第34話 血溜まりの子ども(前編)

「少々言い過ぎたか……?」


 通勤電車に乗った真之は、先刻の一件について思考を巡らせる。


 彼が玄関から出るときまで、紺は泣きじゃくっていた。あそこまで大泣きする義母を見るのは彼も初めてだったので、あやすのに苦労した。結局、後ろ髪を大いに引っ張られながら、自宅を出てきたのだ。

 禁止案を提示するにしても、いきなり高いハードルを用意しすぎただろうか。もっと段階を踏んでいった方がよかったのかもしれない。


 ――さっきの建宮さんの心配した顔を見たでしょう? あなた、普段からまともに感謝の言葉を言えていないんじゃないかしら? 親子といっても他人なんだから、自分の気持ちをちゃんと言葉にしないと相手に伝わらないわよ。


 昨日の芹那の忠告を思い出す。


 自分の気持ちを誤解させずに伝えるのは、簡単ではないのだと痛感した。元々、自身が口下手であることは真之も自覚していたが、それが悪い方に作用してしまったといえるだろう。

 こんなことでは、紺に大人として扱ってもらうことなど、夢のまた夢だった。


「帰りにケーキでも買っていくか? いや、さすがにそれは安直か」


 結局、趣味のクロスワードパズルもしないまま、目的の駅に電車が停車した。他の通勤客に恐れられながら、真之は改札口を出る。

 ふと見上げると、空は黒く濃い雲に覆われている。天気予報によれば、降水確率は一〇パーセントだそうだが、どこまで当てになるか分からない。折り畳み傘を念のために持ってきておいて正解だったかもしれなかった。


「……このままではダメだ、頭を切り替えねば」


 分厚い皮の頬を両手のひらで叩き、真之は自分に活を入れる。

 プライベートの問題を引きずって、仕事に悪影響を及ぼすようなことがあってはならない。真之の任務は、結衣と大和、さらに志堂市の住民の命に関わる重大なものなのだ。まだ任務二日目なのにこの体たらくでは、同僚達に後ろから尻を蹴飛ばされてもおかしくはない。


 駅を出て、徒歩で白鱗神社へ入る。鳥居をくぐるのと同時に、昨日とは空気が異なることを肌で感じ取った。


(何だ?)


 神聖で澄んだ空間を穢すように、血と暴力の臭いによって侵食されている。野生動物同士の争いにしては、荒々しさを感じさせた。そこまで考えかけたところで、真之は昨日の事件が脳裏に蘇る。


(まさか、とは思うが)


 礼賛神徒が再び、早朝から暴動を起こしたのだろうか。

 そう思いかけた矢先、紅い羽根を持った蝶が数匹現れ、真之のもとに近寄ってきた。


『あっ、あなた様は紺様のご子息ですね?』


 焦燥感たっぷりの中性的な声が、鱗粉と一緒に宙を舞う。幻聴でなければ、蝶が発したものであろう。自分のことを知られていた真之は、冷静に問い返す。


「あなた方は?」

『申し遅れました、私達はこの辺りの地に住む神です。亡くなられた龍神様に御恩があり、結衣様と大和様を見守らせていただいておりました』


 蝶達は自己紹介をすると、矢継ぎ早に話を重ねてくる。


『この先は危険です。怪しい者が突如現れ、神柱護衛官を次々と襲っています』

『このままでは、結衣様と大和様の御身が大変なことに!』

『ですが、私達の力では到底太刀打ちできません。どうか、お力をお貸し下さい!』


 ベテランの神柱護衛官達でも対処できないほどの敵ということか。真之は逸る心を抑えながらも、蝶に対する礼儀を忘れない。


「承知致しました。仲間を呼び、すぐに向かいます。あなた方は、神社の中に一般人が入ってこないよう、見張っていて下さい」

『はいっ、お気をつけて!』


 蝶達と別れた真之は、すぐにスーツのポケットから携帯電話を取り出した。地元の警察署と、神柱護衛官の上司にそれぞれ電話で簡潔に説明。宗像家を監視している部署が、既に応援の警官を派遣しているという。それを待っている時間の余裕はなく、砂利道を駆けて宗像家へ急行する。


 その先に広がっていた光景は、彼の想定した最悪のケースを超えていた。


(これは!?)


 真之は三白眼を見開き、鼻に突き刺さる臭いに顔をしかめた。


 宗像家の門の前に、五人分の死体が転がっていた。それも、尋常とはかけ離れた状態だ。どういう道具を使用したのか、首がねじ切られている者、胸に大きな穴を開けられた者、頭が潰されている者。それら全てが、血塗れのスーツ姿となっていた。明らかに、人の手でできる芸当ではない。顔が確認できるものの中には、真之の知る男もいた。神柱護衛官の同僚である。


 激しい後悔が彼の首を締め付け、思わず歯ぎしりをする。


(くっ、こんなことなら、もっと早く駆けつけるべきだった……っ!)


 血溜まりと死体による惨劇の場所に、一人の小さな影が立っていた。

真っ白なフードを被っているため顔が確認できず、性別を窺い知れない。真之の腰の高さにも満たないであろう小柄な身体から、相手がおそらく小学生くらいの年齢ではないか、と真之は予想した。


 怪我はないかと声をかけようとしたが、子どもの両手の爪が肉食動物のように鋭く伸び、大量の血で汚れていることに気づいた。衣服にも返り血が飛び散っており、状況証拠としては出揃っているといってもよい。

 仮に犯人ではないとしても、事件には関係があると見て間違いないだろう。


 それ以前に、この子どもが人間なのかも怪しい。


「大丈夫ですか、怪我はありませんか」


 真之は警戒を怠らず、子どもにゆっくりと近づいていく。


 そこで子どもははじめて真之の存在に気づいたらしく、ゆっくりと彼の方を向く。


「ダレ……? シンチュー護衛官?」


 声変わりを迎えていない少女らしき声は、どこかたどたどしく、片言のように聞こえる。子どもは、猫背気味に上体を折り曲がらせ、血の滴る爪を構えた。幼い身体から、獲物を狩る獣の殺気がたちのぼる。

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