第36話 犠牲なくして社会科見学はなく

 それから、二時間後。


「また赤信号か。嫌になっちゃうわね」


 車の助手席に乗った芹那が、苛ついた様子で肩を竦めた。運転席でハンドルを握る真之は、無言で頷き返す。彼らの乗る車は、住宅街から少し離れた先の車道を走っていた。そのすぐ前には、大きな観光バスが三台、縦に列を組んでいる。真ん中のバスには結衣も乗車しており、それを護衛するのが真之達に与えられた任務だ。


「それにしても、真之君が交戦したっていう、その怪しい子ども。一体何だったのかしらね」

「課長の話によれば、『神造り』の研究所から脱走した、特殊な実験体の可能性が高いらしい。厄介なことに、礼賛神徒がそいつを拾って匿っているんだと。それ以上の情報は機密ってことで、教えてくれなかったが」


 芹那の疑問に、後部座席に座る先輩護衛官が飴を口の中で転がしながら答える。彼は大の愛煙家だが、さすがに仕事中は煙草を封印し、代わりに飴玉で我慢していた。


 今朝、謎の子どもの襲撃事件が終わった後。真之は警察の事情聴取に応じた。宗像家の前で殺害された遺体は、やはり全て神柱護衛官のものである可能性が極めて高いそうだ。一連の襲撃事件への関与の疑いがある礼賛神徒については、公安も動いているらしい。

 この車に同乗している芹那や先輩護衛官は、夜勤の警備に参加していなかったため、あの場で謎の子どもに襲われずに済んだ。


「これまでに比べて礼賛神徒の動きが活発化したことについては、やつらが統制を失いつつあるって情報だ。組織内の穏健派と過激派でかなり揉めているらしい」

「そのまま組織が崩壊してくれればいいんですけれど」

「そう簡単にはいかないさ。ここ二日で姫と王子を殺害しようとしているのは、おそらく過激派の連中だろう。やつらが本格的にテロ事件を起こすってことは、市民の命にも関わってくる。一度燃え上がったテロリストは歯止めがきかなくなって、他人の身の安全なんて全く考慮しないだろうからな。まあ、そもそも怨霊の復活を目標に掲げている時点で、今更な話だが」


 信号のランプが青に切り替わり、車が再発進する。そこで、真之も会話に参加した。


「ならば、今日の社会化見学に結衣さんを参加させたのは、間違いだったのではありませんか? 今朝、襲撃事件があったばかりですし、普段の学校生活と違って護衛がしづらいのは確かです。他の生徒達の身にも危険が及ぶやもしれません」

「俺も課長にそう進言した。だが、返ってきたのはノーの言葉だ。あれだけ大勢の生徒達の中にいれば、礼賛神徒達も手出ししにくいだろうってな。楽観的すぎると俺は思う」


 先輩護衛官が苦虫を潰したような顔で愚痴るのを、真之はバックミラー越しに確認した。


 結衣達の学年は今日、社会科見学のために学校を離れている。行き先は、市内にある『神造り』の工場施設だ。昨日、国の研究者と揉めたばかりなので、真之としては結衣の不安を煽るのではないか、と心配だった。そうでなくとも、自宅前で凄惨な殺人事件が起こったばかりなのだ。今の結衣は精神的に不安定だろう。


 留守番をする大和については、神柱護衛官以外にも警察官を大幅に増員し、宗像家の周辺を警備してもらっている。五人も神柱護衛官が一度に死亡したので、さすがに神柱護衛官達だけでは手が足りなくなったからだ。それでも警備に不安が残るため、明日中にセキュリティーがもっと厳重な場所へ双子が移住することも決定していた。二日連続で白鱗神社が襲撃されたのだから、当然の処置ではある。それでもかなり遅い判断だ、と真之は思う。上層部は事態の重さをよく理解できていないらしい。


「まあ、課長の一存で決まったわけじゃないからな。上の連中が何を考えているかは分からんが、苦労させられるのは俺達下っ端だ」


 そう軽口を叩いていた先輩護衛官の声が、ガラリと変わって底冷えのする低さを纏った。


「今朝殺されたやつらは、とびきりの馬鹿ばかりだったが、とびきりの良いやつらばかりだった。礼賛神徒の連中には、相応の報いを受けさせなきゃいかん」

「……そうですね」


 真之と芹那は、言葉を選びながら共に頷く。


 謎の少女に殺された同僚の神柱護衛官達については、真之も世話になった者達ばかりだ。神柱護衛官になるための訓練では、鬼かと思うほどにしごかれた。それだけ目をかけてくれたのだ、と感謝を忘れたことはない。

 そんな彼らが突然、あのように無残な死に方をすると想像できていたか? 

