15話 冥府に溺れる者共

 早急とのことなので、私は部長に休みを申請してからすぐに校門を抜けた。

 ここから春日神社まで電車か自転車か。電車の方が速いだろうが最寄り駅までが少し歩かねばならない。


 すぐにでも霧ねえと合流したいところ……と、考えていたら目の前に丸い頭をした赤と黒のライダースーツが私を見ていた。手にはスマホを持って。


「やぁ、鹿島のぼん。久しぶりじゃあないか」


 飄々ひょうひょうと言うその女性は、高いヒールをカツンと鳴らして私の元へ寄る。

 これが初対面というわけではないから、少しだけ身構えたものの背筋を伸ばして一礼した。


「お久しぶりです、道祖神さま。どうしたのですか」


 何故、彼女がここに現れるのか。

 いや、通学路であるし、道の神ならばどこにでも現れるものだが。


「なんだい、君、予想外といった具合だね。しかし、これには必然なる理由があるのさ。黒崎のシノが君を呼んでいるのだからね」


「はぁ。今しがた、こちらでも霧ねえから連絡をもらいまして……」


「ふむ、既に知り得た情報だったようだ。それならば話は早い」


 道祖神さまは目を細めて笑った。途端、蛇のような爬虫類を思わせる顔つきになる。

 なんでも、道の守神が蛇だったかで彼女は元々蛇だったのではないかと推測している。


 さておいて。


「呼んでいる、ということは緊急ということですよね」


「あぁ、そうとも。緊急にさらなる緊急を要する。緊急の二重箱といったところさ。今の人間たちは急ぎすぎているのが嘆かわしく思えてくるよ」


 緊急の割にはのんびりとした口調だ。


「霧ねえはどちらへ?」


「さてな。それについては黒崎のシノが導くのだろう。私は道を教え、示すだけなのだから答えは考えないのさ。知らない。興味がない。君の道を示すことはできるのだけれど……ふむ、ここで長居はよしたほうがよさそうだ」


 緊張の欠片もない道祖神さまは、ようやく己の道を思い出してくれたようで、おもむろに手のひらのスマホを私に見せながら起動した。

 黒い画面に方角を示す矢が現れる。


 くるり、くるり、くるり。


 三回転のあと、矢はピタリと静止して画面が変わった。

 パッと切り替わり、地図アプリのようにここら周辺のあらゆる道が現れる。赤い色の道は馴染みのあるアスファルトなのだが、道祖神さまは赤を非表示にさせた。


「旧道のほうが分かりやすいのさ」


「はぁ……」


 しかし、旧道である青い色の道は今も残っているところもあれば消滅したものもある。

 訝っていると、道祖神さまは青の道を指先で歩いた。


「ふむふむふむ。いや、やはり別ルートの方が早いか。坊、黄の道を行こう」


 青までも非表示にさせ、現れた黄の道というのは青よりもさらにふるいものであると私は考えた。

 道祖神さまはウキウキと楽しげで、スマホに現れた黄の道をポンとタップする。瞬間、足元に黄の線が引かれていく。線が示すのは、アスファルトの道路から逸れ、民家を突き抜けていた。


