探偵 神門十夜 物怪奇譚

第1話 怪奇事件はいつも此処から始まる(改稿)

 重厚な執務机の上で、当主たる女は肘を立て組んだ両手に口を押し付け、じっと正面の虚空を見据えている。


 影のように、気配なく現れたこの家の執事が、慇懃に声をかけた。


「……当主様、例の事件に新たな情報が加わりました」


「……また、起きたのかい?」


 眼鏡の奥で女は少しばかり気だるげに瞳を曇らせる。問われた執事の男は説明の補足をすべく、部屋に据え付けられた大画面スクリーンを操作してある映像を映し出した。


 映像を見た女当主の顔に驚きがひらめくが、すぐさま鋼鉄の意思を含んで口が引き結ばれる。


「今回も他に情報はないのだろう?」

「はい。――申し訳ございません」

「構わない。それにしても、例の事件がこんな奇怪なことになっていたとはね」

「いかがなさいますか。捜査を強化する手はずは整えておりますが」


「不要だよ。別口に調べてもらおうじゃないか」

 女はなぜか不敵な笑みを浮かべた。

「……ではあの方に、解決をご依頼なさるのですね? かしこまりました、すぐに手配いたします」

 静かに頭を下げ、煙のように消えた執事の気配へと、女――参剋斐しんかい財閥の当主は一人呟く。


「この事件は彼でなくては無理だろうさ。怪奇探偵、神門十夜かみかどとうや……そう、これは彼の役目だ」



 怪奇とは何か、それは摩訶不思議な現象全般を指す。

 人外のモノたちがごく当たり前に存在し、住み着くこの街で、いまだ怪しい現象は日常茶飯事だ。人外のモノが多くいるゆえに怪奇が起こるのやもしれなかった。


 それら“怪奇”は“事件”として取り扱われている。街の治安を維持する組織――警察なども存在するのだが、そうした組織の手に余る“怪奇事件”を一手に引き受けているのが、怪奇専門の探偵“神門十夜”、この街でただ一人のお役目である。



 **************



 今日も今日とて、オレはひまを持て余している。


 ――前に依頼が来たのって、いつだっけな……?