 無論、職務の関係上、いつ誰に殺されてもおかしくないと覚悟をして当然だ。しかし、真之は、仲間の死を平然と受け流せるほどの冷徹さを持ち合わせてはいなかった。


(あんなことが二度と起こらないよう、昨日逮捕した礼賛神徒から上手く情報を引き出せれば良いのだが)


 そればかりは、彼にはどうすることもできない。署では、容疑者達に対して厳しい取り調べが行われているはずだ。良い結果が出ることを祈るほかなかった。


 湿っぽい雑談をしているうちに、観光バス御一行は目的地の施設へと到着した。

 素早く駐車した真之達は、急いで車を出る。大型車用の駐車場に駐車していく観光バスの傍らに、横一列になって待機した。お喋りをしながらバスを降りていく生徒達の中に、浮かない表情の結衣の姿もある。真之達は生徒達の集団行動の邪魔にならないよう、彼らが作る縦列の後ろに続いていく。


 生徒達の中には、真之達の方をチラチラと見ながら、小声で何やら囁き合う者が何人もいた。毎日彼らが学校で待機しているのは周知の事実なのだから、今更、神柱護衛官が珍しいというわけでもあるまい。


「あのう、生徒の中に怯えている子がいますので、なるべく離れていただけませんか」


 学年主任の教師から申し訳なさそうに要望を差し出される。その視線の先にあるのは、鬼のごとき悪相を持った真之だ。学校側に頼まれては、無下に断ることもできない。真之は、できる限り生徒達の視界に入らないよう、芹那達からさらに離れた位置に控えることとなった。


「お前、神柱護衛官よりも、マル暴に配属された方が良かったんじゃないか?」


 先輩護衛官から本気でそう心配されるのも、無理からぬことであった。これでは、学校での護衛に支障が出てしまう。結衣ではなく、宗像家に留まって大和の護衛をしていた方が良さそうだ。上司に説明して配置換えをしてもらうべきか、真之は本気で検討した。


「ようこそいらっしゃいました。私、本施設の責任者を務める者です」


 施設の入り口の前では、作業服を着た初老の男がやや硬い笑みを浮かべ、生徒達を出迎える。緊張しているのか、それともこういった案内が苦手なのか。


「『神造り』の工程についてですが、まずはこちらをご覧になっていただきましょう」


 そう言って、責任者の男は施設内に先頭で入っていく。生徒達の集団も縦に二列を作り、後に続いた。一方の真之達護衛官は、施設の外も中も警戒する。


 施設内は空調が強く効いており、真之にはやや肌寒く感じられるほどだった。長い廊下の左手側には分厚いガラス窓が張られ、その向こう側に緑色の毛を持った子猫が、壁に縛り付けられていた。猫の額には、小さな角が生えている。


「あそこにいるのは、低級の神です。これから、他の低級の神と交配させます」


 責任者の男が手で合図をすると、作業服を着た若い女が子猫の神のもとに近寄っていく。女の腕には、青色の毛で覆われた子犬が抱かれていた。あれもまた低級の神であろう。


「神と神の交配は、我々動物のように生殖行為を必要としません。彼らの間で精神の交信をすることで、妊娠します。あの二柱には薬を投与してあるので、暴れることもありませんよ」


 続いて案内された先では、低級の神々の集団を一箇所に集め、ガスで屠殺している。そうして残った死骸の群れがベルトコンベアで移動させられ、巨大なプレスで無残に潰された。この機械は『神造り』のために独自開発され、表面が特殊な霊気でコーティングされた代物だ。動物ならば潰されるとミンチになるところだが、神の場合、死んだばかりの肉体は物質化した霊気の残滓がある。それを機械で、一枚のインゴットのような形に加工していくことで、『楔』の一部として利用するのである。

