第24話 九条桃華3

 静かな俺の部屋。右耳に軽快なコール音が響く。九条さん、出てくれるかな。そんな不安を抱きながら祈る。そして、三回程なったその時。


「桐崎くん?」


 出てくれた!


 久々に聞いたその声。なんで電話してきたのか、と言いたげな口調で俺の名を呼ぶ声。


「いきなり電話してごめんね。その……今から時間もらえる?」


「うん、大丈夫だよ」


「良かった!」


「ふふ、すごく嬉しい。電話したいなーって思ってたから……」


「そっか……。あ、あのさ、調子はどう?」


 言った後に思う。調子はどうって何よ。ザックリしすぎだし。答えづらさしかないよ。


「大丈夫だよ! ありがとう桐崎くん。次はね、ちゃんと頑張るから」


「うん。俺にできることがあったら言ってね」


「ありがとう。その……それじゃあ、応援してほしいな」


「うんっ! するする!」


 応援や励ましで、埋められるもの。九条さんの力になれるなら、その全てをつぎ込みたい。


「ふふ、嬉しい」


 九条さんはそう言うと、黙ってしまった。俺も何を言おうか悩んでしまう。


 どうしよう……。本当は、夏休みが終わる前に一回遊べないか誘うために電話したのに。切り出せない。


 すると、九条さんが沈黙を破った。小さな声で話しだす。


「あと少しで、二学期だね」


「う、うん! そうだね」


「みんなに会える。すごく楽しみ」


 九条さん……。


「会いたいよ……」


「えっ……?」


 全然出ない声。この一ヶ月近く、俺の中に積み上げられた欲望が、溢れてしまった。


 分からないよ。俺のしてること、しようとしてることは正しいのか。でも、会いたいんだ。


「九条さん……。俺は二学期まで待てないよ」


 流れる沈黙。九条さんを困らせてしまう。俺のエゴで、また迷惑をかけてしまう。


 沈む気持ち。耳元からスマートフォンが離れそうになる。と、その時だった。


「私も会いたいよ」


 震えている声。か細く、どこかに消えてしまいそうな声だったけど、ハッキリと俺の胸に届いた。


 すると、九条さんは続ける。


「一日だけ……。ううん、少しだけでもいいの……。桐崎くん……。私、行くね」


「えっ?」


「またね」


 唐突に切られた電話。スマートフォンを耳から離し、画面を見つめる。


 九条さん、どうしたのかな。やっぱり困らせちゃったかな。


 スマートフォンを、そっと勉強机に置く。そして、ベッドの上に倒れこむようにして仰向けになる。


 それからずっと天井を眺めていた。どれくらい時間が経っただろう。頭に浮かぶのは九条さんの顔。そして、ついさっき聞いた震えた声。


 どんな表情してたのかな。


 と、そんな事を考えていたその時だった。静かな部屋に、着信音が鳴り響いた。


 九条さん!


