その日、僕は妖狐に拾われた

白河悠馬

小学生時代

傷ついて、拾われて

第01話 出会い(前編)

 お前には育ててやる価値なんてない。

 彼は、幼いころから、そう吐き捨てられるように言われてきた。


 彼、真之(さねゆき)は自動車の後部座席の真ん中に腰掛けながら、窓の外で流れる景色を眺めていた。居心地悪そうに肩を縮こまらせ、両手を膝の上に置いている。


 今年で小学五年生を迎えた真之は、同年代の男子に比べて一回り大柄で、引き締まった体格の持ち主だ。短く刈られた黒髪に、鋭く尖った両眼。学校などの場で彼を見かけたならば、多くの者が「ガラの悪い中学生」という第一印象を抱くだろう。それが今は、怯えて身を震わせる大きなウサギの状態となっていた。


 自分がこれからどうなるのか。

 その不安は彼にとっては何度も味わった経験だったが、少しも慣れることはない。


 真之を乗せたセダン型の車は、夜の街の国道を突き進んでいた。繁華街に灯されたネオンの色がいくつも重なり合い、車内に差し込んでくる。それらと共に、厳しい木枯らしが窓ガラスの表面を引っ掻いているが、車内はぬるい暖房で満たされているため特に影響がない。


「ああ、くそっ。なんで俺達がこんな貧乏くじを引かなきゃならねえんだ」

 後部座席の真之をバックミラー越しに見やる運転手の男。歳は確か、四〇代に差し掛かったばかりだっただろうか。弛んだ顎には無精ヒゲが生やされ、くたびれたスーツを着込んでいる。

「そんなの決まってるじゃない。あなたが馬鹿なことを言ったせいよ」


 そう毒づくのは、助手席に座る女。運転手の妻だ。茶色に染めた長い髪を、鬱陶しそうにかき上げている。

 二人が言う「貧乏くじ」とは、真之のことだった。

 現在は、親戚内の会合を終えての帰宅途中だ。集まりとはいっても、親睦を深めたわけではない。年の瀬に親戚同士で罵り合い、ババ抜きのようにジョーカーを押し付けあった。そのジョーカーこそが真之である。


 真之は、生まれて間もなく両親を交通事故で失った。その後は、親戚の家で育てられている。親戚達はいずれも裕福ではあるが、金食い虫の子どもを余計に養うのは厄介事でしかない。そのため数年に一度、親族内で会議をし、次の引取先について話し合う。彼は、親戚中をたらい回しにされ、生きてきたのだ。


 今日から一緒に暮らすことになるこの親戚夫婦は、これまで同居してきた親戚達同様に、真之に対して良い感情を抱いていない。マイナスからのスタートだ。ならばせめて、殴られたり食事を抜きにされたりすることのないよう、媚びへつらう必要があった。


「おい、真之。聞いてんのか。全部、お前のせいなんだぞ」

「……はい」


 突然、話を振られ、真之は声を詰まらせて返事をした。それがいけなかったのだろう、親戚の運転手は忌々しげに舌打ちをする。


「けっ、生意気に仏頂面をしやがって。気持ち悪いガキだぜ」

「ごめんなさい」


 真之は項垂れながら謝罪を返す。別に不貞腐れていたわけではない。

 愛想を振りまくことは苦手だった。笑顔をどうにか作ろうとするのだが、無理やり口元を緩ませようとすると、頬の肉が痙攣してしまう。ただでさえ厳つい顔立ちなのに、ぶっきらぼうな態度のせいで、子どもらしい無邪気さや素直さといった色が抜け落ちている。他人との距離を測るのにも苦労して、いつも失敗ばかり重ねてきた。


 自分の居場所を作ることができない。

 いつの間にか真之は他人と接するのに疲れてしまった。


(いっそ、神様にお願いして、消してもらいたい)


 彼がいなくなったところで、誰も困らない。それどころか親戚達は大喜びするだろう。虚しい感情が真之の中で芽を出し、日に日に育っていく。


 と。

「何だ、通行止めか?」

 親戚の運転者が怪訝そうに眉を曲げ、煙草を咥えていた口から煙を吐く。真之は釣られて、車のフロントガラスを見やった。


 三人の乗る車の前方では、車が大渋滞を起こしていた。道路工事でもしているのか、それとも事故が起きたのか。真之がそう思いかけた矢先、一台のバイクが車道の隙間を逆走して向かってくる。


「あっぶねえなっ! 何考えてやがるんだ」


 親戚の運転手が慌ててハンドルを切り、逆走するバイクを避けた。

 渋滞する車から降り、血相を変えて走る者も大勢いる。その光景は、地震から逃げ出すネズミの群れを、真之に連想させた。


 一体、前方で何が起こっているのだろうか。真之が目を凝らした、次の瞬間。


 それは現れた。


「へ?」


 フロントガラスに身を乗り出した運転手が、外の景色を見上げながら間の抜けた声を出す。後部座席の真之は少し反応が遅れ、鋭い両眼を大きく見開いた。

 前方で衝突事故を起こした車二台の真上から突然、巨大な物体が降ってきたのだ。

 人間の『足』にも似た形状のそれは、真之が車内からざっと見渡したところ、つま先から踵までだけでも、学校の体育館ほどの大きさだろうか。それが真上に向かって太く伸びていた。二台の車をアルミ缶のようにペシャンコに潰し、そのままアスファルトの地面を踏み壊す。そこからやや離れた地点にあるレストランの建物を、さらにもう一本の『足』が出現して踏み荒らした。二本の『足』は、ジオラマ模型を破壊する感覚で街を蹂躙していく。


