第6話 木々の陰からこんにちは

 耳に届くのは、焚き火がパチパチ爆ぜる音だけ。

 もう、ずいぶんと長いこと二人が何も言わないから、私も口を開くことが憚られた。

 せっかく一人じゃないのに、何もおしゃべりできないのは辛い。

 でも、だからと言って一人でペラペラ喋る雰囲気でもないから、ウォルとルーのどちらかが話し出すまで待たなくてはいけないみたいだ。


「……ウォルって言ったな」


 唐突に、ルーが言った。その声にそれまで伏せていたウォルが反応して、むっくりと起き上がる。


「うん。俺の名前はウォルフラムだ」


 ウォルが改めて名乗って、再び沈黙。

 何だっていうのだろう。

 どちらの名前も、別に珍しいわけじゃない。それなのに二人ともお互いの名前をブツブツ呟いて、また考え込むような仕草をした。


「たぶん、俺たちは知り合いだな」

「うん……俺もそう思う」

「……え?」


 沈黙の末、そうルーが言った。それにあっさりウォルも同意するから、驚いてしまった。

 何を考え込んでいたのかと思ったら、そういうことだったのか。


「記憶が曖昧なんだけど、何かお前の名前を聞いたら頭がざわざわしたんだ」

「俺もだ。よく見たら、顔も見覚えがある気がする」

「俺はない。喋る犬の知り合いなんかいないと思うんだが」

「犬じゃねーよ。エミリアの話だと、たぶん俺は呪われてるんだ。元は人間だよ。これだけ喋れるのがその証拠だ」

「は? 呪いって何だ? 適当に言ったんだけど、それなら俺も呪われてるのか?」

「たぶんな」

「ちょっと待って。その話詳しく聞かせて」

「それなら、俺よりエミリアに聞けよ」


 線というか壁というか、お互いを隔てていたものがなくなると、途端に二人は喋り出した。勢い良く喋って情報交換すると、今度は私の番とでも言うように二人はこっちを見る。


「あ、うん。わかった」


 二人が知り合いかもしれないということに驚いて反応が遅くなってしまったけれど、私が話さないことには先に進みそうにない。だから順を追って私のことと、神様のことを話すことにした。

 私のことは必要なかったかもしれないけれど、神様と出会った経緯やこうして森を歩いている理由を話さないことには呪いについても語ることができないから。



「なぁ、その神様って女神か?」

「え?」


 長ったらしくならないように、言葉を選んで色々と話したのに、まずルーが発したのはそんな質問だった。


「え、いや……その神様が美しい女神だったら俺もぜひとも会いたいなって。今すぐその住処に向かいたいくらい」

「……」


 わかっていたことだったけれど、このルーファスという小人は実に調子が良い。そしてスケベ。弱っているふりまでして私にキスをねだった人だ。スケベなのは確実だ。

 ウォルは呆れ返って、鼻を鳴らしたきりルーから目を逸らしてしまった。私もできたらもう相手にしたくない。


「なぁなぁ、どうなの? 女神様なの?」

「……男の人だよ。綺麗だけどね」

「うわー男かー。残念」


 本当に会いに行くつもりだったのか、ルーは心底がっかりした様子だった。期待させたわけではないのに、打ちひしがれ、萎んでいる。

 ルーだって神様が持たせてくれたご飯をこうして食べたのに。女神様じゃなかったってだけでこんなにがっかりするなんて、本当に失礼な人だ。


(神様は、すごく素敵な人なんだから)


 とにかくこの失礼な小人に神様のことをわからせたくて、私は神様について説明することにした。


「神様は、すっごく美しいんだから! 淡い金色の髪に、水色の目で、顔立ちはとっても整ってるの。色白だけど、別に不健康な感じはしなくて、華奢に見えるけど、意外とがっちりしてるのよ。それに優しいし、お料理は上手だし、魔法は使えるし。とにかく、すごく格好良いの!」


 言いながら、私を見送ってくれた神様のことを思い出していた。あの柔らかい笑顔と穏やかな落ち着いた声を思い出すだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「金髪に青い目とか……ますます女神様じゃないことが悔やまれる」


