第50話 その一撃で仮面は剥がれ(前編)

 繁華街を抜けた真之達は、地図と紺の探知能力を頼りに住宅街をバイクで走る。

 時刻は既に深夜〇時を過ぎており、本来ならば街全体が寝静まっているころだ。住宅街の住人のほとんどは既に避難しているようで、人の気配がほとんど感じられない。


「あそこのマンションから、人外の気配が漂ってきおるぞ」


 乾いた血で汚れたスーツの内から、ハヅキの身体を借りた紺が声を出す。ヘルメットを脱いだ真之は彼女の指示に従い、バイクを道路の端に停車させて降りた。

 慎重にマンションの前へと近づいていくと、全身黒ずくめの人間が二人、街灯の下で周辺を警戒しているのを見つけた。ヘルメットにゴーグル、ボディアーマーを身にまとい、両手にはアサルトライフルを構えている。


「なんじゃ、あの怪しい連中は」

「県警の特殊部隊だ。ということは、ここでアタリのようだな」


 真之が近寄ると、特殊部隊の隊員達はライフルの銃口を彼に向ける。


「誰だっ。ここは既に避難区域だぞ」

「さては、暴力団員か、空き巣の類だなっ」


 こんなときにまで足を引っ張るのは、真之の凶相だった。


「自分は、神柱護衛官の建宮真之巡査であります」


 不審人物を見る目を向けてくる隊員達に、真之は身分証明として警察手帳を取り出してみせた。隊員達はそれに目を通したものの、すぐには信用しないようだ。


「神柱護衛官が何の用だ」

「……こちらに、自分達の護衛対象である半神の方が捕らえられている、という情報がありました」


 真之が声のボリュームを落として言う。ゴーグルのせいで隊員達の表情が窺えないが、真之を煙たがっているのは気配で伝わってきた。当然の話だが。


「ここは我々の管轄だ。神柱護衛官の出る幕じゃない」


 隊員の一人がそう言うのとほぼ同時に、マンションから男の短い悲鳴が聞こえてきた。それも哀れな多重奏だ。

 隊員達は無線でどこかに連絡を入れる。


「こちら、アルファ六。何があった」


 どうやら、他の特殊部隊の隊員達が既に現場に突入しているらしい。ここにいる二人は、外部の人間が何も知らずに近づくのを防ぐ役割、といったところか。

 真之のスーツから出た紺が、妖力を使って宙に浮かんだ。


「人外の気配が先程よりも濃くなっておる。どうやら、派手にやり合ぅておるらしいな」


 すると、大人と思われる人影が、マンションの三階の手すりから落下していくのが見えた。隊員二名が慌てて駆け寄り、真之と紺もそれに続いた。

 地上の駐車場に落ちた人間は、隊員達の仲間だったようだ。彼らと同じ装備をしているが、胸のアーマーには大きな鉤爪のような痕が刻まれている。明らかに、人間の所業ではない。真之はすぐに、犯人の正体に思い当たった。


「大丈夫か!」

「……ばけ、ものが、出た」


 隊員の呼びかけに、落下した仲間はそう言い残して力尽きた。意識を失ってはいるが、幸い、命には別状はなさそうだ。仲間の仇討ちに燃える隊員達二人は、ライフルを構える。真之が見上げると、三階の一室から何人もの人間が出ていくのが見えた。


「ターゲットが逃げる。追うぞ!」

「了解っ!」


 隊員二人がマンションの階段前で待ち伏せする。

 その直後、小さな影が三階から降ってきた。地上の獲物を狙う鷹のごとき、俊敏な動き。一直線で隊員達に襲いかかる。

 その影であるフードを被った小さな子どもは、鋭い爪で隊員の一人の喉元を狙う。そこへ、漆黒の槍が文字通り横槍を入れた。子ども――ヒスイは、すぐにそれを察知して、その場から飛び退く。


