第9話 どうも評価が上がってます、犬君です。

そうして一夜あかしたのですが。なんといいますかね。これ。

私があの、今をときめくと言われているロリコンを突っぱねた話は、周囲で聞き耳を立てていた女房たちが広めてしまったようで。

私のきつさというか、潔癖さというか。

なんか、ですね……


「犬君、よくぞ言ってくれました!」


「ああ言うことを、私たちも言いたかったのですよ!」


「殿方ばっかりずるいんですもの!」


女性の心をずばっと言い切った私の評判が、女性たちの間でますますよくなっているみたいなんです。ね、はい。

元々姫様への忠誠心からか、皆さん私に温かい目を向けてくれていたのですが。

今回の事で、一層評価が高まった感じです。

まさかそうなるとは思いも寄らなかったです。

私は不評を買うと思っていたのに、思っていたのに。

なぜか皆様とてもうれしそうな顔で、私に話しかけてきてくれるんです。


「あなた怖い物知らずなのね! あの光の君にああもずけずけと! 殿方じゃないのに格好良いと思うのは初めてだわ!」


今日も言われています。昨日の今日なので仕方がありません。

ロリコンは本日何をしているのか、知りません。

来なくったっていいのですが、たぶん奴は来るでしょう。

だって自分のパパがお膳立てした結婚なのですから、それを投げたら大変な事です。

天皇陛下の命令を聞かないなんて、できっこない小心者があやつなのです。

と思っていたら。


「うらやましいわ。あんな殿方を振り回せるなんて」


ひがまれている部分もあるようですね。

まあいきなり現れていて、あっという間に遼遠に恵まれた小娘を、よく思える人ばかりじゃないのでしょう。

しかし私はやましい事なんて何もないので、言い切ります。

「私は言いたいことを言っただけですし、元々姫様が幸せになるのを見届けるのだけが、目的なので。自分の結婚なんてあと十年先でもいっそなくてもかまわないので」

言い切った私を見て、周囲の女房たちが唖然としています。

唖然としていたってかまわないのです。

だって私は、ずっと姫様に幸せになってほしくてほしくて、だからロリコン空守ると誓い、大がかりな事だって企てたんですからね。


「あなた大変な苦労をしてきたのね」


「そうでしょうかね」


苦労なんて思ったことがないから、私はほほえんみます。宮中はどろどろと怨念が渦巻く世界でも、こうして帝がきちんと礼節をたもって妃を寵愛すれば、桐壷の更衣のような人は出てこないでしょう。

ロリコンはそれからしか知らないから、きっと怨念渦巻く宮中なんて知らないのです。

だから、馬鹿なことを考えたり、不用意に浮き名を流したりするのだと思います。

あきれたもので。


「姫様はかわいらしいお方でしょう? あの方を見てからずっと、私の役目はあの方の幸せを見届けることだと、思って生きてきました。光の君だろうがなんだろうが、その邪魔になる物なんて。いりません」


笑って、まだまだ至らない小娘の顔で言った私に、何を思ったんだろう。

誰も何も言えないでいた。

きっとそれは、よい結婚がすべてを決めるような世界で、私の生き方が馬鹿げているからでしょう。


「あなたはおろかね、そして恋を何も知らないのだわ」


「知って身を焦がして命を削るのであれば。姫様のために命を削る方が私は、いいです」


「……あなたのような女の方が、光の君の妻にふさわしいのかも知れませんね。その迷いのなさが。構え方が。なんだかわたくし、帝があなたを光の君の妻にしたがった理由が判った気がしますわ」


不意に声を上げたのは、今まで女房たちの会話を聞いていた藤壷さまだった。

藤壷様、判らないでください。判らないままがいいです。

と思っていれば。


「犬君に、手紙だわ。光の君からよ!」


声を高くして言ったのは、お使い童から手紙を受け取った人だった。

手紙に注目が集まる。光の君が、後朝さえ許さなかった女に送ってきた手紙ですから。

注目されますよね。


「……たいした物ではなさそうですね」


私はちらりとそれを読んで言う。

つれない恋人に送る甘ったるい中身ですが、私恋人になったつもりもありませんので!

