第二章~ネビア・フォレスタ②~

 小路に続いた長草を抜けると、黄緑色に輝く蛍の光に囲まれた碧玉色へきぎょくいろの湖が眼に映った。

 湖の中央辺りに浮かぶ、見たこともない形に根を張った縄目状の樹を筆頭に、許多の蛍の光で照らされる若葉色の風景は、この世に存在する自然界と別に鏡写しにでもされた別次元の様な神秘的な空間を作り出していた。

 

 (……そう、まるでティノと初めて出会った時の彼女の雰囲気に直面している様だ)


 「誰も見当たらないけど、綺麗な湖だね」

 「うん、さっきの声はなんだったんだろう。ちょっと探ってみようか」

 「……その必要はないです」


 声のした方を向くと、湖の中央に浮かぶ樹の前の水面に、きめ細かい泡を纏った小さい波紋が次第に大きくなっているのが目に入った。やがて波紋の中から背中に天使の様な真っ白な羽を伸ばした小さな少女が碧玉色の水面の上に姿を現した。


 「初めまして、私は精霊のネル・フェアーリと言います。少しお話したいことがあって貴方達を呼びました」

 「精霊⁉ 本当にそういう種族が存在するんだ!」

 「私も初めて見たよ、よろしくね、ネル。それでどうしたの話って?」


 ネルは白い羽をパタパタと器用に羽ばたかせながら僕達の元へ飛んできた。


 「実はあなたたちがこの森に入ってからずっと観察してたんですけど、もしかしてリア城に足を運ぼうとしてますか?」

 「あーうん、そうだよ。僕達は国王を闇から救うために冒険している最中なんだ」

 「やはりそうですか。では早く来た道に引き返してください」


 一瞬怯んだ僕とティノは顔を見合わせて「え?」と言葉を揃えた。だがネルは僕達の表情とは正反対に真剣身を帯びた表情を崩さず、悲壮感を漂わせる様な物言いで話を続けた。


 「……絶対に、絶対にレッダ・テルーノ、彼には敵う筈がないのです」

 「敵う筈がないって、そんなの戦ってみないと分からないじゃないか」

 

 僕の言った言葉に、僕の隣の苔岩こけいわに立つティノは「そうだよ、最初から結末を決めつけるのは良くないよ」と同調して言葉を重ねた。


 「あの男は人間の心を飲み込む『闇の力』を使います。かつて私の忠告を無視して城へと向かった人々は、レッダに戦いを挑んだのですが全員為す術なく返り討ちにされました。そして闇に心を侵食された人々は自我を失い、レッダの人形マリオネットとしてこの森への侵入者を始末する為に彷徨っているのです」

 「やっぱりあの兵士達は操られちゃっているんだね」

 「わかったでしょう? 貴方達も城へ行けば彼らと同じ運命になりますよ」


 (……運命か)


 それでも僕は絶対に曲げてはいけない思いを背負っている。だから運命という時の流れに抗わなければならないのだ。たとえ全世界の人々から反感を食らったとしても、僕に宿る使命が正しい世界へと導いてくれると信じて。


 「運命なんて稀の偶然の出来事さ。僕にはフォルツァに選ばれた一人の人間として必然に達成しなければいけない使命がある。もう僕は色々な思いを積み込んだ蒼い船に乗ってしまって大洋のど真ん中を進んでいる途中なんだ。今更引き返す事はしないよ」

 「……その言葉は!」


 僕が喋る前まで真剣だったネルの表情が、急に一驚いっきょうの表情へと変わった。間もなくして彼女は「そっか、そういう事か」と独り言で自問自答すると、僕を見て嬉しそうに羽をパタパタと動かしながら懐かしげに語り出した。


 「本当に昔だけどね、君と同じ言葉を言った若者がいたんだよ。『俺はフォルツァに選ばれたんだ、今に見てろネル、俺が世界を変えてやるよ! 大船に乗った気持ちで見物してな!』ってね。そしてすぐにその人は本当に世界を変えちゃったんだ! ここに帰ってきた時かなり勝ち誇った顔で自慢してたな~」

