1-2 『黒い瞳』 ― ホントにいたら、どうします?


   ◇


 日がかたむいたころ、街外れに集合する。


「どうして夜に山をのぼるの? 昼の方が安全じゃないの?」


 アリスの質問にシュカが答える。


「ユヒテルは特別なんだ。昼はつうだけど、夜には青白くかがやく。そこが重要なんだ。あそこはさ、夜にしかえられない山なんだよ」


 三人は夕暮れのこうを歩く。アリスはきんちようしているものの、ひとみは希望に満ちていた。

 じやむ音と、三人の息づかい。耳をませば夜の気配を感じることができる。

 日がしずみ、周囲にやみが満ちたころ、ちょうど山のふもとにたどりつく。


「すごい」


 アリスがかんたんの声をあげる。

 山の至るところがかがやいていた。青白い光。近くでみれば、赤い光や、まじりあってにじいろになっている部分もある。かがやきりが、至るところで発生していた。


「これがあくいきなのね」


「街の人たちはそう表現しているね。このかがやきはロホのく息だと」ヨキはいう。「けれどぼくたちの考えではそうじゃない。本当にあくいきだったら、多分、ぼくたちはこの山をえることはできない」


「じゃあ、このかがやきは何なの?」


「歩きながら説明するよ。夜明けまでにけなきゃいけない。山脈のなかでも、特にこのかがやきの強い一番手前の山はね」


 三人は異界とも呼べる空間に入っていく。

 至るところにごくさいしきかがやきがある。地面が光っているところもあれば、きり状のかがやきが大気に広がっているところもある。


あくいきっていうからこわく聞こえるけどさ、そういう話を知らなかったら、美しく感じるんじゃないかな」


 シュカがいうと、アリスが強く同意する。


「私もそう思ってたの! げんそう的で、本の世界にいるみたい」


「そうだね。ほうの山を大ぼうけんってところかな。でも、あまり近づいちゃだめだよ。危ないからさ」


「そうなの?」


「火山ガスだからね」


 それがヨキとシュカの見解だった。

 二人はユヒテルと同じように、青く燃える山をみたことがある。二酸化おうりゆう水素がようがんと共に燃えることで青いほのおを発生させていた。

 美しいが、なにも知らずに近づけば命とえになるかがやき。

 ユヒテルも同じだ。青だけでなくごくさいしきにもなっているのは、ふんしゆつしている化学物質の種類が多いからで、そのぶん性も高まっている。


「昼でもこのガスは出ているんだ。太陽の光が強くてみえないだけ。だから夜にきたんだ。目でることができるからけることができるし、楽しむこともできる」


 ユヒテルに入ってもどらなかった人たちのなかには、この火山ガスを吸ってしまい、覚めないねむりに落ちたものも多いとヨキは推測していた。


「青白いかがやきは山脈の手前に集中してる。入口付近が活火山なんだよ。日がのぼってガスがみえなくなる前に、おくに入らなきゃいけない。安心して。アリスのペースでもだいじようなよう、ヨキが計算したからさ」


 けいしやをのぼっていくうちに、やがてこうがみえてくる。青白く燃えるようがんをみながら、かいして進む。ようがんしやめんを流れてきたり、強風がいてかがやきりが進路をふさぐこともあったが、なんとか、空が白んでくるころには火山地帯をけることができた。

 予定通りではあったが、ろうは想像以上だった。足場の悪さからくる負担はもちろん、荷物を背負っているためかたも痛む。

 頂上が平らになっている岩のおかをみつけ、そこで休むことにする。ヨキはテントを張り、なかに入ってねむるようアリスをうながした。しかし、まだ夜のぼうけんいんが残っているのか、アリスの青い目は、ぱっちりと開かれていた。


「全然、ねむくない。まだ歩けるよ」


「うん、そうだと思う。けれど、それでも休んだほうがいい。知らないうちにつかれはたまっているんだ。今はいいかもしれないけど、いつかそのつかれは必ず君をとらえる。そうならないように、ねむれるときはねむっておくのさ。こういう旅ではね」