 間違いない。これが混乱の根源だ。


 しかし、この『足』の正体が何なのか、考えるどころではない。

 真之達の乗る車の外では、繁華街での一時を楽しんでいた群衆が、悲鳴とともに逃げ惑っている。混乱した様子の彼らは、周辺一帯から全力で離れようとしていた。そのせいで、車道にも人が溢れ、渋滞を起こした車の列が身動きを取れなくなる。


「あ、あ、あ……」


 親戚の運転手は、パニックに脳を支配されたのか、まともに動くことができずにいる。隣の助手席にいる彼の妻は慌てて車から出ようとするが、シートベルトを外すという順序を忘れたのだろう、上手く外へ逃げられない。大人二人がその有様であり、子どもの真之は怯えるばかりでその場を離れることもできずにいた。

 現実からかけ離れた惨状に、真之の呼吸が荒くなり、顔が青ざめる。


 一方の巨大な『足』は、次のターゲットとして真之達の乗る車を選んだようだった。宙に上がったかと思えば、車の真上にゆっくりと踏み降ろされる。

 真之は恐怖のあまり、思わず頭を抱えながら目を閉じた。


「ひ、ひぇっ」


 親戚の運転手の口から間の抜けた悲鳴が漏れる。

 その直後、『足』は車のボンネットを圧砕した。金属が噛み砕かれる重音に紛れ、トマトが潰れる様にも似た生々しい音が車内に響く。

 それからやや遅れ、真之が恐る恐る目を開けると、惨劇が眼前に広がっていた。


「うぁ……っ」


 運転席と助手席のあった空間が見事にひしゃげている。ボンネットごと、真上からプレス機にかけられたかのような圧し潰されようだ。おかげで、車の前部の屋根はぐちゃぐちゃとなり、真之が助かったのは後部座席にいたおかげであろう。それでも、真之の頭上の辺りにある屋根も歪んでおり、彼がそれに巻き込まれなかったのは奇跡というほかない。

 後部座席にいたから助かった。

 つまり、運転席と助手席にいた親戚二人は。


「オジさん、オバさん……っ!」


 運転席と助手席の座椅子は、見事なまでに壊滅していた。屋根やボンネット部分によって潰された中のわずかな隙間から、ドロリとした液体がにじみ出ている。車内が暗がりなので、色までははっきりと真之の目には見えないが、それが血であることは彼にも理解できた。

 親戚の二人が生きている、という希望的観測を抱く余地を与えない。


 歯の根の合わない状態で、真之は後部座席のドアを開けようとした。だが、車が変形したせいだろう、右側のドアは上手く動きそうにない。ならばと左側のドアに思い切って力を込めると、どうにかゆっくりと開く。


 死ぬ物狂いで這いながら車内から脱出すると、真之の眼前にはまだ『足』が傲然とそびえ立っていた。

その『足』を見上げた真之は、今度こそ腰を抜かしてその場に尻もちをつく。


「ひぃっ……っ!」


 足の主がいた。

 繁華街に立ち並ぶ三〇階建ての高層ビルを、ゆうに超える全長。

規格外の大きさを持った巨人が、ゆらりと前傾姿勢で街を見回していた。

 身体の形状だけ見れば、人間に近いといっても良いだろう。マネキンと似た容貌で、鼻や目の輪郭があるが眼球らしきものが存在しない。頭は、平安時代の庶民が被る萎烏帽子らしきものを被っていた。体つきから見るに、男なのだろうか。全身がうっすらと透けて見え、まるで3Dホログラムの映像のように肉感が乏しい。それなのに、その足はアスファルトの地面を破壊し、手でビル群を薙ぎ払っていた。

大きな繁華街が瓦礫の山へと変貌し、あちらこちらで火の手が上がる。逃げ遅れた人が踏み潰され、無残な死骸と化す。

 その暴れようは、怪獣映画に登場する化物が現実に飛び出してきたかのようだった。


「あ、あわわ、わ」


 真之はとにかくその場から離れようとする。早く立ち上がりたいのに、腰に見えない重石がロープで腰に括り付けられたかのようで、身動きを満足に取ることができない。


 そうこうしているうちに、巨人が真之の方を向いた。巨人からすれば地べたを這いずる蟻にも等しい大きさであろうに、何が気になったのか、彼に向かって無造作に手を差し伸ばしてくる。


 逃げることすらできない真之は、全身を巨人の指で摘み上げられた。そのまま、じっくりと握り締められていく。巨人からすれば、大した力を込めたつもりはないのかもしれない。ただの人間、それも小学生の真之など、先程踏み潰された車よりも脆かった。


「かは……ぁ」


 手足の骨が砕ける音を、真之は聞いた気がした。さらに、肋骨ごと内蔵が圧迫されていく。

 生きる意味を見いだせなかった彼は、死を意識する。


 そこへ――

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