 「アッズリ、それって!」

 「うん、間違いない。ティノが言った伝説は本当だったんだね」


 僕とティノはネルにつられてたのしげに笑みを溢した。


 「君なら本当に世界を変えられるかもしれない。あの人の時は聞きそびれちゃったけど、君の名前を教えてくれるかい?」

 「全然いいよ、僕はアッズリ・アベントリエロ。世界を変える冒険者さ!」


 ティノは「大きく出たね」と笑いながら手を叩き、僕に続いて自己紹介した。後々多少言いすぎてしまったかなと思ったが、そのくらいの大きな心意気が必要だと勝手に正当化した。


 「私はここの湖から君達を見守っているよ。そこの苔色の岩と岩の間から出ると城に続く近道になるよ、アッズリ、ティノ、達者でね」

 「ありがとうネル、必ずレッダを倒してくるよ」


 蛍の光に包まれた僕とティノはネルに手を振ってネルが指差した霧の林の方に足を動かした。

 思い込みかもしれないが、神秘的な精霊の加護が僕を守ってくれているとなると不思議に力強く思える。最後の決戦に向けて、フォルツァを宿した今の僕は本当に世界の闇を払うことができるかもしれないと心が躍った。


 

 

 僕達がネルの言う通りに林の中をまっすぐ進んでいると、霧で包まれた視界に微かな光が差し込み、やがて一本の山道へと抜けだした。


 「ネビア・フォレスタ突破だね」

 「うん、途中何人かの兵士達を元に戻すことができたし、今のところ順調だね」


 少し早いが密度の濃い旅のおかげで立ち回りというものに慣れてきた僕は、少し気になっていた素朴な疑問をティノに投げかけた。


 「ティノって魔法の杖があるのにどうして戦わないの?」

 「これは魔法の杖と言ってもあくまで身の世話をする為の護身用だよ。そして使者という肩書には裏の意味があるんだ」

 「それって?」

 「導者(どうしゃ)、要はフォルツァの持ち主を導く者だよ。もし、私がアッズリに手を貸して一緒に戦ってしまったら『ユピテルの掟』という法に裁かれてこの世とは別の違う世界に転移されてしまうんだ」


 ティノは右手の人差し指で鼠色の空を指して言った。


 「その別の世界ってところに行ってしまったらどうなるの?」

 「別の世界、『アナザーワールド』はスピーリトが存在しないんだ。だから時が止まっていて、呼吸もできない宇宙空間と似た性質を持つ世界なんだ。一度行ってしまったら帰ってくるどころか即死するらしいよ」


 ティノの無慈悲な話を聞き、僕の背中に強い寒気が走る。行っただけで即死するなんて本当の地獄じゃないか。


 「まあ、そういうことで手は出せないんだ。ん? アッズリ! 危ない!」


 ティノが言うことは遅く、僕の反応速度を遥かに上回った急な背後からの打撃によって後頭部に激痛が走り、僕はその場に情けなく崩れ落ちた。


 「ぐぁぁぁ!」

 「ごめんなァボウズゥ! 剣をどっかに落としちまったみたいでよォ、殴るしか手段はなかったんだァ! レッダ様から侵入者を確保しろっていう命令が出てるんだよねェ、半殺しで連れて行ってやるよォ!」


 くらくらとする視界の中で目に映ったのは、ぎらつかせた瞳とにやついた表情で倒れた僕を見下す三人の兵士達だった。


 「ん? こんなところに小娘がいるじゃねえかァ? このボウズの連れかァ?」

 「うん、そうだよ。おじさん達に一つお願いがあるんだけどさ、その人の代わりに私を城に連れてってよ」

 「なっ! 何言ってるんだティノ!」

 「テメェは黙っとけェ!」


 兵士は一歩踏み込んで、ボールを蹴る様に僕の腹部めがけて右足を振り抜いた。僕は「ぐはぁっ」と息を漏らした後、胃袋から込み上げてくる吐き気と激痛に我慢する様にして腹部を手で押さえた。


