3.(わたし) 故郷・神戸市熊見坂区のあらまし

 わたしたちがらしている、兵庫県ひょうごけん神戸市こうべし熊見坂くまみざか区は、兵庫区と長田ながた区の間にある。

 小さくて、たてに細長い区だ。六甲山の海側うみがわのなだらかな傾斜地けいしゃち、いわゆる『表六甲おもてろっこう』の一部である。


 熊見坂という名前の由来ゆらいは、はるか源平時代げんぺいじだいにまでさかのぼる。

 平清盛たいらのきよもり平家へいけ頭領とうりょう日宋貿易にっそうぼうえきの拡大に備え、奈良時代からあった古い港『大輪田泊おおわだのとまり』を整備するため、福原ふくはら(今の兵庫)にやってきた。その清盛がある日、坂道で熊が日向ぼっこをしているのを見た。そしてなぜか、大層たいそう感心したらしい。

 「われ、熊が坂にて寝惚ねほうけたるを見たり、げに頬笑ほおえましきかな」

 と、家来けらいたちにり返し、嬉しそうに語ったとか。それが元で、何のへんてつもないなだら坂が、以後は熊見坂と呼ばれるようになったという。


 大阪湾おおさかわんから熊見坂区に上陸じょうりくしてみよう。

 熊見坂区の海岸線かいがんせんは、みなと防波堤ぼうはていに作り替えられており、自然の砂浜は無い。港湾こうわん製造業地区せいぞうぎょうちくが、東西2.8キロ、南北1.5キロほどの幅で広がっている。それらは、関西の一大商業港いちだいしょうぎょうこうである神戸港の、西の端っこの小さな一画いっかく形作かたちづくっている。主な生産品は『ケミカルシューズ』と呼ばれる安価あんか軽便けいびんき物。

 港湾・製造業地区の上(北)を、JR神戸線が東西に横断している。熊見坂区……に限らず神戸市一円いちえんは、この線路をさかいに『海側うみがわ』『山側やまがわ』と呼ばれる。

 JR線の北側(山側)には、商業地区しょうぎょうちく帯状おびじょうに連なっている。こちらは東西2.3キロ、南北1.1キロほど。地域住民の日々の生活を支える店がほとんど。観光都市神戸のキャッチフレーズである「ハイカラ」「モダン」は、この地区には当てはまらない。モダン焼きなら、当てはまるかも?

 商業地区の上(北)から始まり、六甲山系の山腹部さんぷくぶいたるまでの地域には、住宅地が造成ぞうせいされている。この住宅地域は、熊見坂区全体のほぼ上半分を占めている。ただし、その面積の3分の1ほどは山地で、アカマツが主体の雑木林ぞうきばやしおおわれている。西部六甲山系せいぶろっこうさんけいのすそ野から中腹までの間に、海抜かいばつ10メートルから海抜100メートルまで、さまざまな高さの住宅地が入り組んでいる。まるで家の段々畑だんだんばたけだ。その広さは東西2.3キロ、南北2.8キロほど。

 これらの住宅地は、商業地区に近い立地りっちであればあるほど、いわゆる『下町したまち』である。わたしの家は、商業地区から500メートルくらい離れたところに建っており、わたしは『下町っ子」に当たる。

 六甲山系に近いほうの立地だと、いわゆる『やま』だが、近年、人口の減少げんしょう高齢化こうれいかが進んでいる。地蔵盆じぞうぼんの日にお菓子をもらいに行ったら、地蔵が無くなっていて、「ごめんね、去年でめたんよ……」と言われることは、毎年のようにある。

 山をえれば北区きたくだが、熊見坂区住民にとっては、日ごろ意識することのない区域である。思い出すのは、山間部さんかんぶにある鵯越墓園ひよどりごえぼえんに、お墓参はかまいりに行く時くらいだろうか。北区には他に森林公園もあり、お弁当持ってハイキングに、ちょうどいい。この公園、阪神淡路大震災はんしんあわじだいしんさいの時には、陸上自衛隊りくじょうじえいたい通信中継所つうしんちゅうけいしょ設営せつえいしたこともあるんだって。


 最後に、人口はおよそ4万7千世帯せたい9万7千人。

 以上が、わたしの故郷ふるさと、熊見坂区の今日こんにちの姿、といったところです。



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