 まぁオレがひまだってことは、この街が平和だということなのだろう。いいことじゃないか、ひまにして平和であり惰眠をむさぼれる、このひと時を大事にせねばなるまいて。

 探偵事務所にある唯一高価な来客用ソファに寝転がったまま、オレはうつらうつらとそんなことを考えていた。


「あ〜ひまだねえ、ひまだねえ、とうやぁ」


 向かいのソファで股をおっぴろげてダラけているのは、助手にして使い魔でもあるユウナだ。


「ん〜? ……まーいーじゃねぇか、世のなか平和ってこった」

「平和すぎてぇ、もうお金ないよ〜ん?」


「ア? んなささいなこと気にすんな、平和は尊いんだぞ、金じゃ買えないモノなんだからな」

「そ、…………そうだねぇええ」


 ――ユウナのやつ、ちょっと泣いてないか? 気のせいか。


「十夜ぁ〜前に仕事があったのっていつだっけ?」

「……3週間前だな」

「じゃあさ、じゃあさ、依頼の内容はぁ?」


 ――なにを言わせたいんだこいつ……。


 オレは聞かれるまま答える。


「あ〜、あれだ。たしか狐狸こりの食い逃げな」

「報酬覚えてるぅ?」

「定食屋のタダ飯だったな、その日限定で」

「そうだったよねぇ、でもおいしかったよねぇ。お金ないからまたそのお店にたかりに行こうよぅ」


 ――なに言ってんだお前は。


「事件がないからって、お前が起こしてくれるのか、優しいねぇ? で、それに見合う報酬は?」


 ユウナが速攻で寝返り打ちやがった。


「ひまだねぇ、平和だねぇ……ひもじいねぇ〜」



 この街には人間ひとと人外がともに暮らしている。双方が共存を許している。だから、滅多に怪奇現象がになることはない。

 つまりオレは大半の日々をひまに過ごし、質素倹約を強いられる。

 いつからか人外――妖怪や悪魔という存在は当たり前になっていた。

 別々の種族と共存していれば争いは絶えないものだが、この街でそんな無謀に走るモノはほとんど存在しない。


 街の管理者――参剋斐しんかい財閥がそれを許さないからだ。

 財閥に組織された治安維持部隊は権威的にも実質的にも、ひどく強力な力を持つ。だから皆、怯え、自ら進んで罪人になる者はいなかった。

 だが、この街で問題が発生しないわけでもない――。


 ユウナによって起きんとしていた怪奇事件は、オレの活躍で未然に防げたわけだが、おかげで前回の件とやらをオレは思い出した。


 狐狸こり――つまり狐と狸が定食屋を騙し、食い逃げしたという依頼だ。ただし、この程度は日常茶飯事なので事件とは呼べず、財閥からもお咎めなしときている。


 ――まぁ狐狸にとっては“化かす” のは存在意義でもあるからな……。


 妖魔の類には悪行そのものが存在意義というモノだっている、それを邪魔するのはエゴってもんだ。もちろん程度によるんだが、生きる上で必要な悪事ってのがある。

 財閥に黙認されているぶん、この街は問題だらけとも言えるが、そのおかげでオレは食いぱっぐれていないんだから、まぁ感謝してるよ。


「これはオレのだと思うが……下着くらい履けよ。ユウナよ」


「えぇーなんでー、どしてー? きゅうくつなんだもんアレ! だからイヤ。それに、知らないの十夜? ノーパン健康法ってやつよ〜、気持ちぃいのよ〜、だからいいのー」


「いいのか?」


 ――よくないだろ。


「丸見えだぞ? 客が来たらどうするんだよ……」


「いいじゃない、いいじゃない? その方がぁお客も来るようになるよ〜」


 ――それ探偵の客じゃねーだろ。


 普段はロングスカートのくせに、今はだらだらと奇抜な姿勢でくつろいでいるせいで、スカートがまくれ上がって丸見え状態だ。

 増える客と失う客の数を考えるのをやめ、仕方なくオレは立ち上がる。

 ここはひとつ、言っても聞かない奴に餌づけして、己の立場をわからせてやろうではないか!


 向かったのは、近所にある寂れた店“奇々怪々ききかいかい”だ。

 例の狐狸が食い逃げした定食屋である。

 運が良ければまたかされているだろう。そうすれば、またタダ飯にありつける……店主には最悪の設定だが、このたかりもまたエゴに違いない。つまりは必要悪なのである。

 断じていやしいからではない!


 そんなオレの淡い期待いやしさは、当てが外れることになるのだったが。


 事務所から歩いて10分もしない場所にある寂れた定食屋は、安い上に味もいいのだが、問題があって近所の連中しか訪れる者がいなかった。


 狐狸がしゅっちゅう食い逃げして、地縛霊がとり憑いているうえに、家鳴やなりがいて絶えず建物の軋む音がしている。この街にふさわしい定食屋ではあるが、まぁ好きこのんで来る奴はそうはいない。


 ――この街を象徴しているみたいで、オレは好きなんだがね。


「らっしゃーい! ってなんだい探偵の旦那かい」

「客に向かってそいつはないだろ、店主よ?」


「あ、ダメ探偵」

「毎度どうもなのです」


 そう離れていない所からうら若い声がする。


「あらァ、二人とも今日は普通に食べにきてるんだねぇ」


 ユウナの声にそっちを見れば、件の食い逃げ常習犯であるはずの狐娘キツネっこ狸娘タヌキっこがそこにいた。


 ――困った! 普通に食べにきている!!


