第4話「彼の中の昭和」

 ――セントガブリエル&チャーチル女学院。

 戦前より存在する、由緒正しき乙女達のまなである。総生徒数は1.400人……日本は勿論もちろん、世界各国から集まる少女達が良妻賢母りょうさいけんぼを目指す。中高一貫教育のミッション系スクールで、政財界の御息女ごそくじょも多数在校していた。

 そんな中で、早速緋山霧沙ヒヤマキリサはエスケープしていた。

 ばっくれて、授業をサボっているのである。


「しっかし、落ち着かない場所……なんか、うへぇって感じ」


 静けさに満ちた校舎を出れば、周囲には森が広がっている。

 都心の一等地に、東京ドームより何倍も広いキャンパス。流石さすが御嬢様教育おじょうさまきょういくのマンモス校である。少し踏み出せば、あっという間に霧沙は森の旅人になった。

 耳元のイヤホンからは、いつも聴いてる音楽。

 その調べに時折、鳥や虫の鳴き声が入り交じる。


「ふーん、学校自体はアレだけど……なんか、雰囲気いいじゃん」


 生い茂る木々の枝葉が、頭上の空を奪い合っている。

 瑞々みずみずしい空気は新鮮で、とても首都東京のド真ん中だとは思えない。

 生命の息吹と音楽、それしかない静けさ。

 むしろここでは、自分が持ち込んだ音楽すら雑音に思えた。

 だが、そんな彼女を背後から呼ぶ声。


「見つけましたっ! 霧沙ちゃーんっ! ハァ、ハァ……教室に、戻りま、しょぉ」


 振り向くと、真っ赤な髪の少女が駆けてくる。

 頭の上にはピョコンと、大きな大きなアホ毛が揺れていた。

 先程同じクラスに編入した、咲駆さきがけエルだ。彼女はふらふらと疲れた足取りで霧沙の前まで来て、両膝に手を当て俯いた。

 したたる大粒の汗を手の甲で拭って、彼女はピッカピカの笑顔を向けてくる。


「よかった、きっと学校が広くて迷子になったんだと思って。さあ、戻りましょう! 先生もみんなも、待ってます!」

「えっと、その……パス」

「パス、ですか」

「そ。これは自主的なサボタージュなんだよね。そゆことで」

「あっ、まま、まっ、待ってくださぁい!」


 さらに森の奥へと、霧沙は歩く。

 実は、集団行動が苦手だ。ボーイッシュなボブカットに、華奢でしなやかな体つき。酷く目立つ可憐な姿は、嫌でも周囲に人を集めてしまう。

 だが、騒がしいのは嫌いだ。

 好きな音楽で、外の喧騒は全てシャットアウトしている。例え、防衛省特務B分室ぼうえいしょうとくむビーぶんしつことブルームB-ROOMの仲間でも、エルの溌剌はつらつとした快活さは霧沙には眩し過ぎた。


「ついてこなくていいって。授業あるんでしょ? 行きなって」

「いやいや、いやいやいやいや……そこは霧沙ちゃんも一緒じゃないとっ。わたし、心配して学校中探し回ったんですっ!」

「ってか、もう授業が始まってる時間だよね? 出なくていいの?」

「はっ!? し、しまった……エヘヘ、ちなみにここ……どこ、ですか? 教室はどっち……」


 やれやれと霧沙はあきれてしまうが、不思議と憎めない。

 並んで歩けばエルの方が背が高いが、同じ歳とは思えぬくらいに幼い印象があった。彼女は覗き込むようにして、歩きながら話しかけてくる。

 こんなに屈託くったくのない人間は、初めてかもしれない。

 同性の王子様として見る女子は多いし、異性の御姫様おひめさまにしたいという男子はもっと多かった。だが、自分を心配して駆けつけた挙げ句、迷子になる人間など初めてである。


「なんか、霧沙ちゃん……ピクニックみたいですよね!」

「そぉ?」

「はいっ! お弁当も持ってくるべきでした……おやつもです。わたしとしては、バナナはおやつに含まず別腹にして欲しい感じです」

「ふーん、まあ……お腹が空いたら戻れば?」


 霧沙はイヤホンの繋がった携帯電話を操作し、音量を少し絞る。

 そんなことしなくても、エルの声は元気よくハキハキと響いていた。

 それが不思議と通りがよくて、今は好きなバンドのボーカルがまるでコーラスパートのように遠ざかる。


「霧沙ちゃん、そういえば……この間、どうでしたか?」

「この間、って……ああ、砲騎兵ブルームトルーパーの操縦?」

「はいっ! 指揮官さんが、霧沙ちゃんは凄いてきせー? そう、パイロットの適正があるって言ってました。確かに、凄かったです……こう、ブッピガーン! って動きで!」

「まあ、。……模擬戦、ボロ負けだったけどね」


 そっけなく応えても、エルは右に左にと周囲を回りながら話しかけてくる。

 まるでじゃれつく子犬だ。

 鬱陶うっとうしいはずなのに、悪い気がしなくてついつい口を滑らせてしまう。

 これがエルの持つ妙な魅力だ。


「そう言えば、指揮官さんが言ってました! わたし達の砲騎兵ブルームトルーパー、自分の使いやすい武器を選んでおけって」

「ああ、そういえば……成太郎セイタロウ、そんなこと言ってたなあ」


 部隊を束ねる平成太郎タイラセイタロウは、先程メールを送ってきたのだ。

 わかりやすいことに『かくいん、つかいやすそうな武器やそうびをえらんでおけリストは後ほどメールで送る』というだった。なお、本文はなかった。

 多分、成太郎には携帯電話は難し過ぎたのではないだろうか?

