辺境ギルドの教官曰く「姫奴隷とイチャイチャしたいだけの人生だった」

和鳳ハジメ

第一話 「始めまして、ここで訓練教官やってるアベルだ」



 ――――その瞬間、胸に大きな穴が開くのが見えた。


(ねえちゃんっ!? ねえちゃん!?)


 何故、どうして。


 どうしてこんな事に。


 同じように隣で捕まる幼馴染みと共に、少年。ダリーの思考は衝撃と疑問と、大きな喪失感で埋め尽くされた。


 夜の路地裏、一撃で死んでしまった姉と。


 それを為したのは、先ほどまで一緒に笑い合っていた教官。


(なんでだよ…………、どうしてだよ…………)


 少年の頬に涙が伝う、鼻孔にむせかえるような血の臭いと、吐き気を催す不快な何か。


 口が塞がれ、圧倒的な力で全身を拘束され、身動き一つ取れない。


 ただ一つ、理解できる事は。


 姉を襲った『死』が、自分にも訪れようとしている事だけ。


(なぜなんです教官…………。なにが悪かったんですか…………)


 ダリーは、姉から何も聞かされていなかった。


 けれど、何かとても悪い事に手をだしてしまっていたのだと、遅蒔きながら理解した。


 同時に、その取り返しのつかない事に、自分も荷担してしまっていた事を。


 憎しみは、まだ沸いてこない。


 唐突すぎて、悲しみも。


 あるのはただ、ひとつの疑問。


(教官…………、オレは…………、なにをどうすれば…………)


 ダリーが教官と呼んだ男は、足音一つ立てずに近寄ると、疑問に答えるように口を開いた。



「若き戦士ダリー、そして敬虔なる神官ハンナ」



「運が、なかったんだお前達は」



「冒険者になり、魔獣を倒そうとするならば」



「知らずともその『薬』を飲み、戦っていたのならば」



「一番大切なモノ――――『運』が、無かったんだよ」



 教官よ呼ばれた青年は、無表情な顔で、けれどその瞳に悲しみを携えて。


 姉を殺した『右腕』をダリーに向け――――。




「――――あの世で、俺を恨むといい」




 直後、ダリーの意識は闇に落ちた。


 真に強い者は、痛みすら感じさせずに殺すことが出来るのかと、最後に一つ、変な感心すら覚えながら。


 深い、深い眠りに誘われた。





 遙か過去より、生命に仇なす魔獣。


 そして、魔獣を束ねる存在――――即ち『魔王』


 エベロンティア大陸に住む人々の歴史は、それらとの戦いの日々と同義であった。


 『魔王』はたった一つの存在ではなく、滅ぼした先から新たに出現し。


 時には何十もの『魔王』が同時に存在し、『人類』という種族そのものが滅亡の危機に瀕していた時代も。


 故に、自然な事だったのであろう。


 『冒険者』――――そういう職業が確立されたのは。


 魔獣を相手に戦い、時には一般市民の諸問題を代わりに解決する『冒険者』


 いつしか彼らは、国家や大きな組織に雇われ、同族相手に戦争行為を行う『傭兵』達とは違い、国家の枠組みを超える単独の組織を作り上げた。


 それが、『冒険者ギルド』である。


 通称ギルドと呼ばれるそれは、全国各地に支部を作り。


 ここ、大陸の西に位置する強国。


 セイレンディア王国、その中でも最西に位置する辺境都市ディアーレンにも、小規模なものを一つ。


 その小さなギルドの中に、一人の男の存在があった。


 彼の者の名は、アベル。


 魔獣を倒し生計を立てる冒険者、ではなく。


 駆け出しの彼らを指導し、あるいは熟練者の技を磨く相手役を勤める。


 そう、――――訓練教官である。


 彼はとある事情で、まだ若いながらも引退。


 以降は腕の良い教官として、ディアーレンの中でも、全国のギルドの中でも有望な人物だったが。


 そんな彼には、秘密があった。


 基本的には魔獣達を相手にするギルドの中で、唯一の対人集団、ギルドナイト。


 違法行為、脱法行為に手を染める悪徳冒険者を取り締まる彼らの中でも、更に異端。


 ――――処刑人。


 身内である冒険者は愚か、他の組織の、場合によっては尊い血筋まで、命を刈り取る事を許された存在。


 そんな数少ない処刑人の一人が彼、アベルだった。


 辺境の地で、教官として、処刑人として。


 アベルは、平穏な暮らしを営んでいた。


 ――――今は、まだ。





 訓練教官アベルの朝は、それなり早い。


(ああ、嫌だ嫌だ。働きもしないでずっと寝ていたい…………)