「そりゃね、いくら“化け狐”だからって毎回はしてらんないよ」

「“化け狸”も同じなのです!」


 ――しかし開口一番がダメ探偵とは、覚えてろよ狐娘め。


 いつものように天真爛漫に返事をする狸娘に比べて、相も変わらずにすまし顔で毒づく狐娘。そんな狐狸娘との毎度の挨拶を交わして、カウンター席の二人を通り過ぎ、定食屋でいつも座る場所である一番奥のテーブル席に着く。こういった端の席や奥の席と言うのは、通常は人気があり最初に埋まる席のはずだ。


 しかし、オレとユウナが座るこのテーブルは常に空席だった。


 なぜなら、


「いいイイイいぃぃらぁぁッッしゃいままマせぇぇええ。お水をぉぉおぉどどどぅぅぅぞぉぉお」


 頭のてっぺんから流血している血だらけの女が、透けた手をぐいと伸ばしてお冷を置いてくれる。


「いつもありがとう ‟幽霊” さん」

「いつも通りにオレたちと相席ってことで頼むわ」

「だぁぁぁいぃぃじょぉぉぶ……気にぃぃしてないわぁぁぁ」


 理由は地縛霊コレだ。なんでかは知らないがこの席に陣取っている。だから誰もここには近寄らない。でもオレとユウナは気にしない、定食屋で相席なんて当たり前だからな。その理由は別にしても、血だらけで喋り方が怖い幽霊と一緒に、食事しようとする奇特な奴なんかいないだけなのだが。

 彼女がとり憑いたこのテーブル席は常に空いていて、オレ達の予約席のようになっていた。これが意外と便利というか……幽霊である彼女が配膳してくれるから助かる。この席限定の配膳サービスだな。


 オレは今まさに定食屋といえば定番である、焼肉定食を注文せねば始まらんと思っている。始まらんだろうよ。しかし、残念なことに我が探偵事務所の小遣いは現在一日500円である。二人で500円、座右の銘は ‟質素倹約に努めよ” だ。


 ――ここは涙を飲んで一食200円という、格安な卵かけご飯をふたつ注文しようではないか!


 店主に向かって嬉々として卵かけご飯をふたつ注文するオレに、すかさず狐狸娘たちが毒づいてきた。


「うわ。さっすがダメ探偵」

「ふたつ頼んでも400円なのですよ。貧乏なのです、可哀想なのですよ」

「うるさいよお前ら、こっちより高いもん食いやがって、オレに捕まったこと忘れてないか?」

「化け狐は人間を化かしてなんぼのものよ、それに罪にはならないしね」

「化け狸もなのですよー!」


 ――そんなにダメな奴かオレって? いやまて、ちょっとまて、貧乏だと? これはれっきとした “質素倹約” です!


 いやはや、狐狸娘はまだ若い――あくまで妖怪の中では若い部類に入る、ということだが。確か105歳くらいだったはずだ。人間としては14~17歳程度の認識になる。

 ちなみにユウナは300齢程で人間としては18~23歳。年齢に幅があってちぐはぐなのは、種族間によって差が生まれるせいだ。

 どちらにせよ、人間のオレより年下と言う認識なのだ。若輩者ゆえに質素倹約がどれだけ大事なのものか分からんのだろう。

 そういうことにしておく。


「はいよ、ユウナちゃんお待ちどおさま」


 店主がほっかほっかの白飯と生卵を二人ぶん置いてから、オレの方を見た。

「食い逃げのことなら気にしてないさ、自分の娘が食い逃げしてるようなもんだからね」

 店主の親父は腰に手を当て豪快に、がははは! と笑う。

「なら、毎回オレに依頼することはないだろう……」

「そうはいかねぇよ、この街の怪奇事件は旦那の仕事だろ?」


「じゃあ、少しはオレに感謝して欲しいもんだな」

「なら仕方ねぇ――今日はご飯おかわり自由! でもって一人卵3つまでつけようじゃねぇか!」

「おぉおお、太っ腹だなぁ、店主!」


「いやし過ぎるでしょ、ダメ探偵」

「なのですよ……」

「家鳴……あのうるさい狐狸娘の椅子を集中してやってくれ」


「あぁぁあぁぁやめてぇぇぇ!」

「あははは! 揺れるですよー!」


 ――お前ら、いちいち聞こえてるんだよ。


 小うるさい狐狸娘が座っている椅子に家鳴たちをけしかけてやる。

 妖怪家鳴はどんなに大きいな建物だろうと揺らし軋ませ、音を立てる事が出来る。そいつを小さな椅子に集中させれば、地震のように激しく揺れることになる。


 ――失敗したな、黙らせるつもりが余計うるさいわ。


 店主の好意もあり腹ごしらえもできた、それにユウナに餌づけも成功した。まったく200円の卵かけ御飯で満足してくれるとは、チョロい――もとい、質素倹約が身に付いているなぁ。さすがはオレの助手兼使い魔だ。

