第28話【心に舞う花1】

 僕は、自力で車椅子に乗れた事を舞花に見せようと、入院後初めて病棟から出た。舞花のいる病棟までは一直線だ。見慣れたナースステーションもすぐの所に見える。

 僕を見つけたナースが、


「あぁーーー!タケルくんっ!」


と叫んだ。


『なんで叫ぶかなぁ・・・舞花にバレちまうじゃんか!』


と僕は思っていたが、顔は何故か笑っていた。僕にも愛想笑いが出来るようになっていたのか?


 でも次の瞬間、僕の笑顔は一気に消えた。


「舞花ちゃん・・・たぶん、面会出来ないと思うわ。」


ナースの言葉に、


「なんで?」


僕は、恐る恐る聞き返した。


「今日は・・・かなり調子が悪いのよ。昨日まであんなに元気だったのに。今日の放射線治療のあとからずっと嘔吐が止まらなくて・・・」


僕は、自分でもどうしていいのか分からなくなった。

ふと、昨日舞花の主治医が僕の部屋に舞花を迎えに来た時の事を思い出した。

そして、


「昨日って何の検査だったんですか?」


とナースに尋ねた。ナースは、カルテを見ながら、


「昨日は癌細胞の量を調べてるわね。」


と教えてくれた。その結果、放射線治療の量が増えたとの事だった。癌細胞は確実に勢力を増しているのか?舞花には勝てないのか?僕たちには何も出来ないのか?僕の頭の中は、一気に憤りでいっぱいになった。


 僕が呆然としていると、舞花の部屋から主治医が出て来て僕に気が付いた。


「タケルくん。車椅子移動OKになったんだね。良かったなぁ~♪」


主治医の呑気な言い方に僕は腹が立った。舞花が苦しんでいると言うのに、なんて落ち着いてるんだっ!と腸が煮えくりかえった。


「そんなに怖い顔しないでくれよ。どうしたんだ?」


尚も呑気な言い方だった。僕は、


「舞花っ!どうなんだよっ?様子を診てなくていいのかよっ?!」


久しぶりに棘のある口調になったと自分でも驚いた。主治医は、


「ちょっといいかな?」


と言って僕を舞花の部屋へと連れて行った。僕は医師に車椅子の操作を取り上げられ自分では何も出来ない状態で舞花の部屋へと近付いて行った。遠くで嘔吐の声が聞こえた。


『これは、舞花なのか?』


僕は急に舞花の部屋に行くのが怖くなり、思わず車椅子のタイヤを手で止めた。医師は、


「しっかり見舞いなさいっ!」


さっきとは別人かと思うほど強い口調で僕に言った。僕が一瞬タイヤから手を離したすきに主治医は舞花の部屋へと僕の車椅子を押してあっという間に病室の前にたどり着いてしまった。


 部屋の中では、横になったままの状態で苦しそうに嘔吐している舞花がいた。


「今日、クリスマス会には参加出来ないよ。僕だって奇跡を信じたい。でも・・・僕たち医者はどうしてもデータを基に考えてしまう。どう考えても舞花ちゃんの身体はもう限界だ。君は入院してからずっと励まされてたんじゃないのかい?今度は君が舞花ちゃんを励ます番だっ!しっかりと目をそむけないで舞花ちゃんを見なさいっ!」


主治医は、僕の肩に手を当て言った。その手が震えていた。主治医もやりきれないのだと、僕はその時に悟った。


 ゆっくりと舞花の部屋に入る僕に、舞花は全く気付けなかった。舞花の世話をしていたナースが驚いた顔をしていた。当然だ。まさかこんな時に関係者以外の人間が部屋に入って来るとは思わないだろうから。しかもドアのところには主治医もいるのだ。明らかに主治医が連れて来たと言う事は誰が見ても分かる状況だった。


「まい・・・か?」


僕は、驚くほど弱々しい声だった。それでも舞花は、一瞬動きが止まり、ゆっくりと僕の方へと向いた。


「・・・ル?」


驚いた顔をしながら僕を呼んでくれた。僕は、ゆっくりと舞花に近付いた。そして、


「もう頑張るなよ。僕が側にいてやるから。辛い時には、辛いって言ってくれよ。」


僕は何も考えてなかったのに、自然に言葉が出て来た。舞花は、ニッコリとほほ笑んだ。そして、ゆっくりと僕の方へ手を伸ばした。僕はもう少し舞花に近付き、その手を握り返した。

