第17話 それからの日々

 晴れた空の下を私はのんびりとした足取りで歩いていた。

 向かうのは、クーノの家。家というより、神殿のようになってしまっている。

 クーノはすっかり神様として村に受け入れられていた。



 私が考えた案というのは、クーノを神様として村に迎え入れさせるというものだった。

 村の偉い人たちは無事に帰還した私を確認して、驚き、恐れおののき、そして泣いた。……年若い私を森へ行かせたという罪悪感は立派にあったらしい。

 村が青空を取り戻したことで、私がやり遂げたことを認識していたのだと言っていた。ただ、それは即ち私の死を意味することだと思っていたから、無事な姿は大層彼らを驚かせたということだった。そして、心底安堵していることも伝わった。


「私は森で神様に出会いました。その神様がおっしゃるには、『村の人々が私を祀ってくれないから力を発揮できず、こうして悪天候が続いてしまっている。五人の村の若者が長きに渡って私を守ってくれているため、ギリギリのところで存在を保てているが、それも怪しい。私が神である証として一度この雲を晴らしてみせよう。その代わり、村に私と守人の居場所を与えてくれ』とのことです」


 無事に帰ることができたのを不思議がる村の偉い人たちに、私はこう言ったのだ。

 すると、あっという間に神様とウォルたちの仮住まいが用意され、歓迎の宴が催され、彼らは村に帰ることができたのだった。

 ウォルたちのことを覚えている人たちがいたというのも良かったのかもしれない。

 六十年前にいなくなったウォルたちのことは、当時神隠しと言われていたらしい。そして、魔物の餌食になったと考えられていた。

 だから、六十年前の若い姿のまま彼らが帰ってきたことが、クーノが神様だということに信憑性を与えたみたいだ。

 空から分厚い雲が取り除かれたように、人々の心からも薄暗い感情は除かれたようだ。心配したようなことは何もなく、みんなの帰還は喜ばしい出来事として人々に受け止められた。本当に、拍子抜けしてしまうくらい、恐ろしいことなどなかった。

 まさかこんなにも自分の嘘が信じられてしまうとは思っていなかったから、私も驚いている。

 でも、何はともあれみんなの居場所が村にあってよかった。



「エミリア、神様のところに行くの?」

「そうよ」


 森に近いところにある神殿に向かっていたから、途中にある畑でマリエに声をかけられた。学校がお休みの日は、村の子供たちのほとんどは家の手伝いをするのだ。


「ねぇ、それなら朝摘んだ野いちごを届けてくれる? ジャムにしたものはまた今度お供えするつもりだけど」

「わかった」

「エミリアの分もあるからね。あんた、野いちご好きだもんね」

「ありがとう!」


 森から帰ってきたことを、彼女とユリアは泣いて喜んでくれた。聞けば私がいなくなったと知ってから、探しに行こうとしてくれたらしい。飛び出していこうとしたところを大人に何人がかりかで止められ、なだめられ、そうしてやっと思いとどまっていたのだという。その証拠に、マリエのお父さんの腕には彼女の歯形がしっかりと刻まれていた。

 ……森で見聞きしたものはやっぱり魔物の悪意に触発されて私が勝手に妄想したもので、彼女たちはちゃんと私の友達なのだ。そのことがわかって、今はすごく安心している。


「それにしてもその荷物……全部神様に?」


 私が手に持つバスケットを見て、マリエが驚いたように言う。


「そうなの。最近は私が薬草を摘みに外に出ただけでも、神様のところに行くのだと思われて村の人たちが色々持たせるのよ」


「“神の御使い”も大変ね。あんまり無理しないで。お互い落ち着いたらまた遊ぼうね」

「うん。またね」


 マリエに手を振って、私はまた森への道を歩き始めた。

 神の言葉を聞き、それを村に届けた私は“神の御使い”と呼ばれるようになった。まあ、呼び始めたのは村の偉い人たちだから、何とも言えない気持ちがするけれど。

 そのせいで、とりあえず神様にお供え物をしたい人たちは私に預けることが多い。まだ神様に対して畏れがあるのはもちろんだけれど、みんな元の生活を取り戻すために今はとにかく忙しいのだ。

