるなんて本当に酷いわ!


「いーやーでーす。修行をつけてくれるまでは帰りません!」

「そーだ、そーだ! 教えろぅー!」


 だから私たちも居座る。ここは譲れません。


「うるさい、騒ぐな。そもそも、お前らもうじき江戸に帰るんだろ。たかが一週間の稽古で強くなるわけねーだろ」

「えー、そんなことないですよ。一日一日の稽古が大切なんです。日々おろそかにしてはいけません」


 昨日より今日、今日より明日、常に精進して強くなる!

 これが私たちの家訓なんです!


「子どもの癖にそういう所は真面目だな……まったく、流石は石舟斎せきしゅうさいの野郎のひ孫って事か」


 石舟斎っていうのは私たちのひいお爺様の事です。

 本名、柳生宗厳やぎゅうむねよし。周りからは剣聖って言われていた、とっても強い剣士だったらしいんだけど、私たちが産まれるずっと前に死んじゃったんだ。

 そんなひいお爺様にはちょっとした伝説があって、この神社で剣の修行をしている頃に、天狗様と戦ったのだとか。

 そして、その天狗様っていうのが……私たちの目の前で寝転がっている、この大男の事なのです。


「えぇい、名前を言ったら思い出してしまうじゃねーか! おのれ、石舟斎め! 来る日も来る日も刀を振り回して俺様を追いかけてきて……思い出すだけでもむかっぱらが立つ!」


 大男、じゃなかった。天狗様はバッと岩の上で立ち上がると、バサバサと背中の真っ黒な羽を羽ばたかせて、一っ跳び、私たちの目の前に降り立ってきた。

 ギョロっと大きな目は黒、ごわごわとした羽毛に覆われた全身も黒、ついでにバチバチと音を立てるくちばしの色も黒。

 黒一色、カラスの顔に山伏のような格好をしていた。


「挙句、この俺様をこんな岩に封印しやがって」


 天狗様はいまいましげにさっきまで寝転がっていた大きな岩をにらみつけた。

 その岩はだいたい六尺(二メートル)はある大きなもの。そんな大きな岩には縦斜めに綺麗な切り口があった。

 それはひいお爺様が天狗様を斬った時に出来たものなんだって。

 私たちのお父様、柳生十兵衛やぎゅうじゅうべいって言うんだけど、お父様でもこれをやるにはもっと修行が必要だなって教えてくれた。

 それだけひいお爺様が凄いって事なんだけどね。


「だって、それはあなたが悪さばかりするからでしょ?」


 それでもってこの天狗様は昔から悪さばかりしていたとかで、ひいお爺様がこらしめたとか、もののついでに修行の一環で倒したとか。

 私たちもお父様から聞いた話だから詳しい事はよくわかんないけど。


「フン、悪党結構。この俺様を誰だと心得る──」

「天狗」

「天狗」


 私とお竹が揃って答えると、天狗様はくわっとただでさえ大きな目をひんむきながら「かぁー!」っと鳴いた。


「だ・い・て・ん・ぐだ!」

「でも、ひいお爺様に負けたんですよね?」

「んがぁ!」


 と、お竹の容赦ない指摘に、天狗様はぴきんと固まって、うな垂れる。

 そう、ひいお爺様は天狗様を斬ったと同時に岩に天狗様を封印したのだ。


「あぁ、もういいから早く帰れ。あぁそうだよ、俺は人間如きに封印された哀れな天狗さ、そこらへんの野良カラスと一緒さ。あぁ、笑わば笑え人間め!」


 天狗様ったら、いじいじと膝を抱えてズーンと落ち込む。

 こうなるとちょっと面倒臭いだよねぇ。

 結構根に持つ人というか妖怪というか。


「あーもう、お竹。天狗様すねちゃったじゃない」

「えー、私のせいなんですかぁ?」


 ちなみに、お竹は結構ずぶとい子で、結構ませてる。気弱なふりしてるけど、猫をかぶってるっていうのは私にはバレバレだ。でも、世の中の男の人って不思議なもので、可愛い子ぶるお竹をよく甘やかそうとするんだから。

 本当、特な性格してるわね。


「ほら、お竹、すねちゃったじゃない。謝って謝って」

「えぇ、わかったよぅ……あの、天狗様、ごめんなさい。言いすぎました。だから機嫌直して、ね?」


 と言って、お竹はポンポンと天狗様の頭を撫でてやる。うむ、流石は私の可愛い妹。やればできるじゃない。

 まぁお竹に謝られて許さない男の人って早々いないと思うけど。


「う、うぅ……!」


 あれ? 天狗様、なんで泣いてるの?

 お竹に撫でられたのがそんなに嬉しいのかしら。


「く、くぅ……! みじめだ、この俺様がこんな目に……みじめだぁ!」


 あ、いや違う。これ、悔し泣きって奴だ。

 うぅん、そんなに私たちに剣術を教えるのが嫌なのかしら?


「なんだかよくわかんないけど、元気になったみたいだね、お姉ちゃん」

「んーなんだかちょっと違うような気もするけど、まぁ良いか」

「頼むから帰ってくれよ!」


 カァーっと、天狗様の鳴き声が響いて森がざわざわと振るえた。

 そんなこんなて、私たちは天狗様に剣術の稽古をつけてもらっているのですが、なぜそんなことになったのかというと、一週間前にさかのぼるのです。

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