 

 この街はこんな風に何処へ行こうと人外と出会う。共存しているのだから、そんな生活が当たり前ではある。だが、その当たり前がどれほど大事なことであるか……理解しているモノは少ない。


 本来なら多種多様な種族が入り乱れているため、いつ争いが起きてもおかしくは無いのだ。それを未然に防ぐことが、神門十夜というオレの探偵としての役目なのである。


 

 それから店を出てユウナと二人、適当に街をぶらつく。街は一応の平穏を見せていた。行き会った顔見知りに話を聞いてもみたが、怪奇事件は起こっていないとのことだ。


 当然といえば当然で、今、街を騒がせている強盗集団を、参剋斐しんかい財閥率いる治安維持部隊が、探し回っている。こんな時に怪奇事件を起こす馬鹿もいないだろう。


 強盗事件はオレの領分ではないし、治安維持部隊に任せておけばいい。彼らは優秀でオレたち一般人はそのことを身にしみて理解しているし、だから安心していられる。


 テレビで強盗事件の情報を聞いた時、オレはわずかな不自然さを感じたのだが、街の様子を確認しても、怪奇事件が発生する兆しは皆無のようなので家路についた。

 どうやら杞憂だったようだ。


 しかし帰った事務所には、影のような男が先客としてオレたちを待っていた。


「お久しぶりですね、神門かみかど様。そして、神宮じんぐう様」


 執事服の男がオレたちを出迎える。


「おいおい、参剋斐財閥当主の付き人が不法侵入かい?」


 慇懃な執事は微笑んだ。


「相変わらず神門様はご冗談がお上手ですね。この事務所は我が当主様がご用意なさったものです。維持費等も当主様が支払っておいでです。 権利者も当主様です。従って不法ではありませんよ」


「この際だから、オレ達の維持費も当主様が払ってくれてもいいんだぜ?」

「そうよ! そうよ! 今日だって卵かけご飯なんだからね!」


「それは出来かねます、契約違反になってしまいますので。さて、雑談はここまでに致しましょう。街で怪奇事件が発生致しました、即時解決して下さい神門様」


「……何を言ってる? いつもなら依頼を受けるんだがな。今しがた街で情報収集したが、そんな話は一つも聞かない。起きてるのは強盗事件だけだ」


「はい、その通りでございます。そしてその強盗事件こそが “今回の依頼” でございます」


「待て、それは財閥の “治安維持部隊” の領分のはずだ。オレの出る幕じゃない」


「神門様、ここはいつもの様にお屋敷で当主様より詳しいお話を――」


 事件がオレのもとに舞い込む時、それはいつもこんな風に始まる。

 いつも通りに財閥当主からのお迎えがやって来たのだ。が……今回の依頼内容は “強盗事件” だ、怪奇事件ではなく。

 久しぶりのまともな依頼ではある……迎えが来た以上はしようがない。


 ――ここは素直に従うとするか。


 事務所の外に出ればタイミング良く迎えの車が、オレ達の目の前に静かに寄せて来た。


「なぁいつも思うんだが、なんで事務所の前に停めて置かないんだ?」


「参剋斐財閥に仕える者が駐車違反をするわけにはいきませんから」


 ――今までそのへん走ってたのか、この車?


「あっそ、律儀なんだなお前さん」

「お褒めの言葉有難うございます。さぁどうぞお車へ……」


 そうして、オレとユウナは車に乗り、参剋斐財閥当主が待つ屋敷へと赴くのであった。



『第1話 怪奇事件はいつも “此処” から始まる』~終

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