こんな物で心を動かされたりはしません。本性を知っているからです。

ぱたりとその手紙を脇に放る。そのぞんざいな扱いを見て、周りの女房達がわっと聞いてくる。


「中身を読んでもいいかしら!」


「どうぞご勝手に」


見られてどうこうなる手紙じゃありません。

私が毅然と対応していれば、何の問題もない事ですしね。

しかし中身が気になって気になって仕方がなかった方々は、それを広げて集まって、黄色い声をあげる。


「光の君くらいの素敵な方に、こんな事言われてみたいですわ!」


「うっとりしてしまいますね……」


「犬君って本当に変な子なのね。こんな情熱的に言われているのに、ちっともなびかない」


「それか大変な策士だわ。あなた実は光の君を手のひらで転がしたいの?」


「いいえ? 左大臣の娘である、正妻のお方の所にさっさと帰れ、そして二度と来るなと思っています」


「葵上さまの所に? あなた光の君が葵上さまと冷えきった仲だと知らないの?」


「近寄って親しくなる努力を惜しんで冷え切ったなんていうのでしたら、光の君はとても怠慢な男ですね。ますます嫌いになりました」


「え?」


「だって女性は家で待つしかないのですよ? 家に男が来てくれなかったら近寄る事も出来ませんし、結婚したから何でもすぐに話せる男女なんていないでしょう。女性は待たなければならない身の上なのに、男が来てくれなければどうにも仲は進みませんよね。葵上さまが一体何に劣等感を抱いているのかは知りませんが、そう言うのこそ男を見せて、葵上さまの心を開く努力を惜しまないのこそいい男ではありませんか?」


私は息を一つ吐き出してまた、続ける。


「男の側が来てくれなければ何も始まらないのに、ちょっと近寄ってみて冷たいとかなんだとかいうのは、間違っていますよね。心のすべてが氷のような女なんていないでしょう? それに近くにいなければ、相手の素敵な一面なんて見えないでしょう? なのに素敵な一面を見ようとする労力を惜しんで、他所の女をとっかえひっかえして、……それで気持ちのいい女性なんているわけないでしょう」


私のこれを聞いて、皆さまが黙りました。皆様思うところがあったのでしょう。

左大臣の娘と結婚した後も、延々浮名を流し続けたロリコンの行動をあてはめてみたのだと思います。


「犬君……あなた本当はいったいいくつになるのかしらね」


「私たちよりもはるかに物がよく見えている大人みたいですよね」


「巫女のような一面もありますしね」


「葵上さまだってきっとすごく苦しんでいらっしゃると思いますし」


「犬君、どうしてそう思うの?」


「姫様。だって結婚した相手が自分の所に来ないで、他所にジャンジャン女を作って遊び惚けていて、苦しくないわけないじゃないですか」


「そうだわ、そうよね」


藤壺様の近くで話を聞いていた姫様が、頷いて同意した。


「ねえ犬君、あなたもし、光の君があなたの条件通りに、全ての女性と……葵上とさえ縁を切って現れたらどうするの? 一人の男として、たった一人であなたを求めたら?」


「ちょうどいいので横っ面をひっぱたいて、急所に一撃を食らわせて、外の雨の中に転がしますね。ただの男だったらますます怖いものじゃありませんし」


「あなた本当に、光の君が嫌いね」


「前触れも何もなしに、いきなり襲い掛かられて好きになるような、人間ではありませんし。文もなにもないわ、愛人を次々作ってつまみ食いのように襲われるわ。どこを考えて、好きになる要素が?」


皆様それには納得しているご様子でした。


「でもなんだか。犬君の言葉って裏返して聞いてみると、たった一人好きな人と愛し合いたい、乙女心を代弁しているみたいよね。ちゃんと手順を踏んで恋の階段を進みたいし、手紙をもらってときめきたいし、手紙の返答に一喜一憂したいし、通ってくる相手をどきどきしながら待ちたいし、その人に自分だけを愛してほしい……っていう」


姫様が私の言葉の裏側を考えて、悪意なく笑った。


「犬君も乙女よね。でもわたしだって、そう言うのがいいわ。素敵と聞く殿方に文をもらって恋を始めるのがいいわ」


姫様にはその未来がふさわしいでしょう、間違いなく!

しかし姫様の言葉を聞いた藤壺様が、不穏な事を言いました。


「光の君が紫と同じように考えていたら、どうしましょうね」


「手紙を返さなければ縁は切れますので、それでいいかと。帝には申し訳ないですが、あれだけ恐ろしい目に合わせた相手ですから。辛抱強く理由を言えば、分かってくれますよ」

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