Scene39 血の色に染まるパワー
❶
「知っているんですね?」
「知らないわよ。どこで聞いたのよ、そんな忌まわしい話」
「忌まわしい?」
怜音は鋭い目つきで透を見返した。
「ただの、言葉の選択ミスよ。よくあるじゃない」
「あなたは以前、明子は問題を抱えていると言ってましたね。そのことと西洋人がなにか関係あるんじゃないかっていう仮説について、どう思われますか?」
「どうも思わないわよ。西洋人のことなんか知らない。それより、その話を明子さんの口から直接聞いたの?」
「すごく狼狽されていますね。大丈夫ですか?」
「大丈夫に決まってるわ。今日はディープな問題を抱えたクライアントが多かったから、疲れてるのよ」
「それならいいんですけど」
怜音はもう一度経口補水液を飲む。熱中症患者のようになってきた。
「明子さんが西洋人の話をしたのね?」
「いえ、明子はそんな話をしませんよ」
「じゃあ、どこで聞いたの? 今後のカウンセリングの材料にしたいから、教えてほしいのよ」
「行きがかり上、耳にしたんです。でも、今思えば、それは縁だった。明子と西洋人との話を、僕は聞くべくして聞いたんですよ」
「分かったわ。どうやらたいした話でもなさそうね。ただ、さっきはああ言ったけど、私は明子さんの居場所をキャッチしてるわ」
今度は透の顔にスイッチが入った。
「なぜ? 今どこにいるんですか?」
「それは言えないわよ。君もすべてを話してくれなかったんだから、フェアじゃない。そうでしょ?」
「うそだ」
「うそじゃないわよ。じゃあ教えてあげるわ。彼女は君の近くにいるわよ。でも、だからといって、会えるかどうかは分からない。物理的距離は近くても精神的距離は遠いかもしれないからね」
「嫌がらせをしないでください。明子は萩に帰っているんですね?」
「だから言えないわよ。これは個人情報なの。宇宙的距離からすれば、萩も鎌倉も点の中に含まれるくらいに近いでしょ」
大丈夫だ、と透は自分をなだめる。
この人は味方なんかじゃない。明子への心配が全く感じられない。
鎌倉での明子の豹変はこの人が絡んでいる。
もしこの人に何らかのパワーがあるとすれば、それは陽のパワーじゃない。負のパワーだ!
「いったい、このサングラスには、どんなパワーが入っているというんですか?」
「説明できない。メタフィジカルな世界の話だから」
「じゃあ、僕の方で、いろいろと調べさせてもらってもいいですか? メタフィジカルな現象を科学的アプローチによって解明したいんです」
怜音は、空のペットボトルを握ったまま、眉間にエアガンを撃たれたような表情になった。
「いいけど、べつに、何もないわよ。ただのサングラスだから」
「ただの? あなたはさっき、パワーが入っていると言ったじゃないですか?」
「そ、そうよ。ただ、パワーが入っているだけっていうことよ」
❷
北村ジュンは倒れた椅子の間でゆっくりと腰を上げ、手で鼻血を拭いた。
「いったいどうなってんのよ、思いっきり追い詰められたじゃないの」
「そんなこと言われたって、これは事故じゃないですか」
北村ジュンは椅子とテーブルを元に戻し、その横に立ち上がった。ぶん殴られた衝撃で危うくパソコンまで吹っ飛ばされるところだった。
「もしあいつにリベンジできなかったらどうなるのよ? 私は死んでも死にきれない」
「そんな感情論よりも、次の手を考えればいい」
怜音はもう一度北村ジュンに詰め寄り、襟首をつかんで睨み付けた。
「オレはあの女に、たった一度しかない人生をぶち壊されたんだよ。夫を奪われたショックで、お腹の子どもも殺されたんだ。お前みたいにのんきなこと言ってる場合じゃないんだ」
北村ジュンは干し魚のように無抵抗だ。
怜音はゴミでも捨てるかのように、手を突き離した。
「あいつは今どこにいる」
北村ジュンはジーンズのポケットからスマホを取り出し、パスワードを解き、アプリケーションを立ち上げて位置情報を取得した。彼女が普段使うハンドバッグに超小型GPS発信機を仕掛けておいたのだ。
「広島の尾道辺りで止まってますね」
「何をやってるんだ?」
「そりゃ、分かりませんが、徐々にこっちに近づいてきているのは確かです。マンションもこっちにあるから、いずれ戻ってくる可能性が高いですね」
「ここに来るだろうか?」
「怜音さんが説得されれば来るでしょう。少なくともターゲットはあなたを怪しんではいない」
怜音は歯を食いしばったまま、腹の底から息を吐いた。
「でも、今はあいつに電話なんてできるような精神状態じゃないわね。心を落ち着けないといけない。悪いけど、付き合ってもらえる?」
北村ジュンはスマホを仕舞い、もう一度鼻血を拭いた。手のひらにはドロドロの血が付いた。あぁ、オレはまだ生きてるんだなと思った。何かの奇跡のようでもある。
「僕でよろしければお付き合いさせていただきますよ。でも、1つお願いがあるんですが」
怜音は鋭い目のまま北村ジュンを見た。
「昨日から風呂に入ってないんで、シャワーをお借りできますかね?」
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