「ム」


 マンションの二階の手すりに足を乗せたヒスイは、奇怪な眼を殺気で光らせる。

「猿のような身のこなしじゃの」


 妖気の槍を飛ばした紺は、呆れたように言う。

 その間にも、一〇人近くもの男達がマンションから出てくる。駐車場に駐車されていた複数台の車に乗り込んでいく中に、真之は見知った顔を見つけた。

 大きなケージを持った若い女。芹那だ。


 三台の車のエンジンが同時にかけられ、車体のランプが灯る。

 真之は、そのうちの一台の傍まで瞬速で走り迫っていく。硬質の拳が窓ガラスを一撃で粉砕。そのまま運転手の胸倉を掴んだ。必死に抵抗しようとする運転手を、ドアの外に引きずり出す。


「てめえっ!」


 運転手がやられてしまっては、逃げることができない。助手席や後部座席に乗り込んでいた男達が、血相を変えて車から出てくる。

 真之は、後部座席から出てきた男の鳩尾に、右拳をめり込ませた。さらに、男の頭を使って後部座席の窓を叩き割る。その間に、助手席にいた男が振り下ろしてくるナイフ。真之は皮一枚分で回避。ナイフを持った相手の腕を掴み、投げ飛ばしていく。


「まったく、最後まで邪魔をしてくれるわね。真之君」


 後部座席の反対側のドアから、ケージを持った芹那が出てきた。苛立ち混じりの声とは裏腹に、ふてぶてしい笑みを顔に貼り付けている。


「あれだけの銃弾を浴びて、まだ生きているなんて。半神なんかよりも、よっぽどの化け物ね、あなた」

「……道内先輩」

「おっと、動かないでちょうだい」


 芹那は手に持った拳銃の銃口を、ケージの中で震える大和の顔に向けた。


「下手な動きをすれば、この子に鉛玉をプレゼントするわ。あなたと違って、この子は不死身ではなさそうよ。一発でももらえば致命傷になるかもしれない」


 真之が身動きを取れなくなったのを見て、芹那は形勢逆転を確信したのか、垂れた眼を余裕たっぷりに細めた。

 そこに、彼女の足元から出現する黒い蛇。不意を突かれた彼女が反応するよりも先に、二匹の蛇は素早く両手に絡みつく。


「同じ手を二度は喰らわんぞ、小娘」


 紺は、芹那を睨めつけるように静かな声を向ける。彼女が生み出した妖気の蛇は、芹那の両手首に噛みつき、拳銃とケージを奪い取った。蛇のうちの一匹は拳銃を噛み砕き、もう一匹がケージをその場から弾き飛ばしていく。


「建宮さん。そんな可愛らしい姿になってまで、息子の付き添いかしら。そろそろいい加減に子離れした方がいいと思うわよ」

「それについては、お主に指摘される筋合いなどない」


 紺が妖気の蛇達を使って、さらに芹那を縛り上げようとする。が、そこにヒスイが割って入り、蛇を爪で引き裂いた。


「芹那、ダイジョウブ?」

「ええ、ありがとう、ヒスイ」


 ヒスイが芹那を庇うようにして、前に立つ。そこから車を挟んだ先で構えていた真之は、芹那の後ろへと回り込んだ。正面には、人形の紺が宙を浮かんでおり、挟撃の状況となっている。


「紺。あんたは、そちらの半神の少女を頼む。俺は、道内先輩の相手をする」

「待て、真之。お主は――」


 有無を言わさぬ口調の真之に対し、紺は反論しようとする。

 それを邪魔せんとばかりに、ヒスイが紺の懐へと一瞬で潜り込んだ。短く吠え、長い爪で切り刻みにかかる。


「ガァッ!」


 紺は蝶のように優雅に舞い、そのラッシュ攻撃を危なげなく避ける。


「ちぃっ、邪魔をするでない!」


 その間に、紺に命を救われた特殊部隊の隊員達が、大和の入ったケージを確保する。芹那が即座に奪い返そうと動くが、真之が間に立ち塞がった。

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