第19召喚 好奇心旺盛

 パルナタードが目覚めた。


 そんな一報を聞き付け、俺は彼女が横たわっている病室へ駆け出した。廊下に眠る怪我人を避けながら急いで目的の部屋に向かい、病室の扉を開ける。


「どう、私のこと分かる?」

「もしかして……スピルネ?」


 そこには王女の顔を心配そうに覗き込むスピルネの姿があった。かつて交友関係にあった相手だけあって、彼女も体調を深く気にかけていたのだろう。

 一方、パルナタードは薄く目を開け、眼球だけを動かして周囲の様子を探っていた。意識はまだぼんやりしているらしく、呂律が回っていない。


「あの、ここはどこなんですか?」

「魔眼族領、プラートゥム治療施設」

「えっ? 私、王都の外にいるんですか!」


 スピルネの言葉を聞いて、パルナタードは急に上半身を起こそうとする。周囲の様子を探ろうとするも、それは手術跡の傷に阻まれた。痛みが彼女の動きを制限し、ベッドから起き上がることなく再び寝転ばせる。彼女は動けないことを悔しそうに唇を噛み締めていた。


「大丈夫? 記憶はちゃんとしてる?」

「いえ、頭の奥が熱くなって、視界がグルグルして、断片的には覚えているんですけど……公務をしたり、小説を読んだり、そういう記憶は残っているのに、ここにいる理由はさっぱり」


 マリナイバ鉱石が脳神経に悪影響を及ぼしていたためか、記憶はハッキリしないらしい。


「じゃあ、俺のことは分かるか?」


 俺はスピルネとパルナタードの間に割って入り、自分のことを指差した。王女はキョトンとした顔でしばらく無言になる。


「……スピルネ、この人は誰なんですか?」

「あんたが召喚した勇者だけど」

「えっ、もしかして、勇者召喚術の!」

「そうだよ」


 俺の言葉にパルナタードは目を爛々と輝かせ、首だけを動かして俺の体を頭の頂点からつま先までじっくりと凝視する。


「まあ、すごい! あの召喚術が本当に成功するなんて! 確かに、骨格も顔つきもこの世界の人間とは少し違いますね!」

「それで、これからのことを相談したいんだが……」

「勇者召喚なんて理論上にしか存在しない架空の産物で、実際には先祖の誰一人として成功したことのなかった幻のはずなのに!」

「……パルナタード?」

「本当にすごいです……あれを本気で成功させるには広大で平坦な土地に記料で太さ3メートル以上半径1キロメートル以上の巨大魔法陣が必要だったのに、一体どうやって……」


 何かを勝手にベラベラと饒舌に喋りだして、急に固まる金髪女。

 今の彼女を見ていると、出会った当初のことを思い出す。確か、当時も俺から勇者召喚について尋ねられ、その仕組みについてゴチャゴチャと早口に説明していた。


 そんな変化の感じられない様子に、俺は不安になる。

 もしかして、マリナイバ鉱石の影響を受ける前も受けた後も性格はほとんど変わっていないのではないか、と。


「あのさ、自分でもどうやって召喚したのか分からないのか?」

「はい。王家に伝承される古文書には魔法陣の原形が描かれていたんですけど、膨大な魔力をどうやって魔法陣へ保存するかが課題だったんです。ゆっくり時間をかけて巨大な魔法陣に移していくしかないと思ってたのですが……」

「お前は『マリナイバ鉱石を使った』と言っていたぞ?」

「なるほど! マリナイバ鉱石を記料に混ぜ込むんですね! 確かにそれなら魔力を大量に蓄積できて、伝導率も大きく上がります! 魔法陣をかなり縮小できて、土地の問題はクリアですね!」


 何か勝手に納得して、勝手に興奮している。

 本当にこんなんで大丈夫なのだろうか。


「というか、私が勇者召喚を実行したんですか?」

「そうだよ」

「まあ! そんなの全然記憶にないのに! そんな重大発見の瞬間を見逃すなんて、私としたことが不覚でした! 是非もう一度その瞬間を見せてもらいたいのですが、大丈夫ですか!」

「え、嫌だよ」


 俺は本当に王女がマリナイバ鉱石の影響から解放されているのか疑問になってきた。こんな様子では前と全然変わらないではないか。もしかすると、まだ完全に治療できていないのかもしれない。


 俺はそれを確かめるべくパルナタードへ前屈みになり、彼女の頬を軽くつねってみた。マリナイバ鉱石の影響を受けていないなら、これで痛みを感じるようになっているはずだ。先程、手術痕の痛みには反応していたようだが、俺の錯覚だったかもしれない。


「パルナタード……痛いか?」

「い、いひゃい……れふ」


 パルナタードは俺の手を頬から離そうとパタパタ暴れた。どうやら痛覚はしっかり戻ってきたらしい。やはり元からこういう性格だったのだ。


「あんた、怪我人に何やってんのよ!」


 痛がる王女を観察していると、突然スピルネから羽交い締めされた。鋭い目つきで俺をギロリと睨み、パルナタードから引き剥がす。前回彼女と戦闘したときよりも殺意を感じた。