 人々は、失われた営みを取り戻すために前を向いて、進み続けている。



「クーノ、入るね」


 周りに人がいないのを確認して、私はそう呼びかけた。

 村の人たちにとってクーノは神様でしかないため、名前を呼びかけることはない。それを淋しく思ったクーノが、せめて私だけは名前で呼んで欲しいと言うのだ。こうして呼びかけてから神殿に入らないとひどく拗ねるから、他の人に見られないよう注意を払っていつも呼びかけている。


「エミリア、来てくれたんだ」

「あ、ホラ吹き娘だ」


 神殿に入ると、クーノが笑顔で迎えてくれた。不名誉な名前で私を呼ぶクラウスもいる。

 みんながこうして村で暮らせるようになったのは有難いけれど、嘘はダメだとクラウスには言われた。先生を志すクラウスらしいけれど、私は嘘で人の命が助かるならついてもいいと思っている。誰かを追いつめる真実よりも、救える嘘のほうがどれだけ尊いことか、私は今回のことでよくわかった。


「クラウスは今日も勉強?」

「うん。研究を進めて、早く人に教えられる形にしたいからね」


 クラウスはクーノから魔法を習って、それを今度は村の子供たちに教えてあげるつもりらしい。今は村の学校で普通の先生をするかたわら、魔法の研究に勤しんでいる。クラウスの志は高く、魔法と学問の両方で村を豊かにしたいのだという。魔法が人々の生活に根差すようにならば、不幸な出来事も減らせるのではないかというのが、彼の考えだ。


「わあ、それ……またクーノに差し入れ?」

「そう。まだ作物がたくさん取れるようになったわけじゃないから、森で採ってきたものがほとんどだけどね」


 バスケットの中身をクラウスと一緒に見ながら、私は改めてお供え物の多さに驚いていた。みんな、暇を見つけては食べられそうなものを採ってきたり、それを加工してクーノにあげるものを作ったりしているのだ。神様への思いを伝えるのに、食べ物を備えるという方法以外、まだ思いつかないらしい。


「嬉しいけど……こんなに食べきれないよ」


 横目でちらりと見て困った顔をしてから、クーノはまた手元の作業に戻った。木を削り出しているから、私に持たせてくれたのと同じ杖を作っているのだろう。


「みんなが帰ってきたら一緒に食べたらいいよ。ウォルたちは?」

「ルーとハインは森に行きたい村人たちに付き添ってて、ティノは店を出す準備中。ウォルは……奥の部屋で勉強してるはずなんだけど、なぜかさっきからいびきが聞こえるんだよね」


 クラウスの言葉を聞いて奥の部屋を覗くと、教科書と石板に突っ伏してウォルが寝ていた。六十年の間に忘れてしまった勉強をもう一度させるんだとクラウスは張り切っていたけれど、それに乗っかったのはウォルだけだったのだ。でも、実際はこのありさまだ。

 ルーとハインは森の木や石を切り出したり村人の道案内をして過ごしているし、ティノは裁縫自慢の女性たちとオシャレな仕立て屋さんを開くと言って張り切っている。

 みんな、元の通りとは行かなくてもわりと楽しく暮らしているみたいで、私は安心している。“守り人様”なんて呼ばれて恥ずかしがってはいるけれど。


「エミリアのせいで大変なことになっちゃったよ。僕、別に何でもできるわけじゃないんだけどなぁ。……まぁ、ただの人間ってわけでもないから、村の人との距離はこのくらいがちょうどいいのかもしれないね」


 杖に細かな紋様を彫りながら、溜息まじりにクーノは言う。微笑んではいるけれど、その表情には少し影がある。寂しさと、静かなあきらめのような表情だ。


「クーノは、人間じゃないの?」

「半神半人っていうのかな。父が人間で、母が神なんだ。かつてこの大陸に緑をもたらした女神の話は知ってるでしょ? 彼女が僕の母なんだよ」

「え……」


 女神の話というのは聞いたことがあった。聞いたことがあったというより、この地方にとっては常識だ。

 この国に緑をもたらした女神様は、仕事を終えて天界に還られるまでのあいだ、この地方に滞在していたのだという。そのとき、人との間に子を為(な)して、その関係で本来の仕事を終えてからもしばらく地上に滞在してらしたという話だ。でも、それも二百年以上前の話のはずなのだけれど……。