冷たくて、小さくて、握りしめたら壊れてしまいそうなくらい弱々しい手だった。僕は、ふと思い出した。

 僕と誠也がうまくいかなかった時、舞花は黙って横を歩いてくれてそっと手を繋いでくれた。僕はあの時、舞花と誠也が出来ていると思い込んでいたせいで素直に手を握り返せなかった。あの時の舞花の手はとても温かかった。そう言えばあの時も僕たちの前でかすみ草が揺れていた。

 まだ11月だと言うのに、天気予報に雪のマークが付いていた日だった。いつの間にか冷たかった雨が雪に変わっていた。僕の横を黙って歩いてた舞花は、あまりにも華奢だった。あの時はまだこんな苦しい病気と闘っているなんて思いもしなかった。あの時は、僕だけ置いて行かれた気がしていた。舞花はそばにいたけど、舞花の心は誠也に向いている・・・そう思い込んでいた。だから素直になれなかった。僕だけひとりぼっちだと思い込んでいた。


でも今ハッキリ分かったよ。


“僕は舞花を愛してる!”


僕の胸の中に君が育ててくれた優しさの花。もし、君がいなくなったらどうなるんだろう?僕はこの花が枯れないように優しい誰かを探すだろうか?


いや・・・それは無理だ。誰かを探しながら、舞花を探し続けてしまうだろう。

もし、神様が本当にいるなら、どうか舞花を逝かせないでくれっ!僕たちから・・・いや、僕から奪わないでくれっ!


僕の心の優しい花を一人ぼっちにしないでくれっ!


今、目の前で必死で闘ってる舞花を直視できないで、僕はずっと前の事を思い出していた。


『目の前の舞花を見ろっ!』


心の中の僕が怒鳴った。そうだ・・・しっかりしなくちゃ!


 僕は、舞花の手をゆっくりと握りしめた。


その瞬間、舞花はまた嘔吐した。でも僕はもう目をそらさない。もしも・・・もしも僕がここから逃げてしまったら、舞花を連れて行かれてしまう・・・そんな気がしていた。僕は必死に舞花の背中をさすった。少しでも楽に出せるようにと、必死だった。無我夢中で舞花の世話をした。


「舞花っ!うぜぇもん、全部出しちまえっ!」


僕は必死だった。舞花は吐き気がなくなると、天使のように微笑んだ。そして、そのたびに僕に手を差し伸べた。僕もその都度舞花の手を握り締めた。


 どれくらい繰り返していただろう?舞花の様子が少し落ち着いて来た。


「・・・ごめん。」


舞花が呟いた。


「ん?何が?」


僕は聞いた。


「私は・・・いつでもタケルと・・・誠也に・・・元気をあげたかったのに・・・逆にもらっちゃってるね・・・」


「別にいいじゃん!」


「私・・・タケルと・・・誠也に・・・逢えて・・・ホントに・・・良かったよ。」


「僕もだよ。」


「けど・・・もう元気・・・上げられないよ・・・」


「何?珍しいな、弱気か?」


舞花の予想外の弱音に僕は思わず涙が出そうになった。でもここで涙を見せてはダメだと必死にこらえた。


「誠也もそろそろ来るから、待ってろよ。僕、見て来ようかな?」


僕は舞花の手を放そうとした。


「ここに・・・いて・・・」


舞花は手を握り返した。僕は胸が締め付けられそうだった。


「タケル・・・私・・・ちゃんと・・・笑って・・・逝けそうだよ。タケルと・・・誠也が側にいてくれたら・・・笑って旅立てそうだよ・・・」


舞花の弱々しい発言に僕は涙をこらえる限界に来ていた。でも泣かないと決め、


「どこ行く気だよ!あのな・・・誠也がここでクリスマスパーティーやる準備を持って来てくれるんだよ。僕も舞花もここから出られないからってさ。舞花の好きなかすみ草をいっぱい買って来てくれる予定になってるんだぜ。だから、誠也が来たらみんなでパーティーやるぞ!」


本当は内緒だったが思わず暴露してしまった。


「パーティーか・・・分かった・・・待ってる・・・かすみ草・・・いっぱいかぁ~・・・嬉しいよ・・・」


『誠也っ!早く来てくれっ!僕、もう限界だっ!見てられねぇ!』


僕は必死に誠也の到着を待った。


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