 冷徹なまでの流れ作業だった。


「うわっ、可哀想」

「あんなに可愛いのに」


 見学する生徒達の多くは、顔をしかめている。

 愛らしい風体の家畜牛を屠殺し、食肉に加工する工程を見学させられるようなものだ。ショッキングな映像に普段、縁のない生徒ならば、顔を背けたくもなるだろう。


 生徒達の一人がポツリと漏らす。


「……宗像さんも将来、ああなるのかな」


 その呟きを耳ざとく拾い上げた責任者の男が、ケロリとした顔で説明をする。


「高位の神の方々については、別の形で協力をお願いしております。ですが、より強固な『楔』を製造するためにも、近い将来、あれらと同じ工程に参加していただきたいと考えています。とはいえ、高位の神を人工的に交配させる研究はまだまだハードルが多く、現時点では実用化には至っておりません。ですので、なおのこと高位の神々には研究に協力していただきたいのです」


 昨日、宗像家にやってきた須藤と同じことを言う。『楔』製造の現場に携わる者ならば、皆がそう考えているのだろう。


「えー、あんなことするなんて、宗像さんが可哀想だよ」

「でも、『楔』を強化するには、宗像を研究しなきゃダメなんでしょ」

「そんな、あんな小さな神と、宗像を一緒にするなんて、ひどい。宗像は、僕らのクラスメイトじゃないか」


 生徒達の意見は様々だが、研究に否定的な意見の方が多いようだ。普段、自分達が結衣と同じ学校で授業を受け、言葉を交わし、笑いあっているのだ。彼らにとって、結衣は「人間」に近い者として分類されているので、心情としては同情的にもなるのだろう。

 同時に、「低級の神ならば、人間のために犠牲になって当然」という考え方は、生徒達に染み付いているようだった。これも教育の結果か、と真之は胸中で呟く。


 そんな中。


「何、綺麗事言ってんだ。怨霊が復活して、俺達が死んじまうかもしれないんだぞ!」


 そう怒鳴るのは、坊主頭の男子生徒だ。その顔には、真之も見覚えがあった。あれは確か、昨日の昼休みに職員室で、結衣に悪口を吐き捨てた生徒ではなかったか。


「おい、宗像。さっさと研究に参加しろよ。お前のワガママのせいで、皆が迷惑してるんだからなっ」


 坊主頭の男子生徒は、自分よりも列の後ろに並ぶ結衣に、がなり立てた。対する結衣は何も言わず、悲しげに俯いている。

 その場は、担任教師が間に入ることで、どうにか落ち着いた。


 その後、一時間ほどで施設全体の見学を終えた生徒達は、施設を出て観光バスに乗車していく。すると、施設の敷地を守る門の辺りが、何やら騒がしいことに真之は気づいた。


「これ以上の人間の傲慢を許すな!」

「神の権利を認めろ!」


 どうやら、『神造り』に反対する者達による、デモ活動のようだ。彼らの手が持っているプラカードには、「非道な『神造り』を許すな」と大きな字で書かれていた。礼賛神徒ではなさそうだが、一般市民の中にもこうした反対派は根強く存在する。特に、信仰心を教育されてきた高齢者が参加しているケースが多い。一〇年前の霊災までは当然のことと受け入れられていた考え方だが、今では少数派になりつつあった。


 それらを遠目に見ていた学校の教師達が、呆れた口調で溜息を吐く。


「やれやれ。反対派は現実が見えていない」

「まったくです。人間が安心して生きていくためには、神の家畜化が急務ですからね」

「人間が神に頭を下げる時代なんて、とうの昔に終わったのに。時代錯誤な連中です」

「宗像も早く家畜になってくれれば、我々の仕事も少しは楽になるんですが……おっと失礼」


 バスの傍で警護していた真之の耳は、教師達のぼやきをしっかりと拾っていた。

 結衣が学校に通っていることが、学校側に負担を強いているのは彼も承知している。それでも、「自分達の教え子に早く家畜になってほしい」という意見に対しては、嫌悪感を抱かずにいられなかった。


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