第45話 決意の眼差し

 ボロボロの身体と点滴のスタンドを引きずりながら、真之はエレベータに乗って最上階に向かう。VIP用病棟に到着すると、エレベータ前に待機していた病院の警備員らしき男達に捕まった。怪しい者ではない、と説明しようとするが、彼自身がどう見ても怪しい風貌の持ち主であることは自覚している。


 どうしたものか、と頭を悩ませているところで、見知った男が病棟の廊下を歩いているのを見かけた。眼鏡をかけたその男は、真之の存在に気づくと、呆れた様子で彼のもとへ近づいてくる。


「何をしている、建宮」

「課長」


 真之が反射的に敬礼すると、彼の上司である中年の男性課長は、頭を押さえながらため息を吐いた。黒いスーツに黒いネクタイで、細い身体を包んでいる。一見、ひょろ長の頼りない印象を与えるが、今でも神柱護衛官の第一線で働く現場主義者だ。


「紺殿のおかげで命を繋いだといっても、今のお前が重体患者であることに変わりない。早く自分の病室に戻れ」

「しかし、自分は宗像結衣さんの護衛の任を命じられております。ぐっ……身体が動くのならば、任を果たすべきと思う所存です」


 呼吸をするたび、歩くたびに胸や腹部の傷が痛みとなって響く。それでも真之は真剣な眼差しで課長と向き合った。


「……まったく、新人のくせに、度し難いまでのクソ真面目さだな。いや、新人だからこそ、か。ああ、すみません。彼は私の部下でして。通していただいても大丈夫です」


 課長が、申し訳なさそうに警備員に頭を下げた。真之は課長に連れられて、病棟のフロアの隅に移動する。

 課長は細いフレームの眼鏡に指をかけながら、真之を見上げた。


「で、何が聞きたい?」

「結衣さんの容態はいかがでしょうか」

「紺殿のおかげで、傷は完全に塞がれている。彼女の息子であるお前に向かって、こう言うのも何だが。お前よりも宗像結衣さんの方が、この街にとってはるかに重要人物だからな。お前が命だけは助かった状態であるのに対し、宗像さんの身体は完全に回復するまで治癒されていた。紺殿としては、できればお前の身体も治癒したかったのだろうが、如何せん時間が足りない」


 当然の判断だろう。もしも、紺が結衣よりも真之を優先していたなら、彼は義母に詰め寄って本気で怒鳴っていたところだ。紺が苦渋の決断をしたことについては、息子として労ってあげたかった。


「治療は完了したが、今度は『鍵』を締めることに全身全霊を込めている。はっきり言って、いつまで彼女の体力が持つか分からん。宗像大和さんが拉致されたことは、既に聞いているな? 一刻も早く救出し、鍵を締めなおさねばならん」

「ですが、『楔』の方はいかがするのですか?」

「破壊された『楔』については、現在急ピッチで修理が行われている。予備や試作の『楔』も各場所に運び込まれているが、それらの準備が完了するまでに、封印が完全に解かれてしまったら意味がない。こうしている間にも、街の被害が増大しているんだ」


 課長は糸のような眼を、忌々しげにさらに細めた。それから、話題を変える。


「道内の裏切りにより、我々は上層部に疑われている。残った神柱護衛官の中にも、他に内通者がいるのではないか、とな。私もそれについては危惧している。部下を疑わねばならんのは、上司として悲しいが。といっても、神柱護衛官以外にも、警察内部に礼賛神徒が潜り込んでいたことが発覚したから、現場の手が足りんのが現状だな。おかげで、こうして我々は護衛の任を解かれずに済んでいるというわけだ」

「その、道内先輩が礼賛神徒であった、というのは本当なのですか」

「さすがに信じられんか。私も同感だよ。彼女は優秀だったからな。しかも、強硬派の中核メンバーである、と昨日逮捕した礼賛神徒が先程自白した。その情報を得るのがもう少し早ければ、まだ手の打ちようがあったんだが。ともあれ、我々の情報が全て向こうに筒抜けになっていたのは確かだ」


 課長がやるせないといった表情で首を左右に振り、真之が持つ点滴のスタンドに視線を向ける。


「宗像大和さんの救出と、道内達の逮捕についても警察は動いている。管轄は我々と異なるがな。紺殿が捕縛した礼賛神徒から、奴らのアジトの場所を吐かせたそうだ。市内にあるだけでも数カ所。それらのうちのどれかに宗像大和さんが捕らえられているか。あるいは、既に殺害されているのか。上層部は最悪の可能性も想定し、その上で特殊部隊を派遣している」


 大和の殺害。礼賛神徒の過激さを考えれば、十分にあり得る可能性であろう。それでも、真之達としては生きているという希望に縋るほかない。

 そこまで聞いた真之は、今朝遭遇したフードの少女を思い出す。


「今朝、自分が交戦した人外の少女がアジトにもいるはずです。あれを無力化するのは、特殊部隊でも至難の業かと。かく言う自分もお恥ずかしながら、手も足も出ませんでした」

