第45話号泣

翌朝中山が登校すると,大河は来ていなかった。

「ふん。いつもの通り遅刻して。絶対文句言ってやるんだから。」

と心に決めていた。しずくの方を見ると,日本史に関するマニアックな

本を熱心に読んでいた。

「そういや,あの女,歴史の成績が異常にいいけど教科書以外に

 本をよく読んでるからその分得してるわけだ。一人だけずるいよな。

 こっちはこないだのテストで三点しか取れなかったのに。」

と中山は思った。

 しずくは小学生のころから読書が好きだったが,最近では

休み時間の退屈を紛らすためにますます読む量が増えていた。

余計なことを話しかけられたくないという気持ちもあった。

以前気持ちが沈みこんでいるときに,話しかけられると

受け答えがうまくできないのと、たいして親しくもない他人と会話をするのが

苦痛だからだ。入学して間もないころ,昼休みに女子数名のグループにしずくは

昼ごはんを食べようと誘われた。しずくの知らないほかのクラスの女子の噂

話が延々と続き,飽きてほかのことを考えていたとき,突然,

「ねえ,山野さんはどう思う?」

と突然コメントを求められた。しずくは狼狽して,

「ごめん。今考え事していて聞いてなかった。」

と正直にいった。途端にその場に気まずい空気が流れるのを感じて

冷や汗をかいた。もう二度とあんな居心地の悪い思いはしたくなかった。

せっかく本に夢中になって気分がよかったのに,

横山と小林がいきなり目の前にぬうっと姿を現したのでしずくは身構えた。

「こいつら,また何か文句をつけにきたな。」

としずくは思った。

「こいつ何考えてるのかわかんないよね。

 こんな本のどこが面白いんだか。歴史が好きなんておかしい。

 タイムスリップしてる妄想してんじゃないの?」

と小林がいいがかりをつけてきた。

「何わけのわかんねえいちゃもんつけてやがるんだよ。」

としずくは心の中で呟いた。

無視していればそのうち飽きるだろうと聞こえていないふりをした。

「本ばっかり読んでると男の子に嫌われちゃうよ。注意しなきゃ。」

と横山。

「は?意味わかんねえ。そんなつまらん男は願い下げだね。」

としずくは思った。

「山野さん,彼氏は?あっ,気に病んでるかもしれないね。」

と小林。その後で

自分はモテるから一ヶ月で5人と付き合ったと勝手に勝ち誇っていた。しずくは

「男,男ってバカかてめえらは。」

と怒鳴りつけてやりたい気持ちだった。

怒鳴りつけると後が面倒なので,

「好きな男も全然いないし,興味ない。」

としずくは穏やかに言った。

「誰も好きじゃないなんて異常だ!

 私はいつも誰かに夢中になってるから正常だ!」

と横山が言い放ったのでしずくは唖然とした。

「だめだこりゃ。まったく話が通じない。同じ人間とは思えん。」

としずくはさじを投げた。

 そのとき,都合のよいことにチャイムが鳴り,

小林と横山は席に戻っていった。中山は一部始終に聞き耳を立てていた。

「あの女はモテるくせに付き合わない。自分は男の子を追いかけても振られるのに

 贅沢だ。ミー君(大河のあだ名)があんなにハンサムなのに

 見向きもしないなんて絶対異常だ。男嫌いなんだろう。

 うちのお兄ちゃんまであの女に気があるなんて。

 あんな根暗女のどこがいいんだか。

 私があんな顔だったらがり勉なんかにならないで,

 男をたくさん手玉に取って明るく楽しく生きるのに。」

と中山は思った。

間もなく朝のホームルームの時間が始まった。担任の女教師が

「悲しいお知らせがあります。大河君が昨日亡くなりました。」

と告げた。途端に教室中がどよめいた。

 中山はびくりと体を震わせたが,誰もそれに気づいた者はいなかった。

「病気?元気そうにみえたけど・・・。」

と誰かが呟いた。担任は

「詳しいことはわからないのですが,交通事故にあったそうです。」

といった。しずくは

「ずいぶん急だな。」

と思っただけで特に悲しいとは思わなかった。

 すると,教室の後部から,ライオンの雄たけびのごとき奇声があがった。

しずくがぎょっとして振り返ると,中山が肩を震わせて,

机に突っ伏して泣いていた。

「ああ,泣いているのね・・・。唸り声かと思ったわ。」

とあきれてしまった。

 休み時間はクラス中が大河の訃報に興奮して,話題はみなそのことに限られた。

「ねえねえ,前にうちの近くですごい下手糞な運転の車がいてさ,

 あんまり下手糞なんでどんな奴が乗ってるんだと思ってよく見たら,

 大河君が運転していたんだけど。」

と1人の男子生徒が声を潜めて友達にささやいた。

「ええっ!ありえない!マジで!無免許運転じゃないかよ!」

と1人が言うと,

「見間違いじゃないのか?」

ともう1人が眉間に皺を寄せて言った。

「いや,たしかにあれは大河だった。あいつ,背がでかいから,

 大人と間違われてたから調子に乗ったんだろ。」

「じゃあ無免許でどこかに突っ込んで死んだのかな?」

「おれも部活の先輩からあいつが無免許運転してるって噂を聞いたことあるぞ。」

「ま,自業自得だな!」

と最初に発言した男子が締めくくった。

 しずくは一連の会話に聞き耳を立てていた。

「大河の奴ならやりかねないな。」

としずくはあまり驚かなかった。

「タバコ吸ってたくらいだから無免許運転もするだろう。」

 2時間目の生物の授業は自習でプリントが配られたが,

 女子の集団が興奮してギャーピー泣いていて騒然としていた。

みな大河の話題でもちきりで,課題に手をつけていない者がほとんどだった。

 そんな中,しずくは黙々とプリントに載っている問題を解いていた。

 すると,横山がしずくを指差して,

「こいつ何で泣いてないんだ!許せない!」

と金切り声で叫んだ。

「大河君,こいつのことあんなに好きだったのに,

 全然悲しまないなんておかしい!」と小林もヒステリックにわめきたてた。

「あんな奴が死のうが生きようがどうでもいい。あいつが私に言い寄ってた

 からって何で私が泣き喚かなきゃならないんだ。意味わからん。」

としずくは思ったが,聞こえていないふりをして,作業を続けたのだった。

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