 直感的にそう思った。ベッドから勢いよく立ち上がり、机の上のスマートフォンを手に取る。


 画面に映し出された名前は、九条さんだった。俺は焦りで震えた指で、応答ボタンを押した。


「もしもし……!」


「あっ! 桐崎くん。あ、あのね……」


 言葉を詰まらせる九条さん。何かが溢れそうな、そんな感じがした。


「ど、どうしたの?」


「あ、あの……。明日……空いてたりしますか?」


「えっ……?!」


 それって……。


「あ、空いてます!」


 そう答えると、九条さんは黙ってしまった。どうしたんだろう……。そう思ったその時。


「明日、遊びに行きませんかっ!」


「い、行きますっ!」


 反射的にそう答えた。すると、クスクスと堪えるような笑い声が聞こえきた。


「また敬語になってる」


「あはは。だね!」


「うん……。そ、その……それじゃあ明日、一時に駅前でどうかな?」


「うん! 了解!」


「それじゃ、また明日」


「うん! 明日!」


 夢みたいだ……。明日、九条さんに会える。溢れそうな気持ちが、胸にいっぱい広がっていく。


 そんな気持ちを隠すように、冷静を装い電話を切る。そして、震える手でスマートフォンを机に置いた。


「ひゃっほー!」


 叫んでしまった。あまりに大きな声を出してしまったせいか、母さんが部屋に押しかけてきてしまった。


 その日の夜。こんなにも明日が楽しみになったことが、あっただろうか。遠足前の小学生みたいな気分だ。


 早く寝て、しっかり備えたいのに。頬が緩んで目が冴えて、眠れる気がしない。


 そして迎えた朝。気付けば寝てしまうもんだなと思いながら、顔を洗いに行く。


 今日の一時、駅前か。時はまだ朝八時。まだ五時間もある。早く過ぎてほしい。ソワソワと落ち着かない心。


 俺は気を紛らわそうと、ゲームをしたり雑誌を読んだりした。しかし、すぐに気が気じゃなくなって、時計を見てしまう。


 はぁ……。まだ全然時間経ってないよ。って、そんなことより、どんな格好してけばいいんだ?!


 たんすを勢いよく開けて、服をかき分ける。普段、服の組み合わせだとか、そんなことを気にしていない俺。オシャレが分かっていない。


 あぁーっ! ヤバイヤバイ。分からない!


 と、頭を抱えていると。


「冬馬ー! 春輝くんと美来ちゃん来たよー」


「ええっ?!」


 部屋の外から母さんの声が飛んできた。こんな時に何の用だと、急いで玄関へ向かう。


「よっ!」


 美来が歯を見せて、手を挙げる。


「どした?」


 そう言うと、美来がわざとらしく大きなため息をつく。


「ったく。せっかく冬馬のために来てあげたのに。取り敢えず、あげてよ」


「え? まぁ、いいけど」


 訳が分からないが、二人を部屋にあげる。すると、美来がたんすの中を探り始めた。


「うわぁ……。冬馬、もうちょいマシな服ないの?」


「人の部屋入って、いきなりなんだよ」


 そう問うと、美来は俺の方に向いて、人差し指をズビシと向けた。


「あんた、今日デートでしょ? オシャレしなさいよ」


「えっ、なんで知ってるの?」


 ま、まさか盗聴されてるのか? とアホなことを考えていると、美来が嘆息する。


「昨日、九条さんから電話きたのよ。冬馬がどんな格好が好きか? ってね」


「そ、そうなの?」


「そそ。あっ、このことは内緒よ?」


「も、もちろん!」


「ふふ、せっかくだもんね。いい? いっぱい褒めるんだよ?」


「う、うん!」


 美来が優し笑みを向けてくれる。それに頷くと、美来も頷く。そしてまた、たんすの中を探り始めた。


 そして、服装の一式を選んでもらった。急いで着替えると、今度は春輝が俺の前に。そして、肩を掴む。


「よし、んじゃ次は髪だな」


「お、おう!」


 部屋を出て、洗面台に入る。すると、春輝がワックスを取り出した。そして、髪をセットしてくれた。


 鏡を見て思う。やっぱり春輝は器用だな。すると、春輝が微笑む。


「バッチリだな」


「春輝、ありがとな」


 そう言うと春輝は「頑張れよ」とだけ言ってくれた。それから、春輝と美来は何するわけでもなく、帰っていった。


 この為だけに来てくれたのか。ありがとう。


 それから時間が過ぎるの静かに待った。そして、とうとうやってきた出発の時間。入念に忘れ物チェックして、深呼吸を一回。


 玄関に出ると、母さんがやってきた。


「ふふ、頑張んなよ?」


「もちろん!」


 外に出れば、燦々と輝く太陽が迎えてくれる。澄み渡る青空に、大きな入道雲。天気も味方してくれてる気がした。


 夏休み、最後のイベント。大事な大事な思い出にするんだ。


 今行ったら何分前に着くだろう。何分でもいい。早く行きたい。


 いつもより軽い足。自然に早足になってしまう。暑さなんて、全く気にならなかった。

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