 ヨキはさとすようにいう。


「あなたはいいの?」アリスがきく。


ぼくは見張りをしてる。せんぱいこうねむるから気にしなくていいよ。慣れてるし」


「わかった、がんばってるね」


 アリスはテントに入り、横になる。ねむれないようで、しばらくは元気にごろんごろんと転がっていたが、やがていきをたてはじめた。やはりまだ体力のない少女なのだ。

 ヨキはいわだなの上をまわり、毒を持つへびこんちゆうがいないかをかくにんする。そして、遠くのしやめんに目をやったところで、かたにかついでいたりようじゆうを手に取った。

 なにかいる。こんなアナログなじゆうはらえるだろうか。かすかな不安を感じながら、じゆうをかまえる。しかし、すぐに力をき、じゆうをおろした。


「なにかいた?」シュカがたずねる。


「あそこです。街で飼われているちくと同じ種類ですね。げだして山に入ってきたというところでしょうか」


 ヨキはそうがんきようわたす。

 そうがんきようをのぞきこむシュカ。口元が笑う。


「でたね」


 牛がいる。しかし、まったく動かない。全身灰色になって、しやめんを降りようとした姿勢のまま固まっている。


「さすがに人がつくって置いたってことはなさそうだね」


「ええ。そんなもの好きいないでしょう」


 ヨキは遠くの石像をみつめる。

 山の青いかがやきは、目にしたときから火山活動によるものだと推測がついていた。だからおそれはしなかった。しかし、動物の石化だけはヨキとシュカの知識をもってしても、何の推測も立てられない現象だった。山に入れば何らかの手がかりがつかめると思っていたが──。


「どういうことか、かいもく見当もつかないな」


「今のところ、黒いひとみあくを否定するものはなにもありませんよ。ホントにいたら、どうします?」


「まずいよね。少し本気で考えておくよ」


 昼過ぎにはテントをたたみ、出発した。そこからは日がのぼっているうちに歩き、夜になったら野営をするという、つうのサイクルにえた。火山活動のさかんな地帯はもうけている。夜になってみえる青いかがやきも、小さなものが、かがり火のようにらめいている程度だった。

 きすさぶ風、昼夜の寒暖差に身をさらしながら山脈を進む。

 赤茶けた地層がたいせきしたけいこくを歩いた。何千年も昔は川が流れていたらしく、地面にある石は小さく、歩きやすい。かつての水の流れでけずられたのだ。しかし、それでもアリスの足には厳しかったらしく、三夜をえたところでねんしてしまった。


「ヨキ、君のやることは一つだ」シュカがかたたたいてくる。


「私は独立心のある大人の女性になりたいと思っています」


 アリスがしんけんな顔でいう。


「けれど男の人のやさしさにあまえることもやぶさかではありません」


 ヨキは深くうなずき、アリスをおぶった。「重い」とつぶやくとなぐられた。

 旅は厳しさを増した。歩く速度がおそくなれば、日数がかかる。すると食料の問題も発生してくる。食用可能な草やキノコを調達するにも、岩山は不毛だった。三人は食事の量も減らさなくてはいけなくなった。

 山脈のおくに入っていくにつれ、石像を見かける回数も増えていく。鳥やねずみ、おおかみもいた。みな今にも動きだしそうなのだが、かわいたひとみには死のかげがこびりついている。


「不毛の地で、出会うものといったら、かつて生きものだった石像ですか。ごくの参道があったとしたらこんな感じでしょうね」


「そんなに悪い場所じゃないさ」


 シュカがけいこくわたしながらいう。小さく切り取られた青い空と、せつかつしよくの大地と岩山。


「みなよ。あそこのだんがいに鳥がいっぱいいる。はんしよく地にしてるんだ。こういうこくな場所だからこそ、外敵が少なくて、ひな鳥を育てられる。公平で、いいところだよ」


