第19話 医神の贖罪

 船員たちに後始末を任せると、エディンは医者としての職務を全うする。

 怪我の多くは矢と剣によるもので、基本的に聖別済みのアルコールで消毒。怪我人の叫び声にも躊躇せず、包帯を巻いて、次。

 それで塞ぎきれないものは、止血点を布で締め上げ、鎮静作用の強い薬草を噛ませておく。

 

 ――聖奠せいてんを使わないで済むなら、越したことはない。

 

 どんな傷にも目を背けず、エディンは治療に没頭する。

 献身的な姿に胸を打たれてか、手助けを申しでる者が続々と現れた。

 エディンは歓迎し、軽傷者の手当てを任せると、自身は動かすこともできない重傷者の処置へと動き出した。


「おいっ! お医者様が来てくれたぞ!」

 

 神が降臨したかのような歓迎からして、彼等は諦めていたに違いない。助けることも、助かることも。

 

 見守っている者たちは皆、看取るつもりでいたのだ。

 

 だから、治療に割り込むことも列に並ぶこともしなかった。そうやって、確実に繋がる命を優先してくれた。


「お願いしますっ!」

 

 船員たちが頭を下げ、懇願する。

 エディンは頷き、惨状に目を向ける。

 

 誰もが諦めていただけあって、怪我の度合いは酷かった。臓物が覗かれるほど深く裂かれていたり、四肢の一部が欠損していたり。

 怪我人の中には、少年と呼べるほど年若い者もいた。瞳には涙が浮かんでおり、死にたくないと訴えている。

 

 エディンは語らず、耳を澄ます。

 

 そっと彼等に触れ、〝身体の声〟を聴いていく。

 そうやって順番を見極めると、唇に医神の調べを乗せた。


「聖なる、聖なる、聖なる主よ

 み手につくられしものはみな

 三つにいましてひとりなる

 神の栄えをほめうたう――」

 

 ここで人々は、一つの奇跡を目の当たりにする。


「――聖なる、聖なる、聖なるかなニカイア

 

 エディンの手の平から光が生じ、少年を包み込んだ。

 それはまるで深々と降り積もった雪のように脆く、汚れやすいかのような輝き。そんな胸が痛むほどの白光が止むと、少年の傷が塞がっていた。

 

 一呼吸おいて、人々から感嘆の吐息が漏れる。

 続いて、喜びと期待の歓声が広がるも、奇跡の担い手が著しく消耗しているのに気付くと、反転。

 嘘のように、重たい空気が場を支配していった。

 

 ――聖奠は、人の身には過ぎた奇蹟である。

 

 成聖者とて、使用を許されているだけで際限なく扱えるものではない。信仰地域から離れているとなれば尚更だ。

 

 神からのギフトは、その土地に生きるモノの祈りの力。

 それは人に限らず――ゆえに、創世神は土地に縛られることはない。

 

 けれど、人神は違う。

 崇める者は人間しかいないどころか、場所によっては祈る者さえいなくなる。

 

 そのような場所で聖奠を行使すれば、成聖者にかかる負担は並々ならぬものであった。

 一人、また一人と治していく度に緊張感が増していく。

 

 ――これで、限界ではないだろうか? 

 

 そう、思わずにはいられないほどエディンの疲労は目に見えていた。


「次……は……」

 

 立ち上がり、二歩も進めずにエディンは倒れかける。


「だいじょうぶですか!?」

 

 両側から支えられて、どうにか立っていられる状態にもかかわらず、


「……ごめん。悪いけど、私を患者の元まで運んでくれる?」

 

 彼女は続ける意思を示す。

 周囲の人間が少し休んで下さいと声をかけても、治療を受ける側がもう充分ですと頼んでも止まらない。

 肩で息をするようになっても、視界が霞んできても意地で踏み止まって、意識を手放しかけながらもなお、医神に乞い続ける。

 

 弟が殺した数以上を救う――それが、彼女の贖罪であるから。

 

 エディンの弟は、先の戦いで十万を超える死体の総軍を従えていた。

 もっとも、彼が直接その数を殺したわけではないし、中には人外の影も多数あった。

 

 それでも十万は救わねばならないと、エディンは自身に課していた。

 事実、弟はそれ以上の人を傷つけたに違いない。

 

 あのコは、大陸中の墓を暴いた。

 

 しかも、時には死体を生きた人間のように操り、残された者の罪悪感を煽っては復讐や自死へと駆り立てていた。

 

 まさしく、死の神の所業。

 決して、赦されることのない大罪。

 死してなお、彼を責める声は大きい。

 

 善人を姦邪に陥れた悪神よりも、生きた人間を魔物に変えた破壊神よりも、死神は生き残った人々に恨まれている。

 

 だけど、エディンにとっては弟だった。

 

 理屈ではない家族の情愛。それに最初の殺人は、エディンの為に行われたものであった。

 

 ――だから、彼女だけは赦す。

 

 弟の命を自身の手で奪った時に、エディンは全ての罪を引き受けた。

 弟を赦してあげた。

 

 彼女が姉としてやってあげられることは、それしかなかったから。

 

 弟の行為を庇うことも、彼の不幸を訴えることも、誰かに申し開きをすることも許されるわけがないとわかっていた。

 

 無論、英雄であることも――

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