4.(わたし) 朝の目覚め / お父さんに自己紹介

 わたしは、どこまでも続くお花畑の中を歩いていた。

 もしかしたら、宙に浮いているのかもしれない。どこでも、見たいところにふわりと近付くことができる。

 何の花が咲いているのか、分からない。よく見ようとするたびに、スミレ、パンジー、ひなぎく、クローバー、チューリップ……違う花が見える。

 わたしは、このお花畑の向こうにいる誰かに、会いに来たはずだ。そう思ったら、遠くに町が見えた。懐かしい気持ちがこみあげてくる。わたしを待っているのは、誰だろう。行ってみようとしたとき……。

 重いよ……。

 奇妙な声がした。

 苦しいよ……どいてよ……。

 その声はわたしの足元から聞こえてくる。見下ろしても誰もいない。

 早くどいて……つぶれちゃうよ……。

 わたしは、わけの分からない不安に襲われた。心臓がどきどきする。早く……そうだ、早く目を覚まして・・・・・・・・、ここから……。


 「望美!」

 わたしは反射的に飛び起きていた。タオルケットが目の前で跳ね上がった。心臓のどきどきが止まらないまま、わたしは目を覚ました。

 「ハッシー?」

 「そうだよ! もう少しで真っぷたつに折れちゃうところだったよ!」

 「まさか……」

 わたしは敷き布団を見下ろした。さっきまで寝ていたところにMADOSMAがめり込んでいる。

 「うわっ! ごめん!」

 昨日の夜、わたしは感動のあまり、MADOSMAを抱いて寝てしまったのだ。そのまま寝返りを打って、ハッシーを下敷きに……。

 「ハッシー、大丈夫?」

 「何とかね! 望美は一体、ぼくが何回叫んだら目を覚ますのさ!」

 良かった、MADOSMAは壊れてない。ハッシーも無事みたい。わたしはほっとした。気がゆるんで、つい笑ってしまった。

 「わたし寝つきがよくて。雨が降っても槍が降っても起きないんだって」

 「笑いごとじゃないよ! ぼくの安全には黄信号がともってた! 君がのんきにいびきかいてる間、ずっとね……」

 わたしは敷き布団からMADOSMAを拾い上げた。『龍のタイル』をタップする。画面の中でハッシーは、洗濯機の渦みたいにぐるぐる回っていた。よっぽど腹が立ってるみたい。わたしは笑いが止まらなくなってしまった。

 「望美って、羽毛みたいに軽い子だと思ってたよ。でも、実際に乗っかられてみたら、象みたいに重いね!」

 なんですって……これには、かちんときた。わたしは、拾い上げたばかりのMADOSMAを敷布団に投げつけた。もちろん、手加減はしたよ?

 「わっ!」

 「ハッシー! 女の子に失礼だよ! ……だいたい、女の子ひとりに乗っかられただけで、壊れるだの折れるだの、ひ弱すぎ! 頼りない自分を反省しなさい!」

 「無茶言わないでくれ……ぼくが進入した端末の強度は、ぼくの責任じゃない」

 「言いわけしないの! その前に、言うべきことがあるでしょ?」

 「……確かに、言うべきことがふたつあるね」

 「ふたつ?」

 「君の体重を象に例えたのは悪かった。ごめんね。ふたつ目は、今日は月曜日、君、学校行く日でしょ」

 「忘れてた!」

 わたしは大慌てでお布団を畳んだ。MADOSMAを踏んづけないように、モバイルスタンドに置く。パジャマを蹴っ飛ばして、着替えにかかった。

 ちょっとぶかぶかっぽい、薄手のコットンのブラウス。胸ポケットに白い糸でばらの刺繍がしてあるのが、お気に入り。デニムの短パンと、膝まである黒いソックス。まあこれでよかろう。