「そうかもしれませんね」


 ヨキは前方を見上げながらいう。

 空にむかってのびるようなけいしやの先、空と山のあいだに人工物がみえた。


「たしかに悪くありません。山小屋があります」


「しかも人が暮らしているみたいだ。休ませてもらえるんじゃないかな」


 そうがんきようでみれば、山小屋の前に女の人が立ち、こちらをみおろしている。布包みをかかえていて、どうやらあかぼういているのだとわかる。


「それにしても、ずいぶんとあやしくないですか?」


 ヨキがいうと、シュカも片目をつむって苦笑いする。


「うん、私も思った」



   ◇


 三人は山小屋の二階をあたえられた。せまかったがとんもあるし、暖も取れる。建物のなかで夜を明かせることはありがたかった。ヨキとシュカも見張りをせず、長くねむることができる。

 山小屋の主は、黒いかみの、はつこうそうな女性だった。

 最初、フードをかぶり、がちだったせいで、目元がよくみえなかった。その女のひとみをのぞいてみたらしつこくだった。ヨキはそんな暗い想像をしていたが、部屋に入ってフードを取り、話してみればつうの人だった。ここでひっそりと暮らしながら、あかぼうを育てているという。


「ゆっくりと休んでいってください。おもてなしできるほどのものはありませんが」


「失礼ですが、なぜこのような場所で生活されているのですか? あかぼうを育てるには不向きなかんきように思えますが」


 ヨキが質問すると、女性は話しづらそうにしながらも説明してくれた。


「この子の父親は罪人なんです。そしてその血をぐこの子までしよけいの対象とされています。祖国にはもどれません。追手がこないこの山脈が一番安全なんです。種類は少ないですが野菜も育ちますし、わなをしかけておけば、三日に一回は動物がかかります」


「あの石になった生きものたちは?」


 ヨキがたずねると、女性は「わかりません」と答える。


「黒いひとみあくの話は知っていますが、みたことはありません。用心して、日が暮れたら小屋からは出ないようにしています。おそろしいですが、追手からのがれるためには仕方ありません」


 ヨキはそれ以上なにも聞かなかった。


「あのあかぼうは、どこかの国の王子様なのかも」


 ねむりにつく前、アリスがいった。


「クーデターがあって、それでげてここで暮らしてるとか。そして、いつの日か配下を集めて国にもどる」


「ずっと旅をしていれば、そういうてきな出会いもあるかもね」


 シュカはやさしくいい、もうねむるようにとうながした。

 ヨキもとんをかぶる。すぐに眠気がおそってきた。ここ数日、体が冷えっぱなしで、筋肉がこわばっている。つかれているのだ。浅いねむりがやってくる。さらに深いねむりに入ろうとしたところ、物音で目が覚める。みれば、シュカがとびらわきで丸くなってすわっていた。


せんぱい、なにやってるんですか」


 かわいらしい姿といえなくもないが、その眼光は窓から差しこむ月の光をうけ、はくじんのようなかがやきを放っていた。殺気すら感じさせる。


「見張りだよ」


「山小屋のつくりはしっかりしてます。けものは入ってきませんよ」


「黒いひとみあくならどうかな」


「あの女の人を疑ってるんですか? ちゃんと白目がありましたよ?」


「用心するにしたことはないさ。もしかしたら黒いひとみは後づけで、本物のあくつうの目をしているかもしれないし」


「でも、どうなんですかね。言い方悪いですけど、本当にあくのような超常的な存在が相手だったら、ちょっとくらい用心しても何ともならない気もしますが」


「そうかな」


 もし石化のあくが実在したとしたら、とても弱いんじゃないかな、とシュカはいう。


おそれられ、られるだけの存在だよ。きっとね。みたものを石に変えるというけれど、それなら背中からせば退治できるわけだし。遠くからライフルでねらうことだってできる。つまり、たおせるってこと。今のじようきようでも同じ。相手がこちらをみる前に、なにかをする時間をあたえずにたおしてしまえばいい。今夜この部屋にノックもせずに入ってくるやつがいたら、かんはつ入れずに、そいつの息の根を止めるよ」