 鶏が鳴く前、という程ではないが。


 彼の出身である亡国の騎士団の規律通り、新聞配達屋より少し遅い時刻には、自然と目を覚ます。


 ダブルベッドの中、もぞもぞと動き出す彼の傍らには、まだ少女の幼さを残した美しい女の姿。


 寝姿の中にもどこか気品を感じさせる彼女は、彼の妻――――ではない。


 三十代を過ぎた頃の彼と、二十代前半と見える彼女の関係は何か。


 過ぎた兄妹関係? いいや違う。


 ともに裸で、寝所を共にする男女の関係とは。


 所謂、一夜の恋い、あるいは金銭を元にしたあれやそれやであろうか。


 だがしかし、答えを推理するまでもなく、その白い首筋にはまっている、黒皮の無骨で無粋な輪がそれを物語る。


 彼女はリーシュアリア。


 亡国の姫君にして、現、彼の唯一の奴隷。


 夜を想起させる艶やかな黒髪と、蠱惑的な滑らかな白肌のコントラストで、アベルの目を楽しませながら。


 彼女は彼の起床に合わせ、その緋色の瞳を眠たそうに揺らしながら体を起こす。


 なお、その胸は豊満で、腰は括れ、臀部はふくよかであった。


「…………おはようございます旦那様。お着替えの手伝いはご所望ですか?」


「毎朝、嫌みったらしく聞くんじゃない。お前が手伝ってくれないと、時間がかかってしょうがないじゃないか」


「どうだか、私が手伝うより、貴男一人でやった方が早いでしょうに」


 口ではそんな事を言いながら、リーシュアリアはアベルの着替えを手伝う。


 彼と彼女は主従で、肉体関係があって、実は長い付き合いがあれど、その仲は良好とは言えなかった。


 ――――端から見れば、熟練夫婦のそれだが。


 彼女が奴隷となった経緯は少々複雑で、もっと言えば彼女の亡き妹がアベルの婚約者だった関係だ。


 一筋縄ではいかぬ思いを抱えているのも、然もあらん。


 おしどり夫婦との評判は、知らぬは本人ばかりなり。


 ともあれ、リーシュアリアの朝一の仕事は、アベルの着替えを手伝う事であった。


「さ、早く腕を通しなさいなウスノロ」


「はいはい」


「はいは一回でいいの、この甲斐性無し」


 棘のある言葉に反して、甲斐甲斐しい若妻の様に、彼の左腕に袖を通し、胸のボタンを止める。


 ――――そう、彼は隻腕であった。


 喪われた右腕が健在であれば、この大陸でも頂にいる冒険者と噂されるアベルであったが。


 二十代半ばで引退し、今まで訓練教官を続けている理由は、この様なものであった。


 加えてもう一つ。


「今日の柄は何になさいますか旦那様? この桃色なんてどうです? それとも骸骨の装飾のに?」


「おい、どっから買ってきたんだそんなもの。普通のにしろ普通のに」


「あら、折角暇な時間で縫ったのに、人の好意を素直に受け取らないなんて、異性に好かれませんわ」


「女はお前で間に合ってる――――、さ、普通のを付けてくれ」


 アリアはつまらない、と呟きながら衣装棚の引き出しから、彼の髪色より少し濃い、茶色の眼帯を取り出した。


 つまり、これが冒険者引退の理由である。


 いくら凄腕といえど、片腕と片目を喪っては第一線から退かざるおえない。


 もっとも、これで訓練教官が十二分に勤まり、時には熟練者で構成されたパーティに臨時で参加し、大戦果を上げるあたり。


 当初、完全引退しようとした彼を引き留めたディアーレンギルド側は、慧眼だったと言えよう。


 閑話休題。


 かくして、アベルは早朝の訓練。


 特に指示は無いが、リーシュアリアは朝食の準備に。


 やはり、お伽噺の老夫婦的な行動ではないのか、という疑問はさておき。


 朝食後は、二人連れだってギルドへ向かったのだった。





 訓練教官の仕事は、以外と多い。


 訓練に必要な各種手続きに(但し、リーシュアリアが代筆)


