(改造)魔界の異常な王子様 または俺は如何にしてブラック教職を辞め宮廷教師兼奴隷になったか

〈 ライオンとセンセイ 〉


「えーっと、あのですね、あの、毒ガスというのは、えー、資料で、資料でご覧いただいたとおりですね、第一次世界大戦から、使われ出した、えー、生物兵器でありまして……」


 俺は、目の前にいる毛むくじゃらの王子様に、〈VXガス〉や〈サリン〉がいかに危険か、乏しい学識を伝えていた。


 もう一度、こっそりと観察したが、やはり二足歩行のライオンに似ている。たてがみは、子供だから生えていない。彼は魔王の息子なのだ。

 魔族である以上、ネコ科の猛獣とは似ていないところもある。

 たとえば、上アゴからアゴの下まで伸びた牙。あるいは墨を溶かした真っ暗な眼球に浮かぶ、濃い紫の瞳の色。黄金と蜂蜜色が混ざるきらめく毛並みとは、好対照をなしている。

 正直、バケモンじゃねーかと俺は思った。


 毒ガスそのものは第一次世界大戦から使われ始めたとか、気管に炎症を起こさせたり神経伝達物質の正常な機能を妨げたりするとか、昔はテロに使われたこともあるとか、国際法で生物兵器は使用が禁止されているとか、でも破る国もあるとか、専門家じゃあるまいしその程度のことだけど、教え子はちゃんとメモを取っている。

 

 気づけば、だいたいのところを話し尽くしてしまう。


「……はい、というわけでですね、第一次世界大戦から、使われ出したんですね」


「それは最初に聞いた」


 知ってる。時間稼ぎだ。


「ところで、そういうことについて、詳しく書いてある本が読みたい」


 言っている意味がわからず、文鳥のように首をかしげていると、


「異界の――センセイがいた世界の書籍が読みたい。その、サリンとかいう化学兵器について、書かれたものを、何か知っているのでは?」


「知らねっす」


 俺は天井に頭をぶつけた。切断された首が真上に射出されたからだ。


「ほげああああ!?」


 悲鳴をあげながらも、眼球を限界まで真下に向けた。

 頸動脈から噴き出す鮮血で、王子様はド真っ赤だ。いっぽうの俺は、鉄錆の臭気を鼻いっぱいにねじ込まれる感覚とともに、意識を失う。

 そして気づけば、床に寝転がっている。


「おはようセンセイ。嘘はつかないように」


 立ち上がり、首に手を当てると、首輪がついている。どういう理屈であろうか、血痕は一滴も散っていない。

 俺は泣いた。


 *


 王子様、つまり魔王の息子サマは現在、卒業研究を控えている。選んだテーマは、〈魔界に生息する人類の滅ぼし方〉。

 彼らがあまりに悲惨な生活を送っているため、みなごろしにしてあげようと思ったんだって。


 卒業後、部下として魔王様ははおやの手伝いをする彼は、実務に向けた訓練になるし、実地で滅ぼすとこまで達成したーい!

 と、考えた。

 そこでニンゲンに直接、滅ぼし方を教えてもらうことにした。滅ぼされる側の意見も尊重しなくちゃね? でもひとつ問題があった。ニンゲンは知能が低いため、意見を求めることさえ容易ではない。


 だが、待てよ?


 異界の人類なら、少しはまともな教育を受けているはずだ、高潔なる魔族とも、かろうじてコミュニケーションが取れるのではないか?


 さっそく呼び出そう。殺して首輪をつけて、奴隷にしよう。

 奴隷にしちゃえば何度殺しても生き返り、ついでに実験台にも使えるよ!

 さて、さらってくる個体だけど、教えを乞うのだし、教育を専門とする者がいいかな?

 じゃあ、……教師でいいか。


 教わった事情はこんな感じだ。


 連れて来られた魔界ここで、宮廷教師兼奴隷として魔王の息子の王子様にことになった。


 俺はいわゆる、異世界転移というやつをしたのだ。




 ひとしきり目を赤く腫らしても、新しい教え子の攻勢は収まらない。


「なんでもいいから、読んでみたいんだ」


 どこで手に入れるんですかとか、つっこみを入れる代わりに、決死の抵抗として人道的な書物をご紹介してさしあげる。村上春樹の『アンダーグラウンド』、あるいは森達也の『A3』。


「感謝する」


 すまねえ人類。俺は未来の犠牲者たちへ、内心で祈りをささげる。

 初日にして心労で壊れそうだ。精神の安らぎがほしい。

 めまいを覚えて目頭を押さえた瞬間、ぼうん、ぼうん、と柱時計が鳴る。あるのかよ、異世界に柱時計が。


「もうこんな時間か。では、明日もよろしく頼むぞ、センセイ」


「断っても」


「断ったら殺すよう、母上に言いつかっている。殺していいか?」


 にこにこと、笑って言い放たれた。


 *


 なぜ、そこまで真剣に人類を滅ぼそうとするのか――?


 そもそも魔界とは何か? なぜ魔族は動物っぽい姿をしているのか? ニンゲンはどこにいて、扱いはどうなっているのか? なぜ俺は死亡しても生き返るのか? なぜ俺のブルーレイとノートパソコンがあるのか? いつ盗ってきたの? なぜ平然と使うの? なぜ平然と人に首輪をつけ、当然のごとく俺を奴隷にしているっ!?


 わからないことは数えきれないほどあるし、知るほどに謎は深まるばかりだ。


 しかし、人類殲滅なんてことは、ぜひとも防がなくちゃならない。とも思う。


 神経衰弱に陥ってる自分のためにも、一度記憶を整理して、現状を改善する糸口を探す必要がある。

 それに、アレだ、異世界モノだし底辺から這い上がる筋書きな可能性もゼロではないというか、検証するのは大切なことだ。


 ここに至るまでの出来事は、実に不可解だった。


 往年のサイコ・サスペンスになぞらえるなら、

『何が大春二三オーハルフミに起こったか?』

 てな具合に。原因があるなら、それを突き止めなければならない。

 俺はついさっきまで、日本の小学校教諭として、過重労働ブラックで夢のような生活を送っていたはずだ。


 ――まずは時計の針を巻き戻そう。



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