「ああ、お前の報告にあった少女だな? 紺殿も交戦したらしい。上層部から聞いた情報によれば、国立研究所から逃げ出した実験体だったんだそうだ。名はヒスイというらしい、と紺殿から聞いた」


 そこで、エレベータのドアが再び開いた。中から出てきたのは、シワだらけの白衣をスーツの上に着た男だ。先日、宗像家にやってきた、須藤という名の『神造り』の研究者だった。

 須藤は、傲慢そうに鼻息を荒くし、自らの身分証明のカードを警備員に突きつけた。警備員を押しのけながら、フロアに入ったところで、真之と課長の存在に気づいたようだ。怒りを顔中に滲ませながら、夜中の病棟に大声を響かせる。


「おいっ、宗像結衣はどこかね!」

「あなたは確か、国立研究所の」

「このような事態が起きたのには、君達警察にも責任があるからな! 君達が宗像結衣を我々に引き渡さなかったせいで、我々の研究が大きく遅れている。彼女を使った半神の量産が成功していれば、『鍵』の制御など容易いものだったのだよっ」


 課長の話を遮り、須藤は自分の話したいことだけを叫ぶ。感情がヒートアップして、口から飛ばされた唾が真之の入院着に飛び散った。


「龍神の遺伝子を注入した実験体はどれも安定性に乏しく、そもそも力がまるで低いっ。あれでは、『鍵』の制御どころか、『鍵』に触れることすらできない。まだ性能がマシだった被験体B一三九ですら、基準値をまるで満たしていなかったのだ。そのB一三九も、我々に感謝するどころか、研究所から逃げ出してしまった」


 勝手に盛り上がっている須藤に対し、真之は話を割り込ませる気にもならない。

 B一三九という被験体。

 それが、あのヒスイという異形の少女ではないだろうか。


「さっさと、宗像結衣を出したまえ! 神は交配から一日で出産できるのだからね。今からでも遅くはない、彼女を使って新しい半神をいくつも生み出すのだ!」

「宗像さんは現在、『鍵』の制御に集中しています。妊娠と出産に耐えきれるとは、とても思えません。第一、我々に与えられた任務は彼女を護衛することであり、彼女を差し出す権限は与えられていません」

「分からないのかね、そんな悠長なことを言っている場合ではない! 薬物を投与してでも、妊娠と出産を繰り返させればよいのだ。その後に死んだところで、遺伝子さえ採取できれば問題はない」


 話は完全な平行線だ。

 課長は近くにいた護衛官に命じ、須藤を病棟からつまみ出す。肩を竦め、真之の顔に冷静な視線を向けた。


「やれやれ。あの様子だと、次は国の許可を引っさげてきそうだな」

「課長」


 真之は居ても立っても居られず、真っ直ぐな目で進言する。


「礼賛神徒のアジトの場所を教えて下さい」

「何をする気――いや。奴らの本拠地に乗り込むつもりか」


 真之の揺るぎない瞳を見て、課長は呆れ果てた様子で頭を振った。


「我々、神柱護衛官の任務は犯人の逮捕ではないし、そもそも逮捕の権限は与えられていない。あくまでも、神を護衛することが職務だ。そんな初歩の初歩も説かねばならんのか?」

「自分の護衛対象である宗像大和さんが、敵に捕まっています。ならば、救出することも我々の任務の範囲内ではないかと」

「あのな。その満身創痍の身体で何ができるというんだ。大人しく、特殊部隊に任せておけ」

「今は非常事態です。それに、手が足りない、とおっしゃったのは課長ご自身です」

「私はお前の上司だ。お前の命を預かるからには、相応の責任がある」


 厳しく言う課長に対し、真之は一歩も引かずに挑むように分厚い胸を張った。課長からすれば、若造の覚悟など鼻で笑うようなものだろう。それでも、一度決めたことを貫き通すつもりだった。

 そうして、視線を交わすこと、数分。

 課長が根負けしたようで、深い溜め息を吐きながら病院の天井を見上げた。


「……アジトに乗り込むのなら、こうしている時間も勿体無いな。まったく、厄介な男を部下にしたものだ。ああ言えばこう言う。母親に似たのか」

「課長は、義母とお知り合いだったのですか」

「ああ。一〇年前の霊災がきっかけでな。あのときは神柱護衛官という役職はなかったから、別の部署の警官として彼女と出会った。色々と面倒をかけたし、面倒を被ったよ」


 課長は、「死んでも知らんぞ」と言い置いてから、アジトの場所を複数箇所、真之に教えた。

 それから、懐に手を伸ばし、バイクのキーを真之に向かって放り投げる。


「持っていけ。私の愛車だ。病院の裏に駐輪してある。外の混乱の具合から見て、車よりもバイクの方が小回りも利くだろう」

「あ、ありがとうございます!」

「礼はいらん。生きて帰ってきたら、後で始末書を書かせてやる。配属からわずか数日で始末書とは、とんだ問題児だな」


 真之は課長に敬礼をし、エレベータに戻る。


(待っていて下さい、結衣さん。大和さんを必ずやお救いしてきます)

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