第10話 火と影と

「あらぁ、多楽多たらくたチャンいらっしゃーい」


 カマーがお出迎えである。


「すみません。全然顔出してなくて」

「いいのよ。気が向いたときに来てくれれば。何もかも掛け持ちできる器用な子なんていないもの。でも多楽多チャンはそれができちゃいそうだから、コンテストには絶対に出場してね」

「そんな」

「あら、謙遜しちゃって。可愛いわね。でもこれは部長のお墨付きだから、本当に自信を持ってね」

「部長って?」

「最初に挨拶した人よ。あなたの面接をした人でもあったわね」

「ああ、部長だったんですね」


 そういえば確かに面接のときに即戦力って言っていたな。


「あの人、人を見る目は凄く良いのよ。だからだいたいあの人が推してくる人は間違いないの」

「僕もその一人ということですか」

「そうなの。だから、いつもの練習には来れなくても、コンテストだけは出て頂戴ね」


 僕にやる気を出させるための優しい嘘とも取れるが、この人は嘘を吐かないと瓦来さんも言っていたし、本当にそうなのだろう。

 こんなにも期待をされた事が、今までの人生の中であっただろうか。

 こそばゆい幸福感に緩んだ顔で、その日の練習を行った。




 帰りの際に、歌の部屋に通う女性からあれこれ聞かれた。どんな歌が好きなのか、どんな曲を唄うのか、歌を唄う時は何を心掛けているかなどなど。


 とても元気で可愛らしい子であった。金色の髪と褐色の肌が彼女の活発さをより強調していた。黒のチューブトップとスキニ―パンツとヒールの高いブーツサンダル、と上から下まで黒で統一された、配色的には地味にも見える服装であったが、ブーツサンダルから覗く真っ赤に塗られたペディキュアとキラキラの石が鏤められた派手で大きめのベルトバックル、金色に輝くブレスレットが上手く色味を足しており、寧ろ派手だと感じるくらいであった。背はヒールの高い靴を履いているにも関わらず僕よりも頭一個分は低く、話していると自然と上目使いになる。僕はなぜだか照れくさくなり、時折目を逸らして話していた。


 しかし、余り面識のない人がなぜ突然話しかけてきたのだろう。と不思議に思ったが、恐らく鎌富さんとの一連の会話を聞いていたのだろう。彼女も歌が好きでプロになりたくてここに来ている。スキルアップの為に人に色々聞くのは当然のことであるし、何よりどうやら僕が凄い人のように会話されていたのだから、それは聞きたくもなるだろう。実際の歌唱力は別として。


 それにしても面識がないのは僕だけなのかというくらいフランクな子である。恐らく僕の方が年上だが、全く気にしていないというようだった。


 僕も初めこそ敬語を使っていたが、向こうがため口で話してくるので、距離を置くのがバカバカしくなり、最終的にはため口になっていた。このように一気に距離を詰めてフレンドリーになってくる人間は正直信用ならなかったが、邪気も屈託もない太陽のような笑顔が、猜疑心さいぎしんという氷を溶かしていった。何より言葉使いこそ粗野であるものの、質問の内容は真面目で敬意を込めたものばかりであった。


 満更でもないというよりは、それを超えて、いい気になって彼女の質問に答えていると、せかせかと歩いていく吾忍辺あしのべさんを目の端にとらえた。


「あ、じゃあ、またね」


 短く言って切り上げ、吾忍辺さんの元へ走る。

 エレベーターの前で扉が開くのを待っている彼女に声をかける。


「お疲れ様」

「多楽多さん。ああ、良かった。もう帰ってしまったのかと思って。私、なんだか今日は作品の中にグッと入り込めたというか、沈み込んでしまったというか。とにかく多楽多さんが居なくなっていることに気付かなくて、いつも通り声を掛けようとしたらいなかったので焦りました」


 肩で息をしながら早口に言う彼女は、まだ焦りが消えてないようだった。

 エレベーターの扉が開き二人で乗り込む。

 閉じる直前にバタバタと走ってくる音が聞こえて、慌てて開くボタンを押す。


「ありがとう!」


 中に入ってきたのは先程の女の子だった。


「話の途中だったのに急に走り出すからびっくりしちゃった!」

「え。あの話まだ続いていたの?」

「ひどーい!」


 まるで子供のような振る舞いの彼女をキョトンと見ている吾忍辺さんがふと僕の方を見る。


「ああ、この子は……ごめん誰だっけ?」

「ええ!? さっきから多楽多ちゃん酷過ぎ! あれ? でも自己紹介まだだっけ?」

「多分聞いてないよ」

「申し遅れました。火倉ひぐら里緒さとおです」


 ぺこりとお辞儀をされ、吾忍辺さんも深々と背を折り返す。


「吾忍辺子頼こよりです」


 吾忍辺さんの下の名前を初めて聞いた気がする。


「じゃあ自己紹介も済んだし、お腹が空いたし、ご飯行こっか多楽多ちゃん」

「え!? どうしてそうなるんだよ!?」

「えー、いーじゃんせっかく仲良くなったんだしー」

「いつから仲良くなったんだ! さっきちょっと話しただけだろ」

「だからその続きがしたいの。終わってないもん。ねーいいでしょう?」


 僕の服の袖を引っ張りながら耳元でギャーギャーと喚く。助けを求めるように吾忍辺さんを見るが、彼女は俯いて目を逸らしている。なんだかこれは凄く勘違いされていないだろうか。そもそも僕はこの後吾忍辺さんとご飯へ行く予定だったのだ。


「悪いけど」


 言いかけたところで扉が開いた。

 外に出ながら、僕の言いかけた言葉を遮断するように火倉が言う。


「ねー、一緒にご飯食べよ? こよりんも一緒に行こうよ」


 全く会話の外に居たと思っていた吾忍辺さんに突然会話が振られた。

 吾忍辺さんは目を見開いて、口を噤んだまま首を縦に振った。咄嗟とっさの事で逡巡しゅんじゅんの隙間もなかったようだった。


 こうして一方的に賑やかな宴が始まるのであった。


 居酒屋で飲んでいるうち気が付いた。いや、もうずっと前から気付いていたのだが、やはりその通りであったことを確信したというべきであろう。

 吾忍辺さんは火倉のようにやたらとはしゃぎ回る人間がとても苦手だ。

 僕も正直得意な方ではないが、友達にこういう人間もいるので耐性はある。だが恐らく吾忍辺さんの交友関係にこういう人間は皆無なのだろう。ずっと圧倒されっぱなしで、全く会話に入ってこない。そして酒だけが進んでいく。

 僕と二人で居酒屋に行ったこともあったが、ここまで飲む人じゃあない。大丈夫なのだろうか。

 そんな心配とは無関係に夜は更けていき、気が付いたらもう電車も残り少ないという時間にまでなっていた。


 会計を済ませ、三人とも足早に駅へと向かう。どうやら火倉も同じ駅へ向かうようだったが、電車の進行方向は逆方向だった。

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