第11話 どうも口説かれまくってます、犬君です。

文使いの童がにこにこしながら、今日も手紙を持ってくる、あのくそったれからきた手紙でしょうか。


それにしてはなんだか雰囲気が違いますね。




「誰にかしら」




同じ事を思ったらしい女房のお方がいう。




「はい、犬君という方に渡せばいいとのことでしたが」




童は首をかしげている。それはそうでしょう。


誰が犬君か、この面子の中ではわからないでしょう。


大抵は女房が取り次ぐのです。そして今は藤壺様も姫様もここにいらっしゃらないのですから、全員が女房です。


この中で誰と特定は……さすがに難しいでしょう。


それに。


この文使い童は、あの野郎がお使いにしている童じゃないです。


では誰が。


また分からない物の、私は受け取りました。隣で目を輝かせている女房の先輩が、はやくはやくとせっついたからです。


文使い童はじっと私の顔を覚えようと見つめ、一礼して去っていきます。礼儀作法のきちんとした童です。


あの野郎のよこす童は、顔はいいのですがちょっと作法があれでしたもの。


なんというかなよなよとして、公達に寵愛を受けたがる空気の。


いや、それ自体を否定するわけではなく、仕事しているのか公達を視線で値踏みするのかわからない様子が、嫌なだけです。


それはさておき。


受け取った手紙をざっと読みます。


見た事のないほど美しい文字がさらさらと書き連ねられています。


そしてこの時代では思っても見ないほど、匂いに対するセンスがいいです。


ふんわり、ふんわりといい香りという絶妙の焚き方の香り。


すばらしい香りです。あの野郎の蒸せるように炊き込めた香りとは大違いです。


去って言った後も香るってのは、嗅覚を直撃して悶絶するくらいにひどい暴力なのです。


香りだけで誰だかわかるくらい、香りを焚き込めているって現代感覚でいったらもう、信じられない悪臭一歩手前なんですよ。


事実大昔に電車で、人がいない空間に入ったら臭いほど柔軟剤の香りがしたという……もうあれは信じられませんでしたね。前世の話ですが。


それと比べてこの、ひそやかなつつましさのような、相手の匂いの強さや高級さに頼らない、美意識はもう、感激物です。あの野郎の手紙は高級な香りをたっぷり焚き染めている、贅沢しか感じられないものでしたから。


本人もほかの女房達も、良い香り、すてきと言っていても、嗅覚の鋭い私には劇薬でした。


いそいそと手紙を開きます。あの野郎からの物だとは、欠片も思いませんからね。


誰かの間違い手紙かもしれないと思うと、人の秘密を見るようで失礼ですが、どきどきします。


しかし。




「これ私宛ですかね……身に覚えが」






この前の月夜に見た貴方に恋してます。




そんな言葉が見事な和歌で表現されています。私よりも知識のある方だったら、もっと深い意味が分かるでしょう。


中身をみれば誰かが誰かに垣間見られたというのが、一発で判明するものです。


しかしそれ以上に、この局で最近月の明るい夜に、人に顔を見せる振る舞いをしたのは私だけなので、私宛なのかもしれませんが。


こんな事を書かれるゆえんが分かりません。




「見せてちょうだい」




もう待ちきれないという顔の女房の皆様に渡すと。


彼女たちは目を丸くした後に、私を揺さぶった。




「ちょっとあなた、こんな事言ってくださる方滅多にいないわ、お返事しなくちゃ!」




大変に色めき立っております。


光の君というあの野郎から手紙が来る以上の反応です。




「皆様どうしてそんなに色めき立っていらっしゃるのです」




流石に見当がつかないで言うと。


一人の和歌に長けているお方が、手紙を見せながら、私に説明までしてくれました。


いわく。




月の明るい夜に、息がつまるような姿を見せてくれた貴方が忘れられません、ああ貴方がただ恋しい。


恋しさが募るのが誠の恋なら、これほどの恋など抱いた事もない、ただ愛しい。




とこの美しい文字の和歌が言っているというのです。


私の解釈は当たっていましたが、もっと軽い感じになってました。


こんな風に情熱的に直情的に言われるなんて、なんだか不思議な気分です。


本当に私宛なのですかね。


別の局の、月夜に顔を見せた美しい方あてでは。


と思いながら、手紙はよく見たら二枚ありました。


一枚目はその和歌がつづられていました。


二枚目は。


……完全に私を特定している中身でした。


光の君を突っぱねている少女というだけで、身元判明です。


言い訳のよちも逃げ場もありません。


そして相手は何という事か。




「まさかの」




「まさかの蛍の君よ……あのかたは雅な事に非常に長けていらっしゃるけれど、こんなに手紙の文字まで美しかったなんて」




「犬君本当にうらやましいわ! あなたの運を分けてほしいくらいよ!」




あの野郎の異母弟、蛍帥宮さまでした。


この方原作では、玉鬘のあたりでメインで出てきます。


夕顔という、あの野郎の恋人になったのに悪霊にとりつかれて殺された女性の娘に求婚する方です。


玉鬘が大変にいい評価をしている方でして、蛍と言うのも彼女関連でしたが。


今でも蛍の君と言われているのですね。


しかし。




「……あきらめていただきましょう」




私はなんとも言えない顔で、紙を片手に一つ書いた。


中身は女房の方々に見せませんでした。


見せられるものじゃないんです、私の和歌の出来は!


もう、古めかしいと言われている末摘花様以上のだめさなんです!


この歳までちゃんとした和歌の教育は受けていませんし、もともと姫様の遊び相手であるだけですし。


出来は壊滅的なんです。


これできっぱり諦めてもらいましょう。


私はそう決めて、もう文字すら手に負えないほどの酷さと自覚しつつ、返事を書きました。


ああ、これで幻滅してきれいさっぱり忘れてくださいな!


……あのやろうのように、下心以前の問題のやつと違う方が、口説いてくださるのはとてもなんだか、胸がどきどきしてしまいますが。


私はそれを、この局の文使い童に頼んで送ってもらいました。




「……犬君、どうしてあきらめてほしいのかしら」




私の一言を聞いていたのでしょう。女房のお方が聞いてきました。


他の方も頷きます。




「あんな方に思われているのに」




「犬君は光の君と契ってもいないのだから、誰と手紙を交わしてもいいのに」




彼女たちなりに、私の事が不思議でたまらない様子です、しかし。




「……すっぱり光の君の問題が片付いていないのに、他の方と親しくするのは私の仁義に反しますので」




ため息交じりに、私は言いました。


裏側に、あの野郎の事が無かったら文通したいわーみたいな言い方をしました。


ですがそれを聞いて、余計に皆様不思議そう。




「あなたやっぱり変わってるわね……何人もの男の方から手紙をもらって、やり取りする方だって多いのに」




「私は誠実に相手と対面したいんです。それにこれが光の君に知られて、蛍の君に何か不利な事があればとても、とても」




私はあの野郎をとっちめるのに躊躇はしませんが、他の方が不幸になる場合は躊躇します。


たとえそれが、あんたよりほかの男の方を選ぶわ! という選択で、あの野郎にダメージを負わせられたとしたって!


人間出来る事と出来ない事がありましてね。


私はそう言う事なんです。

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