「どうやって行くのですか……」


 民家を壊せと言いたいのだろうか。さすがにそんなことをしたら黒崎カミゴ倶楽部はおろか、市や県からも怒られそうなのだが。

 そんな不安を読み取ったのか、道祖神さまは呆れた一喝を私に投げた。


「阿呆な子だね。この脳筋め。突き抜けるわけがないだろう」


 そうでしょうとも。だが、術が皆目わからない。


「道というのはだね、どんなに上書きしようとも決して消えないしるべなのさ。私はそこらの神のようにの神ではないのさ。いいかい、坊。旧い旧い道はこうして辿る」


 彼女はカツンとヒールを鳴らし、黄の線を歩いた。ヒールがどんどん道の中へと沈んでいく。それはまるで、道全てが水面のように柔らかでもろくたゆたう。

 こんな現象は見たことがない。


「目をまんまるにしているな。驚くのはまだ早い。坊、私の手を掴んだまま、決して離れてはいけないよ」


 手を伸ばす道祖神さま。言われるがままにその手を掴めば、ズルズルと足元が不安定になり、沈んでいく。空気を踏むような感覚だ。

 首を回せば、辺りの色が変わっていくのが目で捉えられた。せ色の世界は、固い地面がなく、高い建物もなく、広がるのは何もない殺風景な場所。


 ようやく足場の良い地へ降り立ち、私と道祖神さまは何もない開けた大地に佇んでいた。


「さ、こうか」


「いやいやいや! お待ちください、道祖神さま! ここは、一体、どこなんですか!」


 なんにもない。町がない。消えている。視界はフィルターがかかったように、いくらこすっても褪せ色のまま。

 しかし、車が通る音や人が話をしている音、足音は聴こえてくる。

 驚かずにはいられない。うっかりと道祖神さまの手を離しそうになったが、彼女の握力はかなり強かった。


「あはは。そうか、坊は初めてだったかな。この世界はね、私が知る限り一番旧い道なのさ。ざっと……千年単位は昔だろうか。そのくらいさ」


 軽々しく言ってくれる。まったく、神というのは大胆で容赦がない。

 私は開けた口を結び、取り乱しかけた心を鎮めた。

 道祖神さまはこの野っ原にそぐわないスマホを開かせて、道を目で追いかけながら私に言った。


「あぁ、そうだ。天井では君の生きる世界が動いている。何も異世界の道を行くからとは言え、時の流れは平等なのさ……おっと、もたもたしていると黒崎のシノにどやされる。あの子はとてもおっかないしね。坊、急ごう」


