第29話脱出

 (だけど,もしわたしが死んだらあの二人組みは

  手を叩いて大笑いするだろう。そんなことは絶対に許せない。

  死ぬくらいならあの無礼な女どもと刺し違えてからだ)

としずくは思ったが今朝あの二人にゲラゲラ笑われたとき

何も言い返せなかった自分を思い出し,苦笑いした。

 しばらくして,しずくはかすかに尿意を感じた。

それほど強い欲求ではなく,しばらくがまんできそうだったが,

いつまでもつかはわからなかった。

「ただでさえ孤立しているのにおもらしなんてしたら,

 ますます立場が悪くなる。なんとかしてここから脱出しなきゃ」

としずくは不安になった。

そのとき,強い風が雨粒とともに吹き込んできたので,

しずくは慌てて窓を閉めた。

直後にまた空がピカッと光った。ゴロゴロと雷が鳴る。

さっきよりも音が大きく,迫力があった。

そして2,3秒ほどの間があった後,

ドッカーンと恐ろしい轟音が鳴り響いたのでしずくは震えた。

どこかで木が倒れたりしたのかもしれない。

雨が降っている限り,火事にはならないと思うけれど,

何かよくないことが起こる前触れではないかと胸騒ぎがした。

 まだ昼間なのに辺りは夕方のように薄暗かった。

雨にぬれたので寒気がして,しずくはまくり上げた袖やスカートを元に戻した。

 ふとしずくは幼い頃由紀が雷を怖がって泣いていたことを思い出した。

今頃,あの山の上にある墓石も雨に濡れているのだろうと思うとせつなかった。

(こんなところに閉じ込められて苦しい思いをしているのは,

 由紀を死なせてしまった罰を受けているからじゃないだろうか)

と考え,しずくはますます憂鬱になった。

 今になってどうすることもできないのに,

しずくはまた事故のおきる前にとった自分の軽率な行動を思い出し,

自分を責め続けた。

 ふと目を上げると,どこからか,一匹の茶色い小さな蛾が現れ,

しずくの周りを飛びまわりはじめた。

「しっし。あっち行け」と言うと,しずくは手でふり払ったが,

蛾はまとわりついて離れない。しばらくして,蛾は疲れたのか,

羽を広げたまま近くの壁に止まった。しずくは教科書を筒状に丸めて手に握ると,

足音を忍ばせてそっと近づいた。

(今だ!)と思い,筒をふりかざしたが,

(もしやこれは妹の生まれ変わりではないか)

という突拍子もない考えが頭にうかんで,振り上げた手を下ろした。

蛾は再び飛び始め,天井近くまで高く舞い上がった。

 しずくは放心状態で蛾が元気よく飛び回るのをぼうっと眺めていた。

蛾の羽は茶色かったが,羽の先が白かった。

(そういえば,あの日由紀は白い襟がついた

 茶色いワンピースを着てたんだっけ)

と事故に遭ったときの由紀の服装を思い出すと,

しずくは恐ろしくてがたがた震えだした。

(落ち着け。ただの偶然の一致だ。そんなわけないじゃないか。)

 しずくは頭をぶんぶんと横にふったので,

お下げにした長い髪の束が肩を打った。

 

 そのとき,チャイムが鳴った。

「ああ時間がどんどん無駄になる。授業も受けられないまま

 いつまでこんなところに閉じ込められていなきゃならないんだ。」

 しずくは心細さにまた泣き出しそうになった。

 さらに時が過ぎ,しずくは床にうずくまったまま動かないでいた。

廊下の方に目をやると,かすかに人影が見えたような気がした

ので急いで窓に駆け寄った。

しずくは必死で,窓ガラスをどんどんと叩きながら,

「助けて!助けて!」

と絶叫した。声に気づいて窓に近づいてきた人物が

大河だったので,しずくはぎょっとしたが,

この際贅沢はいっていられなかった。

 大河が驚いた顔で何か言ったが聞き取れなかった。

「閉じ込められてるんだよ!何とかして!」と怒鳴ると,

大河はすごい勢いで駆けていってみえなくなった。

(大河は鍵を開けてもらうために職員室に

教師を呼びにいって戻ってきたのである。)

 やがて,ばたばたと足音がして,鍵を鍵穴に差し込む音がしてから,

ドアが開けられるまでの数秒間,しずくの胸は動悸が激しくなった。

 それから後のしずくの記憶はあいまいであるが,

出たときは四時間目が終わってちょうど昼休みになっていた

ので驚いた記憶がある。

大河にお礼を言わなければならなかったのがしゃくだったが,

おくびにも出さずに感謝の意を表した。

 大河は点を稼ぐことができたので,ご満悦だった。

「うしし。遅刻してきてよかった。

 これで山野も俺のことを見直して振り向いてくれるだろう」

と希望でいっぱいになった。

 しずくが自習室に閉じこめられていたという話は

すぐさま学年中に広まった。

その知らせを聞いたとき,しずくをよく思わない鈴木と横山や

松本のグループなどの女子は

「アハハハ。ダッセー!」と爆笑した。

「存在感薄いよね。」

「いつもいるかいないかわからないもん」

などと口々に言い合っては笑い転げている。

「あいつを追い詰めて必ず不登校にしてやろうぜ」

と小林と横山はにやにやしながら誓い合ったのだった。

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