 シュカさんはずるいな、とヨキは思う。だんはあんなにふざけているのに、こういう要所では絶対に外さない。


「そういうことなら、ぼくいつしよに起きときますよ」


「ヨキはてなよ。明日もまだ旅はつづくんだ。二人ともすいみん不足はよくない」


「でも、そんな話を聞かされたらねむれませんよ」


ねむれるさ」


 ヨキは自分のまぶたが意思とは無関係におりてきていることに気づく。


「一服盛りましたね」


「お休み、ヨキ。いい夢みなよ」


 しかし、ヨキがみたものは悪夢だった。

 朝起きたら、シュカもアリスも石になっていて、山小屋の女性が笑っている。そのひとみはこの世のぞうをすべてりたくったように黒い。たおそうとしたのだろう、シュカはナイフを持ったまま、ちようぞうになっている。ヨキはそれをみて、激しいこうかいおそわれる。やはりいつしよに起きて見張っておけばよかった。

 深層心理にある悲観的な想像力が、そんな悪夢をみせたのだろう。

 現実はのん気なものだった。あさのまぶしさで目がさめる。


「ちょっと薬を盛りすぎたかな」


 シュカはもう旅装になっていた。


「私たちは準備できてるよ。朝ごはん食べたら、いこ」


 女性は相変わらずかげのかかったようなところがあったが、明るい表情で手をり、ヨキたちを送りだしてくれた。


 旅も終わりに近づき、シュカが決めた湖のわきを通るルートにさしかかる。これまでずっとのぼりつづけていたため、高度があがっている。おかげで山々がわたせ、ゆうだいな景色が広がっていた。そして山と山のあいだ、エアポケットのように開いた小さな平地に湖がみえる。


「すごい!」


 アリスがかんたんの声をあげる。

 湖が、宝石のように真っ赤だった。空と山と、赤い湖が織りなすきようれつなコントラスト。


「なるほどね。石化の正体がわかったよ」


 シュカがいい、「ぼくもわかりました」とヨキがつづく。


「え、どういうこと?」


 自分だけわからず、アリスは不満そうな顔をする。赤い湖と動物が石になる現象とがうまく結びつかないのだ。


「まあ、いってみればわかるよ」


 シュカはルートをそれ、湖にむかって歩きだした。


   ◇


 油断すればすべちてしまいそうなしやめんをシュカはかろやかにけおりてゆく。

 ヨキはしんちように足を出し、ゆっくりくだろうとする。


だいじようかい?」


 不安だろうと思い、後ろにいたアリスに手をさしのべる。しかし、


「すごい、こんな湖があるなんて」


 アリスは興奮しながら、シュカにつづいてけおりてゆく。

 ヨキは手をさしのべたままの姿勢で静止する。


「足のが完治したみたいでぼくうれしいよ」

 だれもいない岩場にむかってつぶやいてから、しょぼしょぼとしやめんをくだっていった。

 湖のわきがったところに無数の石像が転がっていた。水鳥や蝙蝠こうもり、トカゲ、そして動物だけでなく植物までもが灰色になっている。色の失われた世界。終末というものがあったとしたら、こういう光景なのかもしれない。


「湖の水が、みんなを石にしたの?」


 アリスがたずね、シュカがうなずく。


つうの水じゃないんだ。アルカリ性というんだけどね、それがとても強い。そして強いアルカリ性の水に動物が長時間かると、表面がせつかい化する。せつかいがんというものがあるくらいだから、それはもう石なんだよ。湖が赤くみえるのは、アルカリ性を好むせいぶつが大量にいるから。他の生命はここでは生きられない。石にならない限りね。しかしここまで強いアルカリの湖があるとはおどろきだよ」


