10.(わたし) 仲直りのベランダ / 留守番

 わたしは二階のベランダに立って、手すりをいた。押し入れから客布団をひと組出し、広げて干し始めた。

 空は、青く晴れ渡っていた。千切れ雲が、そよ風にたなびいている。敷布団しきぶとんも、夏掛なつかけ布団も、シーツも、枕も、久し振りにお日様に当たることを喜んでいた。

 ――この岡本おかもとの家に、久しく絶えて無かったお客様が、再び訪れた。さあ、私たちはふわふわにふくらんで、さらりと乾いて、いい匂いになって、お客様をおもてなししよう。このにぎわいは、良いことの始まりだ。この家はきっと、活気を取り戻す。これからはきっと、良いことが続く――。

 嘘だ。良いことなんか来ない。ナカニシは夢を捨てた。おじさんは働かない。

 わたしは、太陽の光を浴びながら、ぼんやり考え込んでいた。

 わたしが覚えているナカニシは、もっと熱く、激しく、怒りっぽい人物だった。

 「駄目だ! 東大とうだいは何がどうあろうと、戦闘ロボットを作らない!」

 記憶の中のナカニシは――そのころはまだ中西だったけど――怒鳴り、手を振り回し、うろうろ歩き回りながら涙ぐんでいた。

 「ちくしょう! なんでみんな、分かってくれないんだ!」

 幼いわたしは、そんなナカニシを見ているうちに、自分まで悲しくなって、泣き出してしまった。ナカニシは怒鳴り散らすのを止め、わたしを抱き上げ、そっとあやしてくれた。

 「おお……ごめんな。よしよし、怖くない、怖くない……」

 わたしは我に返った。

 ナカニシは、生涯しょうがいの夢が破れて、それでもへらへら笑っているような、そんな人ではなかったはずだ。何かがおかしかった。どこかに間違いがあった。でも、その何かが、どこかが、わたしには分からなかった。

 「望美、大丈夫か?」

 わたしは振り返った。少し離れてナカニシが立っていた。

 ナカニシはしょげ返った顔をしていた。心配そうにこちらを見ている。両手は、どこへやったらいいか分からないようだった。そんなナカニシの姿を見ているうちに、わたしの胸のつかえは取れてしまった。わたしは微笑ほほえんだ。

 「うん、もう大丈夫」

 「望美、本当に悪かった。お前があんなに傷つくなんて。俺は、馬鹿だったよ」

 「ううん、そんなことない。

 ナカニシが一生懸命やって駄目だったんなら、そうなる運命だったんだよ。わたし、ナカニシが苦労してること、気が付かなくて、お馬鹿さんだった。さっきはえらそうなこと言って、ごめんなさい」

 ナカニシはそっと手を伸ばして、わたしの肩に置いた。わたしはナカニシを見上げた。

 「望美、俺はお前に言いたいことがある。でも、今は言えない。十年後か、二十年後には、話せるようになるかもしれない」

 「そんなに待たなきゃいけないの?」

 「ああ。でも、今言えることがひとつだけある。

 俺は、卑怯ひきょうなことはしていない」

 「うん。分かった」

 わたしたちは仲直なかなおりした。

 「さあ、いつまでここで日向ひなたぼっこもなんだし、一階へ降りよう。清治おじさんは相当、落ち込んでるぞ?」

 「わたし、おじちゃんにひどいこと言っちゃった。どうやって謝ろうか?」

 「はは……あんまり気にするな」

 ナカニシは少し笑った。

 「たまには劇薬げきやく処方しょほうも、必要だからな」


 気絶寸前にまで落ち込んでいた清治おじさんを、わたしがいかに謝り、安心させ、気力を取り戻させたかについては省略しょうりゃくする。

 おじさんはわたしに、午後の予定を伝えた。

 「おじさんとしんちゃんは、ふたりで外出する。大人の話があってね。夕食までには帰るつもりだが、都合つごうで遅くなるかもしれない。それでもおじさんは、必ず望美を家まで送るつもりなんだけど……。

 もし、お父さんが『すぐに帰れ』って言ってきたら、電話でタクシーを呼んで、それに乗って帰りなさい」

 おじさんはわたしに千円札を三枚持たせた。おじさんは少し、さびしそうだった。わたしのお父さんから信用されていないことを、つらく感じているからだ。

 ナカニシはおじさんに、ちょっとした頼みごとをした。

 「俺のノートパソコン、充電じゅうでんさせてもらっていいか?」

 「もちろんいいよ」

 ナカニシはノーパソにつないだ充電器じゅうでんきを、居間いまのテレビの近くにあるコンセントに差した。

 「じゃあ、行ってくる」

 「行ってらっしゃい」

 ふたりは、ナカニシが運転する灰白色のアコードに乗って、どこかへ出かけてしまった。突然、わたしはひとりきりになっていた。

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