「エミリア、不思議そうな顔をしてるね。無理もないか。僕は半分神の血が流れているから、時間の流れが人とは違うんだ」


 とは言っても老いるしいつか死ぬけどねと付け加えて、クーノは微笑んだ。でもその影のある微笑みが、彼がそれによってどれほどこれまで生きづらかったか、孤独だったかを物語っていた。

 他の人と時の流れ方が違ったり、特別な力があったり、こんなに美しかったりすると、やっぱり苦労しただろう。

 人は、自分とは違うものを畏れるか差別するものだ。どちらにしても、対等に扱ってくれることは少ない。畏れる気持ちも差別する気持ちも、結局は根っこは同じだ。そこにあるのは、自分とは異なるのだという、冷たい線引きだ。

 この村に来るまでもたくさん嫌な思いや辛いことがあっただろうに、ここに来てさらにあんなことがあったのだと思うと、クーノが可哀想で堪らない。人の群れの中に入ることもできず、ひっそり生きることも許されなかった、過去の可哀想なクーノ。彼を追い詰めたのは、今こうして神殿を造り供物を捧げているのと同じ人間たちだ。

 人間って、嫌だ。……そんなふうに思う私も人間だけれど。


「エミリア、そんなに悲しそうな顔をしないで。僕は今こうしてみんなといられることが幸せなんだから」

「……うん。私は何があってもクーノのそばにいるからね」

「ありがとう。それなら笑ってて。僕はエミリアの笑顔が好きだよ」


 クーノは目を細めて、優しい顔をして笑う。子供や小動物に向けるようなその慈しむ視線を向けられると、たまらなくくすぐったい気持ちになる。私よりうんと長く生きているからか、クーノが私に向ける視線は年長者が幼い者に向けるそれだ。

 嫌なわけではないけれど、少しだけ不満。陽だまりのような眼差しだけでは、物足りないと思ってしまう。


「さて。クーノのところに来たのは薬のことを教わるためだったのよ」


 自分の中にふと湧いた気持ちを誤魔化すために、私はそう言って荷物の中から薬草を取り出した。クラウスはいつの間にか奥のウォルのところに行ったみたいで、クーノと二人きりになっていた。


「はいはい。エミリアは勉強熱心だね」

「私もおばあちゃんみたいな薬屋さんになりたいの。薬で何でも良くなるわけじゃないのは知ってるけど、それでも色々な薬を知っていれば誰かの助けになれるから」


 一つの薬草でも、使う部位や扱い方で薬効は異なる。複数のものを組み合わせることによって初めて効果を発揮できるものもある。

 そういったことを覚えたり考えることは楽しいし、何より人の役に立てるから嬉しいのだ。

 御使いだなんて崇められてはいるけれど、私はちっぽけなただの小娘だ。それなら、せめて少しでも知識をつけて役立つ人間になりたい。


「良い子だね。じゃあ、勉強を始めようか。今日はこのニオイスミレについて話そう」

「うん」


 クーノがすっかり先生仕様になったから、私もそれに合わせて生徒になりきる。書いて覚えたのでは意味がないから、しっかり聞いてすべて頭に入れる。

 こうして先生と生徒になって物を教わっていると時間が経つのが早い。

 各々おのおの好きに活動している他の顔ぶれが帰宅するまで、私はこうしてクーノから薬について教わるのだ。

 貴重な、二人きりの時間。

 勉強中だからそんな不純なことは考えてはいけないのだけれど、クーノと一緒にいられらことが私は幸せだった。

 紡がれる言葉も、ふとしたときに浮かぶ笑顔も、すべて私が独り占めすることができるから。ふたりきりのときは、私だけのクーノだと思い込むことができるから。

 いつかクーノのそばに相応しい女の子が立つようになるその日まで――期限付きだけれど、そばにいられるだけで私は幸せだ。

 永遠じゃなくてもいいのだ。クーノが心を許し、共に過ごしてもいいと思えるような素敵な女の子が現れるまでの限られた時間だけでも、クーノとこうして過ごすことができれば。その思い出だけで、私はこれからの人生をきっと幸せに生きていくことができる。

 森の中にいたときは、再会を無邪気に思い描いていたときは、ずっとクーノのそばにいたいと思っていた。

 でも、村に帰ってきて自分の存在について改めて考えたときに、クーノの特別さに気づいたときに、隣に立つのは自分じゃないと気づかされたのだ。

 だから、今だけでいい。永遠に変わるほどの、素敵な思い出をもらえれば。

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