 青白いかがやきは火山ガスで、生物石化の原因は強アルカリ性の湖によるもの。


「これがあくの正体だったのね」


 アリスはなぞなぞが解けたときの子供のようにうれしそうな顔をする。一方、ヨキは無感動だった。


「ヨキ、そんながっかりした顔するなよ」


「別にそういうわけじゃないですけどね。あくがいなくて、旅が無事に終わりそうなことは喜ばしいことです」


 それでも心のどこかで期待していた。いまだ観測されたことのない、生命を石化させる存在とのかいこうを。


「いつでも世紀の大発見ができるわけじゃないさ。がっかりすることじゃない。このかえしが私たちを前に進めるんだ。いつかかくにん生物にも出会えるよ」


「たしかに」


 ヨキのちょっとだけ消化不良な気持ち。それも旅の終わりにはんだ。

 を歩いているときだ。

 絶景だった。

 空が、すぐそこまでせまっている。自分たちよりも高いものはない。視界をさえぎるものもない。折り重なる山々や赤い湖がみえる。そして山脈のむこうに広がる街さえわたせる。を歩いていると、世界のてつぺんかつしているような気分になれる。

 ゆうだいな景色は心をすがすがしくしてくれる。洗い流してくれる。ヨキはフルスケールの世界を感じることが好きだった。これだけ広いなら、あくだって天使だって、どこかにいるかもしれない。かれらに会いにゆく。自分の知らないなにかを探しにゆく。


「夜も歩きたいな」


 日が暮れた後、テントで休んでいると、アリスがせがんできた。旅の最初にみた風景を忘れられないのだろう。シュカに目配せをすれば、いいんじゃない、という。


「湖をすぎたら旅は終わりなんだ。今夜が最後だろうから、夜風にあたるのも悪くないさ」


 異論はない。もう安全なところまできているし、なにより、ヨキも夜が好きだった。

 ヨキは歩きはじめてすぐ、手に持っていたランタンのあかりを消した。

 やみのなか、あちらこちらに、ほのかに青白いりんこうかびあがる。夜光虫が飛んでいるようなやさしい光だ。最初の夜にみたかがやきからすれば残り火のようなものだけれど、旅の幕引きにふさわしい、ひかえめな美しさがあった。


「私さ、どうしてこんなに旅に出たいと思っているのか、自分でもわからなかったんだ」


 アリスがいう。


「でも、今はわかる。多分、こんな風景をみたかったんだ。みたことがないからイメージなんてなかったんだけど、世界にはまだまだ私の知らないことがたくさんあって、それを求めてたんだと思う」


 ヨキとシュカは最初から気づいていた。アリスが山脈をえたかった理由。首都への旅ではだめだった理由。それは単純なこと。首都はだれもが知っている。ユヒテルのむこう側はだれも知らない。それが決定的なちがい。

 まだみぬ風景。

 とうの領域。

 常識をえたきよだい生物。

 想像を絶する自然現象。

 そういう知らないなにかを求めるしようどうが、人のなかには深く静かに流れている。それは人を雪山にのぼらせたり深海にもぐらせたりする。ときとして命の危険をともなうが、そのしようどうが大きくなったとき、とどめておくことはできない。ヨキとシュカはそのしようどうが尊いものだと知っている。それが人を前に進ませると信じている。だから調査官として世界をめぐっている。


「アリス、それをこう心というんだよ」


 ヨキはいう。


「大切にするといい」



   ◇


 空中都市セントラルの首都にある官庁街。

 中央調査局のオフィスの一室で、ヨキは報告書の作成に追われていた。

 現地調査があれば、デスクワークもある。ヨキはねむと戦いながら、おかたい行政文書の形式にのっとって、報告書を作成していた。かたるし、目もつかれる。しかし上司をみれば、ゆうにお茶を飲んでいるのであった。


