第20話 誤解されがちな男

 マンションを出た真之は、自転車で道路を真っ直ぐに走る。途中、信号待ちをしながら空を見上げると、雲一つない秋晴れが、地上を穏やかに包み込んでいるのが見えた。


 五分ほどで最寄りの寂れた駅に着く。

 既に朝の通勤時間は始まっており、サラリーマンや朝練に向かう高校生がぞろぞろと集まっていた。真之は自転車を駐輪場に止め、駅の中に向かう。改札口に続く列に並ぼうとしたところで、ボランティアらしき若者が一人、ビラを通行人に配っているのが見えた。


「霊災の復興にどうかご協力下さーい」


 霊災。その単語を、この志堂市に住む人々は悲しい記憶と共に刻んでいる。


 一〇年前、志堂市に出現し、暴走した一体の巨人。

 その事件は、『霊災』と呼ばれるようになった。

 多くの人々が無慈悲に殺され、建物の多くは跡形もなく潰された。死傷者は三〇〇〇人を超えるとされている。かつて栄えていた街は、見る影もなく焼け野原となった。あれから復興が進められているが、建物がいくら新たに建てられようとも、死んだ者が帰ってくることはない。事件が原因となって、他の街へと引っ越していった人間も少なくなかった。

 霊災は、多くの者の人生を一変させたのだ。真之もそのうちの一人だった。


「復興にどうか――」


 ボランティアの若者が笑顔とビラを差し出してきたので、真之は「朝早くから大変だな」と感心しながら受け取る。が、次の瞬間、彼の顔を見た若者が、引きつった悲鳴をあげて飛び退った。


「ひいっ!」


 ボランティアの若者は、チンピラに因縁をつけられたかのごとき怯えようで、顔色を真っ青に染めあげた。

 真之は安心させるために声をかけようとする。その姿は、斧を振り上げようとする殺人鬼にも似た迫力を持っていた。


「あの」

「ご、ごめんなさいぃっ!」


 ボランティアの若者は、腰を抜かしながら、駅の前から逃げていく。その哀れな背中を見送りながら、真之は「またやってしまった」と後悔した。


「……うわ、あの人だ」

「……目を合わせるなよ。殺されるぞ」


 仕方なく、改札口を抜けて駅のホームへと着くと、真之の背中に小声がいくつも束になって刺さる。通勤時間真っ盛りの人混みだというのに、彼の半径一メートル以内には人が寄り付かない。


 真之は相変わらず、他人との距離感を掴むのが苦手だった。


 今思えば、小学生のころはまだマシだったのだ。しかし、思春期を迎えたころから、症状は悪化の一途をたどっていった。

 一二年間の学生生活において遅刻や欠席はほとんどなく、成績も悪くない。意識的に真面目であろうと振る舞っていたせいで、周囲に隙を見せなかったのも悪いのだろう。おまけに、軽口とも縁のないタイプだ。


 そして、何よりもその外見。

 図体が同年代の男子よりも一回り以上大きく成長し、顔つきも精悍を通り越して凶悪に形作られている。眉は剃っているわけでもないのに、元々限りなく薄い。二メートルを超える巨漢は、街を歩けば嫌でも目立つ。後はヒゲを伸ばせば、どこから見てもマフィアの構成員だ。せめて、目を隠そうとサングラスを一度だけ購入したこともあるが、かえって逆効果となり、迫力を増すだけとなった。そうした厳つい容姿と不器用な性格のおかげで、当時のクラスメイト達は特別な用件がなければ、話しかけようとはしてこなかった。


 要するに真之少年は、クラス内で浮いていたのだ。


『建宮君、その、これ、置いておく、ね? うぅ、睨まないでぇっ!』


 プリントを配ってくれた女生徒に感謝の言葉を返そうとしただけで、泣かれてしまい。


『おい、知ってるか? 建宮って、中学の卒業式のとき担任にお礼参りして、病院送りにしたらしいぜ』


 根拠のない噂話を広められ、どんどん尾ひれがついていき。


『隣の高校の連中が、ウチのシマに乗り込んできたんスよ。建宮さん、一発かましてやって下さいっ』


 同じ高校に通う不良達から、なぜか一目置かれるようになって。


 無愛想で口下手な真之は、なかなか誤解をとくことができなかった。実際は口下手な少年に過ぎない。それなのに、教師陣からも「いつ爆発して、問題を起こすか分からない」と恐れられていた。


 そんな彼が『警察官』になったという情報を同窓生が聞けば、どんな反応をするだろうか。


(ガセネタと片付けるだろうな、おそらく。いや、絶対に)


 学生時代の黒歴史を思い出しながら、真之は駅のホームでしばらく待つ。電車が到着すると、先頭車両に乗り込み、運転席のすぐ後ろにある扉前に立った。やがて扉が閉まり電車が出発するが、彼の周辺に他の乗客が近づいてこようとはしない。

そういった反応については慣れているが、真之はため息を小さく吐いた。先程受け取ったビラに目を通す。

 ビラの見出しには、『怨霊のいない平和への道を!』と書かれていた。


 巨人――かつて神だった怨霊は、再びこの地に封印された。市内に根を下ろす神々が手を組み、怨霊を押さえ込んだのだ。その中心を担ったのが、四本の尾を持つ狐の女妖怪と、龍神であったと言われている。

 ただのホラ話と鼻で笑う者は、少なくとも現在の国内では少数派となっていた。何しろ、怨霊や女妖怪、龍神らが力を使いせめぎ合う光景を、目撃した民衆が大勢いたからだ。マスコミの力だけでなく、個人のSNSなどを通じて瞬く間に情報が拡散してしまった。

 無事に怨霊を封印したとはいえ、いつ再び目覚めるか分からない。

 それに対して人間は、ただ怯えてはいなかった。これまでのように神々に全てを任せるのではなく、自分達で安全を勝ち取ることを選択したのだ。


(さて、電車が着くまでにまだ時間があるな)


 ビラを折りたたんで手提げ鞄に仕舞った真之は、ペンと一冊の本を取り出した。本の表紙には「歴史系クロスワードパズル」と書かれている。一昨日、本屋で購入したばかりの代物だ。


「……縦の五番、『足利幕府、一四代将軍の名前は?』か。確か、足利義栄だったな」


 扉の前で直立不動のまま、趣味を楽しむ。真之にとっては、脳のリフレッシュとして使える安らかな時間だ。


 それもわずか五分足らずで終了を迎える。


『次は、竜ヶ峰、竜ヶ峰でございます。お降りの際にはお忘れ物のないよう……』


 車内アナウンスを聞き、真之は本とペンを鞄の中に戻す。やがて、電車の扉が開くと、駅へと降り立った。


 改札口を出て徒歩で五分ほど歩いた先に、目的地の神社がある。


 今日は、彼の『警察官』としての新たな一歩だ。辞令が下され、この神社で暮らす一組の姉弟を警護する任務を命じられていた。

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