 私がせっかくその温かさに浸っていたのに、ルーが台無しなことを言う。

 脳内に理想の女神を思い浮かべているのか、目を閉じて手を合わせていた。

 何か言ってもらおうとウォルのほうを見たけれど、ウォルはルーではなく、私をジッと見ていた。


「エミリアは、その神様ってやつが好きなのか?」


 ウォルが、楽しくなさそうな声で私に尋ねる。ケーキの中のクルミが歯に挟まったときよりもより不機嫌な声だ。

 そんな不機嫌にさせることを言ったつもりはないから、戸惑ってしまう。


「え……うん、たぶん好き。助けてくれたし、優しくしてもらったから」


 私は嘘偽りなく答えたつもりだけれど、ウォルは「ふぅん」と言ったきりつまらなそうにまた伏せてしまった。


「エミリアちゃん、優しくされただけで好きになるなら、俺なんてどうよ? 俺、なかなかカッコイイと思うんだけど」


 ちょうどいい石の上に腰を下ろしていたルーが、とことこと私の前にやってきてポーズをとって見せた。

 小さいからよくわからなかったけれど、元の大きさに戻ったところを想像して見たら、背は高いしなかなか筋肉質な感じかもしれない。

 神様を“線の細い”と表現するなら、ルーは“男らしい”と言えそうだ。髪も目も黒色で、シュッと引き締まった印象だから、確かに女の子受けは悪くなさそう。年頃になってくると、女の子たちの中にはたくましい男性がいいという子も出てくるのだ。


「俺、女の子にモテモテだったんだからな」

「え? 記憶が戻ったの?」

「いや……わかるんだ! だって俺、いい男だからさ!」


 まるで覚えているみたいなことを言うから期待したのに、どうやらハッタリだったみたいで拍子抜けした。本当に、このルーファスという小人は調子がよくてどうしようもない。


「……もう寝ようか」

「そうだな」


 私は火がまだ十分に燃えそうなことを確認して、ウォルのそばに寄っていった。何だかすねている様子でも、一緒に寝るのは拒まないでいてくれるらしいことに安心する。


「呪いが解けて元に戻ったらさ、俺、カッコイイんだからな! なぁ、エミリアちゃん」

「わかったわかった」


 私はうるさくするルーを捕まえてスカートのポケットに入れて、ウォルの背に頭を預けた。少しゴワゴワした、でも獣特有の柔らかさのあるその背中の感触が気持ちがいい。

 その感触にホッとして目を閉じれば、すぐにぬるま湯に足を浸すような心地良い眠りが訪れた。



 ウォルがいてくれてよかったなと思う瞬間は、一緒に歩いていると度々あった。

 今もそう。ウォルがクンクンと匂いを辿ってくれるのを頼りにお水を探している。


「たぶん、もう少しだ」


 地面を嗅ぎ、顔を上げて宙を嗅ぎ、ウォルが言った。鼻の頭に少し皺が寄っていて、不機嫌なのがわかる。


「ウォル、ありがとう。お疲れ様」

「違う。疲れたんじゃなくて……昨日感じた気配が今もするんだ」

「え?」


 背中を撫でてケーキを一切れ差し出すと、ふいっと顔を背けてそれを拒否して、ウォルは耳をそばだてる。

 触れた毛並みから、ウォルの緊張が伝わってくる。それでも何も言わず歩みを止めないから、私は肩に乗せたルーと顔を見合わせて、黙って付いて行くことに決めた。


 ほどなくして、水場にたどり着いた。

 湖と呼ぶには小さいけれど、池というにはやや大きい、澄んだ水。

 これでこれから少しの間、水の心配がなくなってひと安心だ。


「すげぇな、ウォル。さすがワンコロ」


 ルーの軽口に言い返しそうなものなのに、ウォルは黙ってあちこち視線を巡らせていた。どうしても、私たちにはわからない気配が気になるらしい。


「私、お水汲んでくるね」


 落っことしてはいけないから肩の上のルーをウォルの背中に乗せ、私は瓶を手に池に近づいていった。

 ウォルの様子が気になって、今にも何か出てきそうな気持ちになってしまう。だから、あまり周りを見ないように、ただ水を汲むことだけを考えて動いた。

 ここは水が枯れずにある場所なだけあって、周りは木々に覆われて、仄暗い空間だ。それが余計に、怖いという気持ちを膨らませている気がする。でも水はどうしても必要だから、私は怖さを頭の中から追いやった。


 水はびっくりするほど澄んでいて、覗き込むと姿を写すことができた。

 村を出発して数日。鏡を覗くこともできなかったし、お風呂にも入れていないけれど、そんなに薄汚れていなくて安心した。こんなときでも、やっぱりなるべく身綺麗にはしていたい。無事にことを終えて神様の元に帰ったとき、ボロボロだったら嫌だもの。それに、汚いとか臭いと思われたら耐えられない。


 瓶に水が満たされて、自分の姿もひとしきり水面で確認できた。だからウォルたちのところに戻ろうとふと視線をあげたとき、木の影に何かの気配を感じた。感じたというより、視界に入った。

