Scene46 潮の香りの中で

 明子は萩のマンションの自室で、CDを聴いている。

 岡村孝子の『潮の香りの中で』。

 中学生の時によく聴いていた曲だ。

 単調なピアノ伴奏に包まれるかのように、エコーの効いた透き通る声が天上界から降りてくるかのごとく響き渡る。


 音楽は、記憶を呼び起こす。

 泰彦と眺めた鎌倉と敦賀、2つの海。

 幸せだった。

 アーロンとも一緒に海を見た。

 さみしかったのだ。

 それは、ただの言い訳に過ぎないことは自分でもわかりきっている。

 でも、あの局面が10回訪れたとしても、10回ともアーロンの優しさに飛び込んで行くような気もする。もし彼が声を掛けてくれなければ、自分は自ら命を絶っていたにちがいない。

 だが、そのアーロンも亡くなった。

 どうしてあの時、自分も死ななかったんだろうと思う。

 泰彦を亡くしたことで、人の死についての免疫がついたのだと捉えれば、それは生きている者の傲慢だろうか?


 せつないバラードがクライマックスに入る。曲の中の女性は、1人で港を見ながら、忘れな草のようにして風に揺られている・・・・・・

 オーケストラの荘厳な伴奏がボーカルを引き立て、聞く者の孤独を駆り立てる。


 アーロンまで亡くなった後、何度も1人で海を眺めた。

 泰彦と住んだ敦賀の家は、原発職員のために用意された高台にある立派な作りだった。庭から見渡せる海に向けて1人静かに物思いに耽っていると、涙があふれてきては、風に吹き飛ばされた。

 どうしてあの時死ななかったのか?

 そう、予感があったのだ。私はまだ死んではならない、と。あの時、潮風の中に誰かの声を聞いた。


 大海の磯もとどろによする波 われてくだけて裂けて散るかも


 どうせその時が来たら人は皆死ぬ。でも、今はまだその時じゃない。われてくだけて裂けて散った後に、何かが残るかもしれない。死ぬならその光景を見た後だ。

 その日が来るまで、決して人目に付かぬよう、ひっそりと生きていこうと心に決めたはずだった。


 3年前の、ある晴れた日の午後、敦賀の家の2階のフローリングに、書店で買ってきた日本地図を広げた。

 行ったことのないところに行こう。誰も私を知らない場所に。

 自ずと指は西へと向かう。敦賀から京都、神戸、広島、山口。指はそこで止まる。福岡や長崎へは何度か行ったことがある。山口を通過したことはあっても足を踏み入れたことはない。

 山口と聞いて思い起こすのは明治維新だ。吉田松陰や高杉晋作。萩藩の小さな城下町から近代日本の礎が始まった。


 何かが変わるかもしれない。


 インターネットで調べてみると、萩と鎌倉が姉妹都市だという事実を入手した。昭和54年に鎌倉市の市制施行40周年を記念して、歴史の街として似ているという理由から萩と姉妹都市になった。

 調べていくうちに、萩と鎌倉は街の雰囲気も似ているところがあることを知った。鎌倉市民も萩に愛着を覚えているとも記されている。

 ここだ、と思った。

 実朝の導きによるものかもしれないと思いたかった。萩に行けば、われてくだけて裂けて散った後の自分が見いだせるのかもしれない、と。


 目を閉じてこれまでの人生を振り返る。

 ソリッドなバラードが脳の深いところにまで入り込み、慰めを与えてくれる。

 私は風に揺れる忘れな草。

 1人で揺れているけど、どうやらまだ枯れないらしい。

 実朝のようにその瞬間がくるまで、運命に身を委ねるしかない。

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