 「良い度胸だな小娘ェ、今回はお前に免じてこいつを置いてってやるよォ、こいつを半殺しにしてなァ!」

 「ぐはぁぁぁっ!」


 兵士はこちらを振り向いて先程と同様に蹴りを入れると、僕に背を向けたティノの方に向かって歩き始めた。


 (……ティノ、行かないでくれ)


 僕の意識が段々と遠のいていく中、ティノの背中を掴む様に必死に手を伸ばそうとしたが、身体に走るじりじりとした痛みが全神経を邪魔して動かすこともできなかった。

 徐々に霞んでいく視界の中最後に目に映ったのは、兵士三人に囲まれて山道を歩くティノがさり気なく僕の方を振り返った時に見せた、藍玉色の瞳を輝かせた姿だった。

 あの藍玉の光は僕に何を伝えたかったのか。僕は閉じていく瞼の中必死に答えを出そうとしたが、その努力は虚しく深い眠りに落ちていった。



 --お前の覚悟はそんなものか?


 「……誰?」

 

 瞼を開けると、僕は光が一切見当たらない真っ暗な空間に浮いていた。そして、目の前には人魂の様な形をした蒼い炎がふわふわと浮遊していた。

 そして宙に漂う蒼炎が僕の脳内に言霊を飛ばした。


 --我が名はルシオン。フォルツァの化身だ。一つ言う事があってお前に会いに来た。


 「……ルシオン、何を言いたいの」


 --よく聞け、後々の命をこの力に捧げてでも信念に誓いたいという覚悟があるのならば、我の名前を呼ぶと言い。フォルツァの真の力をお前に授けよう。それから、お前はまだ死ぬには早すぎる。あの娘がくれた試練を決して無駄にするな、健闘を祈っている。


 「ティノがくれた試練って……」


 僕がふわふわと浮遊する蒼い炎に手を伸ばそうとした時、急激に瞼が重くなって薄れていく意識と共に再び眠りの底についてしまった。


 


 青白い満月の月光が薄墨色うすずみいろの岩々で形成された山道を照らす。僕が意識を取り戻した時には、時刻はすでに夜を指していた。

 兵士に攻撃された時、自分を過大評価しすぎていて油断してしまっていた。旅というものは何時でも危険と隣り合わせにあるという事をわかっていたはずなのに、情けない。


 「……ティノ」


 ルシオンが言っていたティノがくれた試練とは、僕一人でも城に辿り着いて欲しいという見えない意図で繋がれているのだろうか。何にしろ、僕に見せたあの瞳のメッセージは何らかの意図があると考えて間違いないだろう。

 それに、フォルツァの真の力とはどういう事なのか。今僕が使用できる二色の炎の他に別の力が存在するという事なのだろうか。

 

 (……早く、ティノを取り戻しに行かないと)


  僕は倒れている体を起こそうとしたが、先程の痛みが引いておらず、立ち上がるのにも苦労を掛ける状態だった。


 「確か、フォルツァの白炎って鎮静だよな。という事は」


 僕は左手に白い炎を宿し、兵士に蹴られた腹部に炎を当てた。すると、全身に回っていた痛みが呼吸をする度に鎮まっていき、腕や足をくまなく自由に動かせる程にまで回復する事ができた。


 (やっぱり、思った通りだ)


 どうやらフォルツァは自分が思った通りに炎の質を変えられるらしい。蒼の剛の炎で敵を攻撃し、白の柔の炎で自分の身体を回復する。そして白炎に薄蒼炎のコーティングが加わり、敵を染まってしまった闇の中から救い出すという能力を発動する。フォルツァについてネビア・フォレスタを攻略して大分理解してきた。


 「さて、反撃の開始と行きますか」


 僕は山道の一番上に暗々たる雰囲気を醸し出して《そび》え立つリア城を見据えて、今度こそ固く決意を結んで山道を歩き始めた。


 「待ってろティノ、今助け出してやる。それと町の皆、僕がレッダを必ず止めて見せる。だから信じていてくれ」


 この戦いが終わればリア王国を包む闇から人々を解放できる。最後の戦いに向けて、僕は様々な思いを胸に、山道を照らす暗黒色の夜空に浮かぶ氷輪に向かって決意を飛ばした。

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