第27話 探偵人ウエルカム


 自宅に戻って二日が経った。


 丸々二十時間近く眠った私は、食事と入浴以外、ほぼ何もしないという極めて怠惰な時間を過ごした。平穏さに慣れ、静かな時に身をゆだねていると、目まぐるしい調査の日々がまるで夢であったかのように感じられた。


 謹慎の途中ではあるが、臨時出社して欲しいという連絡がオフィスから入ったのは、そんな時だった。私の緩んだ頭はその一言でスイッチが入り、自動的に背筋が伸びた。


 ――もしかしたら最後の通勤になるかもしれない。


 私は謹慎前とは気分を変えるため、それまでのスカートを止めてパンツスーツにローファーという甘さを感じさせない出で立ちで、オフィスへと向かった。


「お久しぶりです、ボス」


 入り口から顔を覗かせるなり、挨拶の声が降り注いだ。フロアには調査員が勢ぞろいし、まるで私が姿を現すのを待ち構えていたかのようだった。


「……おはようございます」


 私は視線を受けとめながら自分の席まで行くと、身体の向きを変えて深々と一礼した。


 復帰したわけじゃないんだ、何を言われてもいいよう、覚悟しておこう。


 私が自分に言い聞かせていると、石亀がすっと近寄ってきて、おもむろに口を開いた。


「コンゴとウルフから話は聞きました。なかなか大変な冒険をなさったようで、ボス」


 石亀の言葉に、私は黙って項垂れた。やはりそうか。急に呼びだしたのは、解雇を言い渡すためだったのだ。


「まあ、それでも全員、無事だったというのは不幸中の幸いでしたな」


 石亀の返しは取りようによっては嫌味とも取れるものだったが、私はどんな批判をされても決して反論しないでおくつもりだった。


「……申し訳ありません。本来なら解雇されるところです。言い訳は一切、しません」


「なるほど、状況はわかっているみたいですね。……では早速、本題に入りましょうか」


「えっ……本題?」


「実は一昨日、コンゴとウルフから「ボスを早急に復帰させて欲しい」との嘆願がありました」


「コンゴと……」


 予想外の展開に、私は当惑した。どうして?私が敵から金剛を庇おうとしたから?……でもどうして大神まで?


「本来なら調査への影響を考慮し、一蹴するところですが、あろうことか二人は「ボスを外すなら、自分も探偵を辞める」とまで言い出しましてね。さすがに調査員二人に同時に辞められては困るので、やむを得ず全員でボスの処遇について協議することにしました」


「私の処遇を……?」


「ええ。その結果、まずは本人の意向を聞いてみようという結論に落ち着きました」


 私はオフィス内の部下たちをそれとなく見た。荻原と古森はいつも通りだったが、金剛と大神の二人は、腕組みをして険しい表情で宙を睨んでいた。


「ボス。……今の率直なお気持ちをお聞かせ願えますか」


 石亀にうながされ、私は気持ちを整理した。不思議と言うべき内容に迷いはなかった。


「私は……探偵失格だと思っています」


 オフィスの一角が、小さくざわめいた。金剛と大神の二人がこちらを見ているのが、痛いほどよくわかった。


「所長に任命されたばかりにもかかわらず、単独行動を繰り返して大切な部下たちを何度も危険な目に遭わせてしまいました。このことは反省したからといって帳消しになる物ではないと思っています。……ですが」


また、空気が動いた。全員の目が自分に注がれている。私は息を吸うと軽く唇を湿した。


「……ですが、この一週間、私が体験した「探偵」という仕事は、私に生まれて初めて仕事を楽しんでいるという実感をもたらしました。私は……」


 私は顔を上げ、目の前にいる全員の顔を正面から見据えた。


「私は、探偵の仕事が好きです」


 金剛と大神の表情が安堵に緩むのを見て、私は熱い塊が胸元にこみ上げるのを感じた。


「もし叔父が、私が探偵に向いていることを見越して指名したのなら、それは正解だったと思っています。……ですが、私は他の調査員たちのような特別な力はありません。このまま一緒に仕事を続けていれば、いずれ足手まといになることは明らかです。……ですから、探偵の仕事は好きですが、私は……今日限りでこの仕事から身を引こうと思います」


 私はあらためて深々と頭を下げた。みっともなくしがみつくような真似はせず、潔く自分から終わりにしよう、そう自分に言い聞かせた、その時だった。


「ちょっと待ってくれ、ボス」


 手を挙げたのは、荻原だった。


「今、ボスが言った「探偵という仕事が好き」って言葉ですけど、俺にはイマイチ信じられないんですがね」


「……どうして?」


 私は自分の置かれている立場も忘れ、荻原を睨みつけていた。荻原を睨んだことは過去にも何度かあったが、本気で怒りを覚えたのは今回が初めてだった。


「どんな仕事だって、一週間やそこらで好きか嫌いか、向いてるか向いてないかなんてこと、わかるはずがないって話です。一つの仕事を頭からお終いまでやり遂げて、それから言うんだったらわかりますけどね。最初の仕事も終わっていないのに、責任を取って辞めますなんていう人間がいるとしたら、理由は二つしか考えられない。何か嫌なことがあって、早く逃げだしたくて仕方がないか、あるいは探偵が嫌いか……そのどちらかです」


私は無言で唇を噛んだ。悔しいが荻原の言う通りだった。彼らは大人で、私はまだほんの子供だ。この一週間、ずっと私は彼らに試されていたのだ。


「……ボス、もう一度今の気持ちを正直におっしゃってください」


 石亀にうながされ、私は思い切って胸の奥に秘めていたもう一つの思いを口にした。


「もし……皆さんが私ともう一度やりたいと言ってくださるのなら、私はせめて、この一件が解決するまで見届けさせて欲しいと思っています」


「わかりました。……では、ボスの謹慎を解くことに賛成の物は、挙手してください」


 一人、また一人と手が挙がり、ついには全員の手が挙げられた。


「では今日付でボスの謹慎を解除、再び所長の任務に戻っていただきます」


「ありがとうございます。……私のすべてを探偵にささげたいと思います」


 私が顔を上げると、いつの間に来ていたのか、久里子が私を見上げて笑っていた。


「私は最初からこうなると思っていたよ。あの連中があんたを馘首くびになんかするはずないじゃないか」


              〈第二十八回に続く〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る