 “それ”は木の幹の後ろに体を隠し、そこからほんの少し顔を覗かせてこちらを見ていた。そしてなんと、私が見ていることに気づくと、恐ろしいことに近づいてきた。


「……⁉︎」


 あまりのことに声も出せず、私は踵を返してただウォルたちのほうへ向かって走った。


「待ってくれ!」


 背後からさっき見たものが、そんなふうに声をかけてくる。待ってくれと言われてこの状況で待つ人がいるなら見てみたい。待つわけがないじゃないか。


「エミリア、どうした⁉︎」

「何か、変なのと目が合ったら着いてきちゃった! 逃げよう!」


 それだけ言うとウォルはわかってくれたのか、一緒に走り出してくれた。“それ”がどんなものか説明するよりも、とにかく逃げなくちゃ。

 私が二本の足で地面を蹴る音と、ウォルが四つ足で走る音の他に、明らかに混じる異質な音。それは例えるなら、水分をたっぷりと含んだ泥が地面に落ちたときの音が連続して聞こえるような感じ。

 ボタ、ボタ、ボタ、という音が勢いよく迫ってくる。

 つまり、何か濡れたものが私たちを追ってきているのだ。


「待ってくれったら!」

「キャーッ!」


 しかも質の悪いことに、それは人語を発した。

 たしか、おばあちゃんが言っていた。あまり日の射さない水辺には、水妖がいるって。牛や馬を水に引きずり込んだり、歌で人を惑わせたりするものがいるらしいけれど、一番厄介なのは“招く者”だと言っていた。

 後ろから追いかけてくる者は、きっとその“招く者”だ。人の言葉で注意を引き、私たちを水の中に引きずり込もうとしているに違いない。


「おい、エミリア! そっちはダメだ!」

「え? キャッ……!」


 ウォルに呼び止められた直後、突然、視界がぐらりと揺れた。あっと思ったときには足場がなくなっていて、一瞬体が浮いたあと、私は斜面を滑り落ちていく。

 怖くて怖くて夢中で走っていたらいつの間にかウォルと離れていて、おまけに道を踏み外していたみたい。

 せっかくウォルが声をかけてくれたのに、私は虚しく転がっていった。

 何とか止まろうとするのに、身体はどんどん斜面を転げ落ちていってしまう。


(神様、助けて)


 心の中で、神様を呼んだそのとき。

 どこまでも転がり続けていくと思っていた私の体が、止まった。

 何が起こったのかわからなくて怖々と目を開けると、視界いっぱいに緑が広がる。


「大丈夫か?」

「ひっ……!」


 運良く木の枝に引っかかって止まることができたのかしら――そんなことを思っていたから、突然の声は私を驚かせた。

 でも……よく考えたら私は木に引っかかったというよりも、何か腕のようなものに抱きとめられていたような気がしたのだ。


「おい、大丈夫か? 聞こえてるなら返事をしろ」

「は、はい!」


 きびきびとした声に急かされて、私は反射的に返事をしてしまう。


「よしよし。頭ぶつけて耳が聞こえなくなったとかじゃないんだな」


 私を抱きとめてくれていたらしい《木》は、そう言うと私の体をそっと地面におろした。

 木に対してそんなことを言うのも何だか変だけれど、その様子が紳士的で害意がなくて、私は安心した。

 招く者から逃げ切ったのに、今度は別のものに捕まったのなら悲惨だもの。


「……これで全部か。荷物、拾ってやったから」

「あ、ありがとうございます」


 木は、私のバスケットと辺りに散乱した中身を拾ってくれた。食べ物も、杖も無事で、何とさっき水を汲んだ瓶も割れていなかった。

 そのことにホッとしつつ改めて木を見ると、それは木というより、葉っぱに覆われた人型だった。


「あ、あの……助けてくださって、ありがとうございます」

「いや、降ってきたから受け止めただけなんだが。まあ、無事で何より」


 照れたのか、木は頭と思しきところをかいた。その仕草が妙に人間ぽくて、私は一つのことに思い至る。


「あの……あなたはもしかして、元人間だったりしますか?」

「元も何も、今も人間だ。……気がついたらこんなことになってて、訳がわからんが」

「やっぱり、そうなんですね」


 木の言っていることは、ウォルやルーと同じだ。ということは、この人もきっと神様が言っていた呪われた人に違いない。


「あ……どうしよう。私、二人とはぐれちゃった」


 斜面を落ちてしまったことがショックで忘れていたけれど、私はウォルとルーから離れてしまった。それに、招く者が二人を捕まえていないかどうかも心配だ。


「おい、一人でもそもそ喋るな。何だ? 何か困り事か?」


 木が、私の様子を察してそう声をかけてくれた。ぶっきらぼうだけれど、きっと悪い人ではないのだろう。それに、神様の言うとおりなら、私はこの木とも仲良くなって一緒に行かなければならない。

 だから、私は迷いなく打ち明ける。


「あの、一緒にいた人たちとはぐれてしまったんです。赤毛の犬みたいな獣と、このくらいの小さな人なんですけど」

「獣? それなら斜面を今、すごい勢いで下ってくる生き物がいるぞ」

「え?」


 木が指差すほうを見ると、確かに何かが滑ってきているのが見えた。それは徐々に速度を上げ、確実にこちらへ向かってきている。


「エミリアー!」


 そして、私の名前を呼んでいた。

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