 初心者や、希望者の訓練、冒険者の『格』上げ試験の査定(但し、書類を書くのはリーシュアリア)


 ――――冒険者の『格』には段階があり、『青銅(初心者)』から始まり、高位は伝説の金属に準えて『ミスリル』などがある。


 アベルはその『ミスリル』まで上り詰めた人材だが、それはさておき。


「何時もは受付に混ざって書類仕事なのに、今日に限って、訓練を側で見ろって、どういう風の吹き回しかしら?」


「お前は美人だし、冒険者から人気だ。偶には俺の側に一日居て欲しいっていうのは、どうだろうか」


「嘘つきね、貴男って」


 二人は朝の涼やかな空気の中、大通りを歩いていた。


 この大通りは、もう少しすると地元商店の屋台や、行商人の出店で大賑わいするのだが、この時間は流石に人もまばら。


 丁稚奉公達が、準備を始めているくらいである。


「冗談ではないのだが。――――今日は、例の初心者パーティの最終試験の日でな」


 町を歩くリーシュアリアは今日も一段と美しい、そんな言葉を飲み込んで、アベルは彼女と並んで歩く。


 だって、ほら夫婦っぽいし。


 アベルの望んでいる関係はそれだが、アリアに面と向かって言えば、刺々しい言葉とともに顔を背けてしまうが。


 ともあれ、日々の幸せだ。


「例の? 有望だって噂の子達ね、なんでもリーダーは臨国の騎士団に所属していたとか、聞いているわ」


「知っているなら話が早い。彼らは確かに将来有望な冒険者達だ。普通ならお前が側で見る必要はない」


「…………ふぅん、そういう事なのね」


「あくまで疑惑の段階だがな。どうにも引っかかる」


 面倒くさいと嘆きながらも、手を抜かないアベルに、アリアは苦笑した。


 彼女は亡国の姫君、という前歴より特殊な秘密がある。


 それ故、『ある』事柄を見抜く事には、うってつけの存在だ。


 アベルとしては、余り関わって欲しくないものの、しかしそれでは後手に回る事になり、痛し痒し。


「理由はわかったわ。目星は付いているの?」


 正直な話、リーシュアリアは今の奴隷という立場には不満だし、主人であるアベルに憎しみすら覚えているが、それはそれ、これはこれ。


 彼が処刑人を続けている目的には、肯定するし、協力もする。


 アベルもそれが解っているから、言葉を選び、詳細を話そうとしたが――――。


「――――おはようございますアベル先生! リーシュアリアさん!」


「ようイレイン、今日も早いな」


「あら、おはよう。こないだはありがとうね」


 途中の冒険者用宿屋から、元気に出てきたのはとんがり帽子に少し大きめのローブ、長い杖を持った魔法使い――――見習いの少女、イレイン。


 金髪碧眼の、愛くるしい小動物のようなこの少女は、最近アベルが教えている初心者の一人で、先の話題に上がったパーティの一員である。


「えへへっ! だって今日は最終試験の日じゃないですか。いてもたっても居られなくて…………」


「気持ちは解るが、試験は午後だぞ。幾ら何でも早過ぎやしないか?」


「あら、大丈夫よ。それまで一緒にお話でもしてましょうよ」


「リーシュ……、お前は勝手に…………」


 顔をしかめるアベルに、アリアはにやにやと笑って、イレインを抱きしめる。


 ――――あり、である。


 無論、何がとは言わないが。


「はわわわっ! や、柔らかくるちぃ――――!?」


「悔しいけれど、私の料理のレパートリーは少ないでしょう? この子、実は料理上手で、教えて貰っているのよ」


「…………成る程、この温室育ちに料理を教えるのは困難だろうが、頑張ってくれイレイン」


「はいっ! 任されました! でも出来るなら試験に色を付けてくださると嬉しいですはいっ!」


「はっはっは、それをすると先生はクビになってしまうからな、卒業後は一杯おごらせて貰おう」


 もし、自分達に子供が居たなら、こんな風に育っているのだろうか。


 じゃれあうリーシュアリアとイレインを眺めながら、アベルは歩く。


(ああ、面倒くさい面倒くさい。でもまぁ、今日も楽しいお仕事の時間だ)


 そんな益体の無い事を考えながら、暫く後、アベルは二人を連れてギルドの扉を開いた。


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