第8話式子の兄宮たち

 女房に案内されてやってきたのは、

式子内親王しょくしないしんのうの2つ年上の兄である以仁王もちひとおう(1151~1180)だった。

母親の実家である三条高倉邸に住んでいたので

世間では高倉宮、または三条宮と呼ばれていた。

ふだん着の直衣のうし姿である。背丈が低く、華奢きゃしゃな体つきなので

ひげが生えていなければ、女性が男装しているかのようだ。

白い肌に淡い青色がよくうつっている。顔だけでなく、

似合う着物の色まで妹の式子と似通っていた。

「やあ、ずいぶん腕が上がったね。外まで聞こえてきたよ。」

と快活な調子で以仁王は言った。

「お兄様の笛の腕前にはとても及びませんわ。」

謙遜けんそんする式子の顔は華やいでいた。

同じ母をもつ兄妹とはいえ、

兄は出家、妹は斎王として任地に赴き、

幼い頃に別れ別れになっていた2人の間はしばらく他人行儀だったが、

近頃ようやくぎこちなさが取れてきたのだった。

 1160年に仁和寺にんなじに入って

出家した第二皇子の守覚法親王しゅかくほうしんのうに続いて、

第三皇子の以仁王も天台座主てんだいざす最雲法親王さいうんほうしんのう

(堀河天皇第二皇子、式子たちにとっては大叔父にあたる)のもとで

修行していた。ところが1162年、以仁王が10歳ころ、

最雲法親王が死ぬと以仁王はどういうわけか還俗げんぞくしてしまった。

そして1165年、二条天皇(異母兄)の未亡人である

藤原多子ふじわらのまさるこの御所で元服してしまったのである。

 運のいいことに以仁王は後白河天皇の異母妹、

八条院暲子内親王はちじょういんしょうしないしんのう猶子ゆうしとなり、

庇護を受けていた。八条院は鳥羽法皇の最愛の皇女で

父母から莫大な遺産を受け継ぎ、広大な領地を所有していた。

女帝として即位する可能性すらあったといわれる。

 しかし平滋子の産んだ異母弟、高倉天皇が君臨している以上、

式子の同母兄、以仁王の即位は絶望的であり、

平家全盛の世の中で前途多難な人生を歩むことは明らかだった。

「今宵は月がきれいな晩だ。私の愛用の笛、小枝と合奏してみないか。」

と懐から小さな笛を取り出した以仁王は言った。

「はい、喜んで。」

と式子は微笑みながら答えた。

 2人の演奏はぴったり息が合っていた。

澄み切った音色がひんやりした風にのって

庭の前栽せんざい(植え込み)の茂みに隠れている定家の耳に届いた。

今日の定家はまた灰色の犬の姿に変化へんげしている。

お狐さんをやいのやいのと責め立ててまた妖術を使わせたのだ。

生霊いきりょうではなく、人間から動物に変身しているのである。

「やけに顔が似ていると思ったら、兄弟だったのか。なかなか男前だな。

 それいしても姫様、お兄様と話すときうれしそうだな。

 恋人かなにかみたい。」

と定家は少し嫉妬の気持ちを抱いていた。

 しばしの間定家は琴を弾いている姫君の

白く美しい手にほれぼれと見入っていたが、

先ほどの女房に案内されて、一人の僧侶が

入ってきた。それは以仁王より1つ年上の兄にあたる、

仁和寺御室にんなじおむろ(住職のこと)の守覚法親王しゅかくほうしんのう(1150~1202)だった。

この皇子も式子たちと父と母を同じくする兄弟だったが、

顔立ちはあまり二人に似ていなかった。守覚は以仁王同様、

あまり背が高くなかったが、体つきは骨太でがっちりしていた。

俗人の以仁王の着ている明るい色の直衣と僧侶である守覚が身にまとう

墨染すみぞめの衣が鮮やかな対照をなしていた。

「姫様と高倉宮(以仁王)様は母親似、この坊様は父親似

 なのだろうか。仁王様にちょっと似ているな。」

と定家は思った。もし出家せず、髪を剃っていなかったとしても、

美男子の部類には間違っても入らないだろう。

しかし顔つきは自信に満ちあふれ、みるからに有能そうであった。

「やあ、君たち、ずいぶんご無沙汰していたね。何年ぶりかな。

 叔母上(八条院)のところにご機嫌伺きげんうかがいをしたついでに尋ねてきたのだ。

 久しぶりに歌ってみたいな。忙しいから息抜きをする暇もなくてね。」

 守覚法親王は式子たちの奏でる楽器の音色に合わせて朗朗と、

とても豊かな声量で今様いまよう(この時代の流行歌)の歌を歌った。定家はうっとりと聴き入った。

「この坊さん、めっぽう歌がうまいな。」

と感心していた。お経を読むときはさぞかし聴きごたえがあるだろう。

 やがて歌い終わると、守覚法親王は太い眉を寄せて真剣な顔つきになり、

「今日はちょっとお前に話しておきたいことがあって訪ねてきた。」

と以仁王の方に向き直っていった。長らく疎遠で、

親しみを感じない兄にこういわれて以仁王は身構えた。

式子も緊張した面持ちではらはらしながら成り行きを見守っていた。

「お前は仏門に入るはずだったのに約束を破って元服した。

 お前が即位するという大それた望みを抱いていると

 都で口さがない連中が噂しているが、ほんとうのところはどうなんだ。」

と守覚は以仁王に声をひそめてたずねた。

「そのような悪口雑言あっこうぞうごんを流すのは 私を目のかたきにしている平家の者

 でしょう。ご自分の出世のために平家に取り入っている兄上には

 私の気持ちはわかりますまい。」

と以仁王が言い放つと、順調に僧侶としての

地歩を固めつつあった守覚はむっとして

「せっかく忠告しにきたのになんだ、その態度は。」

と腹を立てた様子だった。

 2人の兄弟は立ち上がり、にらみあいになった。

「どうしよう。高貴な方々でも兄弟げんかをするのだな。

 姫様はさぞ困っておられるだろう。

 何とかして差し上げたい。」

 たちまちいてもたってもいられなくなり、

犬の姿になっているのをいいことに定家は

「ワンワン!」と叫んで飛び出してきた。

 その姿を見て、以前自分の窮地を救ってくれた犬だと

式子はすぐに気づいて声をかけようとした。

 しかしそれより早く守覚法親王が

「この犬はもしや?」

というと、懐から扇を出してぴしゃりと犬の背中をたたいた。

すると・・・。



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