「すまん、つい本当に治療が効いているのか不安になって……」

「ったく、ちょっとは私たちを信頼してよね!」


 さすがに確かめ方が強引だっただろうか。

 スピルネは俺を解放すると、やれやれと溜息を吐く。

 だが、これでマリナイバ鉱石の影響という大きな障害を乗り越えられたことが明確になった。あとは彼女に事情を説明し、俺を帰還させるよう頼んで了承を得られれば全てが終わる。ようやく俺は日本でゆっくり過ごすことができるのだ。


「それで、私はどうやってここに辿り着いたのですか!」

「話すと長くなるんだが……」


 こうして俺とスピルネは王女に戦争や汚染の状況について細かく説明することになったのだ。





     * * *


「なるほど! 皆様大変だったのですね!」

「ようやく納得してくれたか……」

「はい! まとめると、ルミエーラ王国が大変になっている、ということですね!」


 説明に随分と時間がかかった気がする。朝に開始してから、今は夕方。

 パルナタードが本筋から逸れた情報まで細かく要求してくるせいで、余計に労力を費やした。マリナイバ鉱石の影響を受けてようが、そうでなかろうが、世話をするのに体力・精神力ともに削り取られる。ついでに言えば、現代日本とはどういう場所なのかも詳しく尋ねられ、それにも多く時間を潰された。

 スピルネが言っていた通り、パルナタードの興味は凄まじい。俺の予想を遥かに超えている。城に長年閉じ込められていた反動なのか、好奇心が一気に解放されたのだろう。


「すごい疲れた……」

「私は楽しかったですよ。面白い話がたくさん聞けて。あ、でも『楽しい』とか言っちゃうと不謹慎かもしれませんね、これは」


 パルナタードは慌てて口を閉ざす。

 俺から経緯の説明を受けている最中、彼女のテンションはずっと高いままだった。やはり王都の外で起こっていることには興味が湧くようだ。


「それでさ、ここから本題なんだけど……」

「はい、何でしょうか?」

「俺を……現代日本へ戻すことは可能か?」


 これまで、彼女に何度か頼んでも却下されてきた望み。

 それを今ここで試したい。

 本当に彼女は俺を帰してくれるのか。

 ここで「はい」の返事が出れば、俺の異世界生活譚はすぐに終了できる。こんな危険だらけな世界から脱出して俺は現代日本へ戻り、なつめと幸せな家庭を続けられる。

 俺は固唾を呑み、パルナタードの口の動きを凝視した。


 そして、彼女は言った。


「はい! 今すぐにでも可能ですよ」


 随分とあっけなく了承の返事が出てきた気がする。

 また何か難題を押し付けられるような予感がしていたのだが、珍しく勘が外れた。


「い、いいのかよ。本当に……」

「拓斗様には現代日本での生活があるのでしょう? きっと向こうの世界では誰かがあなたのことを心配してます」

「それはそうだが……」

「本来、この世界の問題はこの世界の人間が解決すべきであって、異世界から召喚された人間に頼るなんて摂理に反することなのです。確かに過去の私は召喚術を試してみたい欲望に駆られていた時期もありました。しかし、それは戦争のためではなく、あくまで理論を実証するため。武力に転換したい意志はありません」


 パルナタードは真っ直ぐな瞳で俺を見ていた。


「向こうの世界には向こうの世界の生活があります。だから、召喚された者はすぐに帰還させるべきで、家族や友人が傍にいる何気ない幸福を満喫してほしいのです」


 あれだけ外道で面倒な用事を俺に差し向けてきた彼女が、今はすごく正論を語っている気がする。その瞬間、彼女がとてつもなく善人に見えてしまった。

 彼女がマリナイバ鉱石によって捻じ曲げられていた部分は、この信念なのだろう。いくら好奇心に溢れていても、本質は普通の少女だ。平和を望み、他人の事情を考慮できる。彼女の真剣な顔つきが、俺にそれを理解させた。


「ですから、あなたがその気であれば私はいつでも要望に応じます」

「あ、ああ……」

「今すぐ実行しますか?」


 このとき、俺はすぐに「はい」の返事を出せなかった。言葉が胸の奥に引っかかり、その簡単な二文字が無言となって虚空に消えていく。


 どうしてだろうか。

 俺は最近まであんなに帰ることを望んでいたのに……!

 今の俺には棗がいる。今も帰りを待っているであろう彼女のためにも、一刻も早く帰還させるよう王女に頼むべきだと分かっていた。

 それなのに、何も言えなかった。


 王女がどうなるのか。

 魔眼族がどうなるのか。

 この世界がどうなるのか。


 それが気になって仕方なかった。

 ここまで辿り着けたのは魔眼族のおかげもあるし、これといった恩を返さず引き返すことに罪悪感を覚えたのかもしれない。王女が好奇心が強いだけの優しい少女であったことに情が湧き起こったのかもしれない。その具体的な理由は分からない。


 パルナタードから感じた信念からして、俺が日本へ戻ったら二度と呼び出されないような気がした。異世界で見た景色はこの病室が最後となり、モヤモヤした淀みが心に残ることだろう。

 それが寂しく感じたのだ。


「俺は――」


 そのとき――


「敵襲!」


 屋外から魔眼族兵たちの怒号が轟いた。

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