 彼は戦中の昭和に生まれ、そこからずっと眠っていたのだという。

 霧沙も、あの眠そうな顔を脳裏に浮かべれば、思い出し笑いが止まらない。


「あっ、霧沙ちゃん笑った! ねね、なにか面白いこと、ありましたか?」

「いやだって、成太郎のメール」

「指揮官さん、きっと忙しかったんですよ! あ、それで」

「ああ、うん。ボクはなんか、よくわからないけど……エルは?」


 待ってましたとばかりに、エルは霧沙の前に回り込む。

 進行方向に背を向け歩き、彼女は得意げに喋り出した。


「わたし、こういうのは詳しいんです!」

「へぇ、そうなんだ」

「まずは、定番のロケットパンチです! こう、ひじから先がシュドー! ゴォォォ! って。で、次は目からビームがミガァァァ! って」

「……砲騎兵ブルームトルーパーって、顔に目がないよね」


 それに、ロケットパンチもビームも、成太郎の送ってくれたリストにはなかった気がする。なんとなく、口径の数字が大きい銃器が、つよっぽいというのは霧沙にもわかった。だが、アサルトライフルだのショットガンだの、あまりよくわからない。

 砲騎兵ブルームトルーパーは搭乗者によって出力やパラメータが違うため、装備できる量や種類も変わる。

 そういった意味ではむしろ、その日その時で魔力量がチグハグなエルの方が心配だ。


「結局、成太郎に相談するしか……ああ、うわさをすればほら」

「あっ、指揮官さんです! なにやってるんでしょう」

校務員こうむいんの仕事……じゃ、ないよね、あれ。なんだろ」


 不意に視界が開けて、森が途切れる。

 そこには何故なぜか、テニスコート程の広さの畑があった。そこで額に汗を流して働いているのは、あの成太郎である。

 霧沙とエルに気付いた彼は、首にかけた手ぬぐいで顔を拭った。


「むむ、霧沙とエルか。……今は授業中の筈だが」

「んー、ちょっと休憩、かな? ね、エル」

「え、あ、んと、これは……かっ、課外授業なんです! 自主的な!」


 なんじゃそら、と霧沙はついつい笑ってしまった。

 逆に、眠そうな真顔で成太郎は「そうか」と納得したようだ。


「ね、なにしてんの? これ、成太郎の畑? 正面玄関前の花壇かだんに植えればいいのに」

「そっちの手入れは先程終えた。これは、有事に備えて野菜を植えている」

「有事?」

「そうだ、配給が止まってもいいように食料を確保している。……ああ、日本が無条件降伏したのは知っているぞ。ちゃんと灘姫ナダヒメから聞いている。しかし、七生報国しちしょうほうこくの気持ちがあれば、常に備えをおこたらないのが日本男児だ」


 卜部灘姫ウラベナダヒメは成太郎へ、平成32年の世界情勢、日本の現状を正確に伝えたのだろうか? なにやら、向こうには洞窟どうくつのようなものが見える。あれはもしや、教科書で昔ちらりと見た防空壕ぼうくうごうなるものかもしれない。

 おいおいと霧沙がタジタジになっていると、成太郎はふと真っ直ぐ見詰めてくる。

 結構、美形だ。

 眠そうなにごった蒼い目以外は、整った中性的な顔立ちである。


「その、両耳のはなんだ? ふむ……電探でんたんたぐいか?」

「はぁ? これは、ほら……聴いてみなって」


 イヤホンの片方を差し出し、霧沙は溜息ためいきこぼす。やはり、彼の頭の中はまだまだ昭和と地続きなのだ。そして、あの戦争はまだ継続中なのかもしれない。

 自分達の勉強よりもむしろ、成太郎へ歴史と現状を教える必要がありそうだ。

 その成太郎だが、グッと顔を近付けイヤホンを片耳に捩じ込む。

 顔が近くて、少しドキリとした。


「むっ! 敵性音楽てきせいおんがくだな。……こういうものが聴ける時代ということか」

「そゆこと。どう? ロックでしょ」

「ロック?」

「そう、ロック。それは生き様、生き方……それを音楽で表現するのがロック」


 エルがせがむので、もう片方のイヤホンも渡してやる。

 神妙な顔でエイトビートに聴き入る成太郎は、やはり同世代の男子なのに不思議な印象を霧沙に刻みつけた。

 だが、そんな時にジリリリと、クラシカルな電話の音が鳴り出す。

 今どきそんなベルの音を着信にしている人間は、この場に一人しかいなかった。

 イヤホンを外した成太郎は、わたわたとポケットからスマートフォンを取り出した。だが、なにをやっているのか要領を得ない。そしてベルは鳴り続ける。


「成太郎、電話だってば」

「わかっている。……落ち着け、平成太郎。確か、とかいうので」

「ああもう、貸しなって」

「す、すまない……まさか、有線ケーブルの必要ない電話がこの世にあるとはな」


 どうやらスマートフォンの操作はやはり、まだまだ勉強が必要なようだ。見かねて霧沙が操作し、着信に応じる。電話の向こう側では、先ほど話題にのぼった灘姫の声が弾んでいた。

 だが、その緊張感に欠く声が伝えてくる。

 ついに、D計画ディーけいかくが動き出した……霧沙達に初めての出撃命令が下った瞬間だった。

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