「ちょっとせんぱい、遊んでないでダブルチェックしてくださいよ」


 ヨキは報告書を送信する。しかし、シュカはたんまつを操作しているものの、いっこうにかくにん済にならない。ゲームでもしているのかもしれない。ヨキはあきれながら、シュカの席にゆき、後ろから画面をのぞきこむ。


「いつの間にったんですか」


 画面には、ユヒテル山脈を旅していたときの画像が表示されていた。アリスの前でカメラ付きのたんまつを出すことはできない。それにもかかわらず、いつのまにかシュカはたくさんの画像をっていたようだ。


「こっそりとね。ま、旅の思い出だよ」


 次々に画像をスライドしていく。


「不思議に思うことが多くなると、知のおくものさずけられる」


 シュカがみやくらくなくいう。アリスの横顔が映しだされたときのことだ。「なんですか、その言葉?」とヨキが聞くと、シェリオロールの先住民の格言だという。


「セントラルとシェリオロールの技術力の差は、積み重ねた時間の差でしかない。知的こう心さえあれば、いつかはたどりつくんだ。アリスのようながいれば、地上もそのうちセントラルに追いつくよ」


「かもしれませんね。ところでせんぱい、そのカテゴリーは?」


 シュカは思い出にひたりながらも、ぎわよく画像を分類していた。フォルダが二つある。フォルダAとフォルダB。石化した動物の画像をそのフォルダに収納している。山で石像になっていた動物の画像をAに、湖で石像になっていた動物の画像をBに入れていく。


「なにかちがいでもあるんですか?」


「よく考えてみなよ」


 シュカの顔つきはしんけんだ。


「湖で石化するには、長時間、あの強アルカリ水にからなきゃいけない。死んだ動物や湖に落ちておぼれた動物ならそうなるのもわかる。けれど、生きて元気な動物だったら、足をつけた時点ですぐに湖からはなれるよ」


「たしかにそうですね」


「湖で死んだ動物がせつかい化するのならわかる。けれど、山のあちこちで石化していた動物はどう説明すればいいのかな。石化の原因が湖なのだとしたら、そこから遠くはなれることはできないはず。しかも、山のあちこちにあった石像は、今にも動きだしそうな姿勢をしていた。生きたまま湖に落ちた? 説明がつかないよ。そういうやつがカテゴリーA。どうみても湖で石化したと思われるやつがカテゴリーB」


 シュカが、あるスライドにきたところで手を止め、画面をぎようする。


 赤い湖のわきに、ヨキが立っている画像だ。特にしんな点はないようにみえる。しかしシュカのまなざしはするどい。


「そもそも、なんでぼくのアップをってるんですか」


つかれた顔がおもしろかったからだよ」


「部下をいたわりましょうよ」


 シュカがその画像の、ヨキの背後をどんどん拡大していく。ヨキの顔はすぐに画面の外に追いやられる。何のへんてつもない平地がアップになり、せんめいに表示されていく。小さな点がある。最初はよごれのようにしかみえない。しかしそれが拡大されるにつれ、形をあらわしてゆく。

 人だ。人がいる。

 あかぼういた女の人が立っていた。あの山小屋にいた女性だ。

 どうしてここにいるのだろう。まさか、ついてきたのだろうか。けれど、何のために?

 ヨキはそのじようきようきようを、そして背筋に冷たいものを感じる。

 シュカはなおも拡大をやめない。女の人をみたかったわけではないらしい。かのじよむなもとをさらに拡大する。布に包まれたあかぼうしようてんが定まる。ヨキが山小屋にいたときはいつもねむっていたあかぼう。しかし画像のなかでは起きていて、目を開いている。

 あかぼうひとみは暗黒で、画面しにこちらをにらみつけていた。

 ヨキは頭をかく。


「もしかして、ぼくたち危なかったんですかね?」


 シュカはうすく笑う。


「かもね」

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