 「昨日着てた、ひらひらの……『ワンピース』は、今日は着ないの?」

 ハッシーが質問してきた。

 「昨日着たから今日は着ないんだよ。それに、学校にはヤマザルみたいな男子もいるし、あんなひらひら、着ていけないよ」

 「ふうん……」

 「ハッシーはあの服、好き?」

 こんなこと聞いてる場合じゃないのに、と思いながら、訊ねずにいられなかった。

 「初めて望美に会った時の服だから、強く印象に残ってる。それにしても、人間って着てる服によって印象がまるで変わるね」

 「そうなの! だから着回しにはとっても、気を使うんだよ」

 「初めて会った時の望美は、お花みたいだった。それから熊の縫いぐるみみたいになって、次におぼろ月夜のお月さまみたいになって、今は……」

 「今はどんな感じ?」

 「森に住んでる、すばしっこいリスの子みたい」

 「かわいい?」

 「もちろん!」

 ハッシーにほめられて、わたしはすっかりいい気分になった。我ながら単純かも。わたしは、MADOSMAをモバイルスタンドから取り上げた。

 「小学校ではおおっぴらにスマホ、使えないの。ハッシーは小物入れに入っててね」

 「念のため、充電器も入れといてよ」

 「えー、学校のコンセント勝手に使ったら、電気泥棒でしょー?」

 「背に腹はかえられないと言うでしょ? お願いだから入れといて。それと、望美が朝ご飯食べてる間だけでも充電しといて。バッテリー残量が若干、不足気味だから」

 「分かった。そうする」

 わたしはハッシーの言う通りにした。あえて逆らう理由がない。

 「そこで、おとなしく待っててね」

 ハッシーは笑い声を発した。鈴みたいな声音こわねだった。

 「動けないんだから、他所へ行ったりはしないよ」

 わたしは部屋を飛び出し、リスの子みたいに階段を駆け下りていった。


 わたしは、お父さんに叱られながら朝ご飯を食べた。朝っぱらからわあわあぎゃあぎゃあ騒いでいたのだから無理もない。

 友達からの電話じゃなく、人工知能との会話なのだということを、お父さんは分かってくれなかった。MADOSMAは二階で充電中なので、わたしとハッシーが会話するところを、お父さんに見せることができない。充電を中止して、ハッシーを連れてこようかとも思ったが、わたしはためらった。

 お父さんは清治おじさんとけんかしてからというもの、おじさんと関係があることを、みんな嫌いになってしまった。その中には、おじさんの親友であるナカニシも含まれる。わたしは、ハッシーをナカニシから借りている、ということをお父さんには話しづらいんだ。

 そんなもん、今すぐ返して来い! と怒鳴られるかもしれない。わたしは、ハッシーを返したくはなかった……。


 そんなわたしの、いじいじした悩みを、お母さんはあっさり飛び越えてしまった。

 「お父さん、ハッシーちゃんは、ほんとにいるのよ」

 「何?」

 「望美は嘘ついてません。私も昨日、ハッシーちゃんとお話ししたの。ハッシーちゃん、とても良くできた子よ。すごくいい子」

 「いや……本当か? しかし……」

 「望美、ハッシーちゃんを連れてきて」

 「ええっ、でも……」

 「論より証拠!」

 わたしは二階に駆け上がって、MADOSMAから充電器を引っこ抜いた。

 「何があったのさ!」

 「充電より紹介! ハッシー、お父さんにいいとこ見せて!」

 こうして、お母さんとわたしは、お父さんとハッシーを無理やり引き合わせてしまった。

 「初めまして、ぼくは、人工知能のハッシーです」

 親しい人うんぬんは、今回は省略したみたい。

 「お前は、どこの企業の製品なんだ?」

 「ボストンに拠点を持つ、ソーラリン・エレクトロニクスの。ぼくは未だ実験中の存在であり、発売には至っておりません。今後、不行き届きもあろうかと存じますが、御寛恕ごかんじょのほど、何とぞよろしくお願いいたします」

 「ふん、あまりぎゃあぎゃあ騒がんでくれよ?」

 「先ほどは申し訳ありませんでした。以後は注意いたします」

 「望美に変なことを、吹き込まんでくれよ?」

 「はい。望美さんの良き友人、良き教師たらんと心がけております。どうかご安心ください」

 きょ、教師って……友人だけでいいよ……。

 お母さんが笑い出した。

 「ハッシーちゃん、私の時よりずいぶんていねいね」

 「もちろん、美幸ママのことも尊敬してますよ? 今は、御主人に初対面の礼を尽くしたのであって……笑わないでください」

 お父さんの態度が変わった。身を乗り出してきた。

 「おい、今の対応の切り替えは何だ!? それに……美幸ママってどういうことだ?」

 「私、ハッシーちゃんに仇名で呼んでもらうことにしたの。お父さんも、平太郎パパとか、呼んでもらったら?」

 お父さんは、何というか、困惑していた。

 「そんなこっ恥かしい仇名は要らん! いや、しかし……本当にAIなのか? ネットの向こうで、人間のオペレーターがマイクで話してるんじゃ……」

 「お疑いも、無理のないことです。

 ぼくは、人間の話す1.5倍の速さで、10分でも20分でも息継ぎせずに会話し続けることができます。今晩にでも、お聞かせしましょうか?」

 「それは、是非聞かせてもらいたい。いや、疑ってるわけじゃないが、純粋に、ただ聞いてみたい……ひとりの技術者として」

 わたしは、ほっとした。お父さんは頑固で意地っ張りだけど、ひとつ事をいつまでも疑い続けたりはしないんだ。これで、ハッシーは我が家になじむことができるだろう。

 そして、お母さんはやっぱり偉いなあ。お母さんにかかったら、肩ひじ張ることも、けんか腰になることも、あっけなく終わりになってしまうんだ。

 わたしもいつか、お母さんみたいになれるのかなあ?


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