 道祖神さまは、呆けた私の手をぐいっと強く引っ張った。真っ直ぐな黄の道にはなんの障害もない。

 落ち着いてもなお、この摩訶不思議な空間に慣れることはなく、とにかく私は改めて神の力という強大なものを思い知った。



 ***



 同刻。

 道の神へ祥山を連れてくるよう頼んだ霧咲は、雑踏へ入っていく鬼木弥宵を今度こそ仕留めるつもりで厳重な人避けを全身に張り巡らせた。

 彼女には護りの神通力がある。

 護ることしかできないが、上手く扱えば戦闘にも役に立つ。もっとも、彼女のこの神通力が悲惨たる現状を生んでいるのだが――今はそれに構っている場合ではない。


 人避けは誰かにぶつかろうと、足を踏もうと決して気づかれない。尾行にはうってつけなのに、先日は撒かれてしまった。

 もしかすると、鬼木弥宵は微細なにおいや音を受信する感覚型の神通力を持つのかもしれない。


 それにしては、今日の彼女は霧咲を撒く気がなかった。どういうことか。

 早足でもなく背後を気にするでもない。ごく自然な足取りだ。


「おかしいわね……」


 試しに言葉を発してみる。それでも尚、彼女は気づく素振りを見せない。


 ――なんなのかしら。あの子、本当に正体がつかめない。もしかすると、あの子がスサノオのカミゴかもしれないのに。


 居なくなった「サヨリ」というカミゴではあるが、カミゴは基本的に偽名を使う者ばかり。鬼木弥宵にしろサヨリにしろ、女子のカミゴであることは間違いないのだ。

 些細な人違いなど、恐るに足りず。片っ端から確かめていけばおのずと当てはまるのだから。


 路地裏へ消えていく彼女をしっかりと目で追いかける。さて、ここで目くらましや姿くらましなどされては困るのだが、今は道の神が味方をしてくれている。

 勝機はこちらにある、はずだ――


 霧咲はするりと路地裏に身を滑り込ませた。

 すぐに目を瞠る。


「こんにちは、のお姉さん」


 背を向けたままの鬼木弥宵が目の前に立ち止まっていた。ゆっくりと振り返る。その目は虚ろで、黒々としている。

 思わず息を止め、彼女の護りは無意識に強大となった。経津主命ふつぬしのかみによる加護が膨れ上がる。

 しかし、鬼木弥宵には霧咲の姿がはっきりとえているらしい。虚ろなのに焦点の合った目が異様に気味が悪かった。


 ――まるで、幽霊みたいね。


 幼い頃から慣れ親しんできた霊魂の類と同じを感じる。

 気をしっかり持たなくては。気圧されるなど、篠武家の名が廃れる。


「あなた、生きているのかしら。それとも生かされているのかしら」


「どっちやろーね……死んでるのか死んでないのか、今のあたしはよう分からん……でもね、あなたを連れてくるようにお願いされたんです。それだけは確か」


「お願い? 誰に?」


「カミサマ」


 少女は口をぽっかりと開けて言った。


 やはり、彼女は神から恩恵を受けたカミゴだ。


 霧咲は一歩後ずさった。鬼木弥宵にどんな力が備わっているのか、見当はつくものの断定はできない。もし、消去人だったならばすべてを吸い込まれてしまうだろう。もし、喰人だったならばすべてを飲み込まれてしまうだろう。すべてを。


 霧咲の脳裏に、忌まわしい過去が走り去る。飲み込まれてしまった家、人、人、人、人、ひと。何もかもが消えてしまうのだ。親も兄弟も友人も。すべて。


「しっかりしろ、霧咲」


 背後からふわりと甘い息がかかり、彼女はハッと我にかえった。

 羽織袴の男がゆったりとこちらへ来る。腕を組み、こちらを睨む鷹のような眼光。堅物な顔つきの彼こそが霧咲の親神、経津主命だ。


「フッくん……来てたのね」


「明水に頼まれてな。貴様、よもやおそれてはいないだろうな? それでも私のカミゴなのか」


 高圧的な声に霧咲は眉をひそめる。


「はぁ? そんなわけないでしょ。馬鹿なの、あなた」


「冷や汗浮かべてよく言いよる。口だけは達者なじゃじゃ馬め。よそ見をするな」


 陰険な笑いを浮かべる経津主命が、手のひらを前方へかざした。それにより、鬼木弥宵が後方へ吹き飛ばされる。


「ぬるいな。霧咲、あれは『冥府めいふ』ではないぞ。あの程度、貴様なら他愛もない」


「あーもう! 分かってる! フッくんは帰っていいわよ! 邪魔!」


 一喝された経津主命はやれやれと首を振り、大したダメージはない。その小馬鹿にした態度がいつでも憎たらしい。


 護りの力を右手に溜め、彼女はジーンズのポケットから折りたたみナイフを出した。強力な防護が施され、光を帯びる。

 空を切り裂けば、強い突風が巻き起こった。


「きゃあ!」


 まともに食らった鬼木弥宵が声を上げ、顔を腕で護る。突風から逃げようとするも、やがては渦に捕まり、少女の体はいとも簡単に地へねじ伏せられた。這いながらも逃れようとするが、その動きは遅い。


「さぁ、言いなさい。あなたは誰のカミゴなの?」


 風と防御をまとい、霧咲は少女に問う。しかし、彼女は答えようとはせず、口をつぐんだまま。視線が忙しく動き、やがては上へとたどり着く。

 ニヤリ、と口の端が伸びた。


「お姉さんの負けよ」


 霧咲は視線をたどった。ビルの上に、人影がある。それが誰かは知る由もない。

 仲間だろうか。それとも、彼女の言う「カミサマ」だろうか。


「鬼木!」


 道の向こう側で声が響いてくる。

 這いつくばって逃げる少女の前に、祥山の姿があった。黒と赤のライダースーツも見える。

 祥山は驚きで目を見開き、すぐさまこちらへ駆けつけようと足を踏み出した。

 これで挟み撃ち。形勢逆転。


 鬼木弥宵の目がわずかに緩み、唇が小さく震えた。「鹿島くん」とつぶやいたのだろうか。彼女にとって、祥山の登場は想定外だったらしい。


「いやよ、そんな……そんな、そんな、そんな……鹿島くんには知られたくなかったのに……!」


 混乱に泣く鬼木弥宵。もう後がない。

 祥山と霧咲が一歩近づいたその時、突然に彼女を象るが浮かび上がった。その赤はちりちりと音を立て、火柱をつくる。


 そして、少女の全身を舐めた。

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